10.

 いま、何が起きたのだろう。

 頭の中で何か声がしたと思ったら、意識が遠くなって、そして、また戻ってきた。

 ……ん、私はいつの間にか場所を移動している。レジカウンターの近くでテュコが無気力紳士に踏み付けられているのが見えた。そしてその手前に……あ、あれ? テディ・ベアが転がっている。あれは、“私”なのに。どういう事だろう。頭にクエスチョンマークを浮かべながら、ひとまず立ち上がる。あれ? あれ? 視界が、高いぞ? めちゃくちゃ高いぞぉ!?


「な、なんだァ?」


 振り返って私の方を見た無気力紳士が、不意に飛び退いた。

 私の方を見て驚いているようだ。本当に、どうしたんだろう。どうも天井が低すぎる感じがする。世界が小さくなったのか、とさえ思ってしまう。

 私、いったいどうしちゃったのよ。ふと、横にある粉々になってない方のショーウィンドウを見ると……そこには、カラフルな衣装を身にまとった、巨大な黒人の女ピエロ“プリス”が、のぼーっと立っていたのだった。


「……何ですとおー!?」


 え、何? 何? 何じゃこれ!?

 私、くまちゃんから、でかピエロ女になってる!?


 なんかさっき出てきたスキル……「転魂 LV.EX」とか言う奴の所為せいっぽい? まあ、詳しくはわからないが……今は、そんな事は後回しだ。

 テュコは、もう声も出せない状態だった。痛みのあまり気絶してしまったのだろう。白目を剥いて、ぴくぴくと痙攣していた。……酷すぎる。


「お前、お前……ただの自動人形オートマタじゃねーな」

「私が何かは関係ない! あんた、どうしてこんな事するんだ……コッペパンとか何とか、いったい何なんだ……!」

「“コッペリア”……です」


 床に転がる半死半生のテュコから、息も絶え絶えのツッコミが入る。それだけ言って、がくり、とまた気絶してしまうのだった。本当は少しだけ元気なんじゃないか、あいつ。


「ひひッ、ひ、ひ。……鬱いネ。そんな事を俺が教える義理は無かろう?」

「うるさいっ、力ずくでも喋らせる! 土下座させたる!」


 私の両腕両足は、どうやら鉄芯の入った樫の木だ。重く、そして異様なほどに丈夫だ。動き方は、身体が覚えている。いくぞ。私は走り出した。今の私は小さなくまちゃん人形でも、糸に操られた傀儡でもない。


「“ビューティフル私ゴッド女ピエロキーック”!」

「うおっとぉ!」


 私の前蹴りは、とっさに身を躱した無気力紳士の脇を通り抜けて、木で出来た壁を蹴り破る。やば、後で弁償しよ。いや、そんなことにかかずらっている場合ではない。


「逃ぃげるなっ!」

「ぬぐぅッ!?」


 足を壁に突っ込んだまま、私は身体を回転させて無気力紳士に浴びせ蹴りを食らわせる。捉えた、がいぃんと金属の音が響く。見れば、無気力紳士のステッキが、ぐんにゃりと「く」の字に曲がっていた。


「こりゃあ……面倒臭いって、もんじゃないネ……」


 無気力紳士は、曲がったステッキを肩に担いだまま、苦笑いでゆらりと立ち上がるのだった。

 だけど、その中には諦めなんか一欠片も含まれていなかった。鈍い、どろりとしたものが、その男の瞳の中に渦巻くのを、私は、見た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る