とあるGWの1日

 ピーンポーン

 GW初日。誰か訪ねてきたのかリビングにインターホンが鳴り響く。


「麗ー、恭介ー。どっちでもいいから出てくれない? 今手が離せないのー」


 洗面所のほうから通った声が廊下を仲介してリビングで寛ぐ俺達の耳へと届いた。


「……だるっ、あにぃ出て来て」

「はぁ? なんで俺が? お前がいけよ」

「あにぃ、話聞いてなかったの? お母さんはあにぃに出てって頼んでたじゃん」

「お前の方がきいてねーだろ! 母さんは〝どっちでもいい〟って言ってたんだが。てか今だるっ、って言ったよね? そうだよね?」


 麗の奴どさくさに紛れて俺を無条件で玄関に向かわせようとしやがって。


「チッ、こいつ聞こえてたか」

「こいつ⁉ 今、もしかしてお兄ちゃんに向かってこいつとか言った⁉ ねぇ!」

「はー、うるさいなぁ。麗は忙しいの。見てわかんないの? はぁ。これだからあにぃは」


 この妹様は何を言っているのだろうか?

 これは俺の見間違いだろうか? それともこいつの頭がおかしいだけだろうか?


「忙しいってお前、雑誌読んでるだけじゃねーかよ」

「なんだ分かってんじゃんあにぃ。そーゆー事だからよろしくー」


 ソファーに寝そべり雑誌をぺりぺりと捲り続ける麗。自分から率先する気は微塵もないらしい。何がそーゆー事だよ。ただ自分が出たくないだけのくせに。せめてここは楽しくおかしく、ワイワイ、ガヤガヤのじゃんけんとかで決めるものだろ?


「麗ちゃんここはじゃんけんで――」

「パー。はい、あにぃ出してないからあにぃの負けね。いってらー」

「……」


 このクソ妹ちゃんめ、いい性格してるじゃないか。

 今夜辺り麗の歯ブラシに辛子でも塗ってやろうかな。マジで。

 まぁ、でも来客の相手をしないわけにもいかないし、というか出ないとお母様に後で死ぬ程怒られるし。はぁ。仕方ねぇ、今回も俺が出るしかないのか。そう思い、腰かけていたソファーから立ち上がる。


「流石あにぃ! ちょーかっこいい! 序でにジュース取ってきてっ!」


 俺に来客の相手をさせるだけでは飽き足らず、ジュースの足にまでさせるとはこいつ俺の事マジで舐めている。甘い声でお願いすればおお兄ちゃんが言う事を利いてくれるとでも思っているのだろうが現実はそう甘くないという事をそろそろ麗に教えてやらねばならないようだ。現実社会の厳しさというものを思い知るがいい!


「来客の相手が終わったらな」


 ……違った。


 先ず変わらなければならないのは麗ではなく、妹に激甘の俺の方だった。もしかしたら麗がこんなに我儘になってしまったのは俺が原因なのかもしれない。やべっ、反省しないと。そんな自分に猛省していると、


「…………ありがと」

「ん? 何か言ったか麗?」


 リビングから廊下へと通ずるドアの取ってを握ったところで、麗から何か言われた気がした。


「んー、別になにも言ってないけど?」


 顧みてみると相変わらず麗は雑誌に夢中だった。


「……そうか」


 俺の気のせいだったようだ。


「どちら様で……」


 気だるげに扉を開けて来訪者を確認すると、見覚えのある人物が立っていた。


「来ちゃいました先輩っ!」


 ニット帽を被り、大きめのパーカーにホットパンツ姿の可憐な少女の姿がそこにはあった。水城美波。最近俺に良く絡んでくる人物である。


「ごめん。そんな軽いノリで気軽にお宅訪問されても困るんだけど。何、うちをファストフード店だとでも思っているの? ごめんだけどやってないから。冷やし中華始めてないから!」

「先輩、それはファーストフード店とは言わないんじゃ……」

「わ、態とだよ。てか何しに来たの? まじで何しにきたの?」

「まぁまぁ、堅い事はいいじゃないですか。それより忘れちゃったんですか? この前、パンケーキ食べに行った時にGW中に一緒に勉強しようって約束したじゃないですか。忘れちゃったんですか?」

「あー、そういえばそうだったな」


 先日、美味しいパンケーキの店があるからと学校帰りに水城と二人で寄った後、帰り際にそんな約束をしてたんだっけ。あれってその場のノリというか冗談だと思っていたがそういうのではなくてガチの奴だったらしい。勉強だから近くの図書館かファミレスでやるといったところだろうか。マジか。今から何処かに出掛けるとか面倒くさいんですけど。


「そうです! だからあたしは律儀に今ここに居るんですよ~。あたし偉くないですか? 褒めて下さいよ先輩っ!」


 何がそんなに楽しいのか陽気に微笑む水城。

 まるで何かを待っているかのように目を輝かせていた。


「ごめん、何を褒めればいいのか分かんないんだけど? アポを取らずに勝手に俺んちに来ちゃった事を褒めればいいの?」

「違いますよ! あたしが律儀って所をですよ!」

「あー、そうかもね」


 それは律儀の意味を大分はき違えてないかとも思ったが否定して水城に突っかかられるのも面倒くさかったので同意することにした。


「むぅ。何ですかその適当な感じ~」


 あれ、おかしい。同調したのに突っかかって来られた。

 まぁ、それはいつもの事だが、今日はいつもとは違って何だか少し、しゅんとしていた。

 心なしか水城の瞳がどんよりと曇ったように見える。何か悪い事でも言ってしまったのだろうか。


「わ、悪かったよ水城」


 何が悪かったのか分からないが、俺が原因で水城を落ち込ませてしまったようでなんだか気が引けて気持ち悪いので取り敢えず謝っておいた。


「ほんとに悪いと思ってます?」

「お、おう」


 理由が分からないので何が悪いのか全く分からないが、瞳を潤ばせ、小動物を彷彿とさせる水城の可愛さに思わず二つ返事をしてしまった。


「なら……あたしのお願い聞いてくれますか?」

「お、おう」


 上目遣いで態とやっていると分かっているのに、俺はその可愛さに心奪われ、今なら何をお願いされても全力でやってしまいそうな気分にさせられる。


「なら先輩の家に上がってもいいですか?」

「おう、全然いいぞ! ってはぁ⁉」

「ありがとうございます! じゃあ早速上がっちゃいますね! お邪魔しまーす!」

「ちょい待て待て待てーい」


 着ているパーカーのフードを引っ張り、家の中に入ろうとする水城を慌てて制止させる。


「ぐふぇっ! ちょっ、先輩何するんですか⁉」


 思いのほか引っ張り過ぎてしまったようだ。


「あー、悪い悪い。てか勝手に上がろうとするなよ。バレたらどうするんだよ」

「バレるって誰にですか?」

「母さんと妹にだ」

「へ?」


 こちとら今後の人生が掛かっているのだ。ここは慎重にいかねばならない。

 リビングには麗が洗面所には母さんが風呂洗いでもしているはずだ。この二人にバレずにどう二階にある俺の部屋に水城を連れていくか、今回はかなり困難なミッションになりそうだ。あ、部屋には上げるんだ。


「先輩、それってバレちゃいけないものなんですか?」

「当たり前だろ? 何言ってんだ水城、お前は馬鹿か?」

「ば、ばかっ⁉」


 この子は何も分かっていないようだが、もしも俺が女の子を家に連れてきた事がバレたらどんな恐ろしい事になるか考えただけでも悍ましい。

 先ず、母さんに「何あの子、恭介の彼女なの? ねぇどうなのよ!」と弄られ、次いで麗に「あにぃ、どんな薬物をあの人に飲ませたの⁉ あたし無理だから! 犯罪者の妹なんて無理だから!」と罵られる日々が優に一ヶ月は続いてしまうだろう。そんなウザったい日々は絶対に嫌だ。だからこれは絶対にバレてはいけない。それなのに何を考えているのか水城は声高で叫ぶ。


「バカ、声がでけーよ! もっと小声で話せって!」


 マジで俺の為に。


「~~~~~~」


 反射的に水城の口を手で覆い、首を動かして敵の動きを探る。

 心拍数を上げながら聞き耳を立て、状況を確認するとどうやらバレてはいないよだ。


「ふぅ~」


 吐息をつき、胸を撫で下ろして正面に返ると、顔を赤くした水城が体躯をもじもじと捩らせ、まつ毛を濡らしながら伏し目がちに俺の事を見据えていた。

 傍目から見たら俺が可憐な女の子を壁際まで追いやり、片手で口を覆って迫っている様にしか見えないだろう。やばい、これは誰かに見られたら速攻で警察沙汰だ。


「わっ、悪い」


 慌てて手を外し数歩後退し、謝って済む問題かは分からないが自分の非礼な行いに謝罪する。


「だっ、大丈夫です。気に、しないで下さい」

「そ、そうか」


 顔を熟れたトマトのように赤くし、流し目で俺の事を覗く水城は全然大丈夫には見えなかったが彼女がそう言うのだからそういう事にしておこう。俺は何もしてない。何も。

 それよりも今は、現状打破の方が最優先事項だ。早く俺の自室へ急がなくては。でないと麗達に水城を連れ込んだ事がバレて大変面倒くさいことになる。


「水城ここからは一気に行くぞ! 俺がリビングのドアの前に立って目隠し代わりになるからお前はそのまま階段を駆け上がって右手の部屋に入れ! あ、あと靴は持っていけよ!」    

「りょ、了解です!」


 緊張しているのか少し水城の声音は震えているようだった。しかし表情は嬉々としていては何処か楽し気に見えた。


「何でそんな楽しそうなわけ?」


 俺なんか今にも心臓が高鳴り過ぎて限界突破しそうなのに。


「すみません。なんだか隠れ鬼してるみたいで楽しくて!」

「いや、隠れ鬼は外でしろよ」

「ふふふっ! まぁ、いいじゃないですか、それより早く隠れないと捕まっちゃいますよ!」

「やべっ、そうだったな。それじゃ行くか」

「はいっ!」


 そこから一気に俺は水城の手を引き、階段を一気に駆けあがって行った。


 ☆ ☆ ☆ ☆


「いやー、楽しかったですね先輩!」


興奮気味に語る彼女は本当に楽しかったのか子供の様に燥いでいた。


「どこががだよ。はらはらしかしなかったわ」

「そーゆードキドキ感がいいんじゃないですかぁ! 愛を求めて全てを捨て去り、当てもなく何処までも逃げる二人みたいでキュンキュンします!」

「お、おう」


 流石は水城美波。高が階段上ってきただけなのに、そこまで想像力を膨らませられるこいつに心底感服してしまった。

 そんな俺の気など知る由もなく、水城は物珍しそうに俺の部屋を物色している。


「ところで先輩」

「ん、なんだ?」

「えっと……その……」


 何を狼狽しているのか頬を朱色に染め、手先で横髪を耳に掛けながら身体を捩る。

 何だろうか。何か大事なことでもあるのだろうか?


「そろそろ……手……離してもらってもいいですか?」

「えっ、あっ、わっわわわ悪い!」


 気がつかなかったがいつの間にか水城の手を握っていたらしい。

 これは大変失礼なことをしてしまった。俺は慌てて3スベスベ水城の手を撫でて離した。

 えっ、嘘でしょ⁉ 女の子の手ってこんなにスベスベしてるの? っべー、あと5スベスベくらいしとけばよかったわ。


「い、いえ。いいんです。事故みたいなものでしたし。先輩がどさくさ紛れに3スベスベしてきたことなんてあたしはきにしてませんから……」

「マジですんませんした!」


 速攻で土下座しておいた。てか、3スベスベって何?


「土下座なんて止めて下さいよ先輩。ほんと大丈夫ですから。ほんと気になんてミジンコ並みにしてませんから……ほんとに」


 絶対嘘だ。だって三回もほんとにって言ってたもん。しかも半目で。


「ふふっ。冗談ですよ先輩! ちょっと揶揄っただけです! なんならもう一回繋いでくれてもいいんですよ?」

「ふ、ふぇ?」


 本気なのか冗談なのか、蠱惑的に笑みながらそう答える水城は気のせいか、満更でもなさそうだった。


「ふむふむ、それよりこれが噂の先輩の部屋ですかぁ」


 俺がまだ水城の手を握ろうか握らないか一考している間にいつの間にか話題は俺の部屋へと移っていたらしい。

 そしてごめん。多分誰も俺の部屋の噂なんかしないと思うのですが。

 そんな雑念の中、俺は不図思った。いや、気づいてしまった。


「なんで俺はお前を部屋に上げちゃたんだろうな」


 麗達に本当にバレちゃいけないのなら俺の部屋ではなくファミレスや図書室に連れていけばよかったものを。慌てていてそこら辺の事をよく考えていなかった。俺はバカなのだろうか。


「まぁ、まぁ、堅いことはいいじゃないですか先輩。それより早く勉強会しましょうよ! あたしジュースとお菓子持って来たんですよ!」


 肩から下げたトートーバックの中から1.5リットルの炭酸飲料とポテチやじゃがりこなどを取り出す。

 勉強道具よりも先にお菓子とジュースと出してくるあたり、水城らしいといえば水城らしいが俺は気づいてしまった。最初から水城は俺の部屋で勉強しようとしていた事に。

 ほんと何しにきたのこの子。お菓子パーティーでもしにきたの?


「お前、勉強する気あるのか」

「ありますよー、ちゃんと勉強道具も持って来ましたし!」


 流石にお菓子パーティーだけをしにきたわけではないようだ。

 それを証拠に、何を誇っているのか水城は胸を張って自慢するかのように勉強道具を俺に見せびらかしてくる。


「勉強しにきてるんだから当たり前だけどな」


 実際勉強しょうという気には見えないが。


「はぁ、全く先輩はあたし心を全く理解してませんね。はぁ」

「二回もため息つかれた⁉」


 何故俺はこんなにも呆れらたのだろうか? 訳が分からない。


「まぁ、いいです。それより先輩早く勉強しましょうよ!」


 そう言いながら水城はポテチの袋を開封して卓上に広げる。言ってることとやってる事が一致しないと思ってるのは俺だけなのだろうか。早く勉強しましょうと聞こえたのは空耳だったのかな?そうだ、空耳という事にしておこう。


「あ、先輩すみません。コップは流石に持ってきていないのでお借りしてもよろしいでしょうか」


 ポテチを食べて喉が渇いたのか水城は飲料を注ぐためにコップを要求してきた。この子絶対勉強する気なんてないな。


「ちょっと待っててくれ、下から取って来る」

「すみません、ありがとうございます!」


 これは意外だった。こういう時は素直にお礼とか言える奴なんだななんて水城の新たな一面を見れた気がして頬が緩む。


「先輩何ニヤけてるんですか? キモイですよ」


 前言撤回。俺の感心を返して。

 やはり水城は水城らしい。

 そう思いつつ、胸にモヤっとしたものを抱えながら半目で俺は自室を出る。


 ☆ ☆ ☆


「あにぃ誰だった?」


 リビングに入ると相変わらず雑誌に夢中な麗がどうでもよさそうに訊ねてきた。


「う、うぇと……あれだよ。なんか保険の勧誘みたいな人。ほんとしつこくて困っちゃったよははは」

「……ふーん。っそ。あにいお茶お願い」

「お、おう」


 悪い事をしている時の気分というのはこういう気持ちなのだろうか。無駄に心拍数を上げて自ら寿命を縮めているとしか思えない。


「ほらよっ」

「……」


 お礼の一つくらい言われるかと期待して麦茶の注がれたコップを手渡してみるものの、何故か麗は麦茶の水面を只々眺めていた。


「ど、どうしたの麗?」


 何か怒らせるような事をしてしまったのかと不安になる。


「……あにぃ麗になんか隠してるでしょ」

「う、うぇ? な、なんで?」


 予想だにしていなかった麗からの問いに心臓が跳ね上がる。


「いつもは一回拒否る癖に、たまに麗のお願いを素直に聞いてくれた時はいつも決まって何か隠してるし。なに隠してるわけ?」


 流石は俺の妹ちゃん。俺の事は何でもお見通しらしい。


「べ、別に何も隠してなんかねーよ。ほんと」


 ほんと、隠してはいない。只、俺の部屋には今見せたくない状況があるだけだ。


「……ほんと?」


 疑っているのか麗は半目で俺の事を凝視して訊ねてくる。


「ほ、ほんと」


 嘘はついていない。

 別に隠してるわけではないし、できれば隠したいとは思っているが人間だから隠せるものではないし、というか隠したら犯罪になってしまうので隠したくても隠せない。という事で俺は何も隠していない。

 そう自分を無理矢理正当化させて真っ直ぐ応えてみたはものの、麗の目力がすごすぎてつい目線を逸らしてしまった。


「あ、逸らした。やっぱりなんか隠してんじゃん」

「いや、今のはお前の目力のせい――」

「はぁ?」

「にゃ、にゃんでもないです!」


 やはり麗の目は怖い。


「まぁいいやどうせそのうちわかるし」

「お、おう」


 いや、これはまじでバレたらでやばいのですが。乗りきれるかな今日。


「じゃ俺上行ってるから」

「っそ」

「……うん」


 今日も麗は俺に素っ気ないらしい。

 まぁ妹の兄への接し方なんて何処でもこんなものだよな。別に優しくしてほしいとかお兄ちゃん好き好きビームを出してほしいとかそういう事ではないがそういうのも少しは憧れるもので。そんなことを思いながら俺はドアの取っ手に手を掛ける。


「……お茶ありがと」

「ん? 何か言ったか麗?」


 小声で麗は何か呟いたようだがよく聞き取れなかった。


「別に何も」


 振り返ってみると麗は再度雑誌に夢中だった。


「そうか」


 最近空耳が激しい。

 これは近々病院に行った方がいいかもな。

 そんな事を考えながら俺はリビングをから出た。


「……あにぃのばか」


 ☆ ☆ ☆


「コップ持って来たぞっ……って何してんの水城」


 コップを手に持って自室に戻ると俺のベッドに腹這いで枕に顔を埋めている水城の姿が見えた。何してんのこの人。


「ふぇ⁉ あっ、にゃ、にゃにもしてませんから! 単に堪能してただけっ――って違う! 違う! う、嘘ですから! 今のは嘘ですからっ! ほんとまだ何もしてませんから!」


 俺の声に慌てて飛び起き、目を泳がせて噛み噛みで答える水城。

 まだって、この子俺のベッドで何する気だったのだろうか。お菓子を食べた手で枕や布団を無造作にベタベタと触りまくろうとでも考えていたのだろうか。それに堪能って? 詳しくは怖いから聞かないでおこう。


「そうか。それよりほんとに勉強会するわけ?」

「当たり前じゃないですかぁ! 何の為に今日先輩の家にきたと思ってるんですかぁ」


 話ながらお菓子が広げられた折り畳み式のテーブルの前に座ると、水城もぴょんとベッドから降りてきて俺の正面に座り直してそう応える。

 確かに翌々考えてみると家で、しかも二人でできる事といったら俺の低能では勉強かゲームくらいのものしか考えつかない。でも、まぁ水城はあんまりゲームとかやらなさそうだし消去法で家でする事ってのは勉強に限られてくる。

 という事はつまり……もしかして今日俺は水城が帰宅するまでずっと勉強しなければならないのだろうか? 何それ俺の頭が滅茶苦茶よくなっちゃうんですけど⁉

 そんなことはさておき、勉強会をするに当たって重要な問題があることを水城はちゃんと理解しているのだろうか?


「勉強会するって言ってるけど先ず俺とお前学年違うのに勉強会ってどうするわけ?」


 そう。学年が違うのだからお勉強会の醍醐味である教え合いっこができないのである。

 普通、お勉強会ってのは男女が仲良く教え合うからキャッキャッ、うふふで楽しくてむかつくものであり、こういうのは真面目に勉強しようという気は更々ないリア充、またはカップルがいちゃつく為だけのイベントである。本気で勉強するなら一人でやる。まじで。

 だから只の先輩・後輩関係である俺達が勉強会をやったとしても絶対に楽しくないイベントということは確実だし、絶対につまらない。それを理解した上で水城さんはこの愚行をやろうとしているのであればまじで勘弁してほしい。


「そりゃもちろんあたしが先輩に教えて貰うに決まってるじゃないですか!」


 まさかのキャッキャッ、うふふのやつを水城さんは期待していたらしい。確かに先輩から勉強を教えて貰うというのに憧れるのも分からなくはない。だけどごめんね。相手はちゃんと選ぼうか。きっと水城がイメージしているような女の子が憧れるイベントには絶対ならないから! だって俺だよ? そしてもう1つ水城が期待しているような勉強会が行えない理由がちゃんとある。


 その理由とは――


「ごめん、俺勉強苦手だから」

「へっ?」


 こうしてこの勉強会が物凄く詰まらないもとのなったところで俺達は自分のペースで勉強するという形になった。


 ☆ ☆ ☆


「もぉ、なーんで先輩は勉強できないんですか? 友達いないのにー」

「おまっ、友達いない奴が全員勉強できると思うなよ! このやろう! グズン」


 小一時間経った所で勉強に飽きてきたのか水城が駄々を捏ねてきた。


「まぁ、先輩ですもんね。しょうがないですよね(笑)」

「ちょっ、おまっ、(笑)はつけるなよ! なんか俺がマジで馬鹿みたいじゃん!」


 後輩にばかにされるとは先輩としての威厳も面子も糞も何もない。もしかして俺は先輩ではなくてゼンパイなのかだろうか。先輩だけに。何それ悲しい。せめてゼンマイとかにしてほしい。


「でも、実際先輩ってばかですよね?」

「ぐ、ぐぬぅ」


 まさか水城にばか呼ばわりされるとは思ってもみなかった。でも悲しいかな実際バカだから反論ができない。

 でも、もうちょっと水城さんにはオブラートに包むとかそういう行為をしてほしいものですね。僕はロボットじゃないんだよ? メンタル芋虫なんだよ?


「じゃあ、先輩っていつも学年でどのくらいの順位なんですか?」


 少しバカにするような笑みを浮かべて俺のバカさを証明しようと水城は俺に問いかけてくる。

 だか残念だったな水城美波。その手に俺は乗らないぜ。


「まん中くらいかな」


 完璧だ。完璧な返答をしてしまった。前でも後ろでもない、まん中。

 こう言ってしまうと「へー、そーなんですね?」と相手はこれ以上話を膨らませられない。この返しには流石の水城もこれ以上深追いできないだろうとにやついていたのも束の間。


「へぇー。で、ほんとはどのくらいなんですか?」


 あれれ~、おかしいなぁ~? なんで嘘ついてる事がバレちゃってるの?

 怪訝な表情で水城を見据えると、口元に弧を描いているのにのに目は全く笑っていないという冷徹な表情を浮かべた水城が佇んでいた。おかしい。寒気がした。


「ま、まんなより後ろかなぁ」

「ほんとはどのくらいなんですか?」


 ま、またバレた⁉ 先程と同じ面持ちで同じことをもう一度言われた。

 おかしい。何故バレたのだろうか。真顔で答えたはずなのに。


「う、後ろのほうかなぁ?」


 仕方がないのでほんとの事を言った。


「……先輩、受験大丈夫なんですか?」

「ぐ、ぐぬぅ」


 まさか後輩から受験の心配をされる日がくるとは思わなかった。

ちゃんと勉強しようかな。まじで面子がない。


「先輩、これは提案なんですけど、あたしが勉強教えてあげましょうか?」

「は?」


 後輩から勉強を教えて貰うだと……な、何だそのイベントは⁉ 少女漫画くらいでしかそんな展開みたことないぞ! 嘘っ! 俺ってもしかして少女漫画でいうヒロインなの⁉ 女の子なの⁉ 問題解けたら頭ポンポン、撫で撫でとかされちゃうの⁉ 何それ立場逆転しちゃってる!?


「教えるも何も水城って人に教えられるくらい頭いいの?」

「へへーん! そうなんです! あたし頭いいんです! 誰かに教えた事はないですけど高校レベルならたぶん大丈夫だと思いますよっ!」


 自信があるのか、膨よかな胸を強調させてドヤ顔で応える水城。声高に話すその実力は如何程なのか試しに今から解くはずだった問題を指差す。


「なら試しに数学のこの問題解いてみ」

「どれですか? あっ、これですかなるほどなるほど~」


 そう呟きながら、俺にはさっぱりの証明問題をものの数十秒でやってのけた。見て呉れからは全く想像できなかったが、鼻高に大口を叩いた事だけはあって水城はかなり頭がいいらしい。


「まじかっすげーな水城! これ高三年で習うやつだぞ!」

「ふっふーん! あたしに掛かればこんなの朝飯前です! 先輩、他に何処か分からないとこありますか? あたし教えますよ!」


 後輩から勉強を教えて貰うなんで先輩としての矜持はもはや皆無だったが、分からない問題に只々教科書を開いて葛藤するよりかは効率がよさそうなのでここは水城の言葉に甘えようと思う。


「よ、よろしくお願いします」

「ふっふーん! 美波先生って呼んでくれていいんですよ!」


 メガネを掛けているわけでもないのにこめかみの側に四本指を立てて上下に動かす水城。別に眼鏡を掛けてれば誰でも先生になれるわけでもないだろうに。というかエア眼鏡だし。


「じゃあ、早速だけどここの問題を頼む」

「まさかのスルーですか⁉ しかも苗字でも呼んでくれないなんて!」


 正面に鎮座していた水城だがスルーされた事が心外だったのか突っかかってきた。そのくらいで何を驚いているのか? 水城スルーなんてたまにしているだろうに。それなのにこの子は目を見開いて馬鹿みたいに驚愕していた。相変わらずリアクションの大きいやつだ。


「わかったから。で、この問題はどうやって解くわけ?」

「むぅ。相変わらず先輩は冷たいですねぇ。それにそんな頼み方じゃ教える気がなくなっちゃいます。もっと可愛らしく頼んでみて下さいよぉ」

「あっ、じゃあいいや」

「えっ……ふぇ⁉ 嘘です! 嘘ですからぁ! ちゃんと教えますからぁ! いえ、教えさえて頂きますからぁ!」

「おう、なら頼む」


 水城の扱いなどチョロいものだ。冷たくすると泣きついてくるからな。俺ってば水城検定三級くらいはとれるんじゃないの? そんな検定何処でとれるかはわからないけれども。


「はいっ!」


 俺の掌の上で弄ばれていることなど知らない水城は俺に向けて満開の笑顔を咲かす。何だか飼い犬に尻尾を振られている気分だ。

 そんな犬城さんの笑顔をみると、別にやましいことはしていないのに何故か心が痛い。


「あのっ、先輩。この位置からじゃ教えにくいので隣に座ってもいいですか?」


 正面に座る水城はこのまま問題を逆さに読んでいく効率の悪さを思ってか、そんな提案をしてくる。


「おー、いいぞ」


 勿論何も断る理由はないので俺は即効で承諾した。

 やる気のない声で返事をした後、左に少しずれて水城が座らるスペースを作ってやる。それをみた水城は嬉しそうにクスッと微笑む。


「どした?」

「いえっ、何でもありません! それじゃ失礼しますね!」

「おう」


 水城が隣にくるのと同時にいつのまにか嗅ぎ慣れてしまった柑橘系の香りも一緒に鼻を通った。その香りを嗅ぐと少しドキっとする。


「ん? どうかしましたか先輩?」


 そんな俺の気持ちを読み取ったのか水城は俺の顔を覗き込んで訊ねてくる。


「えっ、いやっ、別に何も……」


 水城から女の子の香りがしてついドキッとしてしまっただなんて死んでも言えないから最後は言葉に詰まる。


「変な先輩ですね」


 そんなおれの心情を読み取ったのか肘をたてた掌の上に怪訝な顔を乗せて、まるで珍獣か何かを観察するかのように水城は俺の顔をまじまじと見詰めてくる。恥ずかしいからあまり顔は見ないで欲しいのに。何、俺の顔はビックリ箱か何かなの?


「安心していいぞ。俺が変なのはいつものことだから」

「ごめんなさい先輩。今、安心できる要素が全くなかったように聞こえたのはあたしの気のせいですか? 気のせいですよね? そして先輩に自覚というものはあったのですね。はぁ」


 おかしい。事実を言っただけなのに何故かため息をつかれた。何がいけなかったのだろうか? 親指を立ててキメ顔をしなかったからだろうか?


「まぁいいや。それよりこの問題の解き方教えてくれ」


 水城からの評価などよりも今はこの数学の方をさっさと終わらせておきたかった。折角の勉強会なのだし、今は質問とかやり放題だから出来るだけ多くの問題をこなしたい。


「分かりました。先ずこの問題はですね……よいしょっと」


 少し前のめりになり、俺との距離を一気に詰めて彼女は真剣な眼差しで手と口を動かしていく。 その真面目な姿といったら、いつもの水城からは全く想像できないもので、何だか新鮮だった。


「――っぱい……先輩!」

「えっ、おおおおう。どうした?」


 突如水城から呼ばれて思わず狼狽してしまった。


「何ですかその動揺は何ですか? キモいです。それよりどうしたじゃないですよ。ちゃんと聞いてました?」

「えーっと、そーね。うーん……キ、キモッ⁉」


 話を聞いていなかった俺が悪いのは重々承知だがキモいってなんなの? 言う必要あったの? もうこんな生活イヤーーーー。


「なるほど、聞いてませんでしたね」


 俺の心の悶絶など気にも留めないで水城は真顔でこたえる。


「す、すまん」

「全く、あたしが一生懸命説明してる時に先輩は一体何を考えていたんですか? ……卑猥ですね」

「何を考えた! お前は今、俺が何を考えてると思った⁉」


 水城になにか有らぬ妄想をされた気がした。いや、完全にされてた。


「仕方ないですね……えいっ」


 徒でさえ近いというのに水城は俺との距離を更に詰めてきて完全に肩と肩が完全に触れ合った。


「……何してるの水城さん」

「先輩がちゃんと聞いてるかどうか確かめる為です」

「……どういうこと?」


 全く意味が分からなかった。


「安心してください先輩。あたしにも分かりません」

「どういうこと⁉」


 更に意味が分からなかった。医者なら藪医者レベルだ。医師免許持ってないなこいつ。


「つまりあれですよ。あたしが先輩にくっついていることによって先輩はあたしの事だけを意識してくれるというか……」

「はへ?」

「ん? あっ、えっ? ふぇ⁉」


 自分の放った大胆発言に気づいてしまったのか触れ合った部位から急激に上がっていき、上昇した水城の体温が伝わって来る。顔を見るとゆでだこの様に顔が沸騰していた。俺はどう反応してやればいいのだろう。逆にそんな水城の反応を見ていると俺まで恥ずかしくなってくる。


「ち、ちちち違うんです! 今のはそういう意味ではなくて……先輩があたしの事を意識してくれることによってあたしの話をちゃんと聞いてくれるというか……全般はそういう意味で!」

「全般?」

「ぜ、全部です!」 


 もう赤過ぎてこいつ実は風邪ひいてるか酔っぱらっているんじゃないかと疑う程だった。どうしちゃったのこの子はほんと。


「も、もういいです! それより早く勉強しますよ! バカ!」

「ば、ばか⁉」


 なんで俺は罵倒されちゃったわけ?

 確かにバカだけども! 後輩ちゃんから勉強を教えて貰う様なバカ者ですけど!

 俺、水城さんに何か言っちゃったっけ? 何かしちゃったっけ?

 そこからみっちり二時間、俺は水城からの鬼教育を施された。


 ☆ ☆ ☆


「今日はこれくらいにしときますか」

「そうね。そうしてくれると助かるわ……うぅ……って今日は⁉」


 時刻を確認すると時計の針は五時を回っていた。そんな水城の勉強法は顔に似合わずスパルタだった。鬼だ。


「はい! 先輩の学力があまりにも無くて心配なのでこれからは偶に先輩の勉強を見てあげようかと思いまして!」

「それはまさか……家庭教師ってこと?」


 後輩の家庭教師だと……なんだその魅力的なワードは。何だか恭介興奮しちゃう!


「そんな頻繁にはしないですけどね。まぁでも先輩の小説の役にも立ちそうですし、一石二鳥って感じで丁度いい感じです!」

「……」


 そんな興奮を他所に水城の言葉を聞いて段々と考え混んでしまう。


「どしたんですか先輩?」


 水城は心読したのか心配するように俺に優しく訊ねてきた。これは聞いてもいいものなのだろうか。ずっと引っかかっていた事があった。


「なんで水城はさ、俺なんかの為にそこまでしてくれるわけ?」

「それは……」


 ずっと引っかかっていた。

 俺の書いた小説を読んでくれて。感想をくれて。一緒に出掛けてくれて。今日は祝日だったてのにわざわざ俺んちまで来て、勉強を見てくれて。それは全て俺の小説の為だと言う。ぶっちゃけ、何故そんなにも水城が俺に良くしてくれるのか、その理由を俺なりに探してみるのだけどはっきりとした答えは出てこない。だから聞かずにはいられなかった。


「理由は至って簡単です」


 瞼を閉じ、少し間を取って何かを決意したかのように再び目を開けてる水城。

 長いまつ毛が整った水城の顔にはよく映える。


「只、単に先輩が書いた誰かを感動させる小説ってのをあたしも見て見たいからですよ」

「……」

「それがいつの日になるかは分かりませんけどねっ!」


 笑みに少しの皮肉を混ぜていつもの様にそう答える水城。きっとそれが理由なのだろう。しかし何故だろうか。俺はそれだけが理由とは到底思えなかった。


「それだけ?」


 だから訊ねてみるも、


「…………それだけです」


 愛想笑いを浮かべた水城はそれ以上何も答えようとしてくれなかった。


「そうか」


 それ以上俺も聞く気にはなれなかった。


「はい! じゃあ先輩、あたしはそろそろ帰りますね。お邪魔しました!」

「おう、ありがとうな」

「いえいえ、先輩の小説の為ですから!」

「……そうか」


 荷物をまとめて自室のドアヘと向かう水城。

 俺も玄関まで見送ってやろうと腰を持ち上げて水城に続く。


「水城、次来るときはちゃんと連絡を入れてから来いよ」

「分かりました! ちゃんと先輩のお家を訪ねる前に連絡を入れますね!」

「おう、頼む 家族にバレると色々と面倒だからな」


 取っ手に手を掛け、ドアをゆっくりと開けていく水城。


「面倒って例えばどんな感じになるんですか?」

「例えばってそりゃあ――」


 ゆっくりと開いて扉。

 そしてドアの先に立つ人物が段々と垣間見える。

 ドアが徐々に開かれて行くのと同時に血の気が全身から引いて行くのがわかる。


「……あにぃ誰それ」


 ――そう、こんな具合に。


 全身から汗が滲み出てきた。

 今夜は血祭りにされそうだ。

 案の定水城が帰った後、夕食時に母さんと麗からみっちりと拷問された。

 ただ二人で勉強会をしていただけだと言っているのに低能だからか全然俺が話すことを信じてくれない。というか母さんからの「キスはしたの?」攻めと麗からの「うーわ、マジキモッ……」連携コンボはマジで止めて欲しい。

 この話題はいつになったら風化してくれるのだろうか。当分はそんな淡い考えは期待できそうにない。

 はぁ。ほんと後輩なんか家に連れ込むものじゃないな。

 ほんと面倒くさい。


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