靄(もや)

「明日から連休だからって余り羽目を外し過ぎない様に。以上、HRを終わりにします。皆、連休明けはちゃんと学校に来るように!」


  帰りのHR、担任からの挨拶が終わると、教室は一気に喧噪に包まれる。


「ヒャッホー! GW来たー!」

「帰りどこ行く?」

「ボーリング行こうぜ!」

「いいねぇ!」

「あ、今日泊まってもいい?」

「うん、いいよいいよ!」


  明日からはGW。

 いつもならクラスは一気に物寂しくなるのに今日は違う。

 部活生以外の殆どはクラスに残り、明日からの休日に心躍らせ、クラスのあちらこちらで遊びの計画を立てていた。

 そんなクラスの情景を俺は顎に手を当て、机に肘をついて遠目に眺める。


「……青春してんなぁ」


 皆楽しそうに和気あいあいと、何処も彼処も笑顔がクラス中に咲き誇っていた。


「何だよ、ちゃんと高校生しやがって……」


 そんな穏やかな一時に、俺は場違い過ぎた。


「……帰るか」


 鞄を背負い、人知れず誰からも呼び止められることなく、俺は一人教室を後にする。

別に羨ましくなどない。唯……何だろう。

 何故だか少しだけ胸の辺りにもやがかかったかの様な、自分自身でも分からない曖昧な感情が留まって消えてくれない。


「帰って小説書くか」


 ブレザーの衣嚢いのうに諸手を突っ込み、廊下の木目についた次から次へと現れる無数の傷を無心に見詰めながら俺は昇降口を目指す。そんな最中――


「先輩!」


 背後からいつもより少し高めの、それでも誰の声音か分かるくらいに、いつの間にか聴き慣れてしまった女の子の声が聞こえた。


「…………何だ、水城かよ」


「むぅ、何ですかその言いようは~。折角、可愛い女の子が声を掛けるんですから振り向き様に気絶するくらいしてくださいよ先輩」

「色々と突っ込むところがあり過ぎて面倒くさいから一つだけ言うけど、お前流石だな」

「何ですか、先輩は今頃あたしの凄さに気づいちゃったんですか? そうなんです、あたしってば凄いんです!」


 おバカタレントも仰天の水城美波の天真爛漫さにある意味この子は天才かもしれないと危うく勘違いしてしまう所だった。違う、この子は唯、単にバカなだけなんだ。


「先輩黙らないで突っ込んで下さいよ。でないとあたしが滑ってるみたいじゃないですか」

「安心していいぞ水城。みたいじゃなくて、完全に滑ってるから。摩擦ゼロだから」

「なんですかそれ永遠にあたし止まらないじゃないですか⁉ 何処であたしは止まれるんですか⁉」

「知らねーよ⁉」


 突拍子もない水城の問いに思わず声を大にして応えてしまった。

 それよりこの子は一体何をしに来たのだろうか。俺と漫才をしにでも来たのだろうか?

 このまま一緒に文化祭で漫才とかしちゃうのだろうか? 何それどこのラノベ? なんて一人でノリツッコミしちゃうくらいに俺も大分おかしい奴だった。


「で、どしたの?」

「あ、そうでした。先輩これからどうせ暇ですよね?」

「えっ、今、どうせって言った?」

「えっ、先輩に予定あるんですか?」


 小首を傾げて素でキョトンとする水城を見ると一発くらい殴っても許されるんじゃないかと思えてくる。でも、悲しいかな。ほんとに予定がないから何も返す言葉がない。


「くっ、殺せ」

「いや、どういうことですか⁉」


 唐突な俺の発言に水城は驚愕していた。そんな驚きます?


「暇ですけど何か?」

「まさかの逆切れ⁉」


 これまた水城は度を越えたオーバーリアクションで反応して来る。

 あれかな、この子は普通の人より三割増しで驚かないと気が済まない気性なのかな?


「で、用件はなんだよ」


 いつの間にか反れまくってしまっていたが、まだ水城が何故俺に声をかけて来たのか訊いていなかった。


「あ、そうでした! 最近あたし美味しいパンケーキ屋さん見つけたんですよ!」

「…………うん、だから?」

「むぅ、先輩も鈍いですねぇ」

「うん。何で、俺は文句を垂れられてるの?」


 女の子とは難しいものだ。


「はぁ、大丈夫です。先輩に期待したあたしが悪かったんんです」

「何で俺は呆れられちゃってるの⁉」


 女の子とは理不尽なものだ。


「つまりですね先輩っ!」


 唐突にいつもより声高に身を寄せて話してくる水城に思わずたじろいでしまう。

 そんな俺の態度を見てか、水城は口の端を上げてクスリと笑いかけてくる。


「これから一緒に行きませんか?」

「………………今から?」


 上目遣いに透き通った瞳で見詰めてくる水城に見惚れていたのか、言葉を理解するのに時間が掛かった。


「そうです! 行きましょうよ! 先輩暇なんですよね?」

「まぁ、暇だけど……さ……」

「?」


 暇は暇だが何故、俺となのだろうか。そういう所には普通女友達と行くものだろ?

 もしかしてこの子友達がいない悲しい子なのだろうか? あ、俺、人の事言えないわ。やばい、虚しい……。


「友達とは行かなくていいのかよ?」

「……大丈夫です、この前皆で行ったので!」

「……そうなのか」


 そう答えられると言い返す言葉が無い。


「先輩、これは先輩の為でもあるんですよ?」

「俺の為?」

「そうです! 先輩の為です!」


 俺の為……一体何だろうか?

 まさか、これから一人寂しく帰る冴えない男子高校生の日常にに華を添えてやろうという全く、ムカつく魂胆だろうか?

 え、俺ってばそんなに寂しい奴に見えます? 負のオーラ出ちゃってます?

 駄目だ、ネガティブな事を考えるとつい発狂してしまいそうになる。

 ここはポジティブに行こう! うん、そうしようポジティブポジティブ!


「水城……まさかお前……俺の事……」

「はい、そうです! 先輩の小説の為です!」

「だよな、やっぱり俺の小説の為だよな――ってへ?」

「良かったですね先輩! これで女の子とパンケーキを食べに行くシーンが書けますよ!」

「いや、別にそんなシーンとか書かない――」

「じゃ、行きましょうか先輩!」


 俺の返答も聞かずに俺の横を通り抜け、水城はサクサクと歩き始める。

 そんな段々と遠くなる彼女の背中を俺は無言で見詰める。


「ほら、先輩早く!」


 俺が付いてきていないのが分かってか、彼女は踵を返して俺を呼ぶ。仕方ない。


「へいへい、行けばいいんでしょ、行けば」


 呆れながらも自ら水城に振り回されに行く俺はまさかマゾっ気に目覚めてしまったのだろうか。そんなマゾっ気恭介ちゃんは自ら足を動かし、彼女の元へと赴く。


「フフッ、パンケーキ楽しみですね!」

「水城の奢りな」

「先輩ってせこいですね」

「うるせぇ、冗談だよ!」

「フフッ、大丈夫ですよ。分かってますから」

「……そうか」

「あ、もしかして先輩今、照れちゃってます?」

「照れてねーよ!」

「ムキになっちゃって、先輩って分かりやすいですね」

「何か水城に言われるとムカつくな」

「何でですか⁉」

「何ででもだよ」


 そんな他愛の無い話をしながら俺達は店へと向かう。


「……あれ?」

「ん? どうしたんですか先輩?」

「え、いや……大丈夫だ、何でもない」

「何ですかそれ、変な先輩ですね。あ、変なのはいつもの事でしたね!」

「お前だけには言われたくないわ!」


 そんなは甚だしい言い合いのはずなのに何故か俺の口角は上がっていた。


 そして気付く。


 先程まで胸に留まり、不快だったはずの靄はいつの間にか霧散していることに。


「ほんと単純だな」


 俺は微かに呟いた。


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