第7話

「稗田阿礼? 古事記を編纂した人だよね」

「……よく知ってるね、そんなマイナーな人」

 照人さんが殺された翌日。

私、瀬田華蓮は高校生だった時からの付き合いの岡田から話を聞いていた。岡田はその時から何だかんだと頭のキレる同級生だったので、捜査に行き詰まったりなんかした時にはよくこうして助力を頼んでいた。情報漏洩はまあ見なかった聞かなかったということで、勘弁。

岡田は顎に手を当てて考え込む姿勢を作りながらゆっくりと話していく。

「そうだね……その照人さんって歴史学者なんだよね。ということは、彼の研究論文とか学説とかを漁ってみたら? もしかしたら何か新しい発見があるかもしれない。よく古事記には高天原っていう地名が古代の歴史書の中で唯一載っていたり、色々と矛盾があったりして様々な意見が飛び交っているから、それが照人さんのダイイングメッセージと関係があってもおかしくない」

 高天原という名前は昨日の時点で既に真優から説明を受けている。伝説上の神様たちが住む天上の世界だとか。実はこの国のどこかに存在していたのかもしれないと言われてもいるが、信憑性は低いらしい。何だかんだで真優も歴史学者の娘らしく、こういったことには詳しかった。

「矛盾って、どういった所が?」

 それよりも、聞き逃してはならないものは、これだ。

 私は心なしか、岡田の方へとテーブルを挟んで身を乗り出しているのを感じた。

「うん。例えば、初代天皇から九代天皇までは本当に実在していたのかが疑われているんだけど、その最大の理由は彼らの異常な寿命にある。みんな百年以上生きていたって古事記には書かれているんだよ。そう考えると照人さんの殺された場所が神武天皇陵っていうのも、中々興味深い」

岡田の表情が微妙に険しくなっていく。

「で、本当に彼らは実在していたのかしていないのかで学者たちの間では意見が分かれていると……もしかすると、照人さんを殺した犯人は照人さんと意見の対立していた人だったりして」

「っ、いやいや、そんな刑事ドラマのような」

少し吹き出してしまった。真面目な雰囲気だっただけに、岡田の本気とも冗談とも取れない推論に虚を突かれてしまった。

「まあ後半は冗談だとしても、古事記にはそれだけ矛盾があるんだ。本当、いくら当時に文字を読める人が少なかったからって、明らかにこれはおかしいって誰かが指摘するだろうってくらいには、たくさん」

「稗田阿礼が、意図的に矛盾を作ったと?」

「断定は出来ないけどね。ともかく捜査は行き詰まっているんだ。そういった可能性も探っていかないと」

 そう言った岡田の表情は、いつになく真剣だった。岡田の言ったことを完全に鵜呑みにするわけにはいかないが、しかし今の私たちはわらをも掴みたいといった具合で、とにかくやってみる以外に選択肢はなかった。

「……うん。そうだね、今日はとりあえず照人さんの研究について調べてみる」

 私は小さく頷いて、今日すべきことを頭の中に整理する。

 ……よしっ。真優や晟のためにも、私が頑張らなくては。

 私は一人静かに気合いを入れて、家を出る準備をする。

「じゃ、先に行くね。鍵を閉めるのと可燃ゴミを出すの、忘れないように」

「あ、待って華蓮」

 と、不意に岡田に呼び止められた。

「ん?」

「愛してるよ、心から」

 それは、かつて心がないと言われた男が私への激励に送る、精一杯の感情表現だった。

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