みのりのサスピション(1)

 RX-8のロータリーエンジンに火がともる。重低音のエグゾーストノートが山間に響き渡った。

「近いうちに安芸津の家まで遊びにいくよ」

「みのりもいく!」

「子供たちも、さゆりおばちゃんに会いたがってたよ」

「おばちゃんは余計だ」

「アハハ、じゃあね!」

 ロータリーサウンドとを響かせながら、青いRX-8は麓へと駆け下りていった。テールランプが消えるまで、さゆりとあおいは見送っていた。

「今夜は寒いね、おかあさん」

「風邪ひいちゃうから、早く中に入ろう」

 店の中が暖かいと思っていたが、テーブル脇に置かれた石油ストーブに火が灯っていた。

「このストーブ、灯油切れてたんだけど」

「あおいさんが入れてくれたんだよ」

「ふうん。灯油タンクの場所がよく分かったな、あいつ」

 灯油タンクは裏庭の納屋に置いてある。店内でこぼしかけたことがあり、それから納屋に入れるようになった。

 納屋には鍵もかけていたはずだ。その鍵は、あおいに預けたハンドバッグと一緒にテーブルの上に置かれていた。きっと、鏡にでも聞いたのだろう。

 そんなことより、大切なことがあった。

「はいこれ、おみやげ」

 同じくテーブルの上に置いてあった、黄色いマスモトヒデキのビニール袋をみのりに渡す。

「なにこれ?」

「栄養剤とね、元気が出るサプリ」

「うわぁ、こんなに…」

「薬剤師の山本さんが薦めるもの、全部買ってきたんだ。どんどん飲んで元気になるんだよ」

「ありがとう、おかあさん。でも、さすがに全部は飲めないよ」

 ぎこちなく笑うと、みのりはマスヒデの袋を下げて、台所の方へと消えていった。

「…なんだかひいてたな、あの子」

「サユリの愛が重すぎたンだろうな、きっと」

 鏡がいつもの甲高い声をあげ、カカカカと笑い出した。

 うるさいやつだと呟きつつ、店のかどに置かれたコートハンガーにハンドバッグをぶら下げた。 バッグは乱雑にかけられたエプロンやジャケットと共に、前衛的なオブジェのいちオーメントとなった。

「聞きたいことが二つある」

「なんだね? 分かることなら答えよう」

 さゆりは椅子に座った。来ない客を待ちわびて座り続けている椅子だ。座ってばかりいるので、座面のクッションもさゆりの尻にそってへこんでいた。 

「一つめ。みのりはなぜここたつみやにきたんだろう?」

「知るもんか、そんなこと」

 即答であった。

「そもそも、聞く相手を間違ってる。その質問は、ミノリにするべきじゃないか?」

「…まあ、そうなんだけど。なんか言いたくなさそうだしさ」

 トトトトと、軽やかな足音が近づいてくる。

「おかあさん、新しいパジャマ、ありがとう。お礼言うの遅れちゃったけど」

 上がり框の引き戸から、みのりが顔を出した。オニキスのような瞳がキラキラしている。

 さゆりのパジャマだと「ぶかぶか」らしいので、新しく買ったのだ。ピンクのチェックが入った、タオル地のパジャマだ。きっとみのりに似合うだろう。

「さっそく使わせてもらうね。おやすみなさい♪」

「おやすみ、みのり」

 にっこり笑うと、みのりは階段のある廊下の奥へと消えていった。

「ホント、みのりは可愛いなぁ。あんな可愛い子、今まで見たことないよ」

「実の娘でなくて、残念だな」

「ホントそう思う。顔が似てるからかもしれないけど、ぜんぜん他人に思えない。昨日会ったばかりなのに、生まれた時から知ってる娘のように思えちゃって」

「不思議だな、人間の感情って」

「だから本当の母親の名前なんて聞きたくないんだよ。あたしがおかあさんで、いいじゃないって」

 店内にしんみりとした空気が漂った。

「…話を元に戻さないか?」

「ああ、悪いね。感傷的になっちゃって」

 決まりが悪くなって、思わず髪をかきあげる。

「ミノリがなぜたつみやに来たのか、それはさすがにわからない。だが、ミノリが現れた理由になりそうなことなら知っている」

「なに?」

「竜脈の動きに変化があるんだ」

「そんなことか」と言いつつ、さゆりは頬杖をついた。

「昨日は二匹、今日は蒼竜。ここ八年ほど、ほとんど竜が出てないのに、この二日で三匹も出たんだ。しかも一匹は竜災ディザスター級。竜脈が活発になっていることくらい、あたしにだって分かるさ。でも、それとみのりにどんな関係があるのよ」

「活発になっただけならいいんだ。だけどもう一つ、気になる事象が発生している」

 鏡の声が低くなった。まるで、こそこそ話をするかのように。

「本州の竜脈が枯れつつあるんだよ、サユリ」

「え?」

 さゆりは唖然として、口が開きっぱなしになった。予想だにしなかった話だ。

「そんな…本州の竜脈は世界一豊富だって聞いてたのに」

 竜脈が生み出す竜気りゅうきは竜、そして竜殺しが生まれる際に必要なエネルギー源だ。いわば竜の卵である。そして竜の力を支えるリソースでもある。さゆりが使う魔法、その原資となる魔力も、竜気から転換されるものだ。

 だから干上がってしまえば竜も竜殺しも生まれてこない。

 だが、竜脈の枯渇自体は珍しいことではない。近代に入って世界的に竜、そして竜殺しがいなくなったのは、その時代に世界各地で竜脈の枯渇が発生したからだと考えられている。この現象は竜脈干魃りゅうみゃくかんばつと呼ばれている。

 しかし、干魃後の本州、特に乙ヶ宮近辺に大きな竜脈が残されたのか。様々な推測がなされたが、どれも確証には至らなかった。具体的に竜脈を観測する方法がなかったからだ。

「しかしアオイが竜脈を計測するシステムを作ったので、ようやく数値化することができるようになったんだ」

「あいつはなんでも作っちゃうね」

「アオイも竜見の血を引く導具鍛冶どうぐたんやだ。竜とは戦えなくても、導具に様々な力を授けることはできる。タツキが出張ついでにモニタリングポストを設置してくれたおかげで、本州全体の竜脈の値が見られるようになった」

「良いように使われてるねぇ、達樹さんも」

「おかげで信頼できるデーターが手に入った。アオイをそう悪く言うもんじゃない」

「いつもからかわれているお返しだよ」

 もっとも、本人がいないところで言っても面白くはないのだが。

「竜脈干魃後も日本で竜殺しが生まれ続けたのは、本州に豊富な竜脈が残されていた証拠だ。しかし竜自体は、大正あたりから姿を見せなくなった。竜脈が尽きかけていたのなら、様々なことに説明がつく。竜が顕れなくなったことも、そしてサユリを最後に竜殺しが生まれなくなったことも」

 さゆりは腕を組んで、うーんと唸った。鏡の話はもっともらしく聞こえる。だが腑に落ちない。

 竜脈の活発化と枯渇は、同時に起きてもおかしくない。竜脈は水と似ている。勢いよく流れ出し、そのまま枯れてしまうこともあるだろう。

 しかし、枯渇しつつある今になって、なぜ蒼竜のような大型の竜が出てきたのか。まだ竜脈が潤沢だったころになぜ竜が出なかったのか。なぜ枯渇がはじまったのか。鏡の話はただ原因と推測を並べているだけで、何一つアンサーが出ていない。

 「全ての事象を結ぶなにかが見つかれば、これらの問題と、これから起きようとしていることが解明できる。ミノリが現れた理由にもつながるかもしれない」

 なるほど、と呟きながら、それでもなお釈然としないのは、鏡が知っていること全てをしゃべったようには思えなかったからかもしれない。

 それならそれでいい。こんな答えのない話でも、今日一日で感じた様々な疑問を集束させる役には立った。

「どうした? 黙り込んで」

「そう仮定してもらえると、次の質問がしやすくなると思ってさ」

 さゆりは椅子から離れ、鏡の真正面に立った。

「なんだね?」

「みのりは、金剛竜ダイヤモンドドラゴンなの?」

 鏡には、真剣なまなざしの自分が映っていた。


(つづく)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る