夏祭り

「あれ、こんな時間からどこ行くのあにぃ? もう陽が暮れちゃうよ?」


 玄関先でスニーカーの靴紐を結んでいると背後から浴衣姿の麗に声を掛けられる。

 振り替えると、流石スペックが高いだけあってか、浴衣をちゃんと着こなす可愛い女の子のが佇んでいた。この子今日ナンパとかされちゃうんじゃないのかしら。なにそれ、お兄ちゃんはそんなの絶対に認めないんだからねっ! と、ツンデレお兄ちゃんが心配になるくらいだからこれは相当である。


「ああ、ちょっとな。それよりお前の方は出掛けなくていいのか?」

「えっ、やばっ! もぉこんな時間⁉ じゃあ、あにぃお母さんに行って来るって言っといて!」

「あぁ。分かった。気ぃつけろよ」


 特に男とか漢とか男の子とかにな。

 あれ、最後は要らなくない?


「うん……じゃあ」

「おう」


 そんな並の家族的挨拶を交わすと玄関のドアを開け放ってそのまま麗は出て行かずに足を止める。何してんのこの子? 時間やばいんじゃなかったの? もしかして唐突にトイレに行きたくなったのかしら? なんて雑考していると。


「ねぇ、あにぃ?」

「……なんだ?」


 背中を向けられたまま麗に話し掛けられる。


「今日の麗どお?」

「……どおって? 何が?」


 麗の謂わんとしていることが俺にはよく分からなかった。


「だ、だからっ! ……そのっ……ゆ、浴衣……似合ってる……かな?」


 まるでラノベのツンデレヒロインのように、顔を赤らめ、前髪を弄りながらもじもじと訊ねてくる麗。全くこの子ったらいつの間にツンデレなんて高等技術を覚えたのかしら? 可愛すぎてお兄ちゃん発狂しそうなんですけどっ⁉

 まぁ、そんな冗談はさておき、そうだな、浴衣が似合ってるか似合っていないかと言われるとそれはそうだな……。

 頭から足先まで舐めるように見た後。


「普通に可愛いぞ」


 率直な感想を口にする。 


「――っツ~~~~~~」


 そんな麗は何故か急激に顔を真っ赤にしてそっぽを向く。

 あれ、おかしいな。この子どうしたの?

 お兄ちゃん、率直な感想を伝えただけなのに。


「あ、あ、あ……あにぃの馬鹿ッ!」

「なんでっ⁉」


 そんな納得できない俺を置いて、麗は巾着を片手に下駄をカランカランと奏でて颯爽と家を出て行った。今度、妹の接し方のハウツー本でもあったら買ってみようかな。まぁ、そんな悩みを考えるのはまた別の日にするとして。


「そろそろ俺も行くか」


 続くように俺も家を出る。


 ☆ ☆ ☆


「おっ、先輩今日は早いですねぇ」

「悪い、待ったか?」

「いえ! あたしも今来たところですから!」

「……そうか」


 前回の反省を生かして今日は集合時間の三十分前に来たというのに、またしても水城は俺より早く待っていた。

 一体何分前に来れば俺は水城より早く待つことができるのだろうか? 誰か教えてほしい。


「それより先輩っ、今日のあたしはどうですか?」

「どうって言われてもなぁ」


 本日二度目のその問いに俺は一体何と答えるべきだろうかと少し悩んでいると、下駄で回りづらいのか、ちょこちょことゆっくり時間をかけて一回転する水城。

 サイドに編み込みを入れたいつもとは違ったアレンジのされた髪形に、紺の浴衣姿の妖艶さが相まって、誰も文句が付けられないくらいに可憐な少女が俺の目の前でにっこりと微笑んでいた。そんな彼女を見た感想と言えば、綺麗で見惚れてしまった。という感想しか出てこない。


「……ぱい。先輩どうしたんですか?」

「えっ、あっ、いや。なんでもないよ。うん」


 だけどそんな言葉は恥ずかしくて口には出せないから。


「普通に似合ってるよ」


 だから、そんな無難な言葉で留めてしまう。


「フフッ、ありがとうございます!」

「……おう」


 けれども俺の妥協した言葉でも水城は充分嬉しそうで。

 でも。だからだろうか。そんな無難な言葉を選んでしまったのが苛まれる。きっと妥協しなければもっと見たことのない水城の表情が見れたはずなのに。いまさら悔やんでも仕方はないが。


「ふぅー、んじゃ行くか」


 そんなことを頭の隅に考えながら、一つ気合いを入れて俺は騒がしい喧噪のする方に歩き出す。


「先輩何処に行くんですか?」


 そんな俺の気合いというか心持ちを台無しにするかのように、水城は疑問系で訊ねてくる。


「いや、どこって屋台のある方にだろ。祭りつったら屋台にいかないと意味ないんだし」


 ほんとは行きたくないけど。

 人が蟻のように集っているところになんて。あんな人口密度の高いとろこの空気なんて吸えたものじゃない。ほとんど誰かの吐いた空気のリサイクルだろ、あれって。そんなの無理~。僕は植物君が吐いた息しか呼吸できないのっ! なんて、普段の俺ならそんな独り言をぼやいて、絶対にその場所には行かないだろうが今日は水城の為だ。喜んで誰かが吐いた息を肺に入れてやろうではないか! 間接呼吸だっ! と、半泣きになりながら意気込んでいたのに、そんな俺の覚悟を水城さんは「何処に行くんですか?」と気の抜けたことを言い出して踏みにじる。ほんと俺の覚悟を返して! あの人混みの中に入ろうって頑張って自分を暗示にかけてたのにっ!


「大丈夫ですよ先輩! もう先輩が欲しそうな目ぼしいものは全て買って置きましたから!」

「は?」


 見ると水城の両手には焼きそばやらホットドッグやらと、確かに俺が好んで食べそうな味の濃いものがぶら下がっていた。


「えっ、これいつ買ってきたの?」

「先輩が来る前にですよ!」


 何食わぬ顔で当たり前のように答える水城だか、おかしいと思うのは俺だけだろうか?

 お祭りの醍醐味が既に終わってしまっているのだけど。


「え、何で先に?」


 てか、この子は何時に来てたの? 絶対に俺が先に来て待ってるとか無理だよね?


「いやー、だって先輩って人混み苦手じゃないですか?」

「……まぁ」


 でも今回はちゃんと人ゴミの中で死ぬ覚悟を決めてきたんだよ?


「だからあたしの為に先輩の体調を悪くさせててしまうのは悪いかなぁと思いまして」

「……」

「あれ、もしかして、余計なお世話……でした?」


 俺の真顔の表情をみて、あまり喜ばれていないのを悟ったのか顔に困惑の表情を見せる。


「いや、そんなことをないぞ。寧ろ助かった、ありがとな」


 そんな顔を見るとそう言わざるを得なかった。


「なんだ、よかった」


 ふぅ。と声に出して息を吐く水城を見て俺も胸を撫で下ろす。

 いつの間にか水城への対応が激甘になっている気がするのは俺の気のせいだろうか。いや、自覚症状ありだから気のせいではないな。


「で、水城。俺達はこれから何するんだ?」


 水城が飲食物を買ってくれたのはいいとして、それが終わってしまうとぶっちゃけ何もやることがない。


「先輩、あそこに行ってみませんか?」

「ん?」


 水城が指差した方を垣間見るとその直線上には高台があった。


「えー、でも、あそここそ人が集まりそうじゃないか?」


 あの高台はこの地域では有名な景勝スポットで、あの高台から見る夜景は中々綺麗らしい。

 よって自然と人は集まる。

 しかも今日は祭りのラストに花火が上がる。だから絶対に人が多いはずだ。


「大丈夫ですよ! この時間帯に行けば余裕で場所取れますって!」

「そういう問題なの⁉」

「そうですよ! その為に色々と買ってきたんですから!」


 なるほど。水城が早めに色々買ってきたのはこの為だったのか。

 あれ? 最初、俺が人ごみが苦手だからって理由じゃなかったっけ?


「それじゃ先輩、行きますよ!」

「へいへい」


 まあ、今日は水城にとことん付き合ってやるって決めてたからな。頑張るのよ恭介っ! 

 そんな鼓舞と共に俺達は高台へと向かう。


 ☆ ☆ ☆


 高台に到着すると以外にも人は疎らで、俺達は併設してあったベンチに腰掛ける。


「先輩何か食べますか?」

「あーそうだな。とりあえずたこ焼きかな?」

「了解です! はいどうぞ!」

「おー、さんきゅ」


 到着するや否や、水城が買い込んでくれていた食べ物を受け取る。作られてからまだそんなに時間が経っていないのかまだ仄かに熱を感じる。


「そういや水城、これ全部でいくらだった? 払うよ」

「え、いいですよ。これはあたしが勝手に買ってきただけですから」

「いや、そういう訳にはいかないだろ」


 たこ焼きだってもう食べちゃってるわけだし。それに女の子に並ばせて買わせておいて払わないというのは男が廃る。


「……じゃあ、お言葉に甘えて半分頂きますね。流石に全額は今月の先輩のお小遣い的に厳しくなるでしょうから」

「ありがとうございます!」


 やはり俺は格好つけようとしても格好がつかないらしい。てか何で水城は俺のお小遣い事情を知ってるわけ?

 そんな俺の気など知らずに、水城もたこ焼きを美味しそうに頬張る。


「それにしても色々ありましたよね。先輩と知り合ってから今日までの間に」

「……どうしたの急に?」


 唐突に水城は惜しむような事を話し出す。


「いえ、思い返してたら急に懐かしくなっちゃって!」


 そんな水城は天を仰ぎながらそう応える。


「……別に懐かしむほど時間は経ってないだろ?」


 水城と初めて知り合ってからまだ3ヶ月程。アニメでいうならワンクールが終わったくらいだ。懐かしむにはまだ早すぎる。


「まぁ、そうですけど。いいじゃないですか、浸っても! 全く、先輩は一々細かいですねぇ。そんなんじゃ女の子に嫌われちゃいますよ!」


 膨れっ面でいじけた様に言葉を放つ水城。全く、そんな簡単に機嫌を悪くするなっての。


「大丈夫だ。俺、女の子と全然関わりないし」

「今、先輩の隣にいるのもその女の子の一人なのですが」

「あ、そうだったな」

「ひっどーい! 先輩なんかもう嫌いです!」

「悪かったよ。冗談だって」

「帰りにかき氷奢ってくれるなら許します」

「……お前の機嫌を直すのは簡単だな」

「え、じゃあもっと面倒くさいことしてもいいんですか?」

「ごめんなさい嘘です」


 痴話喧嘩とも取れる会話を交わした俺達は何故か最後に互いの顔を見合って微笑む。だけどそんなほんわかとした空気が嫌いじゃなくて。


「先輩はあたしと出会えてよかったですか?」

「……あぁ。よかったって思ってるよ」


 だから今回は正直に本音を答えてしまったのかもしれない。


「あたしも先輩と出会えてよかったです!」

「……そうか」

「はいっ!」


 それから何となく俺達は会話を止める。

 そんな俺達の間に流れる静寂を尻目に、花火玉の上昇音と破裂音が引っ切り無しに鳴り響き、すっかり暗くなった夜空を艶やかな大輪で彩る。


 ☆ ☆ ☆


「いやー、花火凄かったったですね!」

「そうだな」


 花火も終わり、高台に来ていた観衆達も徐々に帰宅していく中、俺達もその流れに乗り、帰宅へと向かっていた。


「先輩、もうここで大丈夫です」

「いや、家まで送っていくよ。危ないし」

「その先輩らしからぬ発言は嬉しい限りですけど、もう家の近くなので気持ちだけ貰っときますね!」

「……そうか。なら、またな気ぃつけて帰れよ」

「はいっ!」


 挨拶を済ませ、踵を返して自宅の方角へ一歩踏み出すと、


「先輩、今日はありがとうございましたっ! これであたし……思い残すことなく旅立てます!」

「は?」


 背後から掛けられた意味深な水城の一言に、俺はもう一度踵を返す。

振り返ると、今にも泣き出しそうな水城が歪な笑顔を湛えて佇んでいた。


「どういうこと?」


 旅立つ?

 何処に?


「先輩には黙ってたんですけど……あたし、明日引っ越すんです」

「明日……冗談だろ?」


 いくらなんでも急すぎるだろ。

 俺の聞き間違いでないかと疑ってしまう。

 いや、間違いであってくれと、そう願う。


「それが残念なことに冗談じゃないんです。親の転勤で。それであたしも付いて行く事に」


 だけど現実は残酷で。


「……転校ってことか?」


 嘘だと願ってみたものの。


「……はい。実は結構前から決まってたんですけど、言い出すのが怖くて。すみません」


 返ってきた言葉は謝罪で。


「だから今日は先輩との思い出が欲しくて……最後に忘れられない思い出ができました! ほんとにありがとうございます!」


 告げられた言葉はお礼で。


「ほんとは先輩と疎遠になった時に、そのままいつの間にか居なくなっちゃうっていうシナリオだったんですけど、やっぱり世の中、そう、上手くいきませんよね」


 現実を叩きつけられる。


「だって……あんな事言われたら……」


 だけどやっぱりそんな現実は受け入れられなくて。


「先輩にあんな嬉しい事言われちゃったら……」


 これは夢だと自己暗示をかけてみるも。  


「もう少しだけ……もう少しだけ、先輩の傍に居たいて思っちって」

「……」


 愛想笑いを浮かべた水城の目の端から留処なく流れる涙が全てを語っていた。


「ほんとはあたしだってもっと先輩の近くに居たいです。離れたくないです。だけどっ……だけどあたしは……あたし達はまだ子供だからっ。何も出来ないからっ」


 そして痛感してしまう。


「だから仕方ないじゃないですか」


 自分の無力さに。


「だから先輩……」


 どうすることも出来ない現実に。


「さよならですっ!」


 何を怨めばいいのか分からない現状に。

 涙が自然と零れ落ちた。



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