黒髪の少女

 「さゆりさんて、年のわりには美人ですよね」

 バイト仲間の大学生に言われる。近所の国立大学に通う英才だ。何事もそつなくこなせる性格なのだろう。手際よく商品を棚に並べていく。

 「ありがとう。よく言われるよ」

 その隣で、さゆりもまた商品を並べていた。ヘアゴムでポニーテールにしているから、若く見えたのかもしれない。

 (年のわりに美人なんて言葉、なんの慰めにもならないんだよなあ)

 そもそも、「年のわり」という言葉が気にいらなかった。

 「すいません、店員さん」

 「あ、はい」

 さゆりが応じる前に、彼が反応していた。花粉に効く薬について相談したいと言うサラリーマンを、薬剤師コーナーへと案内していった。

 「大変そうだなぁ、花粉症…」

 幸い国民的アレルギーに冒されていなかったさゆりは、そのつらさがわからなかった。

 「たつみや」は杉に覆われた山の麓にある。もし花粉症にでもなったら、老いさらばえる前に店をたたまざるをえなくなるだろう。移転の資金なんて、あるわけがないのだから。

 「なにもかも、貧乏が悪いんや」

 思わず愚痴りながら、栄養剤を棚へと並べていく。


 竜殺しドラゴンスレイヤーは、竜が出現する限り社会に必要な存在である。竜に対抗できるのは、竜殺ししかいないからだ。

 そのため国から、給料代わりに年金が支給されている。

 しかし去年、民王党みんおうとう政権が誕生した時、その年金が事業仕分けのターゲットにされてしまった。

 竜は八年前に水戸に顕現けんげんしたのを最後に、姿を現さなくなった。

 竜が出現しなくなった今、竜殺し年金が本当に必要なのか。民王党の年金担当大臣にして事業仕分け人、蓮舟はすふね方正かたまさに指摘された時、竜殺しの長老たちは明確な返答ができなかった。

 竜が出現しないとは言い切れないが、竜が出現するとも言えなかった。どのようにして竜が現れるのか、それは竜殺したちも分からなかったからだ。

 しかし蓮舟は、将来出現すると言うならその証拠エビデンスを見せろと長老たちに迫った。もちろん、そんなことができるわけがない。

 結局、議論は口達者な蓮舟大臣に押しきられるかたちとなった。竜殺し年金は大きく削減され、多くの竜殺しが導具を捨て「転職」せざるを得なくなった。

 事業仕分けの結果を受けて、竜殺し年金は無駄だと言う論調が増えた。庶民に迎合するマスコミ、竜殺しを既得権益だと言うオピニオン、その空気に同調し得票をもくろむ議員も現れ、さゆりたち竜殺しの立場は、一層苦しいものになっていった。

 さゆりが40歳にもなってマスモトヒデキでバイトをしているのは、こんな事情からであった。

 竜殺しの名門、竜見宗家の当主であるさゆりは、他の竜殺しのように、簡単に竜殺しをやめられなかった。


 21時の閉店とともに、さゆりは非正規労働者の立場から解放された。

 店長からの食事の誘いをにこやかに断ると、最寄りのコンビニでツナおにぎりとショート缶を買い、駅前広場に向かった。

 普段人と接する機会が少ないさゆりにとって、多くの人が集まるこの駅前広場は、いわば癒やしの空間であった。

 様々な人たちが、自分の将来を語り合ったり、楽しげに笑っていたり、抱えきれない悩みを相談しながら歩いていく。そんな人々の姿が、好きだった。

 それは彼女の、竜殺しとしての宿命がもたらすものかもしれない。

 彼らが竜殺しなどいらないと思っていたとしても、彼女は人々を憎むことなんてできないだろう。なぜなら彼らは、さゆりが護るべき人たちなのだから。

 ベンチに腰かけ、頬杖をついて人々の行き来を眺めていたさゆりの耳に、キーンと不愉快なハウリング音が響いた。

 「日本の社会保障費は無駄だらけ! 現役世代に全然使われてない! この真実を暴いた私は、全ての出演番組から降ろされました! いえ、降ろされたのではありません。義憤を感じ自ら降板したのです」

 (そういえば、来週末は参議院選挙だったっけ)

 「ばせがわのぼる」と書かれた演説台を搭載した選挙カーが、ロータリーの反対側に停まっていた。

 スーツ姿の細身な男が、オーバーな身振りで演説していた。もう21時だというのに。

 (選挙法違反じゃん)

 20時を過ぎても自分の舌が止められなかったのだろう。自制のできない男のようだ。

 「私によって不都合な話を広められる事を恐れた医療機関や竜殺し協会によって圧力がかけられたのです! みなさん、この事実をどう思いますか!?」

 思い出した。この男はブログでの暴言が原因で仕事を下ろされたフリーアナウンサー、馬瀬川ばせがわのぼるであった。

 全番組降板で仕事を失った馬瀬川だが、アナウンサー時代に関わりの深かった某党から出馬の要請を受けた。その知名度を買われたと噂されているが、本当のところは分からない。

 言えることは、彼の不愉快な毒舌には、まだまだ需要があるらしいということだ。

 「竜殺し協会とやらにそんな政治力があったら、私もマスヒデでバイトなんてしないっつーの」

 ため息をつきながら、おにぎりの包みを開けた。

 そもそも竜殺し協会なんてものは、この世に存在しない。同族会はあっても、家同士のつながりはそれほど太いわけではない。なにより七家あった竜殺しの家も、今では竜見と東京の御厨みくりやしか活動していない。両家の全ての竜殺しをかき集めても、そんな秘密結社が組織できるほどの人数は残っていなかった。

 ネットのくだらない噂通り、その竜殺し協会とやらが日本社会を闇から操り、マスコミも意のままにできるのなら、もとより竜殺しは事業仕分けのターゲットにはならなかっただろう。

 「死にかけの老人! 不摂生な人工透析患者! そして穀潰しの竜殺し! 我々が納めている社会保障費のうち半分が、これらのものに使われている!」

 そして、こんな妄言家のダシにされることもなかっただろう。

 「どうせ竜なんて、出やしないんだ! 竜殺し年金はただちに廃止せよ!! それで食べていけないというなら殺せ!」

 ハウリングと共に馬瀬川の声が爆ぜる。選挙カーを見上げる人々も、彼の発した不穏当な言葉にただただ唖然としていた。

 だが空気が読めない馬瀬川は、その沈黙を傾聴と勘違いしたのだろう。言葉はどんどん過激になり、ついには障害者や老人に対する暴言をまき散らし続けた。

 さすがに聞き捨てならない。竜殺しの事を悪く言うのは構わない。だが、障害者や老人を殺せとは何事だ。誰だって好きで障害を負うわけではない。好きで老いるわけではない。

 一言言ってやろうと、ベンチから立ち上がった、その時だった。


 選挙カーの真後ろに、虹色の渦が生じた。

 (まさか)

 渦の中から、蛇にも似た蒼灰色の首が伸び、鋭いかぎ爪を備えた腕が現れた。

 一瞬、何が起きたのか、さゆり以外誰にも分からなかっただろう。静まりかえった広場に、聞いた者を震えさせる咆哮が轟いた。

 「ど…、ドラゴンだ!」

 馬瀬川の悲鳴とハウリングが、広場に響き渡った。

 竜は悠然と渦から這い出ると、大きく右腕を振り上げた。そしてかぎ爪が振り下ろされると、一瞬で選挙カーはバラバラに引き裂かれた。

 演説台が砕け、聴衆の頭上にふりかかる。

 人の二倍程の大きさだろうか。背中に翼も生えていない。まだ子どもの蒼灰竜グレイドラゴン

 だが、その力はこの広場にいる人間をみなごろしにするに十分だった。

 「だ、誰か!助けて!」

 車の屋根から転げ落ちた馬瀬川の絶叫がこだまする。運よく、爪の直撃は免れたようだ。

 甲高い咆哮と共に、街灯が引き倒された。駅前広場の一部が闇に包まれ、重く鈍い金属音が鳴り響いた。人々の悲鳴は一層強さを増した。

 「マジか。今日はどうなってるだ!」

 食べかけのおにぎりを口に押し込み、飲み終えたショート缶をくずかごに放り投げた。そしてポケットからシャンパンゴールドのシュシュを取り出し、髪を結わいた。

 そして。蒼灰竜を睨みながら人々が集う広場へと駆け出した。


 押し倒された街路樹、砕かれた花壇のレンガ。破壊の痕跡はなおも増えていく。

 ドラゴンは悲鳴という頌歌しょうかに酔いしれていた。泣き声に嗜虐心をかきたてられ、一挙一動のたびにあがるどよめきに狂喜する。未熟ゆえに自制が効かない。まるで人間の子供と同じだ。

 さゆりは、人々の濁流をかき分けて走った。

 (竜息ブレスを吐かせるわけにはいかない!)

 蒼灰竜の竜息は冷気。あらゆるものを凍らせるジュデッカの風である。

 子竜でも二発吐けば、この広場にいる全ての人間が凍りつく。それだけは防がねばならない。

 「私は竜殺しドラゴンスレイヤー だ! 道を開けてほしい!」

 さゆりの声が広場を貫いた。竜殺しドラゴンスレイヤー 。その言葉が、恐慌していた人々を気持ちを落ち着かせたようだ。

 さゆりの前に道が生まれた。人々の間をさゆりは駆けた。

 その先に、腰を抜かした馬瀬川がいた。子竜と同じく、幼稚にも自分の舌が奏でる言葉に酔いしれていた男だ。しかし今は不様ぶざまにも股間を湿らせ、恐怖で震えがとまらなくなっていた。

 さゆりは竜と馬瀬川の間に滑り込む。

 「まだ竜息は吐かない。這ってでも逃げな」

 背後の男に叫んだ。気に入らない男であったが、見捨てるわけにはいかない。

 それはさゆりの、竜殺しとしての矜持であった。人を護ることをやめれば、それこそ竜殺しである意味がなくなる。

 米粒がついたままの右手を子竜に向かって突き出す。手のひらが白く光り始める。

 「昼間はしくじったけど、今度は一撃でしとめてみせる」

 敵意に満ちた輝きを認め、子竜がこちらを振り向いた。そしてさゆりに威嚇の咆哮をあげた。

 「それで脅してるつもりかい! こっちはお前みたいなガキ、怖くないんだよ!」

 子竜が大きく口を開いた。喉の奥に、白い冷気が集まっていく。

 「目尻にしわが増えるほうがよほど怖いっての!!」

 杖で作るよりも小さな輝きだったが、それでも子竜の倒すには十分だった。

 開いた口腔に狙いをつけ、光の矢を放った。

 それで終わるはずだった。

 しかし。子竜はまだそこにいた。生きていた。さゆりの放った光の矢は子竜の牙を叩き折った。だが、それだけだった。

 (倒せなかった!? そんな…)

 その間にも、子竜の竜息がたまっていく。素早く左手をかざす。先ほどの光の矢フォトニックアローで、すでに右腕の魔力は尽きていた。

 (こんな子竜さえ一撃で倒せないのか…今の私は!)

 悔しさに思わず涙が浮かぶ。

 「次で! 次で絶対に殺してやる!」

 左手の先に光が集まっていく。しかし自信を砕かれたさゆりの心は乱れに乱れ、思うように光を集束させることができない。

 子竜の息は、あごの先までたまっていた。魔力の充填を待っていたら、間に合わないかもしれない。

 「まだ、小さいけど!」

 喉の奥を貫けば、少なくとも竜息は止められるはずだ。その間に再度光の矢を作れば…。

 狙いを定めて光を放つ。

 だが…。

 小さな光の矢は、子竜の横っ面をかすめ、闇の中へと消えた。

 (だめか…)

 竜息に備えて障壁バリアを張る。せめて自分の後ろにいる人たちは守りたい。そこに憎らしい馬瀬川がいたとしても。

 竜から人々を護る。それが彼女竜殺しの使命だから。


 刹那。


 子竜が大きな光に包まれた。太陽のように目映く輝く球体の中で、子竜は白煙をあげて蒸発した。

 子竜とはいえ、一瞬で動きを封じ、その身体を熔解していく。すさまじい威力の魔法だ。しかも子竜を消し飛ばしただけで、周囲の人も、物も、ほとんど傷つけてはいない。威力ばかりではない。コントロールも抜群であった。

 完璧な光球ボールライトニング

 そう、それはまるで…。

 「竜殺しドラゴンスレイヤーが倒してくれたんだ!」

 誰かが叫んだ。若い男の声だった。

 「あなたがいなかったら、私たち死んでたかも! ありがとう!」

 今度は、女の声。

 「ありがとう! 竜殺しドラゴンスレイヤー

 まばらに打ち鳴らされた拍手が、やがて広場中に広がっていった。その中に、さゆりへの感謝の言葉が折り重なる。

 嬉しい気持ちと、使命を果たした達成感と共に、しかしこの賞賛を本当に自分が受けていいのか、という複雑な思惑が渦巻いた。

 倒したのは、自分ではないのだ。拍手が強まるほど、いたたまれない気持ちになっていく。早くこの場を立ち去りたい。そう思った時だった。

 「じ、自作自演だ!」

 男の怒声があがった。

 さゆりの後ろには、憤怒の表情を浮かべた馬瀬川がいた。

 「こいつは、私の演説を邪魔するために、竜を呼んだんだ!」

 わめき散らしながら馬瀬川は少しずつ後ずさっていた。竜を倒したさゆりへの恐怖が、そうさせているのだろう。どこまでも、口ばかりの男だ。

 「私を殺すために、竜をんだんだろう!?」

 「そんなことするわけないだろ!」

 それはさゆりにとって、竜殺しにとって、最大の侮辱であった。

 「私が竜殺し年金批判をしているから! 働かずに食っていきたいから! 既得権益を手放したくないから! 社会保障改革を訴えている私が邪魔なんだ!」

 「適当な事を言うな! 私はみんなを護るために」

 「みなさん、これが竜殺しなんです!」

 馬瀬川の叫び声がさゆりの言葉を遮った。

 「自分たちのためなら、このような恐ろしい力を使う! これが竜殺しなんですよ、皆さん!」

 広場が静まりかえった。拍手は鳴り止み、人々は口をつぐんだ。

 「とんでもない三文芝居だな! そんなに年金がほしいのか! この寄生虫め!」

 さゆりの方を向き直り、力強く指さした。

 「なんだとっ! こいつ!」


 直後。


 パシッと鋭い打擲音がはじけた。

 黒くつややかな髪が、さゆりの前で揺らいでいた。

 「あなたを助けてくれたんですよ! この人は!」

 少女の声だった。背は、さゆりと同じくらいだろうか。見たことがない学校の制服を着ている。

 「竜殺しを殺せなどと罵るあなたすらも、この人は助けてくれたのですよ! 批判よりも先に、お礼を言うべきじゃないのですか! それが大人ってものではないのですか!」

 彼女の声は、凛として気高い。

 「違う! これはこの女の自演だ! 私が訴える社会保障費改革を批判するために、この女は…」

 まさか子供に頬を打たれるなどとは思いもよらなかったのだろう。馬瀬川の声には動揺が混じっていた。

 「またガセかよ! 馬瀬川! いい加減にしろ!」

 誰かが叫んだ。

 「批判してたのはお前のほうだろう! ガセ川!」

 「その人に謝れよ! ガセ川!」

 ガセ川コールが広場にあふれる。

 四面楚歌と悟った馬瀬川は、スクラップとなった選挙カーを残し、やがて駅の方へ逃げていった。それを見届けた人々は、歓喜の声と共に再度拍手を打ち鳴らした。

 さゆりは大きく息を吐いた。人々の脅威となった竜は倒れた。さゆりを罵倒する馬瀬川は去った。全ては、まるくおさまった。

 黒髪の少女の、おかげだった。

 「ありがとう、あなたのおかげで…って、あれ?」

 だが、さゆりを救ってくれた少女の姿は、もうそこにはなかった。


(つづく)

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