11.

「ああ、もう、厄日だよ。こりゃあまったくの厄日、鬱い」


 無気力紳士は、山高帽を押さえたまま、ゆらりと立ち竦んでいた。

 雰囲気が、少し変わった気がする。

 隙だらけなのに、異様な空気のせいか飛び込むことは出来ない。私は、壁に刺さった足を抜いて向き直る。

 すると、無気力紳士は折れ曲がったステッキを、くいと針金でも伸ばすみたいに真っ直ぐにして、とん、と床をついたのだった。


「ご挨拶だ、俺様は“鉄の手”カピターノ。友達からはカピちゃんと呼ばれてんだけど……まァ、んなこたァどーでも良いよな。どうせお前は死んじゃうんだから。でも、どうして俺が“鉄の手”呼ばわりされているか、知りたくないわけじゃ、無かろう?」


 無気力紳士、もといカピターノはそう言って手袋を外す。

 すると、その下から真っ黒な、金属で出来た義手が現れる。……いや、それどころじゃない。それは、言うなれば義腕だろうか。腕まくりした下から、歪な形をした三つの排気筒がばちんと飛び上がる。……こいつは、両腕まるっと機械仕掛けだ!


「おじさんはネ、“蒸気機関師ジョウキキカンシ”として生まれたんだ。そんなおじさんの腕は特別製でね、片手で500馬力の力が出せるんだそうだよ。……まあ、それがどの位かは、おじさん頭悪いから分かんないんだけどネー」


 両腕から、ごうんと言う重低音が響き、ぶしゅーっと柱のような蒸気が立ち上る。

 そして、次の瞬間、カピターノはにやりと笑って。


「でも、君はその身体で、すぐ分かると思う、ぜえ」


 駆けだした。

 やばい、500馬力なんか、自動車とかそこらへんのパワーと一緒だ。幾ら私の身体に鉄の心棒が通っているからと言って、そんなものを食らったら一撃でぺきりと折れてしまう。一度トラックで死んだと言うのに、また似たような衝撃を受けて死ぬなんざ真っ平御免です。私は、慌てて身を翻し、その場に無様に転げたのだった。

 次の瞬間、爆発音めいた轟音と一緒に、レジカウンターが粉みじんに破砕される。

 ばらばらと散らばる木片。傲岸不遜な後ろ姿に、レジに入っていたのであろう紙幣がはらはらと舞い散る。カピターノは、腕の排気筒からもう一度ばしゅーっと蒸気を発射させるのだった。ああ、きっとドアを破壊してきた時も、あの馬鹿力を発揮したのだろう、なんてどこか冷静に考えている私がいた。


「あぁー、駄目じゃ無いかあー。避けたら意味が無いだろ~? 俺様、そういう面倒臭い展開、駄目なんだよ~。サクッと終わらせてくれよ、なあ~?」

「こいつ……!」


 私は、仕切り直すように距離を取って立ち上がる。

 ゆっくりと私に向き直るカピターノは、ズボンのポケットから取り出したらしい石炭を、まるでりんごでも食べるかのようにガリッと囓りながら、にたにた笑うのだった。

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