「先輩、やっほーです!」

「やっ――お、おう」


 翌日の昼休み。

 いつもの様に図書室に籠っていると、水城が俺へ挨拶を告げ隣席に腰掛けてきた。そんな水城を横目で確認すると、俺はつっかえながら挨拶を返す。山彦じゃないんだから流石の俺も「やっほー」なんて挨拶は返さない。断じて「やっほー」なんて釣られて言おうとしてないんだからねっ!


「どうしたんですか先輩? そんなに動揺しちゃって。まさかあたしのこと好きなんですか?」

「話がぶっ飛び過ぎだろ⁉ 何だ? お前の前で動揺した男子は皆お前の事好きで動揺してるとでも思ってるのか⁉」

「え、違うんですか?」

「ちげーよ!」


 どうしたらそんな頭がお花畑回答が出てくるのだろうか? 自意識過剰にも甚だしい。

俺がこいつの親だったら泣いちゃってるレベルだよ。「お前をこんな娘に育てた覚えはない!」とか言ってビンタしちゃってるレベルだよ?


「まぁ、そんな冗談は置いておくとして、先輩の小説読みましたよ!」

「え、お前ちゃんと読んだの⁉」

「はい、その所為で眠いですけど、ふにゃあ~」


 可愛らしい欠伸姿を見れば水城が冗談で言っていない事はすぐにわかった。

 だけどこれは意外だった。

 水城さん、小説というか文字すら読むのを憚りそうな見た目なのに……人は見かけによらぬというが本当だったのか。


「むぅ。先輩、今、『こいつ小説読めるんだ⁉』とか思ったでしょ?」

「いや、思って無いって……それに似た類の感情は抱いたけども」

「それって完全に思ってるってことですよね⁉ はぁ……まぁいいですけど。実際あたしも読むか迷いましたけど、絶対読むと言ってしまった手前、仕方なく読んでしまった気持ちも少しながらあったというか、大凡その気持ちだけで完読しましたので」

「そんな嫌々かよ⁉」


 心が……心が抉られる。俺の小説ってそんな退屈なの? え、嘘? もう書くの止めようかな。


「冗談ですよ先輩! そんな一々本気で落ち込まないで下さいよぉ。慰める言葉を一々考えるの面倒くさいんですからぁ」

「……貴方、人を傷つける天才ですね」


 恭介のメンタルは0になった。


「もぉ、冗談ですって先輩~」

「そ、そうですか……」


 何故だろう、この子から冗談という言葉を聞いても全然冗談に聞こえないのは。


「冗談はここまでにして、約束通り感想をお伝えしないとですね!」


 また冗談って言った⁉ あ、これは違うのか、何だ、ふぅー。もう冗談っていう単語すら怖いですね。何だろう、俺は冗談恐怖性にでもなってしまったのだろうか?


「そういえば、そうだったな。では感想を聞こうではないか、うん」


 ――トクン


 あれ? おかしいなな、鼓動が聞こえる。まさか緊張している訳でもないし……緊張? 俺が?


 ――トクントクントクン


 けれども鼓動は一向に大きくなるばかりで。

 そんな馬鹿な……高が小説の感想を聞くだけだぞ……。確かに自分の書いた小説の感想を他人から直接聞くというのは初めだが……それにしたってこんなに緊張するものか? 遠足の前日に寝むれなくなる小学生でもあるまいし。


「んーと、そうですねぇ。まだ一作品しか完読してないのですが……」

「いや、十分だ。建前とかは要らない。ありのままの水城が感じたままの意見をくれ」

「………分かりました! では――」


 ――ゴクリ


 称賛か酷評か。手に汗を握り、生唾を飲んでその時を待つ。


「よく分からなかったです!」

「………………は?」


 真顔でこの子は一体何を言ってるのだろうか?

 予想だにしていなかった回答を聞いた所為か拍子抜けしてしまった。


「よくわかんなかったって、何かしら感じた事はないのかよ? 面白かったかつまらなかったくらいは言えるだろ?」

「いや~、何というかそうですねぇ……取り敢えず主人公は高校生なのにヒロインが皆小学生ってのがよく分からなかったのですが」

「それは簡単なことだ。つまり俺が幼女だいす――ってどあああああぁぁぁぁあああああ! 水城! お、おまっ、誘導尋問とは下劣なッ」


 御陰で俺が幼女大好き人間であることをカミングアウトしてしまう所だった!


「いえ、全くそんな気はサラサラサラテクト並になかったのですが。なるほど……そういうことですか。つまり、この小説は先輩の性癖を詰め込んだオナニー小説――」

「ぎゃああああぁぁぁぁぁあああああ! 止めて! それ以上言わないで! 恥ずかしくて死にそうだから!」


 バレていた。余裕で水城さんには俺が幼女好きという事がバレていた。もういっそ死んでしまいたい。後輩に幼女大好き人間だという事がばれてしまうとは柏木恭介一生の不覚。このまま生き恥を曝すなんて耐えられない。誰か……誰か俺を殺してくれ~~え~~ん。


「まぁ、先輩の性癖は置いておくとして――」

「いや、置いておかなくていいから! グチャグチャに丸めてゴミ箱に捨ててくれていいから!」

「紙じゃないんですからそんな事できませんよ。はぁ。安心して下さい、今更先輩がどういう性癖持っていようがあたし引きませんから!」

「水城……」


 優しい眼差しで微笑みながら語り掛ける水城は聖母のように神々しく見えた。

 こんな俺を受け入れてくれるなんて……ビッチな女子高生とばかり思っていたがそんなのは俺の勘違いで、ほんとは優しい女の子――


「最初から引いてたので!」


 前言撤回します。この子はただのビッチです。


「今、さらっと衝撃の事実を聞いた気がしたんだけど?」


 え、俺は何した? 水城に何した?


「細かい事はいいじゃないですか! まぁ、その先輩の性癖を詰め込んだ小説は私には理解し難いという事です。」

「そ、そうか……」


 やはり俺の性癖、妄想目白押しの小説の感想を女性に訊くというのが間違っていたのだろうか? 

 そんな事を考えていると今更になって恥ずかしくなってくる。


「まぁ、どちらかというと面白くないですね」

「グフッ」


 言われるとは思っていたが、ここまで直球でこられると流石の俺でもメンタルが崩壊してしまいそうになる。


「ハッハッハッ。そうか、水城にこの小説の偉大さを理解するのはまだ早かっってことなのかな? ガハハ」

「あー、かにそうかもですね。でもその割には小説の感想が罵詈雑言で埋められていた様に見えたのですがアレもあたしの気のせいだった――」

「ギャーーーー、それ以上言うな! 合ってるよ! 合ってるからっ! そーだよ! 所詮俺の書いた小説はつまらないどうしようもない駄作だよこの野郎!」


 もうやけくそだった。やはり俺の書いたものは万人からは理解し難い所謂駄作なのだろう。その根拠に今まで俺の小説を読んだ人から絶賛された事は無い。

 唯一俺の小説を面白いと言ってくれるズッキーニさんももしかしたら俺に気を使ってただ社交辞令として面白いと文字面だけそう書いていてくれていたのかもしれない。


「ははは。何だよ……ははは……」


 そう思うともう、力なく笑わずにはいられなかった。


「……先輩に一つ訊いてもいいですか?」

「……何?」


 今更フォローとか貰っても全然遅いというか、慰めにもならないというか、余計に傷つくからそういうのだったら止めて欲しいとも言えない俺がいた。


「先輩は何で小説を書いてるんですか?」

「へ?」


 まさかこの子遠回しに『何で貴方みたいな駄作生産機が小説なんか書いてるんですか? そろそろ気づけよ?』とでも言いたいのだろうか?

 え、嘘? 今なら自然に涙が頬を伝いそうな気がする。


「言っときますけどディスってるとかそういうことじゃ全然ありませんからね! ただ、その……あんなにも悪態を吐かれてるのになんで先輩は物語を書き続けられるのだろうか気になって。純粋に原動力というかそういうものが知りたいだけです」

「……原動力か」


 そんな事今まで考えた事がなかった。でも……強いて言うなら、そう。


「一冊の小説を読んで、いや、一冊のライトノベルを読んで感化されたからだろうな」

「ライトノベルですか?」

「そう」


 学校帰りに何気なく立ち寄った一書店。表紙だけで漫画と見間違えて買ったその一冊を返品するのも何だか気が引けて、試しに開いた一ページの一行目、俺はその小説に酔いしれた。

 活字なんて今まで読む気にもならなかった俺が時間も忘れて無我夢中で貪り読んだ。

 その一冊には今までに俺が経験したことのなかった何かがあった。

 笑えて泣けてドキドキして心が震えた。

 完読した後もその興奮は収まらずにある思いが次第に大きくなっていった。


 ――俺も誰かを感動させたい。


 この一冊のライトノベルが俺に大きな喜び、感動を与えてくれた様に俺もまだ見ぬ誰かに何かしらの感動を与えたい! その思いの丈があの頃の俺の中にフツフツと滾って全身を駆け巡った。

 そうだ、だから俺は――


「だから俺は書いてるんだ……」

「え?」

「俺が一冊ライトノベルを読んで感動した様に俺も誰かを感動させたい! そんな思いで俺は今まで書いてきたんだ。例えそれが周りから駄作、愚作と罵られても俺は今まで本気で誰かを感動させたくて今日まで書いてきた」


 それは誰に何と言われようとも紛れも無い事実。


「だから俺は例え誰に何と言われようと書き続ける。きっといつの日か、俺が書いたものがきっと誰かを感動させてくれると信じて……ってあ」


 柄にもない事を長々と喋ってしまった。正気に戻ると気恥ずかしさから死にたくなる。というかマジで死にたい。


「……そうですか」


 隣に座る水城を見ると真顔で俺を真っ直ぐ見据えていた。何だろう、馬鹿らしい夢を語った俺を見て引いているのだろうか? 無理もない。こんな馬鹿らしい事を他人に向かって――


「いいですね……そういうの」

「へ?」


 何だろうか、今、俺は聞き間違いでもしてしまったのだろうか?


「夢があるってなんだか羨ましいです」

「いや、夢って言うとなんだか大袈裟な気もするけど……ていうかこいつバカだなとか思わないの?」

「そんな事ないです!」


 声を荒らげ、身体を前のめりにして水城は顔を俺に近づけてそう応える。

近い、近い、近い!


「あたしなんか……なんの夢も無くて……だから、その……夢に向かって努力してる先輩はすごいと思います!」

「そ、そうか……」


 面と向かってそんな事を言われると気恥ずかしくて思わず目線を反らしてしまう。


「まぁ……でも努力したからって叶うかどうかはわからないけどね……」


 そのことは駄作製造機の俺自身、重々理解している。

 想いだけで通じるならなら誰でもプロになれる。

 だけどリアルはそうじゃないから。実力がないと、技術がないと誰にも届かないから。

 だから努力する。

 でも、その努力が絶対に完全に報われるかと言ったらそれは違うから。

 だから次第に夢は絶望へと変わっていって、そして失望する。


「確かに、努力すれば夢が叶うなんて唯の気休めですよね。それにあたしなんかが言っても根拠も説得力もありませんし……」

「そんな事は……」


 ないとは言えなかった。


「あるんです。でも、そんなあたしでも唯一先輩に言える事があるとすれば、それは……」

「それは?」

「あたしは……あたしは先輩が本気だってことわかってますからっ!」


 そんな彼女の真剣な眼差しに、一切の曇りはなかった。


「だから頑張って下さい!」

「……フッ」


 思わず笑みが零れた。

 何故だろうか。嬉しかったのかもしれない。

 凡人の、いや、それ以下の人間が語る大それた夢を笑わないで聞いてくれて。

 真剣に受け止めてくれて。

 こういう時は悪ノリしないのかよなんても思う。

 ほんとこの子は何を考えているのか分からない。

 でも、今の俺にはその言葉がが十分すぎるほど有り難くて救われてしまった。


「あぁ、当たり前だ! だから俺は書いてる! そしていつの日かプロになって俺の作品に罵詈雑言を浴びせてきた奴らをギャフンと言わせてみせるさ!」

「おぉ、つまりそれはあたしもって事ですかね?」

「当たり前だ、涙が止まらないくらいに俺の書いた小説で泣かしてやるよ!」

「フフッ、大きく出ましたね! そんな日が来ることを楽しみにしてますよ!」

「お、おう」


 不意打ちの笑顔に動揺してしまったのか、ついどぎまぎしてしまった。


「ん、先輩。顔が少し赤いですけどどうしたんですか? 熱ですか?」

「えっ、嘘⁉ やっぱり⁉」

「やっぱり?」

「い、いや何でもない何でも!」

「あぁ、その反応。先輩の事だから変態な事考えてたんですね。そうなんですね」

「違げーよ!」


 前言撤回。

 ジト目で俺の事を変態呼ばわりする人に感謝の気持ちなんか微塵も抱いてないです。


「まぁいいです。それよりそんな先輩に一つ提案があります!」

「ん、何だ? 言っとくけど先輩死んでくださいとかは無しだからな」


 それは提案とは言わずに死の宣告だから。マジで俺泣いちゃうから。


「安心して下さい、そんな提案しませんよ」


 死の宣告を何の疑いもなく提案と言えちゃうあたり、今後ほんとに言われそうで怖い。


「先輩、週末空いてますか?」

「週末? あー、空いてるけど。何で?」


 週末一緒に遊ぶ友達とかいないし、先ず友達とかいないし俺の週末は年中暇だ。

 あ、でも撮りためたアニメ見たいしやっぱり用事あるってことにしとくか。


「水城悪いやっぱり――」

「あたしとデートしてみませんか?」

「……は?」


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