水城美波

「先輩、何してるんですか?」

「何って、小説書いてんだよ。ちゃんとした書く時間が取れてるのって最近はこの昼休みくらいだからって……昨日も――っておわぁ!」


 昼休み。いつもの様に図書室に入り浸って親指を追い込んでいると、もう会う事は無いと思っていた今時ビッチの後輩ちゃんが俺の隣に居た。

 何この子、瞬間移動とか使えるタイプの子だったの? 何それ、どこの孫悟空? いつの間にヤードラット星で修行してきたの?


「……先輩その反応態とやってるんですか? ここ図書室だって言ってるじゃないですか、そんな大声で驚かないで下さいよ。あたし怒られるのとかまじ勘弁なんですけどぉ」

「お、おう。なんかごめんな……ってそれより、何で今日も俺の隣を陣取ってるわけ?」


 危うくこいつに流されてスルーしてしまいそうになっていたが、何故この子は俺の許可も無しに隣に座るのだろうか? 何なの、俺の事好きなの? あ、ごめんなさい。今のは調子にのり過ぎました。はい。


「別に細かい事はいいじゃないですか、それとも先輩はあたしが隣に座ってると不快ですか?」


 隣に座っているだけでも充分近いというのに、彼女は更に俺との距離を詰めて訊いてくる。

 その動作の所為か香水か柔軟剤かは分からないが、隣の彼女から仄かに香る柑橘系の甘い匂いに思わずドキッとしてしまう。女の子ってこんなにもいい香りがするものなのか。麗からはこんな匂いしてたっけ? 

 病み付きになるその香りをもっと嗅いでいたいと俺は――って危ない! 危ない! 思わず恋に落ちちゃうところだった! 何だ、この子は虜の能力者なのか⁉


「いや、不快とかじゃないけど……もう少し離れてくれる?」

「あっ、すみません。つい、いつもの癖で」


 癖って……この子いつもこんな風に男を誑かしてるのか。危ない! 危ない! 思わずスキップして茨の道に入っちゃうところだった。ふぅ。


「あ、そうなんだぁー、あはは。で、何か用?」

「先輩あたしに対して冷たくないですか? もっと優しくしてくださいよ、怖いです」

「それは無理な話だ。俺は誰かを差別化するは嫌いでな。だから俺は誰これ構わず他人はぞんざいに扱おうと決めている」

「なるほど……先輩に期待したあたしが馬鹿でした。はぁ」


 何故俺はほぼ初対面の相手にこんなにも呆れられているのだろうか? 世の中って理不尽。


「まぁ、いいです。それより先輩、図書室だってのに本も読まないでスマホで何してるんですか? あ、確か昨日もスマホ弄ってましたよね? 何ですか? スマホ依存症か何かですか?」

「なわけ無いだろ。俺は全然依存なんかしてねーよ。別にスマホなんか無くても俺は生きていける。そう、ノーパソさえあれば!」

「なるほど、分かりました。先輩が既に末期の状態だということが。はぁ」


 また呆れられた⁉


「じゃあ、今やってるのは両親には内緒で課金しまくってるソシャゲか何かですか?」

「おいちょっと待て! 確かにソシャゲはたまにやるが俺は親に黙って課金なんかしてないぞ! というか課金自体してないからな⁉」

「え、そうなんですか? てっきり性根が腐ってる先輩は破格の課金くらいしてるかと思ってました! てへっ☆」


 えっ、何それ可愛い……じゃなかった! 危ない! 危ない! 思わず可愛いだけで許しちゃうところだった。落ち着くんだ漢、恭介。先ずは深呼吸だ、息を深く吸ってゆっくりと吐く。吸ってー、吐いてー。吸ってー、吐いてー。よし、もうこれで大丈――


「先輩、何さっきからブツブツ呟いてるんですか? 何か自分だけの世界に入ってるみたいで何か怖いです。キモイです」


 前言撤回。この子全然可愛くないです。クソ生意気なビッチ後輩ちゃんです。まさか妹以外の人間にこんなにもディスられる日が来るとは思っても見なかった。

 最後に「てへっ☆」とかつければ許されるとでも思っているのだろうかこの現実舐めすぎ後輩ちゃんめ。致し方無い。ここは先輩である俺が上下関係の在り方というものを教えてあげないといけないな、うん。


「ビッ――じゃなかった水城さん、別に俺には暴言は吐いてもいいけどさ、他の先輩とか目上の人にはもっと言葉を選んだ方がいいよ、うん」


 できればオブラート三重包みの上に包装紙で包んでお届けした方がいいと思うよ。それはもう本来の言葉の意味がわからなくなるぐらいにねっ! 先輩超いいこと言っちゃった! てへっ☆


「先輩、今あたしのことビッチって言おうとしてませんでした?」

「い、いやだにゃ~。そんにゃわけあるわけないじゃないですか~」


 ジト目で俺の事を凝視してくる後輩ちゃんに動揺を隠せなかった。


「ですよねー。あたしに説教してた先輩がまさかあたしのことうっかりビッチ呼ばわりとかするわけありませんよねー。そんな人が他人に説教とかできるわけありませんよねー」

「ブフォッ」


 痛いところを突かれた。まさかこの子頭いいの⁉


「むぅ。そこは否定してくれないとあたし的に悲しいのですが……」


 俯き、あからさまに落ち込む彼女を見ると流石の俺も自分の軽はずみの言動を反省する。あれ? でもおかしいな。俺は「ビッ」っとしか発してないよね? あれかな? これって単なる彼女の被害妄想なだけじゃ……。


「わ、悪かったよ水城さん」


 取り敢えず謝っておこう。謝りさえすれば世の中どうにかかなる。あ、俺の方が社会舐めてませんかねこれ。


「……………………美波」

「ふぇ?」

「水城じゃなくて美波って呼んでください。じゃないとあたしの機嫌は直りません!」

「んな、滅茶苦茶なぁ」


 この子どんだけ自分の事名前で呼ばれたいんだよ。何、その拘り、わけわかんねぇ。


「嫌ならいいですよ。その代わり先輩があたしの事名前で呼んでくれないのならこちらもそれ相応の手段に出るだけです!」


 後輩ちゃんの事だ、その手段というのもを訊くのも憚られるが……。


「一応訊いとくけどその手段とやらは何をする気なのかな水城さん?」

「むぅ。やっぱり先輩って頑固ですね。まぁいいです。んーと、そうですね? 取り敢えず学校中の人達に先輩から強姦されたって噂を流します」

「どうかしましたか美波さん?」

「……前言撤回します。先輩はただのヘタレさんでした」


 いや、いや。誰に訊いても、万人皆俺と同じ選択をしたと思いますよ。そうでしょ? ていうかプライドと世俗的な立場だったら絶対に世間体大切にするだろ! 俺に今後どんな学校生活送れってんだよ⁉ しかも受験生に! この子えげつない!


「いやはや、美波さん肩でもお揉みしましょうか?」

「どうしたんですか先輩? 媚びが露骨過ぎて気持ち悪いのですが」

「ぐぬぅ」


 我慢だ、我慢だ恭介よ。ここで後輩ちゃんに楯突こうものならば今後、俺の学校生活は爆死してしまう。今はこの屈辱に耐えるしかない。きっといつか俺の事を救ってくれるお姫様が現れるその時まで!


「そんな黙り込まないでくださいよぉ、なんかあたしが先輩のこと虐めてるみたいじゃないですかぁ。冗談ですよ、突っ込んでくださいよぉ!」

「安心してみなみん! みたいじゃなくて完全に俺虐められてるから! 何だ、そっか、これ冗談だったのかー。なら俺が水城さんの事美波って呼ぶ必要性もないってこと――」

「美波って呼ばなかったら噂は流しますねっ!」

「冗談じゃねーじゃねーか⁉」


 聞き間違いかと疑いたくなるような恐怖の言葉に、満面の笑みがアクセントになって恐怖が何倍にも増幅されている。女の子の笑顔って皆を幸せにするものじゃないの⁉ どうなってんの、この笑顔からは恐怖しか湧いてこないんですけど⁉


「ほらー、また黙っちゃう。冗談なんだから突っ込んでくださいよ先輩~」

「ははは、ごめんね。俺、こういうの慣れてないからさぁ……」

 何だ? リア充っていつもこんな駆け引きみたいなことやってんの? すげーな! 俺がリア充になれないわけだ。あ、先ず話す相手がいなかった、ガハハ。


「そうなんですね! それより先輩さっきから全然親指動いてませんけどいいんですか? 昼休み終わっちゃいますよ?」


 時刻を確認すると昼休みの残り時間は十分程しか残されていなかった。


「え、嘘⁉ マジで⁉ 全然進んでないんだけど⁉」


 嘆く俺は残り少ない時間で少しでも進めようと躍起になって親指を動かそうとするも焦っている所為か直ぐに行き詰まってしまう。

 そんな現状に焦心していると突如、可愛らしい旋毛が視界を覗かせる。


「先輩、これは小説か何かを書いているんですか?」

「一応な……てか、昨日も今日もそう応えたはずだけどな」

「あ、ああ! そうでしたね! そうでした! べ、別に記憶に全くなかったとかそういう事では無いですよ!」

「そうか、もう突っ込むの面倒くさいからそう言う事にしとくわ」

「え~。先輩素っ気なさすぎじゃないですかぁ? もっとあたしに構って下さいよ~」


 お菓子をせがむ子供の様に水城は肩のYシャツを摘まんで何度も引っ張ってくる。鬱陶しい。これじゃ全然集中できやしない。もう家で進めるしかないな……なんて考えていると、突如、スマホの画面にメッセージの通知が表示される。


「ズッキーニさんか……」

「先輩、誰からですか?」

「ん、小説の感想くれる人」


 メッセージを開くと「今回も面白かったです! 特に主人公がメインヒロインに告白して玉砕するところが爽快でした! どうしてあんなにフラグ立ててたのに振られちゃったんですか? ほんと笑いました!」との感想が。

 今回も称賛の嵐だ。


「……先輩、これ軽くディスられてませんか?」

「フッ。美波、お前の目は節穴か? 超絶賛されてるじゃないか!」

「そうですかね?」

「そうだ! 疑う余地などどこにある?」

「あたしには貶している様にしか感じられませんけど……あ、先輩! あたしも先輩の書いた小説読んでみたいです!」


何を思ったのか美波は突拍子な事を口にする。はっ、いつの間にか水城美波の事を美波と呼んでる⁉


「……それマジで言ってるの?」

「マジです! 大真面目の本気の本気です!」


 俺をしっかりと見据える彼女の目を見れば冗談で言っていない事など直ぐに分かった。

 だが一つだけ気になる事があった。

 それは――


「美波、お前って字読め――」

「読めますよ! 何ですか、あたしのこと何だと思ってるんですか……って、へっ、せ、先輩、今あたしのこと、み、美波って⁉ あ、でも。先輩は上げて落とす天才ですね……」

「いやぁ~、そんな褒めてもなんにもでな――」

「いや、褒めては無いです。寧ろ殺したいです」

「何故に⁉」


 女心とは難しいものだ。


「取り敢えず先輩の小説読ませて下さいよ」


 このままはぐらかしても美波はしつこく言ってきそうだし……まぁいいか。


「わかったよ。なら俺が小説上げてるサイト名と作品名教えるからそれで――」

「あー、そういうのあたし苦手なのでこちゃでURL送って貰ってもいいですか?」


 この子は一体何を言っているのだろうか?


「送るもなにも俺、美波の連絡先知らないんだけど……」

「そうですね……ならこの際ですし先輩の連絡先教えて貰っていいですか?」

「え、ふぇ⁉」


 そういう彼女は既にスマホを取出しLINEのQRコードを提示していた。知り合ってまだ二日だというのにリア充というのはこうも簡単に連絡先を交換していくものなのだろうか? そんな他人を簡単に信じちゃっていいわけ? 悪用されちゃったらどうするんだよ。全く。

 しかし、小説を見せると言った手前残念ながらいい断わり方が分からない。

 仕様がなく美波のQRコードをスマホで読み取り、友達追加をする。


「ふふっ! ありがとうございます先輩!」

「へいへい、どういたしまして」

「むぅ、なんですか、あたしの連絡先ゲットできたのに先輩は嬉しくないんですか?」

「……別に嬉しくはないな」

「な、なんですとっ……」


 俺の言葉に愕然としてあからさまに落ち込む水城。そんな表情を見ると俺が悪い事をしてしまった気がして心苦しいもので。


「まぁ……ちょっとは……嬉しいかもな」


 何せ女の子の連絡先なんて家族以外入ってないし。俺の携帯も少しはモチベーションが上がったのではないかと思う。


「フフッ、先輩は素直じゃないですね~」

「何言ってんの水城? 俺は常時素直なのだけど」

「はいはい」


 呆れながらも嬉しそうにぱぁあっと満開の笑顔を咲かせる水城。そんな俺だけに向けられたその純粋無垢な笑顔を見ると何故か気恥ずかしい。あれだよね、俺の後ろに誰か別の男が立ってるとかいうそういうオチじゃないよね?

 不安になって背後を確認してみるも俺の後ろには誰もいない。


「何だ? 俺の連絡先を手に入れると特別アイテムでも支給されるのか? てか、お前ちゃんと小説読む気あるんだろうな?」

「ごめんなさい先輩、あたしソシャゲとかやってないので。それより小説の方は安心してください! ちゃんと先輩の書いたものは読んで明日感想をお伝えしますので!」

「お、おうそうか、それならいいんだけど、うん」


 そこまで言われると何も言い返す言葉が無い。俺的には小説の感想貰えればそれでいいわけだし、うん。


「あ、もう時間ですね。じゃ、先輩こちゃでURL送っといて下さい! あ、別に用が無くても連絡くれて全然構いませんから!」

「いやしねーよ! あ、URLは送っとくから安心しろ……」

「はぁ、先輩はほんと素直じゃないですねー。まぁいいですけど。それじゃ先輩、また!」

「おう……あ」


 別れ際、水城が俺へ手を振ってきたので俺も無意識にそれに応える。それを見た水城は目を見開いてこちらを見据えていた。思わずキモイ事をしてしまった。水城も「何こいつキモッ」とか今頃思っているに違いない。やばい、死にたい、サザエになりたい、アサリになりたい。何でもいいから二枚貝に隠れたい。

 そんな事を考えて塞ぎこんでいると突如――


「先輩っ!」


 目線を上げるとそこには華奢な笑みを湛える水城がいた。


「また明日です!」


 それだけを言い残すと彼女は踵を返して足早に図書室を後にした。


「…………水城美波」


 何故か彼女の名前が口から零れた。

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