目覚めた「娘」

 時計が19時を回るやいなや、さゆりは外に飛び出した。

 SNSメッセンジャー「Now-Manナウマン」を開き、フリー電話のボタンを押す。

 結った髪が夜風に揺れる。今夜はすこし、肌寒い。

 だが、さゆりが震えているのは寒さのためではない。

「ああもう! 早く出てよ!」

 つま先がひとりでに8ビートを刻む。さっさと電話に出ない、あおいのせいだ。

 かけ直すこと四回。ようやくつながった。

「そんなに何度もかけなくても、こっちから折り返すのに」

「あんたが気づく前に休み時間終わっちゃうよ。で、みのりは?」

「画像送る」

 送られてきたのは、とんかつ頬張ってピースサインしているみのりの画像だった。

 みのりが元気になった、なによりの証拠だ。安堵と共にため息がもれた。しかしこのポーズは、乙女としてはどうだろう…。

 スマートフォンのスピーカーから、クククと喉の奥で笑う声がする。

「なにがおかしいの」

「ねえさん、ニマニマしてるんだろうなって」

「し、してないよ。昼も夜もとんかつなんて、若いなぁって思ってたのよ」

 みのりの食事が終わったら、あおいがたつみやまで送ってくれるという。

「マスヒデ閉店したら迎えにいくのに」

「その前にうちあきつ家が閉店しちゃうよ」

 店を閉めたら、親父さんもおふくろさんも自宅に戻ってしまう。安芸津の家はたつみやとは逆方向だ。わざわざ連れて帰るよりも、早い時間にたつみやに送って休ませたほいがいいと、あおいは判断したようだ。

「ねえさんは何も心配しないで、しっかり時給ぶん働いてね」

「うるさいな、もう」

 終話ボタンを押す。本当に口の減らない女である。

「娘さん、大丈夫だったんですか?」

 店の外に出てきた店長が尋ねた。相変わらず黄色いエプロンが似合ってる。彼はすっかり、昼間のウソを信じていた。

「それにしても驚いたな、さゆりさんにあんなに大きな娘がいるなんて」

「でしょ? あたしも驚いてるんだよね」

「はぁ…??」

「40年も人間やってると、不思議な出来事が起きるんだなって、そう思ってさ」

 あおいへの返事を送信して、スマホをポケットに入れる。

「お年寄りみたいなこと言わないでくださいよ」

「若くはないからねぇ。私も」

「そんなことないですよ、さゆりさんには年齢なりの魅力が」

「そんなお世辞は頼んでないよ」

 さゆりの携帯から、再度Now-Manの通知音が鳴った。それが、会話を終わらせた。

「頼まれたもの用意しておきましたよ。給料から天引きでいいですか?」

「悪いね。今日は財布忘れてきちゃってさ」

「いえ。控え室の冷蔵庫に入ってますので、帰りに忘れずに」

「ありがとね」

 ちょうど休憩時間が終わった。さゆりは手をひらひらさせると、店長を残して店へと戻った。

(この店で働くのも、そろそろ潮時かもなぁ)

 肩にかかった髪を振り落とすと、マスクをつけてバックヤードへ向かった。

 

 閉店するやいなやヴィヴィオに飛び乗り、黄色点滅している信号をぶっちぎる。タイヤが悲鳴スキール音をあげ、サスペンションが抗議代わりの底突きを返す。が、さゆりは構わず走りなれた道を駆け抜ける。さながら、乙ヶ宮のコリン・マクレーだ。

 たつみやの駐車場に、オーロラブルーマイカのRX-8が停まっている。ボディカラーで分かるとおり、あおいの愛車だ。

 その隣にヴィヴィオを停めて、駆け足ぎみに店に入った。

「みのり、ただいま」

「あ、おかあさん。おかえり」

 みのりとあおいは、鏡の前に並んで立っていた。みのりはいつもの制服ではなく、今日買った服を着ていた。白のスプリングセーターと、ピンクのキュロットスカート。それベージュのロングカーディガンを羽織っている。カーディガンはさゆりがチョイスしたものだ。

「すっかり元気になったじゃない、みのりちゃん」

 手にしていた黄色いビニール袋をテーブルに置くと、さゆりはみのりの頭をぐりぐりと撫でまわした。さゆりの手に合わせて、長いポニーテールが波打つ。

「痛いよ、おかあさん。それ以上されたら背が縮んじゃう」

「うっふっふ。これは心配させた罰だぞー」

「ひぃ」

 満足するまでみのりの頭を撫でて、さゆりはようやく手を離した。

「ホント、仲がよろしいことで」

 あおいはニヤニヤしながら、二人のやりとりを眺めていた。

「すっかり世話になったね、あおい」

「いえいえ。私にとってもみのりちゃんは本家の子ですので。礼には及びません」

 言い終わったあと、あおいはまたアハハハと笑いだした。よく笑う女だ。

 カポンッと通知音が鳴った。聞き慣れたNow-Manの着信音。あおいのスマホからだ。

「あおいは、いつまでこっちにいるの」

「月末までいるつもり。リフレッシュ休暇で三月後半はずっと休みなんだ」

 スマホをいじりながら、あおいは答える。

「旦那は放っといていいの?」

「向こうも久しぶりに一人になれて、のびのびしてるんじゃない? 26日、27日はこっちに来る予定だけど」

 あおいは、いじっていたスマホをさゆりに向けた。Now-Manのメッセージ画面だ。

 とんかつピースなみのりの画像の下に、「すごく可愛い子じゃん!誰なの!?」とのふきだしが出ている。。タイトルには、どこかのダムの写真と大和田おおわだ達樹たつきという名前が表示されている。

「ふふん」

「なんでねえさんが得意げなの。旦那が可愛いって言ったのは、みのりちゃんだよ」

「みのりが可愛いなら、あたしも可愛いってことじゃない?」

「なにその超理論」

 直後、あおいのスマホが鳴った。達樹から「なんだか、さゆりさんに似てるね、この娘」というメッセージが送られてきた。

「ほらね。あんたの旦那はよく分かってるよ」

 さゆりは再度、ふふんと鼻を鳴らした。


(つづく)

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