第13話

 上野村に住む人々は元々少なく、住民の避難は想定以上に早く済んだ。その人の少なさが二〇年前は多くの死者を生んで、そして今度は死者がゼロになるように働いている。ただ、それだけのこと。悔やむべくも喜ぶべくもそこにはない。

 時刻は夜の七時。この時期になると日が沈むのは早く、というか、警察が避難を開始した時点で既に辺りは真っ暗になっていた。この村が山に囲まれた場所にあることも、通常より早い日没の一助となっているのかもしれない。

 そして、そんな中私、今泉真優はというと……

「……寒っ」

 一人、周りの目から素早く抜け出てきて、こうして上野村に再び入村していた。地図と懐中電灯を頼りに、目下生犬穴(おいぬあな)(高天原とされる場所)を目指して行軍中である。

「う~、やっぱりもう一枚羽織ってくるんだった」

 ここに来る時はいつも夏だったので、ついつい油断してしまっていた。

 一歩一歩足下に気を付けながら進んでいく。念のために地図を持ってきてはいたけれど、ほとんどそれを開くことはなかった。体が道を覚えている。

「……」

 生犬穴まではまだまだ時間がかかりそうだった。未舗装の道にも大分慣れてきた所で、私はその時間を推理に当てる。といっても、もうそれは検算の所まで来てはいるけれど。

 ……。

 お父さんの遺したダイイングメッセージ。二つの歴史を重ねし者とは、古事記と日本書紀でも、帝紀と旧辞でもなく、神武天皇と崇神天皇だった。

 …………。

だから、何?

 彼ら二人の同一人物説なんて初代~九代の存在自体が怪しいって時点で、誰もが行き着く結論でしかない。それならば、お父さんはわざわざこんな回りくどいメッセージなんか遺しはしないはずだ。そもそも、彼らが同一人物だからって何かが明らかになるわけでもないのに。

 私たちは、安易な結論に逃げてしまったのだ。

 もっと、深く読み込まねばならなかったのだ。

 なぜ、稗田阿礼はそれぞれの天皇の寿命を、半年暦説を利用してまで後世の我々に異常に映るようにしたのか。崇神天皇が天皇という権威を高めるために神武天皇と欠史八代を創作したのであれば、彼はそのまま暦の変更を考慮して年齢を直せば良かったのだ。そうすれば誰も実在していたかどうかなんて疑われないし、誰かの名誉が傷つけられるわけでもないし、誰も悲しまない。

 じゃあ、神武天皇と欠史八代を正式な大和王朝の祖とすることで、誰かの名誉が傷つけられ、悲しんだ人がいたとするならば?

 稗田阿礼は、初代~九代の天皇は疑わしい存在だというメッセージを遺した。それを以前の私たちは、彼らが架空の存在で、崇神天皇こそが大和王朝の祖であり、神武天皇の役割を果たしていたのだと考えた。

 しかし、私たちはそこで同一人物説を採るんじゃなくて、もう一つの方の仮説を採るべきだったんだ。

 すなわち、

「王朝交代説……」

 一九五二年に水野祐が唱えた、万世一系とされてきた皇統が実は全く異なる三王朝から出来上がっており、それぞれ大和王権と言われるものを継いできたのではないかという学説だ。それぞれの王朝は、自らの土地を支配するにあたっての正当性を被支配者層に知らしめるために、それ以前の王朝の名を借りて、その結果、大和王権という一つの巨大な王朝が現在も存在するような形になっているのではないかと水野祐は遺している。

 具体的には、一〇代天皇の崇神天皇を祖とする崇神王朝と、一五もしくは一六代天皇の仁徳(応神)天皇を祖とする仁徳(応神)王朝、それから現在の皇室の直接的な祖先である二六代天皇の継体天皇を祖とする継体王朝といった具合に。

 しかし、今はそれについての真偽なんかどうでも良い。問題はそうであった場合に、崇神天皇以前の九人の天皇はどういった扱いになっているのか、だ。

 そこで、この王朝交代説から派生した鳥越憲三郎の『葛城王朝説』だ。

 神武天皇から開化天皇までの九人は現在の奈良県にあたる葛城という場所で大和王権とは関係のない別個の王朝を築いており――以後、葛城王朝と呼ぶ――その葛城王朝を滅ぼして新たな王朝、すなわち大和王権の元を作った者こそが、誰あろう現在は崇神天皇と呼ばれる男だと鳥越憲三郎はそう結論づけている。

 つまり、神武天皇と崇神天皇は、同一人物はおろか同じ時代の人物ですらなく、国を滅ぼされた者と滅ぼした者の関係だったと言える。

 おそらく、稗田阿礼は帝紀と旧辞を暗記する内にそのことに気付いてしまったのだろう。しかし、時代からしてそれを公にすれば、彼は不敬罪で殺されてしまう。だがそれでは嘘の歴史が事実として残ってしまい、神武天皇以下欠史八代が守り栄えた葛城王朝という存在が歴史から抹消されることになる。

 だから彼は、わざと彼らの寿命を半年の暦のまま載せることによって、彼らの存在を後世の人間に疑って欲しかったのだ。もしかしたら神武天皇以下欠史八代が大和王権とは違う、別の王朝の人間ではなかったのか、と。

 これが、事実。

 これが、稗田阿礼の遺したメッセージ。

「……着いた」

 でも、まだ歯車は止まらない。

「探し物は見つかった、晟?」

 お父さんを殺した犯人は、あなただ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る