後輩とデート①

「あれ、あにぃどこ行くの? 今日、日曜だよ?」


 玄関先でスニーカーの靴紐を結んでいると背中から麗に声を掛けられる。


「何だよ、俺は日曜日に家から出ちゃいけないのかよ」


  週末の日曜日。いつもならアニメを見るかラノベを読むか小説を執筆するかのどれかしかしない俺だが、今日は外に出かけなければならない。


「別にそんな事はないけどさ……あにぃが休日に出かけるとか明日は雹でも降るんじゃない?」

「ばか言うな。もう四月末だぞ、雹とか降るわけないだろ、せめて雪にしろよ!」


 桜だって葉桜になっているというのにこの妹は何を言ってるのだろうか。


「いや、雹から雪に変える意味あったのそれ……じゃなくてさ……。まぁいいや、それであにぃはどこ行くわけ?」

「取り敢えず駅に行く」

「取り敢えずって、え、何? 今日何するか決めてないの?」

「いやー、俺もそれしか聞かされてないからなぁ」

「え、何。あにぃ、今日誰かと遊ぶの? てかあにぃに友達とかいたの⁉」

「う、うるせーなぁ。何でもいいだろ! 俺に友達とかいねーよ! それより時間ねーからじゃあな!」

「ちょっ! あにぃ話はまだ――」


 五月蠅い妹を他所にドアを開け外に出る。


「ったく我が妹ながら騒がしい奴だ、俺が何処に行こうと勝手だろうに」


 ブツブツと文句を垂らしながら俺は駅と向かう。


「にしても暑いな、まだ四月だろ? これ夏とかなったらどうなっちゃうの? まだ暑くなるの? 俺死んじゃうんだけど」


 それもそのはずだ。空を仰ぐと雲一つないお出かけ日和で、陽は高々と嘲笑うかの様に容赦なく俺を照り付けている。


「忌々しい太陽め……その業火で俺を焼き尽くそうというのか! クックックッ。我も甘く見られたものだ……。まさかこの程度で我が貴様(太陽)などに屈するとでも思ったか? クックックッ、甘いな我はまだ一分一厘の力も出しておらぬぞ。平伏すがいい、無の境地! 漆黒の闇の前に震撼せよ! 闇・加護(ダークネス・ディバイン)!」


 そう叫ぶと、俺は壁伝いにして駅を目指す。

 そう。唯、建物の影を通りながら駅を目指しているだけである。


「クックックッ。お家帰りたい……」


 普段引きこもっていると何処か出掛けるのも大変なのだ。

 そもそも何故この俺が休日の日曜などに駅を目指しているかというと、話は数日前の昼休みに遡る。


 ☆ ☆ ☆ ☆


「先輩! あたしとデートしてみませんか?」

「……は?」


 この子は唐突に一体何を言っているのだろうか?

 罰ゲームかな? 友達五人くらいでジャンケンして負けた奴が俺とデートするみたいな感じの罰ゲームなのかな?


「先輩、なに鳩が豆鉄砲食らった様な顔してるんですか? 童貞臭いですよ? もしかして女の子と一緒に何処かにお出掛けとか初めてだったりします?」


 蠱惑的に微笑みながら後輩ちゃんは罵声を浴びせてくる。


「童貞の何が悪い! 悪いが俺は守ってるんだ、魔法使い目指してるんだ! そこら辺の本能に任せて性行為に走る馬鹿共と一緒にするんじゃねーよ! グズン」


「なんかカッコいい事言ってるっぽいですけどよく考えたらそれ、唯の負け惜しみですよね? しかも最後泣いてましたよね?」


 何故バレた⁉ この子見た目頭悪そうだからこれで押し切れると思ったのに……まさか、この子頭いいの⁉


「な、泣いてないし。それに別にいいだろっ! あ、そういえばこの前お前もまだ処――」

「わわわあああぁぁぁあああああ~~~~ななな何言っちゃってるんですか先輩!」


 唐突に顔を赤くして狼狽し出す水城。


「え、違うの?」

「いや、あの、その……ああ、もう! 女の子にそんな答え辛い質問しないで下さいよ!」

「わ、悪い」


 顔を赤くして恥じらい、気後れしながら横髪を耳に掛ける水城は可愛いとしか表現出来なかった。何だよ。こんな顔もできるんじゃねーかよ。

 いつもとは違う水城の表情を俺は直視できないでいた。


「「……」」


 し、静かだ。

 いや、ここは図書室なんだからそれが普通だろ、お前は馬鹿か? と言われてしまえばそれまでなのかもしれないが、ここ二、三日は少なくともそうではなかった。

 それもそのはず、今俺の隣に居る水城美波が滅茶苦茶喋るから。なんなのこいつ、ずっと喋ってないと死んじゃう人か何かなの? マグロなの? いやサンマ(明石)かな? と疑っちゃうくらいにこの子は俺に喋りかけてきた。しかし、今日はちがった。

 顔を赤くして俯き、時折、俺を横目で確認してはすぐさま目線を反らす、可憐な女の子がそこには居た。誰だよお前⁉ 笑顔で毒を吐く水城美波は何処へ行った! まさか、こやつ偽物か? そうだ! それしか考えられない! だって水城美波がこんなに可愛いわけないもん! 本物の水城美波は何処だ! 早く出てこい! そして俺を貶してくれ!


「…………な、何か喋って下さいよ……。あたしこういう気まずい空気は嫌いです」

「そ、そんな事いわれてもなあぁ……」


 友達が、というか普段喋る相手すらいない俺にそんな事任せられても困る。普段会話という会話をしてない俺に気の利いた話をしてみろなんて無理難題を出しやがって。あ、やっぱりこの子本物の水城美波だ。だって覇気は無くても言ってる事は無茶苦茶だもの。まさか、これが巷で有名なツンデレというやつなのだろうか? 違いますね。


「は、はやくして下さい」


 目に涙を溜め、上目遣いで語り掛けてくる水城は女の娘だった。


「――っつーーーー」


 こんなのは反則だ。誰だって美人のこんな表情を見れば何かしら思う所はあるだろう。

 だから――


「あ、あのさ、水城……」

「何ですか?」


 いつかは訊こうと思っていた。

 でも訊けずにいたこと。今なら素直に訊ける気がする。


「……お前のスリーサイズって――」

「先輩、セクハラで訴えますよ」


 クソ、駄目だったか! 弱っている今ならもしかしていけると思ったのにっ!


「いや、これはあれだよ。水城がなんかいつもと違うから元気を出させよう的な意味を込めて冗談で言ってみただけなんだからね! べ、べべ別に邪な気持ちなんてこれっぽっちもなかったんだからね⁉」

「先輩。動揺しながらツンデレされてもあたしは困るのですが。あたしはこの後どう反応したらいいのですか? 警察に行けばいいですか?」

「土下座手も靴舐めでも何でもするのでそれだけは止めてください!」

「…………何でも……ですか」


 口に弧を描き、悪童の様な表情を浮かべる水城を見ると何故だか背筋が寒くなった。つい要らぬこと事を口走ってしまったようだ。


「いや~、やっぱり何でもってのはちょっと……」

「え、何ですか? 先輩は出来ない事を軽々しく口にするゴミ野郎だったんですか?」

「グフッ」


 何処から繰り出してきたのか強烈な右ストレートをお見舞いされた気がした。

 この子さっきまでは大人しくて可愛らしかったのに、平常運転に戻ったかと思えばいつもの三割増しの毒を吐きやがって。クソっ、い、いつかぎゃふんと言わせてやるんだから!


「先輩はそんなゴミ野郎じゃないので、あたしのお願いくらい何でも聞いてくれますよね?」

「え、ちょっと待って? お願い事は一度きりの一つだけだよね⁉ まさか二つも三つもお願い事してきたりしないよね⁉」

「え、駄目なんですか?」

「駄目だろ!」


 この子は一体何を考えているのだろうか? バカなの? バカなのかな?

「むぅ。先輩はケチんぼですねぇ」


 水城は頬を膨らませて不満気に駄々を捏ねてきたきた。

 何それ超可愛いんだけど……じゃなかった。何だよケチんぼって……やっぱり可愛い。


「……1つだけだぞ」

「えっ?」

「…………1つだけなら………聞いてやる」


 俺もセクハラをしてしまった手前、謝罪を兼ねてお願い事というか水城の言う事の一つくらい聞いておかなければ罰が当たるというものだ(具体的に警察に捕まる)。


「フフッ、先輩のそういう所! あたし好きですよ!」

「へいへい、そうですかい」


 水城のこうも気恥ずかしい事を躊躇いもなく言えるところには感心してしまう。多分何も考えていないからこそできるこのなのだろうけど。


「何ですか~、その適当な感じ~。先輩はあたしに優しく接しようとかそういう紳士な心は持ち合わせてないんですか?」

「今のところないな」

「むぅ」


 再度頬を膨らませていじける水城。何それ、可愛いからほんと止めて貰えませんかね。


「で、そのお願い事ってのは何なの?」

「あー、そうですねぇ。ならここはやっぱりあたしのお願い事を無限に聞いてくれる――」

「却下」

「えー、先輩何でも聞いてくれるって言ったじゃないですか~」

「上限を上げるのは禁止だ」


 言うかもとは思っていたがまさか本当に言ってくるとは。

 まだまだ俺は水城の事を見縊っていたらしい。


「むぅ、やっぱり先輩ってケチんぼですね」

「ケチで結構だ」


 たく、ケチんぼうって何だよ…………クソ、やっぱり可愛い。


「んーそうですねぇそれじゃやっぱりデートですかね?」

「……それ、さっきも言ってたけどそれ本気で言ってんの?」

「本気の本気ですよ!」


 水城の顔を見て見ると冗談で言っている様には見えなかった。

 俺なんかとデートってこいつバカなのか? それとも、もしかしてこいつ――


「水城…………それってもしかして…………俺の事――」

「はい! 先輩の小説の為です!」

「あー俺の小説の為ね………って、はい?」


 意味が直ぐには理解できなかった。


「先輩の小説読んだんですけど、構成や文章が荒いってのは勿論なんですけど、何というか……特にヒロインと主人公がデートするシーンの情景描写や心理描写が全然入ってこないんですよね。何と言うか現実味に欠けるというか、作者の経験不足が物語っているというか……」

「……」


 水城の言うように俺もそれは薄々感じていた。

 だがそれはどうすることも出来ない。なぜなら――


「多分それって先輩が女の子とのデートもしたことのない童貞さんだからと思うんですけど」


 そういう事です。


「い、いいもん! お、俺にはギャルゲーがあるんだからっ!」

「……先輩のツンデレとか誰得ですか?」

「ごめんなさい」


 キモイ事言ってしまった俺が悪いのだけれど、もう少し言い方ってものがあるんじゃないですかね水城さん?


「ということで先輩! あたしが先輩とデートしてあげます! 安心してください! 別に深い意味ありませんから! 先輩の小説を向上させる為ですから!」


 笑顔でそんな事を言われても何と答えればいいのか分からない。そもそも何故この子は俺の返事も聞かないで勝手に日程決めちゃってるの? 何、この子は俺のスケジュールマネジメント業でもしてたの?


「じゃあ先輩、次の日曜日の13時に駅で待ち合わせですかね」

「いや俺は別に――」

「先輩返事は?」

「いや、だからあの~」

「返事は?」

「……」

「返事は?」

「………はい」

「よろしい!」


 微笑みながらそう発した水城は顔に似合わず強引だった。


 ☆ ☆ ☆


 そして話は戻り、今に至る。


「お家帰りたいよぉ~」


 そんな今日に限って気温は夏日。

 自然まで俺を攻撃してくるとは。これはもうマジで家に帰るしかないのである。


「先輩遅いですよ!」


 あれ、駅はまだのはずなのに暑さに遣られてしまったのだろうか?


「おかしいな水城の声が聞こえる」

「何言ってるんですか先輩。あたしをこの世に居ない誰かとでも勘違いしてるんですか?」

「え?」


 顔を上げると目の前に純白のワンピースを纏った色白の女の子がそこに居た。

 いつの間にか駅に到着していたらしい。だがそれより――


「ん? どうしたんですか先輩? 顔赤いですよ?」

「え、あ、いや、これは、その、な、なんでもない。ちょっと暑さに遣られただけだから、き、気にすんな、うん」


 いつの間にか俺は水城に見惚れていたらしい。可愛いなんてものじゃない。いつもよりワンランク上の可愛さ。え、嘘でしょ? この子、水城美波だよね? 別人とかじゃないよね? 水城美波という素の高さは分かっていたつもりだったが、まだ、こうも余力を残していたとは……女の子とは恐ろしいものだ。


「あ~、確かに今日は四月なのが嘘なくらい暑いですもんね。何ですかね、やっぱり太陽さんも先輩には休日は大人しくしていて欲しいという事ですかね?」


 ははは。そう言えばこの子性格が大分キツキツだったわ。危ない危ない思わず見てくれに騙されて頬染めちゃうところだった。あ、もう頬は染めてた。


「そうだな、なら今日は太陽の為にも俺は家に帰るとするよ」

「ちょっ、冗談ですから! 本気にしないで下さいよ!」


 その言葉を聞いたと同時に、もういつの間にか嗅ぎ慣れた柑橘系の香りが鼻を通り、腕に水城が巻き付いてきた。


「ちょっ、おまっ! い、いきなり何してんの⁉」

「何って、先輩が帰るとか言うから帰れないようにしてるんですよ!」

「だからって腕に絡みつかなくてもいいだろ!」


 あまりに身体を寄せて来るものだから腕に何か柔らかい感触があるし。

 えっ、まじで凄いんですけど?


「じゃあ、先輩、もう帰るとか言いませんか?」

「言わない、言わないから早く離れて!」

「むぅ。そう如何にも嫌々そうに言われると何とも微妙ですが、まぁいいです」


 そう言うと彼女はやっと離れてくれた。ふぅ、危ないところだった。もう少しで俺の息子が――この子はもっと自分の行動にどういう影響があるのか重々考えてから行動してもらいたいものだ。女の子との関わりが妹と液晶越し以外、皆無な俺には刺激が強すぎる。


「それより先輩、デートに遅刻なんて感心できませんね」

「は、何言ってんの? 遅刻してないし、時間ピッタしじゃん!」


 時間を確認してみるものの時間は十三時きっかり。やはり遅刻などしていない。


「……先輩それ本気で言ってるんですか?」

「お、おう」


 ちゃんと時間は守ってるし。特に何か言われる謂れは……。


「はぁ~。マイナス10点ですね」

「今、俺は何故に減点されたの⁉」

「先輩、普通デートって言ったら男の人は女の子より先に来て待ってるものですよ」

「そーゆーものなの?」


 知らなかった。


「そーなんです! もぉ、次から気を付けて下さいね。……30分前に来たあたしが何だかバカみたいじゃないですか」

「え? 今、何か言ったか?」


 今、水城がボソッと何か口にしたようだが声が小さ過ぎて聞き取れなかった。


「にゃ、にゃにもないですはい!」

「何で動揺してんの?」

「ど、動揺なんかしてないです! そ、それより先輩あたしに何か言う事ありませんか?」

「何かって何を?」

「むぅ、それは先輩が自分で考えて下さいよ!」

「そんな事いわれてもなぁ」

 これまた無茶難題を言われたものだ。適当な事を言うとまた辛辣な事言われそうだし……ちゃんと答えるか。


「水城」

「はい!」

「お前、もしかして……ふとっ――」

「先輩、ここで『痴漢がいま~~~~す』って叫んでもいいんですよ!」

「――フットワークとか最近鍛えてたりする?」

「先輩、無理やり感が半端ないですね」


 流石は水城、やはり見透かされていたか。


「にゃ、にゃんの事かな? 俺は最初からフットワークの事が訊きたかったのだけども」

「はぁ。まぁ、先輩の嘘はどうでもいいのですけど」


 また見透かされてる⁉


「それより服装ですよ! 女の子は頑張っておしゃれして来るんですから男の子はそれを褒める義務があるんです!」

 

 そう言う水城はワンピースのスカート部分を両手で握り、扇の様に広げて、どうかとばかりに見せ付けてきた。


「感想言えばいいってことか?」

「はい、まぁ先輩の事ですからどうせまた皮肉な事を――」

「似合ってるんじゃねーの」

「えっ?」


 水城は何をそんなに驚いたのか目を丸くして固まっていた。

 ありゃ~、俺が今使った言語って日本語だったよね? もしかしていつの間にかドイツ語とか使ってっちゃった? あれ、俺っていつの間にそんな天才になっちゃったの?


「いや、だから似合ってるって」

「聞き間違いじゃなかった……」


 水城はまた何かをぼそぼそと呟くと、被っていたストローハットを両手で顔を隠すように深々と被り直す。


「なんだ……やればできるじゃないですか……」


 そんな水城の口角は上がっていた。


「どしたのお前?」

「い、いえ! 何もないです! それより早く行きましょう! 今日は先輩に女の子とのデートというものをレクチャーしてあげますから!」

「まぁ、それなりに期待しとくよ」

「はい!」


 そんな水城の笑顔はギラギラと照り付ける太陽より眩しかった。


「で、結局今日はどこに行くわけ?」

「んー、そうですねぇ……先輩どこ行きたいですか?」

「まさかのノープランかよ⁉」


  あれだけ自信満々に語っていたのに。

 あの自信は一体何だったのだろうか?

 人の事は言えないが駄目だこの子。


「それより先輩~、暑いので取り敢えず建物入りませんか? あたし死にそうです」

「おいおい水城さんよ~」

「な、何ですか?」


  全くこれだから最近の若い者は困る。

 ちょっと暑いくらいでギャーギャー騒いじゃって。

 耐えるという事を知らないのだろうか? ここは先輩がガツンと言ってやらなければ。


「水城少しはさぁ……」


 ミーンミンミンミンミンミン――


「……」


 おかしい。唐突に蝉が鳴き始めた。


「どうしたんですか先輩?」

「す、少しはさ、さぁ――」


 ブォーー


「……」


 おかしい。唐突に熱風が吹いた。


「先輩、なんですか?」

「………………………早く建物に避難するぞ!」


 耐えるのは暑さでなく寒さ限定にすることにした。


「いらっしゃいませ! 何名様でしょうか?」

「二人で」

「二名様ですね! では、空いてるお席へどうぞ!」

「あ、どうも」


 ☆ ☆ ☆ ☆


「あぁ~。涼しぃ~」


 ファミレスの席に着くや否や水城は顔をテーブルの上に伏せると擬人化した犬みたいな事を言ってきた(何、言ってんの俺?)。


「あー、そうだな。取り敢えずドリンクバーとかき氷は絶対だな」

「あ、それいいですね! あたし、それプラスパフェとアイス食べたいです!」

「へいへい、注文するのはいいけどお前それ全部食べ切れるんだろうな?」

「大丈夫ですよ先輩! あたしこう見えて胃袋は大きい方なんですから!」

「そうか、ならいいんだが……」


 小一時間後――


「で、さっきの言葉はなんだったのかな水城さん?」

「せ、先輩あたし、も、もう駄目です……。頭がキンキンしてお腹が一杯過ぎて何だかやばい感じです」

「え、それ吐くとかじゃないよね? 大丈夫だよね⁉」


 この子、あれほど自分で大丈夫だと威勢を張ったくせに、まさかの全品、中途半端に手を付けてフェイドアウトするとは。かき氷なんてちょっと水化しちゃってるし……。

 この子は一度飢えというものを知った方がいいのではないだろうか。

 サンジに蹴られても仕方がないよ貴方。あ、でもサンジは女の子は死んでも蹴らないから大丈夫なのかなるほど。


「サンジの代わりに俺がお前を蹴るよ水城」

「何言ってるんですか先輩……」


 真顔でマジのトーンで答えられた。


「え、いや……何もありません、はい」


 思わず謝ってしまった。何だか俺が悪い事をしてしまったかのようだ。


「それより、せ、先輩、あたしを摩るはほんとに止めててください。今、そんなことされたらあたし確実にリバースしますよ、いいんですか? ほんとに吐いちゃいますよ?」

「なんで最終的にお前が上からもの言ってんの⁉」


 てか摩るだけでもダメなの⁉ もう既にこいつ末期じゃん! 救いようないじゃん! どうすんの? これどうしたらいいの⁉


「と、取り敢えず先輩はあたしが頼んだやつ全部食べてください。その間にあたしは何とか窮地を脱しますから……ガクッ」


 最後の力を振り絞って水城はそれだけを告げると、最後に自ら効果音を出してまた机に突っ伏した。


「食べろって、お前なぁ……」


 テーブルの上には、かき氷が二つにパフェも二つ、更にアイスが一つとどれも半分以上が食べかけで残されていた。


「まぁ、食べる分には問題ないんだけど……」


 問題はないが……食べるまでの過程には問題がある。

 なぜなら全てのスプーンが使われているから。何でこの子は一品ごとにスプーンも変えて食べちゃうのかな。これで俺に残り全部食べろとかどういう神経をしているのだろうかこの子は。こんなの間接キ……あー、止めた止めた。新しいスプーン取ってくるか。そう思い至って席を立つと――


「あれ先輩、どこ行くんですか?」


 顔だけをこちらに向けてスプーンを取りに立った俺に彼女は問いかける。


「いや、ちょっとな」

「ちょっとって何ですか?」

「いや、ちょっとはちょっとだよ」


 別に俺が何処で何をしようが勝手なはずなのに水城は必要以上に聞いてくる。


「ふーん。なるほど」

「な、なんだよ」

「先輩、もしかして……」


 ま、まさか高が間接キッス程度を躊躇って新しいスプーン取りに行こうとしているキンタマの小さいヘタレ野郎だという事がバレてしまったのだろうか。

 いや、妹の使ったスプーンなら平気で舐め――使えるんですけどね!

 だけど今回は相手が後輩だから。他人だから。流石にそんな真似は出来ない。


「先輩もしかして……アイスをフォークで食べようとしてます⁉」

「するわけねーだろ!」


 よかったこの子が馬鹿で。


「ならどこに行こうとしてたんですか?」

「……それはあれだよ」

「あれ……とは?」

「と、トイレだよ!」

「なんだ、そうならそうと最初から言ってくださいよ! てっきり先輩は高が間接キッス程度を躊躇って新しいスプーン取りに行こうとしているキンタマの小さいヘタレ野郎かと思うところでした!」

「そ、そんなわけないでしょ! み、水城さんったら~、なーに言っちゃってるの、全くぅ! アハハ、アハハハはぁー」


 俺が冗談で考えていた事とまさか一言一句同じことを言ってくるとは。この子絶対気付いてるよね? 俺がスプーン取りに行こうとしてるの気付いてるよね? 俺の行動パターンが水城に読まれていたことが分かったところで、取り敢えず俺は席に戻る。


「あれ、先輩、お手洗いに行かなくて大丈夫なんですか?」

「ああ、なんかもう尿意とかどっかに行っちゃったみたい」


 というか最初から尿意とか無かったわけだし。


「……先輩、それは確実に病院に行った方がいいですよ」

「いや、膀胱がイカレてれてるとかそういうのじゃないから! 病気とかじゃないから! 大丈夫だから!」

「え、そうなんですか? なら脳神経外科に行った方がいいんじゃないですか?」

「脳にも異常はないから!」


 なんだこの子は、あれか? 俺の事をディすらないとこの子は生きていけない病気か何かなの? そうなの? 何だ、そうか。病気なのはこの子の方だったのね。そっか、そっか……。今度この子に良い精神科でも紹介してあげようかな。うんそうしよう。はっ、もしかして俺って滅茶苦茶いい人なのかも⁉ っべー、そろそろ教祖になれちゃうレベル。


「先輩、何ブツブツと呟いてるんですか? 暑さの所為で遂に頭が逝っちゃいましたか? キモイですよ」


 前言撤回します。

 この子、何か言葉を発する度に俺をディすらないと気が済まない病気らしいです(断言)。

 今度とは言わずに今すぐ病院で検査してもらった方がいいなこの子。じゃないと俺のメンタルが持たない。そろそろ湯浴の最中、唐突に涙が頬を伝いそうなレベル。


「ははは、相変わらずな切れ味の様で」

「ん? 切れ味? 何の味ですか?」

「……何でもねーよ、はぁ」


 更に無自覚とは……これは重症だ。多分、地球に隕石が落ちてこようと水城は俺の事を罵倒し続けているんだろうな。そう考えると、ため息しか出なかった。


「それより先輩、早く全部食べて下さいよ! 融けちゃいますよ!」

「へいへい、食べますよ、食べればいいんでしょ」


 元はと言えば水城が食べもしないのにこんな頼むからだろうに……。

 仕方なくスプーンに手を伸ばすと、目当てのスプーンは俺とは反対側に動く。


「……何してんの?」


 見ると水城がスプーンを持って不敵に微笑んでいた。

 何これ、まさか俺にアイスを手で食えと⁉ 何だ、これは……新手のいじめなのかな?


「ふっ、ふっ、ふっ。先輩!、あたしが食べさせて上げましょうか?」

「……………………何が狙いだ」


 思わず『俺の財宝か?』なんて海賊王っぽく続けてしまいそうだった。


「はぁ、先輩忘れちゃったんですか? これはデートなんですよ? デートで食事っていえば女の子が男の子に『あーん』ってするのが定番じゃないですか~」

「そーゆーものか?」

「そーゆーものですよ! 先輩は女の子に『あーん』ってしてもらいたくないんですか?」

「いや……そんな事は…………ないけど……」

「けど?」


 そんな事はないというか、男なら是非とも一度は体験したいイベントだろうが……何というか、いざ自分がそんな場面に直面すると小恥ずかしいというか照れくさいというか。


「全く……先輩は仕方ない人ですね……エイッ!」

「ムホッ」


 口の中に何かが突っ込まれたかと思うと、口の中に冷たいバニラの味が広がった。


「どうですか?」


 悪戯を成功させた子供の様に水城は俺の反応を楽しんでいるかの様に微笑む。


「アイスはおいしいけど……何か、俺が想像してたのと違う」


 このイベントってスプーンを勢いよく口の中に入れるゲームとかそういう類の奴じゃなかったよね? そうだよね? それに例の『あーん』もなかったし……こんなんじゃ恭介満足できない! なんて考えていると。


「全く、先輩は仕方ない人ですね……はい、あーん!」

「⁉」


 目の前にはギャルゲーで画面上では何度も目にしてきた光景がそこに。

 あれ、いつの間に俺ってば現実から二次元にワープできる様になっちゃったんだっけ?


「せ、先輩、早く食べて下さい。腕が疲れちゃいます」


 おっと、まさかのここは三次元でした。


「スプーンで疲れるってお前……」

「い、いいから早く食べて下さい!」


 急かす彼女は何故か火照って見える。

 見ると腕を伸ばしている所為か、確かに水城の腕はプルっていた。


「わ、分かったよ。ゴ、ゴクリ。あ、あーん」


 顔から火が出る程恥ずかしいものの、何とか水城の差し出してくれたスプーンを口の中に入れる。やはりアイスはひんやりとして冷たい。


「アハハ! 先輩、顔、トマトみたいに真っ赤ですよ!」


 確かに自分でも分かるくらいに顔から熱を感じる。きっと水城の言葉通り俺の顔は物凄い事になっているのだろう。

 だが、そんな事より気になるのは――


「水城、お前の顔も真っ赤だぞ。どした?」

「へ? ……にゃ、そそ、そんな事ないですよ! 気のせいじゃないですかね? あ、それとも今日暑いからですかね~。あ、そうだ! それに違いない、うん! そうですよ! 今日暑いからですよ! あはは」


 冷房の効いたファミレスで何故か慌てふためく水城に俺は疑念の目で見詰める。


「いやはや、ほんと暑いですね、どうしたんだろ? 空調機が壊れちゃってるんですかね? いや~ほんと暑いな~」

「……水城……もしかしてお前も恥ずかし――」

「あ! こ、こんな時に偶然かき氷が! 頂きます! んー冷たい! 美味しい! やっぱり夏はかき氷に限りますよね!」


 俺の感じた疑念には答える事なく水城は早口で長々と一人で喋り続ける。

 んー、完全にこの子動揺してますよね。完全に図星ですよね? そうですよね?

 まさか水城にこんな一面があったとは。


「お前、可愛いな」

「はい⁉ せせせ先輩、いいい一体何を言ってるんですか⁉ 口説いてるんですか⁉ 言っときますけどあたしは尻軽女じゃないんですからね! そんな一言であたしを落とせると思ったら大間違いなんですからね!」

「なんでそうなった?」


 ただ、正直に答えただけなのに。


「はぁ、先輩が変なこと言うから余計に熱くなっちゃったじゃないですか。全くどう責任とってくれるんですか? あ、かき氷食べよっ」

「……」


 まさか水城がこんな事で恥ずかしがるなんて。見た目からして、今までの行動からしてこれくらい何の躊躇いもなく、平然とできる女の子かと思っていたが……。


「これがギャップ萌えってやつか……」

「なっ⁉ ももも萌えとか、せせせ先輩何言ってるんですか⁉ キモイです! セクハラです! 警察行きたいんですか⁉」

「全く、ツンツンしちゃってそんな強気でも…………え、警察⁉」


 流石は水城美波、ツンデレでもツンは破格だった。


「警察に行きたくなかったらこれ以上あたしを弄らない事ですね先輩!」


 水城様お得意のデススマイルが言葉と相俟って恐怖の相乗効果を齎していた。

 普通ならば冗談で済むのだろうが、この子がいうと本気で警察くらい電話しそうでほんと怖い。何、これって恐喝とかで訴えられないの?


「了解です!」


 そんな最悪の事態にならぬ為に俺は目の前に座わる水城に対して敬礼する。


「うむ、よろしい!」


 再度微笑む彼女のその笑みは先程のデススマイルとは異なって清廉されたもので一気に胸が高鳴った。


「この笑顔だけならな……」

「ん? 先輩、何か言いました?」

「いや、何でもない」

「……ふーん、そうですか。はむっ、ん~~。やっぱりかき氷は美味しいですね!」

「……そうだな」


 お腹一杯と言って俺に食べるのを強要してきた水城が今、かき氷を幸せそうに頬張っているのを見ても俺は何とも思わない。何とも思わない……。大事なことなのでもう一度言う、何とも思わない。何とも……。


「先輩も食べないんですか? 美味しいですよ」

「何と――お、おう。ならそのアイス貰ってもいいか?」

「はい大丈夫ですよ!」

「サンキュ」


 水城から貰い受けたバニラアイスをスプーンで一口掬いそのまま口にする。

 そんなアイスは冷たく、舌の上で転がすと直ぐに溶けてなくなってしまう。

 だけど風味だけは口の中に広がって……そんなアイスは凄く甘かった。


 

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