二人の「姫様」
お目当てのとんかつ屋、「あきつ家」は乙ヶ宮西口商店街、通称たつみ通りの中にある。
たつみ通りの名前は竜見、すなわちさゆりの家に由来する。
かつてこのあたりは竜見家の所領だった。しかし駅前開発が開始された昭和初期に市に売り渡し、今では各区画ごとに個人法人の所有地となっている。その後も農地解放などで竜見家の土地は失い続け、ついには「たつみや」のある下屋敷だけになってしまった。
しかし、いまでもこうして竜見家の功績は地元で顕彰されている。先週も竜見をイメージしたゆるキャラ、その名も「タッツミー」を作りたいとの提案がきたが、検討の結果却下したばかりだ。
「さすがにその名前はどうかなぁ…」
「そうなのよ。こっちが恥ずかしいよ」
なんにせよ、さゆりは地元では人気者であった。
「お嬢! 誰だい、その娘」
さゆりの顔を見かけた人たちが親しげに声をかけてくれる。今日はみのりを連れているから、いつもの三倍増しであった。
お嬢と言うのは、さゆりのことである。このあたりでは、一応竜見家の姫様ということになっている…らしい。
「さゆりちゃん、さゆりちゃん」
たこ焼き屋の早苗が手招きしている。彼女は中学時代の同級生。さゆりの仲の良い友人の一人だ。
「わぁ、高校の頃のさゆりちゃんにそっくり」
早苗は「可愛いなぁ」と何度もつぶやきながら、いろいろな角度からみのりを見ている。
「綺麗な髪してるね。肌もピチピチ。さゆりちゃんの隠し子?」
「んなわけないでしょ。遠縁の子よ」
「お名前は?」
「みのりと言います」
「みのりちゃん、はいこれ」
早苗は1パック、みのりに差し出した。
「300円だっけ?」
「いいよいいよ。早苗からのプレゼント」
「ほら、お礼いいな」
「ありがとうございます!」
パックを受け取ると、ペコリと頭を下げる。
「ホント可愛いなぁ、この娘」
早苗は可愛い女の子が大好きだ。さゆりも学生時代、よく頬ずりされたものだ。
「この娘も
「まあ、一応ね」
「美少女の竜殺しかぁ、ホント昔のさゆりちゃんみたいね」
「私だって気持ちは美少女のままだよ」
といって、さゆりは笑った。早苗とみのりもつられて笑った。
「いい人ばかりだね」
「そうさ。世の中、竜殺しを嫌ってるヤツばっかじゃないんだよ」
目的のあきつ家に着いた。予想通り、駐車場はいっぱいだった。
「あら、姫様」
安芸津は竜見家の分家となる。そのため、宗家の娘を姫と呼ぶ習慣がある。もっとも安芸津夫妻の「姫様」は、家内身分による敬称ではない。単なるあだ名だ。
「…と、若い姫様?」
「この子の事はあとで話すよ」
奥に一つだけ空いてる二人席に案内された。
「すいませんね、姫様にこんな狭い席通しちゃって」
「いいよいいよ。あたしカツ丼ね。みのりはどれにする?」
「じゃあ、私もカツ丼にします」
「はいはい。あんた、姫様たちカツ丼二つで」
「はいよ」
のれんの奥から、親父さん(とさゆりは呼んでいる)の声が返ってきた。
ちらちらと、こちらを見やる視線を感じる。
おふくろさん(とさゆりは呼んでいる)があまりに姫様姫様と言うので「どんな女か見てやろう」とでも思ったのだろう。こちらを見ないのは、地元の常連だ。
「姫様なのにおばさんでがっかりされてるかな?」
「私のことを姫様だと思ってる人が多いかも」
確かに「かわいい」という声が聞こえる。かわいいという言葉が、40歳のさゆりに向けられるわけがない。
「若いっていうのは、ホント得だね」
「えへへ」
「あたしだって18の時にはね、」
さゆりの若い頃自慢を、みのりはニコニコと聞いていた。笑顔の絶えない、本当にいい娘だった。
「はい。カツ丼
予想だにしなかった、男の声。
みあげれば、エプロンを巻いたあきつ家の親父さんがいた。
「こっちがウワサの若い姫様ですな」
配膳しながら、親父さんはみのりに遠慮ない視線を送っている。
「ウワサどおり、ホントに姫様の若い頃にそっくりだ」
「え、みのりのこと、もうウワサになってるの?」
「主にうちのヤツの中で」
いたずらっぽい笑みを見せて、親父さんはのれんの奥に戻っていった。
「みのりの顔見にきたんだよ、きっと。わざわざ調理場から出てきてさ」
「お祖父ちゃんっぽい」
「ああそうか。稔の娘なら…おやじさんとおふくろさんは、祖父母になるのか…」
みのりが本当に自分と稔の娘だったら、そうなるのだろうな、考える。保護者となってくれた安芸津夫妻はさゆりにとって義父と義母だが、みのりがいる世界なら、義父義母の概念も違ったものになっていたに違いない。
(…みのりがいる世界?)
なんだろう。その言葉が、不思議と腑に落ちる。
「おかあさん、どうしたの?」
黙ってしまったさゆりに、みのりは小首をかしげている。
「いや、ちょっといろいろ考えちゃってさ。それよりカツ丼食べよう」
わざとらしく口を広げて、とんかつを一切れ頬張った。中学の頃から変わらない、絶品のとんかつだった。みのりもクスクス笑いながら、とんかつを口に運んだ。
「ランチタイム終わったら、また来てくださいよ。あおいも姫様に会いたいと言ってたので」
「あおい、帰ってきてるんだ」
「あれ? 姫様の家に行きませんでしたか?」
「いーや、知らないし、会ってないよ?」
今日もマスヒデのバイトがあるのでゆっくりとしていられないが、みのりのことは話しておこうと思い、少しだけ顔を出すことにした。
今のうちに買い物を済ませておこうと、みのりを連れて駅前のスーパーに寄る。
「あんたさ、いつも制服着てるけど、他の服ないの?」
「ないよ」
「とんかつ食べたんだから、油臭くなるよ。洗濯しようにもうちには乾燥機ないし。制服とパジャマだけってわけにはいかないでしょ」
パジャマにしても、さゆりのものであった。
ちょっとぶかぶか、と言われ、膝が砕けるほどのショックを受けたのは内緒だ。
「なら、おかあさん買ってくれる?」
「そのつもりで来たんだよ」
婦人服売り場は3階だった。
「おかあさん、どお?」
素体がいいから、みのりにはどんな服も似合う。胸が小さいのは残念だが、無駄なものがないスラッとしたスタイルは同年代と比べても良い方だろう。
「さすが私の若い頃そっくりなだけあるね」
もっとも、その見解の半分は自画自賛なのだが。
何度か試着させているうちに、コーディネートを考えるのが面白くなってきた。すっかりスタイリスト気分だ。似合いそうな服を持ってきては、いちいちみのりに試着させる。
「私、おかあさんの着せ替え人形じゃないよ…」
遠くから店員の笑い声が聞こえた。
「ごめんごめん、こういうの体験したことないからさ。つい楽しくなっちゃって」
「おかあさんが楽しいなら、いっか」
「そうそう。買ってあげるんだから、あたしの遊びにつきあいなさい」
だいたい二十着は試着しただろうか。似合っていた服以外は売り場に戻してきたが、それでも五着以上は残っていた。しかし、年金とバイトの収入だよりのさゆりに、何着も買える経済力はなかった(今日のとんかつも、安芸津のおやじさんのおごりだ)。
「ああ、どうしよう。どれも似合いすぎて選べない! みのりが決めて」
「じゃあ、これがいいな♪」
みのりが選んだのは、ホワイトのスプリングセーターに、膝丈のピンクのキュロットスカート。どちらも無地である。
「春らしいコーディネートだけど、ちょっと地味じゃない?」
「地味かなぁ」
「同じ色でも、こっちのふわっとしたスカートの方がよくない?」
「それ、ちょっと短すぎ」
無難すぎる。もうちょっと女子高生らしくガーリーなものを選んでほしい。そう、今の自分では着れない、布地が多くてフリフリの可愛い服を。
「でもほら、普段制服だし、見ようによってはガーリーじゃない?」
「なんか言いくるめられてる気がするけど、まあいいか」
みのりがいつもの制服姿で試着室から出てきた時、さゆりのスマホがにゃーにゃーと鳴きだした。
「あれ、熊さんからだ」
通話ボタンを押す。
「さゆりちゃちゃんかかかい、りゅりゅりゅりゅうじゃ。ででででっかいりゅううううがでで」
熊さんは慌てているようで、しっかりと舌がまわっていない。いったい、何が起きたというのか。
「ちょっと落ち着いてよ、熊さん。りゅりゅりゅりゅじゃ分からないよ」
「でっかい竜が出たんじゃ! 蒼くて空を飛んでるヤツが!」
「でかくて蒼くて空を飛んでる?」
まさか、
「どこに出たの?」
思わず天井を見上げた。
蒼竜は飛竜である。空を自在に飛びまわり、ありったけの稲妻を地上に降らせる破壊の化身だ。
この天井の向こうに、飛んでいるというのか。
みのりも心配そうに見ている。聡い娘だ、さゆりが漏らした言葉で、状況を掴んだかもしれない。
「東京じゃよ! 東京! 東京上空に出たんじゃ!」
電話の向こうで熊さんががなる。
「…え? 東京?」
思わず言葉を失った。
「なんだ、東京か」
さゆりは胸をなでおろした。
「なんだとはなんじゃ!」
「あのね、熊さん、いくら私だって、今すぐ東京に行くのは無理だよ」
東京までは新幹線でも最低1時間はかかる。裏山のように急行できる距離ではない。
「それに東京には、
熊さんはまだ何か言っていたが、今は蒼竜のことより、みのりの服選びの方が大事である。
「
「東京上空に出たんだって」
「そんな…」
みのりの言葉は、階下に向かう雑踏にかき消された。
下の階には、家電売り場がある。竜が出現した情報は、すでにSNSで広まっているのだろう。熊さんが知っているくらいだ。テレビ中継も始まっているかもしれない。
「でも、あたしたちには関係ない話だよ。御厨の竜殺しがなんとかしてくれる」
「そうだけど」
「あたしたちは楽しくショッピングを続けよう」
しかし、みのりはさゆりの提案に肯んじない。
「おかあさん…私たちは竜殺しなんだよ」
いつになく、真剣な目つきで、さゆりの顔を見ていた。
「…」
浮かれた気持ちが一瞬で消え去った。まるで、おもちゃを取り上げられた子供のようだ。はしゃいでいたのは自分だけなのかと、寂しい気持ちにもなった。
「おかあさん」
「分かったよ。行こう」
手にしていた服を、パイプハンガーにかけた。
楽しい時間は、いつだって唐突に終わりを迎えるのだ。
(つづく)
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