第8話

 二代~九代の天皇は寿命が異様に長いことと、諡号が時代的に不自然である点、略歴が生誕年や即位年などの情報のみで具体的な活動が記されていないことなどから、俗に『欠史八代』と呼ばれ、初代天皇である神武天皇と共に実在の可能性が低いと言われている。一般的に実在した最初の天皇は十代天皇である崇神天皇だとされており――

「全然知らなかった……ちゃんと名前まであるのに、いなかったってことになってるの?」

「はい。大抵の国は何百年もの間に滅んだり新しく出来たりを繰り返して今までの歴史がなかったことにされるからいいんですけど、日本の場合は二千年以上前からずっと『日本』なので、どうしても神話と史実がごっちゃになったままなんです。現存する世界最古の国としてちゃっかりギネスブックにも載っちゃってますしね、日本。だから、伝承と事実が明確に分けられないんです」

瀬田先輩がお父さんのノートを一枚一枚めくりながら呟く。私たちは今、稗田阿礼について何か新しく分かることはないかとお父さんの書斎を漁っていた。どれもこれも埃をかぶっていて年季を感じさせると共に、これらがみんなお父さんの遺品なんだと思うと少しばかり心を沈ませずにはいられなかった。

そういえば、昨日は色々なことがあったとはいえ、つい晟にキツく当たってしまった。自分がないと言われた時の晟の顔を思い出すと、申し訳ない気持ちで一杯になる。

 後できちんと謝らないと。

「でも、じゃあ何でわざわざ……崇神? 天皇は自分の前に九人も天皇を作ったの? 『俺が最初の天皇だー』ってふんぞり返ってれば良かったのに」

「それは、『中国よりも前からあるんだぞー』って中国に対して見栄を張ったという説や、周辺諸国を治めるにあたって歴史を誇示したといった説など色々あります」

 瀬田先輩が首を大きくひねって疑問を表現する。

「? じゃあ、わざわざ九人じゃなくてももっとたくさん架空の天皇をいたことにすれば良かったんじゃないの? そうすれば今の学者たちに怪しまれることもなかったはずなのに」

「そう、それなんです」

「え?」

「歴史学者たちの間にも神武天皇と欠史八代の天皇は実在していたとする派閥も少なからずあって……というかその中の一人が私のお父さんなんですけど、わざわざ架空の天皇の人数を寿命に無理があるのにも関わらず九人に設定した、それこそが、彼らが実在した証拠に他ならないというんです」

「ん? んん?」

 先輩が疑問符を浮かべる。眉に皺を寄せるのが、先輩で年上なのに妙に可愛らしかった。

 私は説明する。

「崇神天皇以前の天皇の寿命が異常に長いのは、彼らが九人であったという事実を尊重したために起こったことなのではないか、ということです。彼らが完全な創作であるならば、最初から彼らの寿命を不都合のないようにすれば良かったんですよ。つまり、寿命が不自然なことそれ自体が、彼らが実在していたという証拠になる」

 畳みかけるように私は続ける。

「神武天皇は一三七年間。欠史八代の八人も、神武天皇と同じように、みんなそれぞれ百年から百五〇年間もの生きていたとされています。何故でしょうか? 天皇の神秘性を強調するためという考察も成されています。しかしそれならば、一人一人にもう少しばらつきがあっても良いと思いませんか? 例えば西欧圏で人類の祖とされるアダムは、実に千年近く生きたとされています。それほどとまでは言いませんが、九人の寿命はみんな似たり寄ったりです」

「……でもそれが共通していたからって」

 それだけでは何の根拠もないただの妄想だよと、瀬田先輩は目でそう続けたように私には見えた。しかし、これらはきちんと証拠に基づいた仮説だ。

「魏志倭人伝っていう書物がありますよね? その裴松之注という部分に、日本について書かれている箇所があるんです。『「魏略」に曰く、その俗正歳四節を知らず。ただ春耕秋収を計って年紀と為す』……正歳とは正しい歳月、つまりは暦ですね。そして四節とは四つの季節。日本に住む人々はそれらを知らない、と。そして彼らは春に地を耕し秋に収穫する、その回数を数えて一年という単位を作っている……『半年暦説』というやつですね。そして――」

「――ちょうど古事記を編纂していた辺りで、その一年の定義が変わりつつあったと考えると、崇神天皇以前の天皇たちの異常な寿命について説明できる……?」

「その通りです。実際その証拠に、二一代の雄略天皇は古事記では一二四歳まで、日本書紀では六二歳まで生きたとされていて、ちょうど寿命が二分の一になっているんです。二六代の継体天皇は逆に、古事記では四三歳、日本書紀では八二歳と寿命が二倍近く長くなっています。古事記や日本書紀の成立時代における一年の定義がいかに曖昧で混乱していたかが分かると思います」

 話しながら、どうしてか私はお父さんのことを思い出していた。ああ、確かこの一連の話がお父さんの口癖だったっけ? まだ『古事記』なんて言葉、漢字はおろか平仮名でさえ書けなかったぐらいの小さな頃に、よく晟と一緒に聞かされていたんだった。

 と、瀬田先輩が口を開く。

「でも、だったら稗田阿礼はその年の数え方の移り変わりを考慮して年齢を直しておくことも出来たんじゃないの?」

「え……」

 予想していなかった疑問に、私は言葉を詰まらせてすぐには答えることが出来なかった。

 先輩は続ける。

「実際に一年の数え方が変わっていく渦中にあったとしても、それでも明らかに神武天皇たち九人の寿命はおかしいという認識ぐらいあったはずでしょ? だったら、ただ記憶にあった帝紀と旧辞をそのまままとめるんじゃなくて、時代を考えて暦を統一しても良かったはずだよね?」

 確かに、そう言われてみればそうだ。稗田阿礼は頭の良さを買われて帝紀と旧辞の暗記を任されたと書物には残っている。そんな彼がこのことを見落とすだろうか? 古事記の編纂を命じた当時の天皇が勝手な解釈による変更を嫌っていた可能性は?

 考えが頭の中を右往左往と巡る中、瀬田先輩はもう一歩先を行く、衝撃的な推論を述べた。

「こうは考えられないかな……神武天皇と欠史八代の異常な寿命は、稗田阿礼が明確な意図をもって、敢えてこのようにした、って」

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