オルタナティブ・デイ
翌日。さゆり…いや、みのりは朝から出かける用意をさせられていた。
「今日は御厨の爺さんらに呼ばれてるんだよ。これから東京に行くけど、あんたも行くでしょ?」
「う、うん…」
こんな具合であった。
さゆりは、みのりがそうであったように、突然現れた娘にさほど警戒していないようだった。自分の若い頃とそっくりで、同じシュシュで髪を結んだ女の子を、他人とは思えないでいる。自分もそうだったから、よく分かる。
しかし、東京行きか。自分の時間では、こんなイベントはなかった。みのりはわずかに下唇を嚙んだ。
(そういえば、『みのり』も蒼竜の顕現に驚いていたっけ…)
少しずつ、自分が知っている今日とは違う事が起きている。同じ日は、繰り返されないのだ。
東京行きの準備は終わった。もとより昨日買ってもらったバッグ以外に荷物はない。身支度を整えればそれでおしまいだ。
しかし、出かけになってター坊が店に飛び込んできた。
「さゆりおばちゃん、大変! ひいおじいちゃんが…!」
みのりは何が起きたのか、一瞬で理解した。
昨日の
肌は紫色に腫れ上がり、傷口からは緑色の液体が膿のように漏れていた。体力のない老人が、この状態に耐えていたのだ。時折軽く口に出す戦争体験も、まんざらウソではないのかもしれない。
さゆりは店から持ってきた瓶詰めの薬草を湿布にして患部に貼り付けた。
「うん…そんなわけで、到着三時間くらい遅れそう。六本木に行けばいいの? うん、分かった。ごめんね。よろしく」
「ごめんね、さゆりちゃん。出かける前に声かけちゃって」
電話を切ったさゆりに、クマさんの娘、すなわちター坊の祖母が頭を下げる。声が出せないクマさんに変わって、おばあさんはお礼を述べた。
「何言ってるの。私が出かけている間にクマさんが死んだら、目覚め悪くてたまんないよ」
さゆりは照れ隠しに、手をぶんぶんと横に振った。
「ところで、そっちの娘さんは?」
と、当然のように、話題はみのりへと移っていく。
「私の娘だってさ。みのりって言うの。稔とさゆりでみのりだってさ」
「言われてみると、さゆりちゃんの若い頃そっくりね…」
「そうなの。だから他人の気がしなくてさ…」
そんな会話を聞きながら、みのりはター坊とゲームを遊んでいた。巨大なドラゴンや獣を狩る、モンスターなんとかというゲームだ。
「さゆりおばちゃんすごいんだぜ! ホンモノのドラゴンを倒しちゃうんだ! 昨日もね、緑色のドラゴンやっつけたんだよ!」
『おばちゃん』という単語にピクンとしながらも、「そうだ、今の私は18歳のピチピチギャルなんだ」と思い直して、みのりは溜飲を下げた。いつもなら拳骨を落としているところだ。
「おねえちゃん、さゆりおばちゃんの娘なんでしょ? ドラゴン狩れるの?」
「さあ、戦ったことないから分からないよ」
「そうだよね。ドラゴン、全然出てこないもんな。でも昨日、裏山に緑色のドラゴンが出てさ~」
ター坊は無邪気に、さゆりの英雄譚を語り出した。
「かっこいいよな、ドラゴンスレイヤー! ボクも大きくなったらドラゴンと戦う人になるんだ! さゆりおばちゃんみたいに! だから今から、ゲームで特訓してるんだよ!」
ゲームのように楽しめるのならいいのだけれど…と、みのりは苦笑する。
人ならざる力を得て生まれたこと、そしてその力が不要だと言われること。その悲しみは、おそらく8歳の少年に伝えたところで理解されまい。ター坊は単に、さゆりの強さにあこがれているのだ。
「みのり! いくよ!」
クマさんの治療を終えたさゆりに、声をかけられた。
「東京にいくんでしょ? さゆりおばちゃん! お土産買ってきてね」
「おばちゃんって言うな!」
やっぱりター坊は、拳骨を落とされた。
その一時間後。
みのりとさゆりは、車上の人となっていた。
「悪いね、あおい。クルマ出してもらっちゃって」
あおいの蒼いRX-8は東北自動車道を南へと突っ走る。
「あのオンボロヴィヴィオで東京まで行けないもんね」
「オンボロって言うな。あんたのご両親に買ってもらった、大事なクルマなんだぞ」
「そうだったね」
重厚なエグゾーストノートがシャシーから響いてくる。シフトを変えるたび、ガシュッと、ブローオフする音がする。
あおいと会った時、初めて会ったような芝居をした。あまりのヘタクソぶりにあおいは苦笑していたが、どこか鈍感なさゆりには気づかれなかったようだ。
(まぁ、実際私も気づかなかったしね)
『みのり』と会ったばかりのころを思い出す。
出自をヘタなウソでごまかしていたみのり。だが実際、自分も同じ立場に置かれてみると、うまいウソがつけなかった。結局『みのり』と同じように、乙ヶ宮ではないどこかからやってきた、という曖昧な設定にしかできなかった。
何か事情があるのだろうと、さゆりはそれ以上聞いてこなかった。それは、みのりの存在が、長らく家族不在だったさゆりの心の隙間を埋めてくれたからだろう。実際、自分もそうであった。
「そういえばマスヒデは?」
「今日はシフトで休みだよ。明日は休みをとった」
「子供たちは置いてきて大丈夫なの?」
「あきつ家に預けてあるから。今頃トンカツ食べてニコニコしてるよ」
見た目よりも広いリアシートで横座りとなり、肘をついて山ばかりの車窓を眺めた。
さゆりはあおいとの会話を続けている。後ろを振り返る気配はなかった。
三月十二日、土曜日。蒼竜が現れ、『みのり』が倒れた日だ。その日はマスヒデのバイトが入っていたはずだ。
同じに見えるが、すこしずつ違う。今日東京に行くことになったことも、クマさんの症状が重篤だったことも、みのりが弾丸にエンチャントしなかったことも、さゆりのバイトが休みなことも。
まるで登場人物が同じな、別の物語を読まされているようだ。ついでに自分の配役も変わっている。歯車がズレた舞台装置のようだ、とも言える。
東京でなにが待ち受けているのだろう。
この世界に二人しかいない
胸に手をあてる。正確には、身体の中に入っているヴォーパル・ウェポンに手を当てた。
鏡によってみのりと共に時空を越えてきたヴォーパル・ウェポンは、みのりの元となった素体と融合したらしい。カタチこそ失われているが、ヴォーパル・ウェポンはみのりの中にある。
(私自身が杖のようなものだから)
『みのり』は確かにそう言った。こういうことだったのかと、みのりは得心した。
何かあったら…さゆりは戦力にならない。御厨の長老たちの力も知れている。となれば…。
ぐーっと、誰かの腹が鳴った。あおいとみのりの目が助手席に集まった。
「なによ! お腹鳴らすのって、そんな悪いことなの!?」
誰も何も言ってないのに、さゆりは顔を真っ赤にして言い訳をはじめた。
「佐野PAに寄ろうか。あそこのラーメン、美味しいし」
あおいの言葉に「賛成!」とすぐさまみのりが言う。
RX-8は、間もなく栃木インターチェンジを通過する。
(つづく)
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