109km先の標的(ターゲット)
家電売り場で展示されていた60インチの4Kテレビの前には、すでに人だかりができていた。
画面の向こうには、我が物顔で東京上空を飛び回る、
『14時13分、大田区上空に
レンズの圧縮効果がかかっている。映像は超望遠レンズを使って撮影しているようだ。ブレがないところを見ると、離れた位置でカメラをフィックスしているのだろう。
言い換えれば、撮影クルーもうかつには接近できない状況にあるということだ。
蒼竜が吐く稲妻は10km先まで届く。大田区からなら、23区南部と川崎市東部を射程範囲におさめる。
認識しているかは分からないが、撮影クルーたちがいるビルも十分危険範囲内だ。なにより蒼竜は空を飛ぶ。いつまでも大田区上空に留まっているとは限らない。
「あれ、お嬢じゃない?」
誰かが、さゆりの存在に気づいた。たつみ通りのおばさんたちだ。
テレビ前の人だかりは増えていく一方だ。ニュース映像が見たくて押し合いになっている。このままだと事故が起きると判断したのか、展示されているテレビ全てが中継に変わった。
「大丈夫かな、お嬢」
「東京には
「三人って…」
「もう、竜殺しは廃業しちゃってる人が多くてね。こういう時には完璧に対応しきれないんだ」
さゆりは首をすくめた。多くの竜殺しは、導具なしに竜と戦うことができない。導具のメンテナンスを怠っているならともかく、廃業と共に捨てた者もいるだろう。
まして蒼竜は
竜を牽制するように、二機のF-15Jも旋回している。
日本国内での自衛隊による火器使用は前例がない。そしていわゆる左派に属する民王党は、表向き自衛隊の存在を否定している。武力行使、武器使用許可の閣議決定まで、おそらく数時間はかかるだろう。現政権の閣僚たちが、数十年にわたって主張し続けたイデオロギーを捨て、目前の危機に対して柔軟に対応するようには思えない。
顕現から、すでに20分が経過しようとしている。稲妻による被害は広がるばかりだ。
「蒲田西口から、池上方面、久が原まで、いたるところで火災が起きています!」
竜の口から無数に降り注ぐ稲妻。コンクリートの建物や避雷針が多い東京だから、この程度の被害で済んでいる。乙ヶ宮であったら、今頃一面火の海だろう。
内閣が自分たちの思想と政治的対面に折り合いをつけている間も、蒼竜は攻撃に手を休めたりはしない。
(ミサイルや機銃で倒せる相手なら苦労しないんだけどねぇ)
蒼竜はF-15Jの二倍ほど大きさがある。爆撃機並のサイズだ。もどかしげに飛び続ける戦闘機を追い回し、地上に向けて傲然と稲妻を吐き続けている。
『竜殺しはなにをやってるんですかね。こんな時のために年金もらっているんでしょ? 早く現場に行ってもらわないと』
御厨の
『しかし厄さん、ここ八年、ここまでの大型の竜は出なかったのですから、対応に手間取っているという部分も…』
厄と席を並べる年配の女性教授が、さゆりの心中を代弁してくれた。しかし厄は、大げさな身振りで机を叩き、女性教授の弁を否定すいる。
『関係ないですよ、そんなの。八年出なかったから対応できませんですなんて、そんなの言い訳にすらならないですよ。だったら竜対策を自衛隊とかに任せればいいんだ』
『それはそうですが、その政府も都も、まだ自衛隊の活動をどうするか決めかねているわけで』
『だから竜殺しも政府も役立たずだって言ってるんですよ、ボクは!』
漫画家の厄は訳知り顔で、またしてもバンと机を叩いた。
(バカだな、こいつ。なにも知らないで)
昨日顕現した小型の
その事実を認識しながらも、どうせ竜は出ないとたかをくくり、事業仕分けを敢行した現政権が悪いのだ。しかも彼らは今、自衛隊をどうするかすら決めかねている。戦えないなら被災地の避難活動を援護するとか、手段はいくらでもあるだろう。
『人がたくさん死んでるんですよ。人々を竜から守るのが仕事なのに、これだけの都民を見殺して。彼らにはね、責任感ってものがないんですよ、責任感が!』
さゆりの奥歯がギリッと鳴った。
「そんな言い方ないでしょ、ねぇ、お嬢」
「ホント。何様なの、この人」
おばさんたちが憤ってる。
バカにするな、という気持ちがわいてくる。誰かの失態をあげつらうだけの
「やったろうじゃないか」
ハンドバッグの中から
テラスを開放してもらう。店員は驚いていたが、さゆりの要求通り鍵を開けてくれた。
「みのり! 蒼竜が飛んでる場所を教えて」
「おかあさん、本気?」
「本気だよ。こんな
「池上本門寺上空です! ここからのほぼ南、距離は109km!」
みのりの代わりに若い男が答えた。スマホのアプリで測ってくれたのだろう。
「よし」
左手に巻いている腕時計を右手に巻きなおす。この腕時計は、竜殺し用に作られた特別なウェアラブルデバイスだ。Dragon Slayer support system《DSx3》という、主に中長距離戦闘をサポートするアプリが搭載されている。
専用のビデオシースルー
もっとも、100km以上先の目標なんて見えるわけがない。自動追跡は使えない。だが、射撃する方向のあたりくらいはつけられるはずだ。
(でも、これ使うの初めてなんだよね…)
なにしろ竜が出てこないのだから、実戦で使いようがなかった。マニュアルに目を通しシミュレーションを行った程度だが、ないよりはマシだろう。
大見得を切っておきながら、恥をかいて終わるかもしれない。だが。
厄の憎らしい顔が脳裏に浮かぶ。
(私は竜殺しなんだよ。みんなを竜の脅威から守るのが存在意義なんだ!)
御厨が動けない以上、自分がやるしかない。さゆりはそう決心し、バッグからシャンパンゴールドのメガネ型HMDを取り出した。
さゆりのおかげで、家電売り場は騒然となっていた。テレビを見ている人もいれば、テラスの入口に集まっている人たちもいる。好意的な反応が多いのは、昨晩の戦いのおかげかもしれない。
「こんなところから当たるんですか?」
「当たるわけないじゃん。だけど、動きを止めることはできる。竜殺しが狙っていると思わせるだけでも、牽制にはなるはずさ」
御厨の竜殺しが現場に着くまで、時間が稼げればいいのだ。
HMDをかけようとした時、テレビ売り場からみのりが走ってきた。
「おかあさん、狙いはみのりがつける!」
「よし。まかせた」
みのりは渡されたHMDをすばやく顔にかけた。
ピロンと、HMDとの同期完了を知らせる通知音が鳴った。腕時計のさゆりの右腕に巻いたままだ。DSx3は
さすが女子高生、デジタルデバイスはお手のものだ。視点追跡開始から射撃準備まで、あっという間にこなしてしまった。
そして右手を
「誤差修正。左12.61度、仰角2.63度」
みのりの指示に従い、少しだけ手首を動かした。スマートウォッチに角度が表示される。距離が距離だ。数度の違いが大きなズレにつながる。
「たった109kmだ。二人で力を合わせれば届く」
「だね」
「相手が
「りょーかい!」
杖の先に光が集まる。光は徐々に強くなり、やがて直視できないほどの光量となる。
「みんな、下がってて」
さゆりの一声で、テラスに集まっていた人たちが下がる。
「おかあさん! ターゲット入った!」
「撃てっ!」
光の爆発と共に、雷鳴に似た音が響き渡った。直後、テレビ売り場でどよめきがあがった。
「おしい!」
光線が蒼竜の下をかすめたのだ。蒼竜はひるんだ。発射点不明の超遠距離攻撃だ。思考が止まるのも道理だろう。
動きが鈍った蒼竜の身体に、巨大な樹枝が突き刺さる。御厨の竜殺しが到着したようだ。
「こんな距離からホントに届くのか」
「東京まで魔法を飛ばすなんて…」
ギャラリーは騒然としていた。109km先の竜を撃つなど荒唐無稽な話だ。誰もが、半信半疑であったに違いない。
が、さゆりとみのりはやってのけた。
『なんでしょうね、今の光は』
『おそらく雷のノイズでしょう。今のカメラはみんなデジタルだから、電気には強くないんですよ』
漫画家は相変わらず適当な発言を繰り返している。
「ダメだ! 倒し切れてない! また蒼竜が暴れ出したぞ!」
御厨の魔法は二発しか刺さらなかった。十数発撃たれた魔法は、むなしく雲の中へと吸い込まれていった。
危険を察知した蒼竜は、敵を探るために低空に下りた。F-15Jはフレンドリーファイアを避けるため距離を大きく開けている。まだ閣議決定は下されない。竜の移動を封じるべく、牽制をかねた旋回を続けている。
戦況が好転したとは言いがたい。竜の動きを封じられれば、勝機は訪れるはず。
「二発目いくよ」
「うん…」
頷いた直後、みのりは膝をついた。
「どうしたの」
「なんでもない。ちょっと立ちくらみしただけ」
「なんでもなくないよ。顔色悪いよ」
汗をかいているのに、頬の赤みの薄らいでいく。貧血でも起こしたのだろうか。
「大丈夫だってば」
ずれたHMDをかけなおし、さゆりに笑いかける。一目で分かる作り笑い。無理して口角をあげているのがよく分かる。
「無理しなくていいよ。撃つのはあたしだけでいいから」
「大丈夫だよ。おかあさんは、まだ本気出せないんだし」
みのりは立ち上がって、杖に手を添えた。
「次は絶対、外さないから」
可愛い顔をしているが、みのりもさゆりと同じく、負けず嫌いのようだ。
「肩の力を抜きな、みのり」
左手でぽんとみのりの肩を叩く。
「威力の低い
「…そうだね」
みのりの右手に力が入った。
「おかあさん、発射も私に任せて。私のタイミングで撃つ」
「オーケー」
胡桃の杖が光り出す。二人の魔力が、再び杖の先端に収束していく。
第二射はなかなか行われなかった。地平線の向こうにいる竜を撃つには、上空にあがった瞬間を狙うしかない。
射撃シーケンスは、全てみのりに任せている。さゆりにできることは、みのりを信じて、魔力を杖に流し込むことだけだ。
「もらったっ!」
二発目の
さゆりとみのりが撃った光の弾は、蒼竜の翼を貫き、翼膜を引き裂いた。
「すげぇ! さすがは竜殺しだ!」
「お嬢すごい! すごいよ!」
バランスを崩した蒼竜は、大量の樹の枝を撃ち込まれ、まるでハリネズミのようになった。この場にいる誰もが勝利を確信し、大きく拍手を打ち鳴らした。
誰もが、さゆりたちを讃えていた。
「おかあさん、みんな喜んでくれたね」
「そうだね。竜殺し冥利につきるよ」
「うん。ホントよかった」
その一言を残すと、みのりはその場に崩れ落ちた。
「みのり! みのり!」
急いでHMDを外す。真っ青な顔。ぐったりと、全身から力が抜けていた。
「だれか! だれかこの子を!」
悲鳴にも近い声をあげた。さゆりの声を聞いて人々が集まる。
必死な声で助けを呼んだ。慌てた店員たちが、担架を携えて走ってくる。
「おねがい、早くこの子を助けて!」
(つづく)
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