ヴォーパル・ウェポン
翌日。
やはり、紫菫竜は予想通り、こちらに向かってきている。
紫菫竜はさゆり目がけて飛んでくる。でなければ、この地に残る竜脈を独占することはできないからだ。つまり、さゆりがいる場所が、戦場となるのだ。
戦場を決める権利があるならば、もっとも戦いやすく、もっとも被害が出ない場所を選ぶのがベストだ。それもT県よりも南の土地がいい。
その条件に合う島があった。房総半島の南にある人工島「
蛟竜島の正式名称は「
もっとも、本土砲撃の前哨戦として大量の艦砲を撃ち込まれ、すぐに沈黙してしまったそうだが。
激しい砲撃の跡が残る、鉄とベトンに覆われた無人島。隕石を落としてくるバケモノと戦うには、最高の戦場であろう。
なお、蛟竜島のアイディアをくれたのは、自称元海軍上等兵の熊さんだ。ダメもとで電話したところ、思わず安房南海堡の話を聞けたのだ。
いつもの、本当か分からない思い出話と共に。
さゆりとみのり、あおいの三人は自衛隊の乙ヶ宮駐屯地に向かい、当日のすりあわせを行った。政権素人の民王党の代わりに、元与党の閣僚が自衛隊への指示を行っているという話を聞いた。もちろん、民王党政権からアウトソーシングされてのことだ。
苦笑いしながら駐屯地を後にする。その後はあきつ家でカツを食べた。そこであおいとは別れ、いつもの駅前スーパーに寄る。
ダークネイビーのスプリングロングコートを買った。明日の戦闘服である。これに
あの制服には強力な不破化がかかっている。黒タイツだけは毎回かけなおしているようだが。
みのりの力も借りて魔方陣を組み、コートに不破化をかけた。こうしてスーパーで買ったコートは、みのりの制服同様、防御魔方が積層する堅牢な防具となった。試しにみのりに光波爆発をかけさせたが、幾重にも積層した不破化のコーティングがそれを弾いた。
「
満足げなさゆりに、みのりはいつものようにニコリと笑った。
その日は薬を作ったり、必要な消耗品に付与をかけたりと、準備をするだけで終わってしまった。
とうとう、紫菫竜と戦う日がやってきた。
紫菫竜はすでに南硫黄島に到達している。この分だと予想通り、日付が変わるころには蛟竜島上空に到達する。
さゆり、みのり、あおいの三人は、たこ焼き屋の早苗を加えて、あきつ家でトンカツ定食を食べていた。店のテレビにはニュース番組が流れている。
緊急速報が入った。紫菫竜の姿が、大きく変化したという。
リアルタイム映像が映された。同時に店内がどよめく。
その姿は、それまでの紫菫竜のカタチとも、また人間が「竜」と名称する怪物の姿とも違っていた。
「なにこれ…」
思わずこぼしてしまった。その姿は、もはや竜の概念では説明ができない。この異様な生命体から竜が生まれたなどと、信じたくはない気持ちであった。
みのりに目配せしたが、彼女も首を横に振った。みのりの世界にいた紫菫竜は、こんな姿ではなかったのだろう。
そんな、紫菫竜の異様な姿を説明しよう。
まずは翼。一対二枚であった翼は、四枚に増えていた。胸の前で組まれていた前脚が左右に大きく広げられ、それがもう一対の翼となったようだ。
そして長大な尾。平たく変形していた、
四枚の翼と一本の尾。いずれも幅広くゆるやかな楕円を描いている。
それはまるで、五つの
そう。スミレだ。
その色、その花びら。
紫菫竜の姿は、まさに空飛ぶ巨大な
「さゆりちゃん、こんなカタチになったの、どんな意味があるの?」
早苗に尋ねられたが、さゆりは肩をすくめるしかなかった。なにが目的でこのような姿に変わったのか、理由を知るのは紫菫竜だけであろう。
「正直言って、恐いよ、私」
早苗も不安そうな顔をしている。
「さゆりちゃんが勝つって信じてる。でも、恐い」
「当たり前だよ。あんなバケモノが迫ってる中で、恐怖を感じない方がおかしい」
房総半島からの避難は、政府主導のもとつつがなく進んでいるらしい。むしろ南関東から自主的に避難している人も多いと聞く。そのため、常磐道、東北道、東海道と各高速道路はグリットロックが発生している。各国道も似たような有様だ。
「私たちは負けないよ、早苗さん」
いつも通りの笑顔を見せるみのり。
「私とおかあさんがいるんだもん。負けるはずないよ」
みのりの言葉を聞いて、早苗も小さくほほえんだ。
「そうだよ、俺らのお嬢が負けるはずないんだ!」
「あの
みのりの言葉で、店内が沸き立った。そしてなぜか拍手が湧き上がった。
言えるわけがない。あの
いや、さすがに気づいているか。この地球上に、1kmを超える飛翔体など、紫菫竜しか存在しないのだ。
彼らは今、さゆりという存在にすがっている。さゆりがいるから安心だと、自分たちに言い聞かせているのだ。
「負けないよ、私は」
そう、宣言した。
それでも早苗は、心配そうな顔を隠さない。さゆりの言葉がフェイクだと、気づいたのだろうか。
「さゆりちゃん、生きて帰ってきてね」
わずかにふるえる早苗の手を、さゆりはギュッと握った。
14時。ついに出撃の時がきた。
あおいがたつみやまで迎えにきてくれた。ロードスターはお留守番だ。
チヌークに乗って蛟竜島に向かう。さゆりはヘリに乗るのは初めてだった。
あおいのRX-8はヘリの下にぶら下げられている。貨物室に入るものと思ったが、もともと要塞であった蛟竜島にはヘリを着陸させ、車を下ろせるようなスペースがない。そのためホバリングしたまま車と人、すなわちさゆりたちを下ろすことになる。
かわりにキャビンにはあおいが作ったドローンが格納されていた。
このドローン…ファン・フレディも大きい。全長はRX-8と変わらないのではないだろうか。
翼は機体上方に向けて畳まれている。これも広げれば180cm程度の翼長になるらしい。
「テレビでみるようなカメラ搭載型のドローンみたいなものだと思ったよ」
ロープでくくられ固定されているその様は、さながらこびとに捕まったガリバーのようであった。
「そんなサイズでファン・フレディの機能がおさまったら、それこそビックリだよ」
滑走路がないと飛べないそうだが、今回は水上から発進させるらしい。こんなこともあろうかと、防水性能と水上離陸能力があるらしい。そのためのフロートも取り付けられている。
「いつも思うんだけど…あんた、こんな導具つくるお金、どこから捻出しているの」
「簡単なことだよ。技術を売ってるのよ。高く買い取ってくれるところに」
あおいは少し、悲しげな顔を見せた。
「あと数年で、ある国の科学技術はすさまじい速度で発達していくことになるわ。それこそ、日本が追いつけないくらい」
あおいはため息をついて、目を伏せた。
「ホントの事知ったら、ねえさん、私を軽蔑するかも」
それっきり、あおいは黙ってしまった。
「そうだ、おかあさん。この戦いが終わったら、ハイランドパークに行きたいな」
唐突にみのりが言い出した。
「なによ、こんな時に」
「ヘリコプターに乗ってたら思い出したの。私、ヨイチ・ジェットに乗ってみたいんだ!」
ヨイチ・ジェットは世界で唯一、浮上式リニアモーターカーのジェットコースターである。コークスクリューや宙返りはないものの、激しいアップダウンと浮遊感、唯一無二と言える加速で人気のアトラクションとなっているようだ。
でも、戦いの前に、この手の約束をするのは、いわゆる死亡フラグではないのだろうか。
縁起でも無い。
「そうだね。全ての戦いが終わったら、遊びにいこうか」
でも、らんらんと瞳を輝かせるみのりを前に、ノーとは言えないさゆりだった。
なんにせよ、なにをあおいに聞こうとしたのか、さゆりはすっかり忘れてしまった。
(まあ、いいか)
チヌークは霞ヶ浦上空にさしかかろうとしていた。
蛟竜島には午後15時ごろに到着した。いつもは「不法上陸」した釣り人たちの姿が見られるそうだが、今日は当然ながら見当たらない。
ぶらさげられていたRX-8が着地し、続いてさゆりたち三人が、激しいダウンウォッシュを浴びながら島におりたった。
ファン・フレディは後部ハッチから海面に下ろされ、ロープによって係留された。運搬任務を終えたチヌークは、三人を残して北の空へと帰っていった。
自衛隊員の駐在も打診されたのだが、竜と戦う能力がない隊員を残すわけにはいかない。レーダーなどの情報や通信は、RX-8に乗り込むあおいがすべてこなしてくれる。それらはセリナで統合され、さゆりとみのりが装着するHMDに情報として表示される。
あおいがシステムをセットアップしている間、さゆりとみのりも戦いの準備を進める。トーチカ跡に、
隕石で
金剛竜と言っても無敵ではない。特に人間である部分を狙われると、死に直結する危険がある。例えば致死率の高い毒、そして病原体。例えば窒息。
島そのものに不破化をかければ、いくらか隕石のダメージに耐えることもできるだろう。また、あおいが乗るRX-8を守ることもできる。
もっともあおいは、RX-8を惜しむつもりはないらしい。すでにそれは、原型をとどめない状態になっていた。
夜のとばりが降りた。
太陽が沈むと、途端に冷え込む。さゆりはダークネイビーのスプリングコートを纏った。
カツ丼と、早苗からもらったたこ焼きを食べ終えた。他にも、たつみ通りの人達からもらったお菓子があった。これだけみると、ちょっとしたキャンプのようだった。
あおいは、システムの総合オペレーション装置と化したRX-8からもたらされる情報を注視していた。
岸壁の上に立って、南の海を眺めていたさゆりのところに、食事の後片付けをしていたみのりがやってきた。
「おかあさん。これ渡しておく」
そう言ってみのりは、一本の羽箒を差し出した。
それは、たつみやのテーブルに置かれている羽箒と同じものであった。
さゆりは驚きのあまり、羽箒とみのりの顔を交互にみやった。
「これ、本物なの」
「本物だよ。私がパパからもらったものなの」
手に取る。右手にすさまじい震えが走る。杖から放たれた魔力が、さゆりの中に入り込んでくる。
まちがいない。本物だ。
稔の最高傑作にして、竜を屠るさゆりの剣。稔が
それがこの、
壁にかかっている大鏡に並ぶ、稔の最高傑作である。
さゆりが持っている
今では稔の形見として、たつみやのテーブルの上に置かれている。
「私が使うより、おかあさんが使った方がいいと思う。だって、お父さんがおかあさんのために作った武器だから」
羽箒を振るうと、ブゥンという音と共に光の刃が伸びた。
「今のおかあさんならヴォーパル・ウェポン、使いこなせるよ」
みのりはにっこりと笑った。
「あんたはどうするの?
「私は杖いらないから」
そういえば、みのりが杖を使っているところを見たことがない。
「私は身体そのものが杖みたいなものだから」
「ふうん?」
みのりがそう言うなら、そういうことなのだろう。その時は、あまり深く考えることもなかった。貰った
間もなく紫菫竜は、水平線の向こうに姿を現す。
(つづく)
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