第19話
後から考えて思い出してみると、多分晟に対する愛しさと恨みの割合は半々だったと思う。未だに「自己」というものを見つけられない晟を楽にしてあげたいという思いと、お父さんや無関係の人間を殺したことに対する憎しみ。そんな正反対の感情が陰陽のように重なり合って、溶け合って、混ざり合って、ただそれでも唯一言えることは、その二つの感情が打ち消し合うことは決してないということだった。
だから今の私を支配するものは、ただの激情、それだけだった。
「――――」
これが声にならないというものだろうか。私は叫ぶというよりも、ただただ声帯を震わせるために息を吐き出していた。実際に大声が出せていたのかどうかは分からない。ただ、私をズタボロにしようと襲い来る何かから声の膜が私を守ってくれるような気がして、私はどうにかして大声を出そうとした。恐怖を紛らわすために、不安を拭うために、悲しみを心に届かせないために。
これがどこかの媒体で伝えられる物語なら、おそらく私は晟の心臓でもナイフで狙っていたのだろう。しかし、そんな簡単に現実は女性の腕力が底上げされることを許してはくれない。
だから私は高ぶる感情の中、何とか自分を見失わずにいたちっぽけな理性をかき集めて、冷静に、ただ機械的に、晟の首をナイフで撫でた。
柔らかな皮膚が押し込まれ、ある所で張力の限界を迎える。そのままナイフを振り抜くと、引き裂かれた傷は血管まで拡がり、晟の生命力が猛烈な勢いで噴き出した。
それだけで、人はあっさり死滅する。だから、ドラマのようにここで気の利いた会話が始まるなんてことはまずありえない。私と晟の物語は、あっさりと、あっけなく、全くもって劇的でない……そんな、とてもつまらない形で終わりを迎えるのだ。
「――――」
頸動脈の血圧とは凄いもので、たちまち晟の周囲三メートルは真っ赤に染められた。それは私も例外でなく、身長差で晟の首と同じ高さにあった私の顔は、おそらく今とてもグロテスクことになっているだろう。といっても、まあ周辺に噴き出した血液については、ライトの照らす範囲しか確認することは出来なかったけど。
この冬の夜において、晟の血液はとても温かかった。いつの日かの温もりを思い出して、私は全身を晟に抱きしめられているかのような錯覚を受けた。
私は仰向けに崩れ落ちた晟を見る。
私がナイフを取り出した時にも、晟に近づいた時にも、実際に晟を殺めた瞬間でさえも、晟は、回避はおろか身を強ばらせることさえしなかった。まるで、これから私がする行為をあらかじめ分かっていて、そして敢えてそれを受け入れでもしたかのように。
晟の顔をライトで照らし、彼の表情を、そして感情を汲み取ろうとする。
たった今二度目の死を迎えた男の顔は、まるで憑き物が落ちたかのように、すっきりとしていた。
「……ぁ」
途端、今自分がしたことについて、ようやく私は頭が巡るようになった。
「……あ、アア」
思い出される。
思い出される思い出される思い出される思い出される思い出される。
晟との思い出が、今になって私に後悔をさせようと襲ってくる。私に悔いろと、悔い改めろと、懺悔しろと、私が私に強要する。正義の執行官である私の職業が、信念が、凝り固まった常識が、優しさという名の泉で育った今泉真優という一個の人間が、私が私を私で私に苛むのだ。
「ァァァアアアアア!」
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
私は晟を抱きしめながら、大声で叫び、謝罪し、そして涙を流していた。
何に?
今まで晟の悩みに対して何一つ気がつけなかった自分に? 感情的になって晟を殺してしまったことに? それとも何人もの殺人犯を捕まえてきた立場にあるのに、今この殺人を正当化しようとしていた自分に?
私人殺正義猟奇血高天原帝紀晟刃死首崇神孤独山夜冬好神器刑事警察王朝爆発姉弟可能性遺跡稗田阿礼弛緩死姦後悔生殖神武墜落日本書紀吐事故自己鉄槌畝傍山東北陵憎結婚照人軟組織愛歴史痙攣悪誰今泉震笑欠史八代涙近親再生叫謝古事記墓未来罪命瀬田先輩生天皇義務真優葛城旧辞寿命冷体硬直抱推理赤子――
……。
どのくらいそうしていただろうか。私の体に付着した血液は既に渇いて固まりつつあった。
待っててね、晟。今すぐ……
私は地面に転がっていたナイフを拾い上げ、それをおもむろに自分の首へと――
「……」
――深く突き刺すということは、出来なかった。
不意に、お腹が熱くなったのだ。まるで今まで忘れ去られていた自分の存在をアピールするかのように、熱く、熱く。
「……」
ごめんね、晟。
あと半年だけ、時間をちょうだい。
今はまだ、この子の可能性を潰したくはないの。
……だから、もうちょっとだけ我慢してて。
もう、これ以上一人にはさせないから。
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