枯れ谷の竜殺し

 T県乙ヶ宮市おつがみやし彼谷かれたに

 市の中央部を横断する名賀川なかがわ沿岸に広がるこの地に、さゆりが経営する魔法屋「たつみや」はあった。

 魔法屋とは。医療全般に物の怪退治、家内安全に火気祓い、村同士の喧嘩の加勢から大名同士の戦争まで、魔法が必要とされたありとあらゆる事に関与する、特殊な技能、すなわち魔力を持ち合わせた人々のことだ。

 しかし、彼らの本質は竜殺しドラゴンスレイヤーである。

 竜殺しとは、読んで字のごとく。顕現した竜を屠る者だ。なんのひねりもない、ストレートすぎるネーミングといえる。

 竜は突如として現れ、周囲に災厄をまき散らす。ある竜は毒のガスを吹き、ある竜は稲妻を呼ぶ。炎を吐くものもいれば、力任せに人里を破壊し尽くすものもいる。

 人類は、竜に対して無力であった。暴れる竜からはただただ逃げるしかなかった。そんな竜に唯一対抗できたのが魔法屋、すなわち竜殺しの一族であった。

 竜を殺せば朝廷や幕府、荘園領家や藩から相応の褒美がもらえた。しかし、竜はいつでもいるわけではない。

 魔法屋はいわば、竜殺したちの平時の糧であった。

 しかし文明開化の音がしだした頃には、魔法屋の需要は大幅に減っていた。欧州の先進的な文化文明を取り入れた日本は急速に機械化と科学発展が進んだ。それは魔法が社会から求めらなくなった事と同義であった。

 竜殺しの宗家として、強大な力を誇った竜見一族もまた、技術革新イノベーションの波には逆らえなかった。

 これは大正中期から竜の出現は激減したことも関係する。人々は竜が消えたのは科学と文明の勝利だと信じた。竜殺しの矜持アイデンティティは、文明の発展とともに失われていった。


 さらに、悪いことが起きた。

 さゆりの祖父は先の大戦で、乙ヶ宮に殺到したB-29を地上から喝破。3機を撃墜した。そのため戦後GHQ《占領軍》に拘束され、尋問を受けることになった。

 もっとも、祖父は軍属であったし、B-29を叩き落としたことは単なる戦闘行為にすぎなかった。GHQとしても罪状のつけようがなく、一通り尋問されただけで祖父はすぐに釈放された。しかし一族が所有していた様々な導具、特に戦闘に使えるようなものを治安維持の名目で廃棄させられた。

 竜殺し一族の力は、実は血脈ではなく、代々伝わる導具によって支えられていた。

 確かに、竜殺しの力は遺伝される。しかし、生まれてくる子供がどれほどの竜殺しなのか、それは成長してみなければわからない。

 優秀な竜殺し同士の子供でも凡才な事もあるし、竜殺しではない伴侶との間に成した子が、真竜トゥルードラゴンと呼ばれる強大な竜殺しになることもあった。

 導具は、出生と才能という不安定な要素を平準化するために受け継がれたものだ。それらを持てば、非才な者でも竜と戦える。いつの時代も、戦いには数が必要なのだ。


 導具の廃棄は他家にも及んだ。すでに世間から忘却されつつあった竜殺したちであったが、これにより戦後はさらに存在感プレゼンスを失ってしまった。


 戦争が終わっても、竜の顕現はまばらなままであった。今では多くの竜殺したちが、普通のサラリーマンとして暮らしている。仮に竜が現れたとしたら、猟友会よろしく猟銃を持ち、弾丸に魔力を込め、貧弱な火力で長い時間をかけて竜を殺すのだ。

 現在、県下で魔法屋を営んでいるのは、竜見宗家のさゆりだけだ。彼女のいとこも叔父叔母も、みんな普通の人として暮らしている。彼女が魔法屋を続けているのは、宗家として続けざるをえないというパッシブな理由からだった。

 しかしさゆりには子供がいない。竜見宗家は、彼女の代をもって断絶することになる。そうすれば、この地で450年営まれたたつみやも、「長年のご愛顧ありがとうございました」と、たたまれることになるだろう。

 ボーン、と、店と続き間になっている居間の柱時計が鳴った。

「そろそろ、支度しないとなぁ…」

 畳から上半身を起こし、大きく伸びをした。

 さゆり自身も、夕方には店を閉め、アルバイトのために街に下りる。

 この店の売り上げだけでは、とても食べてはいけない。国から竜殺し年金が出ているが、これにしても年々支給額が減っており、あてにはできなかった。

 特に昨年発足した民王党みんおうとう政権下で進められた、事業仕分けの影響は大きかった。

 将来への不安が募る中で、ただただ自分は衰えていく。あの頃18歳のような力も、自分への期待もない。そして戦うべき相手もいない。

 (私の40年って、なんだったんだろうなぁ…)

 そんな生活の中でさゆりは、毎日そんなことを思うようになっていた。


 出かけ支度をしていたさゆりの鼓膜を、扉が乱暴に開かれた音が打った。

「おばちゃん! たいへん! さゆりおばちゃん! おばちゃんいないの!?」

 続いて聞こえたのは、失礼極まりない子供の声であった。

 店に出ると、野球帽を被った少年がそこにいた。裏山に住んでいる熊さんの曾孫、ター坊だ。

「おばちゃんおばちゃんと連呼するんじゃないよ!」

「そんなことより大変! 大変なんだ!」

 さゆりの魂の抗議など意に介さず、ター坊は息せき切って言葉を吐き出す。

「竜だよ! 竜が出たんだ! 森の中に大きな竜が!」

「え?」

「おじいちゃんが、はやくさゆりおばちゃんを呼んでこいって!!」

「だからおばちゃんと呼ぶなって言ってるだろう!」

 さゆりは素早く机の上の羽箒をつかみ取った。

「ああもう、これじゃない!」

 羽箒を机に置くと、その隣にあった胡桃ウォルナットスティックを取り直した。そしてエプロンのポケットの中からお気に入りのシャンパンゴールドのシュシュを取り出し、素早くセミロングの髪を留めた。

「いくよター坊!」

 とんでもない事が起きている。だが、さゆりの胸にはときめきにも似た高揚感が生まれていた。勢いよくエプロンを外すと、ター坊と共に店の外へと駆けだした。


 …のだが、普段から歩いてないせいか、勢いよく飛び出したものの、山道を300メートルほど登ったところで息が上がってきた。

「もう、だらしないなぁ…。クルマばっかり乗っているからだよ」

 ター坊が呆れている。

「たまにはボクみたいに自転車乗りなよ」

「竜を殺して貰ったご褒美で買うよ。リッチな電動機付き自転車をね」

「それ、ぜんぜん運動にならないと思うよ、おばちゃん…」

 しばらく歩くと銃声が聞こえてきた。丘の上に、紫色の煙が渦巻いているのが見える。

 タオルでマスクした熊さんが、煙の中に銃弾を撃ち込んでいる。

 煙の中から緑色の鱗に覆われた竜の頭が見えた。毒ガスを吹き出す下級な竜、緑毒竜ガスドラゴンだ。

 ターゲットが見えたと同時に、熊さんの銃が火を噴いた。銃弾は見事に竜の眉間に当たったが、少々ひるませただけで鱗一枚砕くことができなかった。

「ダメだよ、じいちゃん! やっぱり三八式じゃ...」

「うるさい!ワシはこれでブーゲンビルを生き抜いたんじゃ!」

「この前はパラオって言ってたぞ」

「ええい! うるさい! 三八式歩兵銃だってやれるんじゃ! やれるんじゃ!」

 今度は目を狙った。だが、竜は老人の抵抗をあざ笑うかのように、煙の中に溶け込んだ。

「熊さん、足止めご苦労様」

 熊さんの前に出ると、さゆりは胡桃の杖を構えた。

「一息で決めるよ!」

 さゆりが歯を食いしばると同時に、杖の先に光が集まっていく。口を開いて呪文を唱えると光はやがて渦を巻く。

「消えろ!雑魚!」

 打ち払った杖の先から光の球が飛び出した。それは白い軌跡を中空に刻んで飛翔した。森に充満する紫の煙を吹き飛ばし、その背後にそびえる杉を何本もたたき折って、やがて消えた。

 すさまじい威力であった。最強最後の竜殺しと呼ばれたその力は、伊達ではなかった。

 のだが…。

「竜…生きてるよ…?」

 ター坊が口を開けたまま、立ちすくんでいた。

 右腕を吹き飛ばされたものの、緑毒竜はまだ健在であった。

 光の球は、緑毒竜をかすめただけだった。威力があったからこそ腕を吹き飛ばすことができただけに過ぎない。

 要するに、はずれた、ということである。

「い…、いまのはたまたま! たまたまそれただけなんだから!」

 見苦しい言い訳をするさゆりの背後で、緑毒竜が咆哮をあげた。

 竜には痛覚がない。衝撃でひるんだものの、その破壊衝動を低減するには至らなかった。

 竜は四肢や頭部失ってもなお戦闘力を維持し続ける。やがて破壊された器官が復元し、再度人々を恐怖に陥れるのだ。

 だから竜は、殺すしかなかった。

「熊さん! ター坊! 下がって!」

「でも、さゆりおばちゃん」

「おばちゃんじゃない! 竜の前にあんたを吹き飛ばすよ!」

「あんな大きな竜に当たらないのに、僕に当たるわけないじゃないか!」

 さゆりの体がピクッとして、そのまま動かなくなった。

「これ、ター坊!戦いの前に集中力がきらすような事を言っちゃダメじゃ!」

 竜の爪が、さゆりの身体をとらえようとしている。殺意を感じて身体をそらすも、その爪はさゆりの頬を引き裂いた。

「よくも女の顔を傷つけてくれたな!」 

 杖の先を緑竜の腹に叩きつけた。

「おばさんになったて、女の顔は、女の顔なんだよ!」

 緑毒竜の腹がふくれあがり、やがて穴という穴から白い光が吹き出した。


 ター坊に拳骨を落とし、店に戻る。着いた頃には、緑毒竜につけられた頬の傷はすっかり消えていた。竜殺しは竜といわば相反する存在である。だから竜を殺すことができるし、竜と同等の力もまた備わっているのだ。

「この力で、若返ることができたらなぁ…」

 力なく、店の扉を開けた。

「ずいぶん時間がかかったようだな」

「もう、プライドずたずた。最強美少女竜殺しのさゆりさんが、まさかあんな下級のガスドラゴンに手こずるなんてね」

 ふうとため息をつき、シュシュで留められた髪をほどいた。

 シュシュと胡桃の杖は、カウンターの上に置いた。

「バイト行ってくるよ。鍵は閉めておくけど留守番頼む」

「ああ、いってらっしゃい」

 鏡の声を背に受けて、さゆりはふたたび店を出た。


(つづく)

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