だけどその願いは…
星の紫菫(スミレ)(1)
ジェットエンジンが、甲高い声で鳴いた。
引き波を描きながら、ファン・フレディは、満月が浮かぶ夜空へと飛び上がった。
機首に取りつけられたスターライト・スコープの映像がRX-8のフロントガラスに映し出される。
RX-8は蛟竜島最北端の複合トーチカ跡の中に入っている。さゆりとみのりが、魔法を使って運んだのである。
このベドンの塊は、特別な魔方陣が組まれ、隕石が数個落ちたくらいでは潰されない硬度にまで強化されている。この中にいる限り、あおいも安全なはずである。
ファン・フレディはすぐさま、夜空に浮かぶ
「目標、距離100km以内に到達。紫菫竜の今の高度は約300m。この高度のまま近づいてくると、距離60kmで水平線から出てくる計算になるよ」
「あと40kmか」
「現在の時速は43ノット。30分後には見えてくるはず」
手持ちぶさたと緊張がないまぜになりながら、時間は刻一刻と過ぎていく。
見上げれば満天の星。天の川が北の
スマホで空を撮ると、Now-Manで早苗に写真を送った。暗い星は映らなかったが、それでもさゆりが感じた美しさは伝わるだろう。
しばらくすると、早苗から返事が返ってきた。
乙ヶ宮を拠点とする自転車チームの応援
画像の下には「ドラゴンに負けるな!」と、無駄に達筆な手書き文字。書道を習っている翠が書いてくれたものだろう。
早苗の笑顔が不自然だった。無理して、笑ってくれたのだろう。その心意気が、親友として嬉しかった。
そろそろ、日付が変わる。
紫菫竜がこちらの射程に入った。HMDをかけたみのりが、南の岸壁へと駆けていく。その腕には、スマートウォッチが巻かれていた。さゆりがいつも巻いているものだ。
特に理由はない。先鋒をつとめる娘への、おまもりのようなものだ。
「ありがとう、おかあさん。いってくるね」
みのりはいつものように微笑んで、トーチカを出ていった。
さゆりは、あおいと共にRX-8のフロントガラスを見ていた。
あおいは関係各所に戦闘開始を伝えるメッセージを送っていた。周辺には自衛隊や米軍の観測機やマスコミのヘリコプターなどが展開している。何度かテレビ局のヘリコプターが島の上空をフライパスした。紫菫竜と対峙する
刹那。ディスプレイ上の紫菫竜に光がまたたいた。言うまでもない。みのりの
閃光弾は、あの巨体にどれだけの傷を負わせただろう。もしかしたら、効果は皆無かもしれない。それでも、接近まで少しでもダメージを与えておきたい。
「はい、ねえさんの」
あおいは新型のHMDを差し出した。顔の半分を覆う、大型のHMDだ。セリナから送られる情報を
あらかじめ
「このトーチカから出たらだめだよ」
「出たら仕事できないもの。余計な心配だよ」
あおいの頭を一度撫でてから、さゆりに南岸へと向かった。
切り立った岸壁に立つみのりの側に来た。見下ろせば、岩壁から突き出した錆だらけ砲身が見える。
「紫菫竜の射程は短いのかもしれない」
みのりは、さゆりの方へ顔を向けた。彼女のHMDはいつものものだ。
「シドニーやポートモレスビーで流星を振らせた時、通過直後だったよね」
「うん」
「真下にしか、流星を落とせないんじゃないか、紫菫竜って」
ならば、次の行動はこうだ。
「紫菫竜加速! 140ノットで接近中!」
HMDに「13分後で
「頭部に
「了解!」
接近される前に、少しでも敵の体力を削りたい。唯一弱点のように見える、頭部のカチューシャに火線を集めた。
紫菫竜周辺の空間が歪んでいる。超質量の物体が250km/hまで加速したためだ。その歪曲が、一種のバリアのようになっているらしい。光線が屈曲して紫菫竜の後方へ飛び去る。みのりに射撃の停止を命じる。無駄弾で竜気を消費したくなかった。
「紫菫竜、200ノットに上昇!」
どうやら10分も待たせる気はないらしい。
「おかあさん、多分紫菫竜は…」
みのりがなにか言いかけた刹那、紫菫竜のカチューシャがまばゆく光った。
「おかあさん! 急いでしょうへ…!」
「えっ!?」
よく聞き取れなかった。直後、虹色の壁が島の南岸を覆った。同時に、バリバリバリと雷鳴が轟く。
加速を続ける紫菫竜の前面に、
「
空の全てが
続いて、巨大な花弁が飛び去った。暴風が吹きすさぶ。浜の砂が舞い上がり、ベドンの破片が飛び散る。海面はしぶき、さゆりも波を被った。
みあげれば、空にいくつもの星が生まれていた。星は雷鳴を伴いながら、炎の尾を引いて
急いで直上に障壁を張る。流星はプリズムの傘に当たると鈍い衝突音を響かせて砕け散った。みのりが言うように、この隕石はただの岩だ。竜の身体を傷つけられるものではない。それでも障壁のエリアを超えた隕石が海面を叩き、高い水柱を噴き上げる。島に落下したものは衝撃を生み、人工島にクレーターを作り出した。
紫菫竜は蛟竜島の北15kmの地点にいる。折り返してくるにしても、5分はかかるだろう。その間に、体勢を立て直さなければ。
初手で完全にイニシアチブを握られた。あの巨大な衝角はなんだ。みのりが障壁で逸らしてくれなければ、島ごと消し飛んでいただろう。隕石は牽制か。それとも足場を粉砕するために放ったのか。
いずれにせよ、強烈な攻撃であった。さゆりは唇を嚙んだ。赤竜や蒼竜の比ではない。これが
「みのり、あいつが戻ってくる前に…」
その時、さゆりは気づいた。
「みのり? みのり!」
隣に立っていた娘が、いなくなっていたことを。
何度呼んでも返事がない。
島中を見渡しても、彼女の姿は見えない。
「あおい、みのりがいない!」
「えっ!?」
見える範囲にみのりの姿はなかった。無人の人口島である蛟竜島には月明かりしかない。どこかの影に倒れているのかと探したが、彼女の姿はどこにもなかった。
海に落ちたのかもしれないと、北岸の海岸線にそって探してみた。
「ロマンシアでみのりの場所分からない?」
「HMDが故障しちゃってる。信号もロスト」
そうだろう。さゆりの足下にあるのは、みのりが装着していたHMDの残骸であった。
そして、その先は海。
「ファン・フレディでみのりを探して!」
「分かった!」
スターライトスコープを装備するファン・フレディならば、さゆりの視界の及ばない場所にいても、きっと探し出せるはずだ。
「みのりだって
その言葉はおそらく、自分に向けて放ったものだろう。
そうも言っておかなければ、頭がどうにかなりそうだ。
そして紫菫竜は、
(つづく)
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