妹とデート
「……きて」
「……ん?」
「起きてよっ!」
「……ん?」
朝、誰かが俺の事を何処か遠くの方から呼んでいた。
「起きてよあにぃ!」
「ん、んー」
「もぉ朝だよ!」
「んー、もうちょい寝させてくれよ」
重い瞼を擦りながら少しだけ垣間見ると、ノイズがかった多色の世界にぼんやりと水晶体を通して誰かが映っているのがわかった。
「ったく、起きろっつーの!」
「ったたたたぁ!」
右頬に突発的な電気にも似た痛みが流れ、夢見心地で居たビスカッチャのような癒し系の俺を無慈悲な誰かが痛みで現実世界に捻り戻す。
「ってーよ麗! おまっ、何しちゃってくれてんの⁉ お兄ちゃんの頬っぺた千切ろうとしてんの⁉」
痛みで跳ね起きると、俺のベッドにチョコンと何食わぬ顔で麗が腰かけていた。
余りに驚いた所為でバセドウ病でもない俺の目が飛び出しそうだというのにこの子は何故にこうも平然と座っていられるのだろうか?
てかマジで痛い。何してくれちゃってってるのこの子は。
俺の右頬に何か付いていたのだろうか? 瘤かな? 瘤が付いてたのかな?
でもごめんね、麗ちゃん。誰も瘤をとってくれなんて頼んでないの。というか俺の頬には瘤なんてついてないの。それただの頬なの。
それとも俺の顔面って瘤に見えるくらい浮腫んじゃってます? 腫れちゃってます⁉ あっ、腫れてるのは今、麗ちゃんに思いっきし抓られたからでした。なんだ、なんだ~なら大丈夫じゃーん! ガハハ! ……この怨み、いつの日か晴らしてやる。
「はー? あにぃは何を誇張したこと言ってんの? 普通に起こしただけじゃん。全力で抓っただけじゃん」
「全力⁉ 今、全力って言った⁉」
何しちゃってんのこの妹ちゃん。
何で起こすだけで全力で抓っちゃうわけ? 誰得だよそれ。あっ、麗得なのか、なるほどなるほど……ってざけんじゃねーよ⁉ そんな全力誰も期待してねーよ! 期待してるのはおはようのキッスだけだーよ! 俺は何言っちゃってんだーよ⁉
「はぁ、うるさいな。朝っぱらからよくそんなテンション上げられるよね。マジで怖いんですけど」
俺の朝にして異常なテンションについてこれないのか麗は嘆息を漏らして怪訝な表情を見せる。
如何にも俺が悪いみたいな雰囲気を麗ちゃんは出してますけど俺がこうなっているのは貴方の所為なのですがね。そこのところをこの子はちゃんと分かっているのだろうか? まぁ、分かってないんだろうけど。
「それよりあにぃ起きたなら早く着替えて。いくよっ」
「え、何処に?」
「映画館! 今、丁度見たい映画がやってるんだよね~。これは行くしかないでしょっ!」
「いや、行かねーよ。てか今何時だよ。まだ朝だろ?」
時刻を確認するとまだ朝の九時過ぎ。
普段の休日なら机一杯に並べられたケーキを幸せ顔で永遠に食べる夢でもみている時間帯だ。
甘いものを永遠に食べられるなんて考えただけでも幸せな気分になれる。
けれども今日は誰かさんにそんな幸せな夢を見る前に現実に捻り戻された。
てかなーんでこの子は俺の許可なしに俺の部屋に入ってきちゃうかなぁ。ここって俺の部屋で合ってたよね? そうだよね?
「朝だからいいんじゃん! それにこないだ麗に一日付き合ってくれるって約束したでしょ? だからほらっ、早く着替えてっ!」
折角の休日だというのに麗は俺を急かす。
そう言えば先日そんな約束をしまったのだった。
はぁ、いやだなぁ。休日はしっかりと休むものなはずなのに……。
見ると麗は既に私服に着替えて出掛ける気満々だった。
「それに拒否権ってのは……?」
「ないに決まってるでしょっ!」
淡い期待を込めて訊いてみるものの、満面の笑みを湛えて麗は俺の意見をぶった斬る。
「ですよねー」
俺は渋々出掛ける準備を整えるのであった。
☆ ☆ ☆
「高校生二枚で」
「畏まりました。入場は十分前からになりますので十分前になりましたら入場口から入場券を持ってお入りください」
「どうも」
まだ朝という事もあってか館内の込み具合は疎らですんなりとチケットを購入することが出来た。
「麗、この見たかった映画って何なの?」
「あーこれ? なんか友達が見に行ったらしいんだけどね滅茶苦茶泣けて滅茶苦茶キュンキュンするらしいの。だからどうしても見たくて!」
「……恋愛ものってことか?」
「そう!」
映画がそんなに楽しみなのか麗は鼻歌を奏でながら声高にそう答える。
普段俺に対して不機嫌そうな顔しか見せてこない麗がこんなにも嬉々とした表情を見せてくれるなんて、偶には一緒に出掛けてみるものだ。
でもね麗ちゃん。僕思うの。わざわざ外出してまでその感動って味わないといけないの? レンタルじゃ駄目だったの? そこまで待てなかったの? なんで俺を休日に外出させちゃうの⁉ なーんで俺は来ちゃったのかなぁ。はぁ。
「で、時間までどうする麗?」
本音は置いておくとして、入場時間までにまだ三十分ほどの待ち時間があった。
こういう時友達と来ていたらぺちゃくちゃ喋り倒して三十分なんかあっという間なのだろうけど、残念なことに俺には友達なんかいないし、まして今日一緒に来ているのは家族であり、妹であって。お前好きな人とかいないの? なんて恋愛話で盛り上がれる間柄でもない俺たちの三十分間はだいぶ長い。
俺にコミュニケーション能力があればまた何か違うのかもしれないが残念な事に俺には三十分間この場を持たせるようなトークの技量があるわけでもないし、ほんとに困ったものだ。
「そーだね。暇だし隣のゲーセンにでも行って時間潰す?」
「……そうするか」
麗の気の利いた提案に胸を撫で下ろし、内心、刑務所から東京スカイツリーの展望台へと瞬間移動できた心持で俺は麗と共にゲーセンへと向かう。
「あにぃ、あのぬいぐるみ欲しい!」
「あー、どれだ?」
ゲーセンに入って早々、麗はお気に召したぬいぐるみがあったのか、俺のシャツの袖口をクイッと引っ張り、1つのUFOキャッチャーの景品を指さしていた。
見ると、やる気のない眠たそうな目をした独眼竜のくまがじっとこちらを見詰めていた。
「か、可愛い……」
「……そ、そうか?」
カワイさよりブサイクさが先行してそうな、もっと他に可愛いぬいぐるみ何ていっぱいあるだろうと思わせる微妙な可愛さのくまだが麗ちゃんったらほんとにこの子がいいのでしょうか? お兄ちゃんったら妹のセンスというものをだいぶ疑ってしまっているのですが。というかだいぶ引いちゃっているのですが。
「麗、ほんとにこいつがいいのか?」
「うん! だって可愛いじゃん」
「そ、そうか。うん。ならいいんだけど。うん」
麗がそこまでいうものだから逆に俺がおかしいだけなのかと思い、近くで確認して見るもののやはり可愛いかは疑問の独眼竜クマだ。
というか独眼竜である必要あるのかこのクマ。誰に片目を切られたのだろうか。せめて三日月の兜とか鎧とかつけててほしいものだ。いや、正宗は切られてないけどね。あいつは病気だから。
それとも、もしかしてこのクマちゃんは中二病のクマなのかしら? 何それ面白いクマね。その眼帯の下には邪気眼が控えているのかしら? 何それ、俄然このクマちゃんを取りたくなってきたのですが?
そんなこんなで俺もこのクマに興味を抱けてきたところでチャリンと五百円玉を機械に投入する。
「あにぃ絶対にとってよね!」
「おう、任しとけ!」
麗からの今までに類をみない俺への期待に応えるべく、俺はガチでこのクマやろうをゲットする。
そう、このクマはただのぬいぐるみではない。妹からの好感度を左右するギャンブルアイテムなのだ。
ここでもしこのぬいぐるみが取れれば、お兄ちゃんに対する尊敬の念は一気に高まり今後の家庭内での扱われ方も大分変って来るかもしれない。しかし、もしもここでこの中二病クマちゃんが取れなければお役御免のさよならバイバイな感じで家庭内暴力、DVがはじまっても決しておかしくない。いやもう既に始まっていたかもしれない。プロレス技とか普通に掛けれれるし。全国のお兄ちゃんは妹にそんな要素なんか求めて無いのに一体うちの妹はどうしたのだろうか? 何故こんなにも強いのかしら? レスリングの日本代表でもめざしているのかしら? ごめんなさい、お兄ちゃんはスパークリング相手ではないのだけれど。
「よしやってみるか」
アームを縦と横に移動するボタンを駆使して独眼竜クマ公のところまで持っていく。
クマ公の体型はドラえもんもビックリの二頭身で、構造上頭の方が重そうなので頭の方をアームの方で持ち上げれば落ちてくれそうだ。
「よしっ!」
自分でイメージした完璧な位置にアームを持っていく事ができ、っべー、これはやっちまったわ~。ワンキルしちゃったわ~。これは麗ちゃんも俺のことリスペクトしちゃうでしょ~と何処に隠れていたのか俺の中の今時高校生が出て来てしまうくらいに俺は自信満々でアームがクマ公を落とすのを待つ。
「おっ、あにぃこれいったんじゃない!」
「だといいな」
口先では自信なんて微塵も感じさせなかった俺だが、俺の中では既にクマ公は落ちている。
あーあ。二百円無駄にさせちゃったなぁ。なんて考えていると、アームがクマ公の頭を掴む。
「おおっ!」
そんな様子を麗はガラスに両手をつき、目の前にガラスがあることが分かっていないのか顔を限界まで近づけて目をキラキラと輝かせながら歓声を上げる。燥いでるなぁこの子。
そんな麗を微笑ましく眺めていると、あっという間にのどぎまぎする数秒間のアーム制止も終わり、徐々にアームが上昇する。
しかし、アームが上昇するにつれておかしなことが起こる。
「……どーなってんのこれ?」
俺が位置を見誤ってしまったのか何故かアームだけが上昇していく。
いや、原因は絶対にそれだけではない。
「アーム力よっえーーーー!」
クマ公がピクリとも動かなかった。
おいおい。冗談だろ? どんだけ店側は景品取らせたくないんだよ! これってそんなに高価な代物なの? 単価いくらなんですか? 千円くらいじゃないの? 違うの?
「もー何やってんのあにぃ。全然ダメじゃん」
そんなゲーセン裏事情を知ってしまったところで、期待していたのもあってか、てんでだめな俺に麗は肩を落として呆れながら話す。
いや違うんだって。このアームがおかしいんだって。人間でいったらこれ握力1だよ? 終わってるでしょ? 一体握力1で何を持てるのかしら? 誰か僕に教えてみて。
「いや、まじでこれ難しいから! 麗も一回やってみろよ」
「えー、麗こういうの得意じゃないんだけどなぁ」
「まぁ、まぁ、一回だけでいいからさ」
「えー、うーん。なら一回だけ」
嫌々ながらもそう言って麗は縦と横の二つのボタンを操作しだす。相当クマ公が欲しいのねこの子。
まぁでも、これで麗も知ることになるだろう。この攻略不可能な無理ゲーの極みともいえるゲーセン側のの必死さを――
「あ、取れた」
「うそーん」
まさかの麗さんはいとも簡単に無理ゲーを攻略してしまった。
あれれ~、おっかしーなー。どういうこと? アーム力は変ってないよね? もしかしてこの子攻略組なの? と、俺の中で最高に頭のいかれたオートトーク(SAO)が開催されたところで俺の矜持がズタズタになっていることをご理解していただければと思う。
「あはっ! やっぱりチョー可愛い! うわーモフモフだぁ~」
クマ公が取れた事がよほど嬉しいのか周りの目も気にしないで燥ぐ麗。
高がぬいぐるみ一つなのに、こんなにも麗が燥ぐ奴だったなんて知らなかった。
……今度から麗の機嫌を損ねたらぬいぐるみで手を打つことにしよう。
「あにぃ記念に写真撮って!」
「へいへい」
麗からスマホを手渡された俺はクマ公を抱いて愛でる様に笑う麗を写真に収める。
「ほい、撮ったぞ」
「さんきゅーあにぃ」
返したスマホの画面に映る写真をまじまじと麗は眺めると次に俺の顔をジーっと見詰めてくる。
「な、なに?」
もしかして写真がブレちゃってたりしただろうか? それとも俺の顔に何かついてます? ハンバーグとかかな? 何それ、もしかして俺って竹に覇気を纏わせられちゃったりするの⁉
「……あにぃちょっとこっちきて」
「お、おう」
麗に真顔でそう催促されると怖くて逆らえないのは俺の悪い癖だ。
兄貴ならここはガツンと「はぁ? なんで俺がそんな面倒くさいことしないといけないの? お前が来いよ」くらい言えたらいいのだろうけど、残念な事に俺はそんな事言えない。
なぜならプロレス技が待ってるからねっ! ほんと妹ってこわいよねっ!
そんな感じで恐怖に支配された俺は麗の指示に従い麗の隣に立つ。
「よっと!」
「ふぇ?」
俺が隣りに並んだ瞬間、麗は俺に体重を預け、腕を掲げてカシャっと一枚写真を撮る。
「ププッ、なにこのあにぃのあほ面! チョーうけるんだけどっ!」
「なっ、それはお前が急に近づくから……ってそれより俺にも見せろよ」
目の端に涙を溜めて腹を抱えて笑う麗さん。
なに、俺の顔ってそんなにおもしろいの? ちょっと、自分だけ見て笑うだけじゃなくて俺にも見せてほしいんですけどぉ~、速攻で消してやるからっ!
「それはむり。だってあにぃに携帯渡したら絶対写真消されるし」
「くっ、バレてたか」
「当たり前じゃん。何年妹やってると思ってんの」
「ぐぬぅ」
なぜこんなにも麗は俺の行動パターンを熟知しているのだろうか?
俺は麗の事はさっぱりだ。俺も同じ年数麗のお兄ちゃんをやっているはずなのに。
「それに思い出にいいでしょっ?」
微笑しながら語尾を上げて麗はそう話す。
「それなら別に撮り直しても」
「あにぃは分かってないなぁ、撮りなおしたら意味ないじゃん」
「何で?」
駄目な理由が俺にはさっぱり分からなかった。
「んー、なんか素な感じが味っぽくていいでしょ?」
「おっさんかよっ!」
答えは至ってシンプル。正解は麗がおっさんだからでしたぁ!
そんな麗の唐突なおっさん発言に自然と笑みが零れる。
「むっ、おっさんじゃないし! おっさんはあにぃでしょ!」
「へいへいそうですねっ」
「……なんか馬鹿にされてる感がして無性にムカつく」
口を尖がらせてブーブーとブー太郎のように文句を垂れる麗。
「俺が麗をバカになんかするわけないだろ?」
「……そう? ならいいけど」
「おう」
機嫌取りに適当なことを言ってみたが、よかった。あっさり麗は信じてくれたようだ。
ほんとは馬鹿にしてましたけどね。ブヒッ。
「それよりあにぃ、まだ時間あるし次はホッケーやろう!」
「やだよ」
「いいじゃんやろうよぉ~」
「……ああ、わかったよ」
妹に腕を抱きつかれて駄々を捏ねられたらもう俺は従うしかない。なぜならそのまま腕を後ろに持っていかれるから。腕が捥げちゃうからっ!
ほんとは汗掻きそうだからやりたくないんですけどね。
「おー、やったー! 負けた方がポップコーンLサイズ驕りね!」
「それ絶対俺が奢る羽目になるからいやだ」
最近はやったことなどないが、昔やった時にはコテンパにされたのを鮮明に覚えている俺はそんな賭けに易々と乗ったりしない。
「奢りたくなかったら勝てばいいんだよ勝てば!」
「勝てねーから言ってんだよ!」
「大丈夫少しは手加減してあげるからさっ!」
「……ほんとだろうな?」
「ほんとほんと!」
んー。それならちょっとだけ。
「ちゃんと手加減しろよ」
「ふふっ! いいね、そうでなくっちゃ!」
そんなにもホッケーがしたかったのか麗はきらびやかな無垢の笑顔を俺に振り撒く。
全く、そんな笑顔見せられたら断れねーじゃねーかよ。
何だかんだで俺は妹に振り回されるのが好きなのかもしれない。
だが、そんな快気な感情を抱いていたのも束の間。
麗ちゃんはホッケーで俺の事をボコボコにしちゃってくれた。
手加減するって言ったのに……麗の奴め。
そんな俺は文句を垂れながらもちゃんとLサイズのポップコーンを奢ってやった。
「あにぃありがとっ!」
語尾を上げたお礼の言葉にキラキラとした無垢な笑顔を添えて、麗は真っ直ぐ俺にそう伝えてくる。そんな言葉を受け取った俺は。
「べ、別に」
目線をそらしてそう答えるしかなかった。
相変わらず俺は妹に激甘らしい。
☆ ☆ ☆
「うっ、うっ」
「……」
「うっ、うっ」
「……あにぃいつまで泣いてんの、流石に引くんですけど」
「だぁ、だうぁって~」
上映が終わり、館内も明るくなったというのに俺の目からは感情が形として溢れ、ポロポロと流れて止まらなかった。
そんな俺を見てか、麗はげんなりとして嘆息をついていた。
映画に誘ってきたのは麗であったはずなのに、俺の方が完全に楽しんでしまったようだ。
「だってヒロインの子が可哀想じゃん! ずっと一途に相手の事思ってたのに恋が実らないなんて……あのクソ野郎は俺が絶対に殺してやるっ」
「はぁ、創作なんだからそこまで怒る必要ないでしょ。全部演技なんだし」
拳を強く握りしめ、スクリーン越しに殺害予告を言い放ってやると、横に座る麗は俺の憤怒とは裏腹に冷静沈着ななことを言って、激情している俺のボルテージを急激に冷ます。
御陰で少し落ち着いてきたようだ。
「何だよ、麗はヒロインの子可哀想とか思わなかったのかよ」
「まぁ、可哀想だと思ったことは思ったけど。まぁ、あにぃみたいに感情が表に出るほどはなかったかなぁ。てか、あにぃをみて引いちゃったというか、それで麗はシラフになっちゃったというか、急に冷めちゃったっていうかまぁ、そんな感じ」
なるほど、こんな如何にも観客を泣かそうとしている映画を見た後だというのに麗が悟りを開いた人みたくな顔をしているのは俺が上映中横でギャーギャー騒いでいたかららしい。……あれ、俺って麗にだいぶ申し訳ないことしてない?
「……うん、なんかごめんね」
折角楽しみにしていた映画に水を差すような事をしてしまって。だから一応謝っておいた。
「はぁ。別にいいんだけど。……それよりあにぃが映画見て泣く方が意外だったかな。終わった後で絶対つまらなかったとかいちゃもんつけてくると思ってたのに」
へー。麗の中で俺はそんな風に見られていたのか。これは意外だった。もっとヘタレキャラで見られていると思っていたのに。でも残念だったな麗よ。お兄ちゃんはそんなカッコいい人間ではないのだよっ!
「俺だって感動したものを見たら泣くのだろそりゃ」
弁慶だって脛蹴られて泣くんだぞ? 俺が泣かないわけないじゃん。一体麗は俺の事をなんだと思っているのだろうか? 人間でない何かとでも思っているのだろうか?
「ふーん。まぁ、どうでもいいけど早く泣き止んでほしいかな……その……は、恥ずかしいから」
話ながら俺の斜め後ろに麗の目線が向かったかと思うと、急に顔を赤くして、言動がたどたどしくなる。振り返ると通路に近い席だと言う事もあってか出口へと向かうと男女二人のカップルがすれ違い様にこちらをチラりとみてクスリと嘲笑とも朗笑ともとれる笑みを見せて去って行った。
あー、なるほどな。
「悪いな麗。嫌な思いをさせて」
そんなどっちつかずの表情で分かった事と言えば、確実に俺の所為で笑われたって事だろうか。それを見て麗は恥ずかしかったのだろう。
「……別にあにぃが悪いわけじゃないし」
「いやいや、普通に俺の所為でしょ」
「まぁ、そうだけど、麗は別に気にしないし。それに映画館なんだから泣いて駄目ってこともないえわけだし。だからあにぃが気にすることはないよ」
俺の事を気遣ってか少しだけ麗が優しいだとっ⁉
「な、何?」
無言で眺めていたせいか恐る恐る上目遣い気味に問いかけてくる麗。
いや、何って君のちょっぴりの優しさに驚いてるだけなんだけどね。
「……麗ちゃんさっきと言ってる事が少し違くない?」
カップルに笑われた時は顔を赤くして恥ずかしがっていたのに。今はどんどん泣けみたいなことを言ってきちゃって。この子、今し方、俺に早く泣き止めって言ってませんでしたっけ? 気のせいだった?
「な、泣いてもいいけど終わったらさっさと泣き止めってこと! ほら、麗達も早く出るよ!」
「お、おう」
席から勢いよく立ち上がった麗に催促されて俺も席を立ち、出口を目指す。
「……叶わない恋か」
「ん? 麗何か言ったか?」
後ろを歩く麗に何かぼそりと言われた気がした。
「ん? 別に何も」
「……そうか」
俺の気のせいだったらしい。
ほんと、最近空耳が激しいよな。
どうしよう。ほんんと耳鼻科に行った方がいいかな。
そんな事を思いながら俺達は館内を出る。
☆ ☆ ☆
「お腹減った~」
映画館を出ると俺にLサイズのポップコーンを奢らせておいたにもかかわらず麗は声高に嘆いてきた。
「麗、お前さっきポップコーン食べてただろ。太るぞ」
「大丈夫っ! ポップコーンは別腹だからっ!」
「ポップコーンは別腹ってお前……」
何か食べた後の別腹なら聞いたことはあったが、先に別腹で何かを胃袋に入れてるやつなんて初めて知った。僕思ったんですけどそれは別腹とは言わないんじゃないですかね? それは只の間食とかじゃないの? 違うの?
「まぁ、まぁ、いいじゃん。それより麗丁度行ってみたかったお店がこの辺にあるんだ。だから行ってみようよ!」
「うぇー?」
思わず心の声が口から漏れる。えー? じゃなくてうぇー? だからね。これはだいぶお疲れな状態だ。「俺ってばもう帰りたいってばよ!」と心の何処かに居座っていた多重影分身使いもそう言っている。ほんと今日はもう充分頑張ったよね? 自分で言うのもなんだけど結構頑張ったと思っているのですがそれは自己満ですか?
今日は朝からゲーセンに映画と半日だけで俺が1週間に掻く冷や汗の量を掻いたと思うのですが。これからあと六日間俺は一体どうしたらいいんですかね? どこから冷や汗を掻けばいいんですか? もう背中からはきっとでませんよ。背中も偶には休ませてあげないとね。となると次は足の裏なのかな? 足の裏から掻けばいいんですかね? いや、それは冷や汗とかではなっくてただ蒸れてるだけでした。
「うぇーじゃないし。あにぃこの前麗に〝一日付き合ってくれる〟って言ってたじゃん。あれは嘘だったわけ?」
「ぐ、ぐにゅう」
その事を持ち出されるとばつが悪い。確かに俺は先日麗とそんな約束をしてしまったのだ。きっと麗には一日付き合うのが筋なのだろう。でもね、僕はその過程には少しだけおかしな部分があると思うの。
「いや、でも俺からはそんな事一言も言って無いからね? 麗が勝手に――」
「それじゃ行こうかあにぃ!」
「俺の意志は完全無視なのっ⁉」
「レッツゴー!」
「イッツノー!」
そんなこんなで1度は拒んでみるも、半強制的に連れられて俺と麗は次の場所へと向かう。
――カランカラン。
「いらっしゃいませー! 二名様でよろしいでしょうか? ではこちらの席へどうぞ!」
結局麗のペースに流されてとある喫茶店の扉を開くと、古風な喫茶店特有の効果音をが奏でられ、杉の木を几帳とした昭和の趣を感じさせる木造の内装からテキパキとした店員さんが俺達を見晴らしのいい窓側の席に案内してくれた。
「へー。意外だな麗がこんな店を知ってるなんて」
「まぁ、麗も大人だからね。こういうところにも偶にはくるんだよ」
「そうなのか」
「うん」
天井にはシーリングファンがゆっくりと、それでも止めどなく回り、店内からは大きくも小さくもない耳当たりに優しい適音でレコードから奏でられるジャズが心を癒し、疎らに居座るお客達さえもがこの喫茶店を彩る必需要素のように感じられた。
「静かで落ち着く。いい場所だな」
「でしょ」
俺の満足げな表情を確認すると特に何の感情もなさそうに麗はぼそっと小さく呟く。きっと麗からしたら俺の感想なんてどうでもいいんだろうけどな。
でも一つだけ、麗の口の端が何故上がっていたのかは俺にはわからなかった。
「じゃ、何か頼もっか。麗はオムライスー! ここのオムライスおいしいんだってさ」
「へーそうなのか? って、ん? なんで受動態なの?」
まるで誰からか聞いたような物言いに突っ込まずにはいられなかった。
「う、うぇ⁉」
そんな俺の突っ込みを予想していなかったのか普段言いそうもない言葉を発して麗は狼狽する。うぇって何んだよ。ゲロでも吐きそうなのかなこの子。
「何、どうしたの麗?」
「べ、別にっ! それよりあにぃは何頼むわけ?」
「あーそうだな。なら俺はこのカフェラテにしようかな」
メニュー表を一目すると俺は適当に甘そうなコーヒーを頼む。
特に腹が減ってるわけでもないしな。
「なら注文よろしくー」
「へいへい」
全く人使いの荒い妹だ。
「んー! うまぁ~! 卵がとろけるぅ~」
注文したオムライスを頬張ると麗はほっぺを押さえて幸せ顔で歓喜の声を上げる。
「そんなうまいのか?」
そんな麗の表情を見ていると俺も同じものを頼んでおけばよかったと自分を苛む。
「うん、今までに食べた事無ないくらいおいしい!」
「……そうか」
そう言って無垢な笑顔を見せる麗の笑顔は見慣れていない所為か眩しく見える。そうかそうか、美味しいのか。美味しいのね。そうなんだ、今まで食べた事ないほど美味しいのか。へーそうなんだぁ。そうなのかぁ。
「……あのさ、あにぃ。あんまり凝視しないでほしいんだけど。食べづらくて仕方がないから」
「えっ、そんな俺見ちゃってた?」
「うん、めっちゃ。キモイくらいめっちゃ」
「うん……なんかごめん」
あまりにも欲していたせいか、いつの間にか俺は麗の事を凝視していたらしい。いや、俺も食べたいとか一口欲しいとか全然そういう事じゃないんだからねっ!
「……何、欲しいの?」
「べ、別にっ!」
図星を突かれた俺は狼狽しながらプイッとそっぽを向く。
きっと今の俺はそこらのツンデレヒロインも顔負けのツンデレっぷりを実の妹に披露してしまったのだとやってから気づいてしまった。なにそれ、超気まずいんですけどっ⁉
「はぁ。素直に欲しいって言えば一口くらいあげるのに」
「べ、別に欲しくないっていってるだろっ!」
ほんとはめちゃくちゃ一口ほしいけど。なんか口の奥から異常なまでに唾液が出てきちゃうし。飲み込んでも飲み込んでも全然出てくるし、何これほんと怖いわぁ。
「ふーん。そーなんだぁ。なら麗が全部たべちゃおー」
そう俺に告げると麗は一口オムライスを頬張る度に「ん~!」とか「やばぁー!」とか態とっらしい反応を一々してくる。
「麗止めろよそのわざとっらしい反応。気になるだろ」
「えー、なんでぇ? 別にあにぃが気にすることないでしょ。麗は素直な感想を言ってるだけなんだからさぁ」
「まぁ、そうだけどさ……」
そうだけれども、もっと俺に気を使った表現方法を使えっての。
めっちゃ気になっちゃうじゃん。頭の中がオムライスでいっぱいになるじゃん! はぁー、もう美味しそうに食べちゃって。何なのそのとろけるような黄金色の卵に食欲をそそるケチャップで彩られたライスの絶妙なバランスは! はっ!? いつの間にかオムライスの事を考えちゃってる⁉
「はぁ、しょうがないなぁ」
オムライスを凝視していたことがバレていたのか麗は一つ嘆息をつくとオムライスを切るようにスプーンを縦にして差し込み、綺麗にスプーンの容量分だけ掬うとじっと俺の事を見詰めてくる。えっ、もしかして麗ちゃん! それを俺にっ⁉
麗のご慈悲でスプーンが俺の口元に運ばれてくるのを生唾を飲んで待ってみるも、オムライスを乗せたスプーンは俺が待つ方向とは真逆に進んでいき、そのまま麗の口の中へと消えていく。
一口くれんのかーい!
期待して待っていた俺が馬鹿だった。
その後も俺の元にオムライスが届けられることはなく、段々とオムライスの面積は小さくなっていった。やっぱり俺もオムライス頼んでおくべきだったなぁと後悔の念に駆り立てられていると、
「はぁ、もうお腹いっぱい!」
と、唐突に麗はスプーンを置く。
見るとお皿にはまだ3分の2ほどのオムライスが残されていた。
「やっぱり、さっきポップコーン食べたからかな。もう入らないや。……あにぃ、悪いんだけど残り食べてくれない?」
「えっ⁉ いいのっ⁉」
寝耳に水とはよくいったもので、諦めていた俺の元に幸運が廻ってきた。
「さすがに残すのはお店の人に申し訳ないしね。だからいいよ」
そう言って麗はお皿を俺の方に差し出してくる。
もしかして俺ってば今日正座占いで一位だったりしちゃったのかな? こんな幸運が舞い降りてくるなんて、映画館で麗にポップコーン奢っておいてよかった!
「そ、そうか。それなら仕方ないな。残したら勿体ないしな、うん」
あくまで俺は嫌々感を全面に醸し出して麗の食べ残したオムライスに仕方なく、そして恐る恐る手をつける。
「っんはっ! えっ、何この旨さっ⁉」
麗の言っていた通り、今まで食べたことのない未知の旨さだった。これってほんとにオムライスなの?
「ねっ! 美味しいでしょ?」
そんな俺の反応をみてか麗はしてやったりな顔をして嬉しそうに問いかけてくる。
「これは病み付きになるな」
「でしょっ!」
「ああ」
そう呟くと俺は更にもう一口頬張る。やはり何度食べても飽きない美味しさだ。
食べる度に自然と目尻が下がり表情が緩む。そんな俺を見てか麗の表情は満足気に見えた。
「調べてきてよかった」
「ん? 麗、今何か言ったか?」
「……別に何も?」
無我夢中でオムライスを頬張っていると麗に何か言われた気がして麗の方を見向くも、平然とした表情でそんなことを言われる。
「……そうか」
またしても気のせいだったようだ。それにしてもほんとに旨いなここのオムライス。何か特別な卵ても使っているのだろうか? ん~とろけるぅ~!
「また来ようね……あにぃ」
☆ ☆ ☆
「お~! 夕日綺麗~」
「あぁ、そうね、ほんと……ふぇ~」
喫茶店を出た後、まだ帰るにも早いしカラオケでも行こっかーという麗さんからの鬼の提案で俺達は二時間ほどカラオケボックスという名の監房に入り、その後何故か西日で赤く染まった海を見に来ていた。
……早くお家に帰りたい。
そんな俺の気など知らない麗は夕焼けをバックにサンダルを脱いで、寄せては返す波と戯れていた。元気だなこいつ。
「あにぃ、今日はどうだった?」
「ん? 何が」
大事なところを省略した麗からの問いに、俺は質問の意味を理解できずに問い返す。そんな俺の返しを聞いてか麗は一つ大きなため息を漏らした。
「妹とのデートはどうだったかって聞いてんのっ!」
「あー、なるほどなぁ……ってドファッ⁉」
ようやく麗の謂わんとすることが理解できた刹那、おかしなことに海水が宙を舞って俺へと降りかかる。
「何すんだよ麗!」
麗によって蹴りあげられた海水が俺の元に降ってきたらしい。
お蔭で避けきれなかった幾分かの海水に服を少し濡されてしまった。
「あはは! 気持ちいいでしょ! あにぃも入りなよ!」
「嫌だよ」
この子は海水に入るのに「風呂入ってきなよ」的なノリで言うのだろうか。入るのはいいけど上がったあとどうするんだよ。外だぞ? 周り砂だぞ? 足に纏わり付いてくるぞ? また海水に入るぞ? それの無限ループだぞ?
「あにぃ、ノリわる~」
「俺はノリの為に海水に入ったりしないんだよ」
俺は芸人でも何でもないしな。
てか、芸人さんもノリで熱湯風呂とかじゃなくて仕事でやってるだけだからな。そう、仕事でな。……ん?、待てよ? ということは俺もお兄ちゃんという仕事としてここは割りきって海水に入らなければならないのだろうか? えっ、何それお兄ちゃんって大変!
「……まぁいいや。それより今日はどうだった?」
そんなお兄ちゃんとしての仕事を全うするか否か葛藤していると、真面目なトーンでそう訊ねられた。相変わらず足を海水につけてはいるものの、さっきまでのキヤッキヤッ、ウフフのほんわかした雰囲気はどこかへと過ぎ去り、俺と麗を真剣身を帯びた空気が覆う。
「どうって言われてもな」
そんな空気に呑まれてか、俺も真剣に答えないといけない気がしてそんな言葉で取り繕う。
「……やっぱり無意味で、退屈で、迷惑だった?」
何かを恐がっているように麗の声音は少しだけ震えていた。
見ると胸の辺りの衣服をシワがよるほど頑なにギュッと握りしめていた。
「いや、そんなことはないぞ」
だから俺は麗を安心させてるようにそう答える。
「ほんと?」
「ああ」
今日一日を思い返してみても、確かに色々連れ回されて疲れはしたが普段とは違った麗の表情を見れた気がして俺はとても満足だったし、色んな経験もできたし、麗のネガティブ発言とは真逆の感情でいっぱいだった。
だから俺は素直にこう答える。
「普通に楽しかったぞ」
「えっ?」
一瞬驚いたような表情を麗は見せるも、次の瞬間には安堵したかのような表情を見せ、「……そっか」と口元に弧を描く。
頑なに握りしめていた手はいつのまにか解かれていた。
ねっ、お兄ちゃんって凄いでしょ?
「それじゃあさ、一つ、麗からあにぃに提案があるんだけど聞いてくれる?」
「……提案?」
一瞬和らいだ空気が和らいだと感じたのも束の間。次の瞬間には場に新たな緊張感が芽吹いていた。
「……別にいいんじゃないかな?」
「……ん?」
簡素化された言葉の所為で麗の謂わんとしていることが全く分からなかった。
俺なりに頑張って理解しようと試みたものの、全然駄目だ。
「あにぃの相談。あの女の人と喧嘩して疎遠になってどうすればいいか分からないって言ってたけどさ……別にいいんじゃないかな。そんな無理にどうこうしようとしなくても」
「……」
砂浜に繰り返し、繰り返し、規則性を持って波打つ音が心なしか先程より大きく聞こえる。
「今まで通りでいいじゃん。麗がいればいいじゃん。麗ならあにぃが何が好きで何が嫌いなのか分かってるし、何だって分かってあげられる。それに麗ならあにぃに悲しそうな顔なんかさせない。ラノベ書くのに何か必要なら麗が協力する。一緒に買い物だって、遊園地だって動物園だって、あにぃが行きたいって言ったとこなら何処にだって付いて行ってあげる。あにぃが優しくして欲しいって言うなら頑張って優しくだってする。勉強はまだまだあにぃに教えられるほどできないけどっ……でもっ、麗、頑張るからさ。麗、あにぃの為に頑張るからさ……。だから。だからさ……もうそんなに悩まなくてもいいんじゃないかな?」
「……」
夕日を浴びて全身を綺麗な朱色に包まれた麗の表情は逆光の所為かよく読み取れなかった。それでもその言葉からは覚悟、信念、自信、羞恥、不安、そして罪悪感などと色々な思いがブレンドされて吐き出された、そんな言葉のような気がした。俺には勿体なくてありがた過ぎる言葉だった。
「それでどうかな? だからこれでもう終わりにしない?」
終わりに?
何をだろうか?
水城との関係を終わりにということだろうか?
確かに朝、麗が俺の事を優しく起こしてくれる毎日を想像すると、悪くない日々なのかもしれない。むしろ滅茶苦茶嬉しい。朝、妹に起こされるのは全世界のお兄ちゃんの悲願だからな。
でもな……。
でも、違うんだよ麗。
そうじゃないんだよ。
そういう事じゃないんだよ。
それじゃ駄目なんだ、きっと。
「麗……俺は別に小説のために水城と仲直りがしたいわけじゃないんだ」
「……じゃあ何でなの?」
そう言われると胸がモヤモヤして言葉に詰まってしまう。
物書きなのにこれといった語彙が出てこないのは情けないところだ。
でも、それでも……そんな俺でも確実に言えることは――そう。
「……楽しかったんだ」
「……」
水城とバカみたいに過ごした仕様もない日々が。
図書室で無闇矢鱈に駄弁ったり、一緒に出掛けたり、勉強会したり。
俺の高校生活で経験したことのない楽しい日々で、居心地がよくて。
だから……だからさ。
「大事な奴なんだよ。俺にとってあいつは」
「……」
俺のぼっち生活に突如割り込んできて、荒らして、巻き込んでそして去って行った。元の何の面白味のないぼっち生活に戻っただけなはずなのに、何故かモヤモヤして、ムカムカして。確実に昔とは何かが違っていた。
そんな違和感に気づいてしまったから俺はもう昔の俺には戻れそうにもない。
「だから手放したくないんだ……きっと俺は」
言ってから気付いたが、俺にとって水城はそれほど大事な存在になっていたらしい。
「……そっか」
そんな俺の言葉を聞いてか、麗は少し間を取り、何かを悟った様にゆっくり呟く。
「負けちゃったか……」
「ん?」
ボソッと呟かれた麗の言葉は俺の耳まで届かずに落下していった。
そんな麗はふぅーと、何かを覚悟したかのように大きく息を吐いて、
「あにぃが今言った事……そのままの気持ちを伝えればきっとその人も分かってくれると思う」
と、今度は俺にもしっかり届く声音で話す。
「いや、そのままはちょっとな……」
『お前の事が大事なんだっ!』なんて、そんな気恥ずかしい事を俺が言える訳がない。
麗ちゃんは俺のことを誰だと思ってるのだろうか? 貴方のお兄ちゃんだよ。ちゃんと分かって! お兄ちゃんそんな恥ずかしい事できないからっ!
「はぁ、あにぃってほんと素直じゃないよね」
呆れたように嘆息をつく麗。
そんな簡単に素直になれたら俺だってもっと友達いるっての。あっ、先ず友達とか一人もいなかったわ。
「まぁ、仕様がないか。あにぃだし」
おい、そこは諦めるなよ妹よ。悟空だってフリーザに全然勝てなかったのにナメック星でいきなりスーパーサイヤ人になっちゃうんだから人生何が起きるか分からないだろう?
詰まる所、俺も唐突にただのボッチからスーパーボッチに――って……ごめん、麗ぁ、やっぱり諦めていいや。
「まぁ、あにぃなりのやり方でいいんじゃない」
「……俺のやり方か」
「うん」
一つだけ俺のやり方というやつがないわけでもない。
でも、それが上手くなんて保証はどこにもないし、ぶっちゃけうまくいかなかった時の事を考えると不安しかない。
だから、今は誰かに少しだけ背中を押して欲しい気分だ。
「麗。お前は俺を応援してくれるか?」
「はぁ? なに言ってんのあにぃ」
やっぱりそうだよな。そんな都合のいい事ってのはないよな。
麗からしたら俺が誰とどうなろうと別にどうでもいいに決まって――
「そんなの当たり前じゃん。麗はあにぃの妹なんだからさっ」
「!」
「だから……頑張りなよ、バカにぃ」
「……ああ」
自然と顔が綻びた。相変わらず口は悪い妹だが今日の、今の辛辣な言葉からは沢山の勇気を貰えた気がした。
……やっぱりバカは余計だな。まぁ、でも――
「ありがとうな麗」
自然とその言葉が口から零れる。
「別に。それよりあにぃそろそろ帰ろっか。もう陽も落ちちゃうし」
「そうだな」
空を見ると大部分が暗い藍色に染まり、沈みかけの太陽が最後の力を振り絞って、上から青紫、紫、赤紫、朱色、と美しいグラデーションを描いていた。
「あっ、あにぃ、麗足汚したくないからコンクリートに出るまでおんぶしてっ」
「いや、それをしようとするとおれが海水に浸かって靴が濡れちゃうんですけど……」
「いや、靴とかすぐ乾くからいいじゃん」
「いや、それならお前が後で足洗えよ」
「あにぃ~、早く~」
唐突に忙しなく駄々を捏ね始める麗。もうこうなると面倒くさい。はぁー、仕方ねぇな。
「落ちるなよ」
「うんっ!」
何故か嬉しそうな声音を上げる麗を背負うと麗の体がびっくりするくらい軽くて。
びっくりするくらい出っ張りがなくて。
「お前ちゃんと食ってんのか?」
「あにぃと同じものを毎日食べてるんだけどねぇ~。太らない体質なのかな? こんな体質に生んでくれたお母さんに感謝だねっ!」
「……そうか?」
その体質の代わり大事な部分へも栄養が行きわっていないようですが。いいんですかねほんとに。まぁ、そんな話は終わりにして。一つ俺は麗に訊ねたいことがあった。
「麗ぁ」
「んー? なに? おっ、いつもより空がちかーい!」
いつもより頭一つ分くらいしか高くなってないはずなのに、この子は高がおんぶで何を燥いでいるのかしら?
……全く、可愛いんだからっ。
「お前さ、もしかして今日俺と出掛けたのってこれの為だったりする?」
「んー? これって?」
「だからあれだよ。俺に何で水城と仲直りしたいのか分からせる為っていうか……その為?」
「……さぁ? 偶々じゃない?」
「……そうか」
偶々か……。
それ以上訊くのは野暮な気がして俺は口籠る。
「それよりあにぃ、このままおんぶでゴーホームだよっ!」
「はぁ⁉ 嫌だよ、汗掻いちゃうだろ」
「それくらいいいじゃん! あにぃは麗に返すべき恩があると思うんだけどな~」
「偶々じゃなかったのかよ……」
「偶々だよっ」
「なら、おんぶをする理由が俺にはないのですが?」
「ふーん。いいんだ? 別に麗はこのまま十字固めに持っていってもいいんだよ?」
「よし、陽が沈み切る前に帰るかっ!」
「フフッ! レッツゴー!」
「れっ、れっちゅぎゃおー」
結局俺は暴力という名の強迫によって家までおんぶせざるおえなかった。
相変わらず俺の妹は人使いが荒いらしい。
ほんとに最悪で最低で最凶で。でも……。
「ありがとうな麗」
「……明日は空から槍が降るかもね」
相変わらず妹は、素直でないようだ。
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