そして、「娘」が眩しすぎて

青い幼なじみ

 みのりは、スーパーの救護室に寝かされていた。

「みのり、みのりってば」

 さゆりはベッドにもたれかかり、数分おきにみのりの名を呼ぶ。何度呼んでも、みのりは目を覚ます気配を見せない。

 壁際の椅子に座った女性は、そんなさゆりの姿に、何度目かはわからないため息をついた。

「そんなに呼んだって、その娘は目を覚まさないよ、ねえさん」

 呆れた面持ちで、スカイブルーのスキニーパンツに包まれた、細くて長い足を組み直す。パンツと合わせたブルーのジャケットをまとい、いかにも都会的なたたずまい。青い樹脂製フレームグラスをかけた顔は、無遠慮な表情を隠さない。

「あんたはね、自分の子供の事じゃないから、そんなに冷静でいられるんだよ」

「でも、ねえさんの子でもないんでしょ? その娘」

「そ、それはそうだけど」

 勝ち誇ったように、彼女は口角をあげた。

 彼女の名は大和田あおい。名字は違うが、稔の実の妹であり、さゆりの幼なじみである。

 この世で彼女の本当の姓を知るものは少ない。彼女に関わりがあるほとんどの人は、旧姓のままで呼んでいるからだ。それが東京人の流儀らしい。

 今日はちょうど、子供たちを連れて帰省しているところだったそうだ。

 電話口のさゆりが錯乱していたため、安芸津夫妻も大慌てとなった。そんな両親とさゆりを会わせたら大変な事になる、とあおいは判断したのだろう。

「大丈夫かな、みのり」

 そのみのり以上に、さゆりの顔は青ざめていた。

「大丈夫よ。疲れて眠ってるだけだって」

 さっぱりとした言い方をするが、薄情というわけではない。慌てふためくさゆりを落ち着かせようと、あえて突き放した言い方をしている。

 分かっている。が、その冷静さが今はかんさわる。

「あんたって、ホントに冷血動物だよね」

 皮肉のひとつも言ってやりたくなる。

「今は変温動物って呼ぶのよ、ねえさん。歳がバレるよ」

 喉の奥で笑いながら、あおいはすっと立ち上がった。彼女はいつも、さゆりの考えを先回りをする。

「まるでクローンだよね、ねえさんの」

 あおいはベッドサイドまでやってきた。そしておもむろに、みのりの頬をつっつきはじめた。

「うわっ、お肌の張りが違う。さすが女子高生」

「ちょっと、みのりにヘンなことしないでよ」

 ぷにぷにと頬を押し続けるあおいの手をはたく。「んんっ」と、小さくうめいたみのりは、やがてすーすーと静かな寝息を立てた。

「で、このみのりちゃんは、どこの誰なの?」

「あたしと稔の娘らしいよ。稔とさゆりでみのりだってさ」

「兄貴の子? アハハハ」

 あおいは口元も隠さず大声で笑った。本当に遠慮のない女であった。

「笑い事じゃないよ。あたしだって産んだ覚えないのにさ」

「でも、ホントに兄貴の子だったら、母親はまちがいなくねえさんだよ。兄貴の遺伝子じゃこんな可愛い娘生まれないもの」

 あおいはおかしくてたまらないらしい。ずっと笑い続けている。

「それ、自分の遺伝子も否定してるよ」

「しょうがないよ、ねえさんに外見で勝てる気しないもの。胸以外は」

「うるさいねぇ。あんただって、この歳になれば胸が小さい方がよかったって思うよ」

「私、下着とボディケアにはお金かけてるし。垂れることはないよ」

「都会のバリキャリ様は金持ちでよいね」

「そりゃ頑張ったもの。成果だした分の報酬貰うのは当然でしょ」

 あおいのいつもと変わらない遠慮のなさのおかげで、さゆりもいつもの調子に戻ってきた。

「みのり、昨日の夜中に来たんだよね。なんの前触れもなく」

「ふうん…何か目的があったのかな」

「どういう経緯か分からないけどね。いろいろあって、疲れていたのかも」

 みのりは胸をゆっくり上下させながら寝息を立てている。時折うーんと唸りながら、寝返りを打っている。

 あおいも事情を全く聞かない。目の前にさゆりと兄の娘を名乗る子がいるのに、ずいぶんと落ち着いている。まるで事情でも知っているかのように。

 もともと動じない性格であった。我関せずなところは、兄の稔と似ていた。プログラマーという職業のせいもあるのだろうが、どんな時も冷静さを失わないところがある。

 感情が先行するさゆりとは真逆であったが、なぜか子供の頃から気が合った。

 蒼竜への狙撃で使ったDSx3は、あおいが制作したものである。

 あおい曰く、さゆりのDSx3はDSx4v、Dragon Slayer support system Sayuri versionという、さゆり専用にカスタマイズされたアプリらしい。

 もっとも、高齢化が進んだ国内の竜殺しでDSx3を使っているのはさゆりだけだった。Sayuri versionもなにもない。

「汎用機と専用機の違いよ。そういうロマン、ねえさんには分からないかなぁ」

「わからないけど、今日はDSx3のおかげで助かったよ。使ったの私じゃないけど」

「DSx4vよ」

「はいはい。DSx4vね」

 よくわからないところにこだわるところも、子供の頃から変わっていない。

 そのDSx4vのスマートウォッチには、15:48と表示されていた。

「あっ! マスヒデのバイトがあった!」

 出勤まで、あと12分の猶予しかない。

「どうしよう、あおい」

「彼女はあきつ家で預かってるよ。私と母さんで面倒みるから大丈夫」

「みのりが気になって仕事が手につかないかも、どうしよう」

「寝てるだけだし、気にする必要ないって」

「しかも今日、よりによって閉店までのシフトなんだよ。どうしよう」

「閉店までしっかり働きなよ」

 問答している間に残り時間は10分を切ってしまった。腹をくくって出勤するしかない。どうしようなどと言ってる場合ではなかった。

「これもお願い」

 足下に置いてあった、大きな紙袋をあおいに渡す。

「なにこれ?」

「みのりの服」

 袋の中を確認するやいなや、またしてもあおいはクスクスと笑い出す。

「なにがおかしいのよ。私のファッションセンスにケチつけるつもり?」

「ちがうちがう。ねえさん、ホントにこの娘のお母さんみたいだなって」

「そうだよ。あたしがみのりのおかあさんなんだよ、今は。おかしい?」

 時計は15:50をまわっていた。あおいの返答を待たず、さゆりは窓を開けた。

「飛び降りるの? ここ5階だよ」

「大丈夫。建物の裏側だから。下に誰もいないし」

「ならいっか。いってらっしゃい」

「みのりをよろしくね、あおい」

 さゆりは窓枠によじ登ると、おもむろにダイブする。そして何事もなく着地した。

「ねえさん! バッグ忘れてるよ!」

 頭上からあおいの叫び声が聞こえた。見上げると窓から乗り出して、さゆりのハンドバッグを振っている。

「預かってて! あとで取りにいくから!」

 スマホはポケットに入っている。これさえあればなんとかなる。便利な時代になった。

 建物の間を抜けて大通りへ。めざすマスヒデは、もう見えていた。 


(つづく)

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