みのりのサスピション(2)

 ヴィヴィオのラジオからニュースが流れる。昨日東京で発生した、竜災による被害についてだ。

 死傷者730人、行方不明者2286人。家屋の被害約720棟。倒壊したビルは7棟。深刻だったのは送電線へのダメージと、サージ電流によるインフラおよびPCを含む電化製品へのダメージだった。大田区を中心とした被災地は、しばらく散発的な停電に苦しむことになるだろう。

 キャスターが竜災の被害を大げさに言いつのる。感情的な言葉で、被災地の様子をレポートしている。多弁で知られるコメンテーターも考えあぐねているのか、ありきたりな言葉を言い連ねるだけであった。

 そこに、御厨みくりやの老人たちへの言及はなかった。竜殺しへの非難も、感謝の言葉もなかった。ただただ被害の大きさと被災者への同情を、繰り返し繰り返し述べるだけであった。


 ハンドルを握る手に力が入る。さゆりの目尻には、涙がたまっていた。


 さゆりが最後に見た時、蒼竜は巨大な樹の枝を何本も撃ち込まれていた。それで、決着がついたはずだった。

 しかし、そうはならなかった。

 捨て鉢になった蒼竜は稲妻を吐くのをやめ、御厨の三長老目がけてダイブした。蒼竜は死の間際に気づいたのだ。巨体による突撃の有用性に。

 聞くものを絶望させる咆哮ドラゴンシャウトをあげ、満身創痍の体を重力にゆだねた。

 もう一体、地上に竜が現れた。緑色にきらめく鱗に覆われた、ひときわ美しく優雅な竜。緑柱竜エメラルドドラゴンだ。

 緑柱竜エメラルドドラゴンは翼を広げ、上空に飛び上がった。蒼竜と緑柱竜は空中で衝突した。緑柱竜の角が蒼竜の胸を貫く。だが、蒼竜の腕も、緑柱竜のの首をひねりつぶしていた。

 だが緑柱竜長老 は、蒼竜の死力を受け止めるには、あまりにも老いすぎていたのだ。

 二体の竜はもつれあって地上に落ちた。その衝撃で、落下点グラウンド・ゼロ周辺のビルが倒壊した。爆心地から無差別な電撃がほとばしり、周囲のあらゆるものを貫き、そして焼き尽くした。

 緑柱竜エメラルドドラゴンは、長老の一人が竜化リ・バースした姿であった。

 竜殺しもまた竜なのである。特に真竜トゥルードラゴンと呼ばれる、竜としての純度が高い竜殺しは、命と引き替えに宝石竜ジュエルドラゴン の姿に戻るリ・バースことができる。

 緑柱竜は、いわば長老の真の姿であった。

 長老たちは、電撃に呑まれて死んだ。蒼竜も死んだ。そして竜化した以上、緑柱竜も死ぬ運命にあった。


 涙をぬぐった。


 尊敬すべき長老たちだった。

 占領下の苦しい時期にも耐え、戦後も徒手空拳で竜を狩りつづけた。

 最近の境遇について、無念に思うところもあっただろう。事業仕分けという政治ショーに呼び出され、蓮舟大臣に「公開処刑」されたのも、彼ら三人であった。国民の前で辱められ、竜殺しとして矜持を傷つけられた老人たちの胸中には、忸怩たるものがあったに違いない。

 最期に竜災ディザスター級の竜と戦えたのは、長老たちにとっては本望だったかもしれない。多くの犠牲者を出してしまったが、それでも長老たちによって救われた人々は少なくはあるまい。人々を護るという竜殺しの使命は達成されたのだ。そう思うしかなかった。


 しかしさゆりの涙は、長老たちの死を悼んだものではなかった。


 「逐竜七騎ちくりゅうななき」と呼ばれた七つの家のうち、大正以後に真竜が生まれたのは、竜見宗家と御厨家、鉾月ほこづき家の三家だけであった。

 鉾月家は、22年前の、輝銀竜プラチナ・ドラゴンとの戦いで全滅した。そして今回、御厨の真竜エメラルドドラゴンも死んだ。


 真竜はこの世でただ一人の、さゆりだけになってしまった。


 さゆりの心に、孤独の影が忍び込んだ。それが、涙となって頬を伝う。

 この暗い感情は、22年前に両親と稔を失ってから、幾度となく感じ続けたものであった。

 心の支えを失ったさゆりに、安芸津夫婦やあおいは本当に良くしてくれた。早苗たち同級生やたつみ通りの人たちもだ。「お嬢」と親しく呼んでくれるのも、彼女の身の上を案じてのことだと思う。

 だから、彼らの前ではできるだけ明るく振る舞おうと決めていた。そしてさゆりは昔のように、明るい性格に戻れた。

 少なくとも表面的には。

 しかし孤独と寂寞からは、いつまでも逃れることはできなかった。たびたび虚無に襲われ、生きていく意味を見失った。死に憧れる事さえあった。

 18歳という、女にとってもっとも美しく輝かしい時に、愛するものを失ってしまった。それはさゆりの心に、深い傷を負わせた。その傷から暗い感情は生まれてくる。

 自分がただの人間でない事実は、より一層さゆりを孤独にした。竜殺しの宿命は彼女の生きる自由を縛った。そして最後まで彼女を支えていた竜殺しのプライドは、蓮舟はすふね馬瀬川ばせがわのような、竜殺しを不要と論ずる小賢しい人々によって貶められた。

 たつみやに隠棲したのも、そんな世間との隔絶を図ったからだ。一人でいれば、いずれ孤独にも慣れよう。20歳のさゆりは愚直だった。一緒に住み続けようと言ってくれた安芸津夫妻の申し出を断り、一人山間の屋敷に引っ越した。

 山中での一人暮らしはさゆりを世間の喧噪から守り、彼女に安息の時間を与えてくれた。だが彼女を孤独から解き放ってくれることは、ついになかった。

 年を追うごとに、人恋しくなった。家族を失い、そして新しい家族を持てなかった自分を悔やむようになった。

 40歳という年齢が、そういう気持ちにさせているのかもしれない。容貌にも健康にも自信を失った不安が、そう思わせているのかもしれない。

 竜殺しであることを誇りに思い、人がうらやむほどの美貌を備え、そして愛する人たちに囲まれていた18歳の頃の自分は、こんなみじめな境遇で四十路に入るなどと、考えもしなかっただろう。


 みのりが来て浮かれたのも、彼女が孤独を埋めてくれるように思えたからだ。

 22年前の自分と瓜二つの少女。まるで他人の気がしない女の子。彼女みのりは、さゆりが渇望する家族愛や同志愛といった愛情をくれた。

 みのりからすれば、勝手すぎる期待かもしれないが、彼女はさゆりの願望の顕現であった。

 可愛いみのり。自分が失った全てのものを持つみのり。うらやましくも愛おしい娘。


 しかし、みのりから隔てられると、急に夢から覚めてしまう。


 彼女が何者なのか。考えなくてもよい問いが、頭をかすめては消えていく。

 年齢のわりに綺麗だなんて、褒め言葉にならない。みのりは純粋な美しさを持っていた。かつて自分が持っていた、誰もがうらやみ、そして嫉妬するほどの美貌が。

 だが、それが自分への刃となって跳ね返る。かつて自分へ向けられた羨望と嫉妬を、さゆりはみのりに向けていた。

 そして、あの魔力だ。

 最強の宝石竜ジュエルドラゴンたる金剛竜ダイヤモンドドラゴンを凌ぐ、彼女の力はなんなのだ。

 昨日の事だって、みのりがいたからこそだ。みのりがいなければ、さゆりは大恥をかいていたに違いない。

 たぶん、みのりはその事に気づいていた。

 今の自分に、100km先に魔法を飛ばす力はない。命中させるほどの技術もない。子供とはいえ蒼灰竜を一撃で蒸発させる力もない。

 あの夜以来、みのりに対する敗北感が心の片隅を占めていた。自分が失ってしまった全てのものを備えた、みのりへの複雑な感情。それは一言で言えば、嫉妬だった。


竜王キングドラゴンである金剛竜は、この世界に一人しか生まれない。さゆりが金剛竜である以上、みのりが金剛竜であるはずがない」


 鏡の言葉は真実なのだろうか。さゆりには、残像モーションブラーの魔法がかかった答案のようにしか思えなかった。

 もしかしたら鏡は、さゆりの真意を読んだのかもしれない。彼女の正体を知らない方が、さゆりにとっては幸せだと考えたのかもしれない。


 愛情と悔しさがない交ぜとなって、さゆりの心の中に渦巻いていた。みのりの顔を見ていないから、なおさらそう思うのだろう。

 これから、どんな顔をしてみのりと接すればいいのだろう。安芸津夫妻やたつみ通りの人たち相手のように、ただ笑っていればいいのだろうか。

 そんな気持ちで、みのりの「母」をやっていけるのだろうか。

 みのりとこのままずっと、楽しく暮らしたい。せっかくできた娘だ。手放したくない。でも、そのためにどうしたらいいのか。答えが分からなかった。


 ヴィヴィオは、名賀川なかがわの土手に敷かれた道を走る。なにか目的があって、走っていたわけではない。ただ一人になりたかったから、車に乗っただけだ。


 さゆりが起きた時、みのりは家にはいなかった。パジャマは布団の横にきっちり畳まれていた。昨日買ってきた服もハンガーにかけられたままだった。

 どこかに消えてしまったわけではない。ちゃんとテーブルの上に、書き置きがあった。ローボードの上にあった「6.5mm×50SR」 の箱もなくなっている。

「熊さんの家に行ってきます。お昼には戻ります。 みのり」

 字もよく似ている、と思った。

 目を覚ました時、時計の針は9時を回っていた。さすがに今日は遅く起きすぎた。若いみのりが倒れるほど疲れたのだ。御年40歳のさゆりが無事であるはずがない。

 みのりが熊さんの家に行ってるとすれば、たつみやにくるお客もいないだろう。

「街に行ってくるよ。留守番よろしく」

 陰鬱な声で鏡に告げると、ハンドバッグを持って、店を出た。

 鍵を入口の脇に置かれた植木鉢の下に隠す。そして不可視インビジブルの魔法をかける。

 みのりには鍵の隠し場所も、不可視の魔法をかけたことも伝えていない。だが、みのりはきっと、この鍵を見つけるだろう。

 そのときまた一つ、みのりへの疑惑サスピションが真実へと変わるのだ。


(つづく)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る