ヒエラルキーの頂点に立つのは

「「…………」」


 朝。

 外は快晴。味噌汁を啜り、これとない気持ちの良い日和のはずなのに室内の空気は最悪だった。というか、ある人物がこの不の空気の現況を作り出してると言っていい。


「……なぁ麗、まだ昨日の事怒ってるわけ?」

「お、怒ってないし!」

「いや、それ怒ってるだろ……」

「あ? あにぃ今、何か言った?」

「言ってない! 何も言ってないから脛を的確な角度から蹴るの止めて麗ちゃん!」


 テーブルの下では思わぬ攻防戦が繰り返されていた。俺が足を右往左往動かしているのにも関わらず、麗は適所的確に寸分の狂いもなく俺の脛にトゥキックを入れてくる。あれ、おかしいな、この子下向いてないよね? これ、どうやってんの? この子足に目でも付いてるの?


「あんた達、朝からなに戯れてんの? 食べたらさっさと行きなさい、遅刻するわよ」

「じゃ、戯れてなんかないし! い、行って来ます!」


 ふっ。流石は俺の母親だ。俺が虐められているのを悟ってか助け船を出してくれたようだ。あ、でも兄妹喧嘩を母親に止められる俺ってどうなの? それってお兄ちゃんていうかそもそも男としてもどうなの?


「あ、麗! ちょっと待ちなさいまだ全部食べ切ってないじゃない。朝はしっかり食べないと駄目なのよ? ちゃんと食べてから行きなさい」

「そんなの食べなくても大丈夫だっ――」

「麗、食べて行くわよ・ねっ?」


 ドアへと向かっていた麗はその言葉を聞くとピタリと動きを止めてると、踵を返して再度席へと戻り、食べかけのご飯に再び箸をつける。気のせいか俺の向かいに座る麗の顔は青ざめて見えた。まさかのマイマザーには麗も頭が上がらないらしい。

 えっ、嘘っでしょ? 麗ちゃんが負けるなんて……。反抗期は何処にいった? 普通、高1JKのこの時期つったら「うるせーんだよBBAぁぁぁぁぁぁぁぁ!」とか言って何日も家に帰らないのが思春期の女の子っていうものでしょ? そうでしょ?

 麗め、いつも俺に暴力三昧しているくせに、たかが母親如きに平伏すとは。そんなことは断じてお兄ちゃんは許さん。さぁ、行け妹よ。今こそあ奴に「BBA」と言ってちゃぶ台をひっくり返すのだ! あ、これちゃぶ台じゃなくてダイニングテーブルだったわ、ガハハハ! という感じの目で麗を見詰め、俺は麗へ催促を試みる。


「何、あにぃこっち見てんの? キモイんだけど」

「グハッ」


 作戦失敗。麗は八つ当たりをしてきた。

 この妹め。母さんから受けたモヤモヤ、ムカムカ、イライラを家族ヒエラルキーの中で一番最弱な俺へ攻撃転換して来るとは……下劣な奴め。致し方無い。ここは俺が行こうではないか。世はいつの時代も弱肉強食。弱いものは食われ、強いものだけが生き残れる。故に戦わねばならぬ。それが例え強者だったとしても……生き残る為! この腐敗した妹からの暴力三昧の日々から抜け出す為、俺は今、ここで、あんたに挑み家族ヒエラルキーの頂点に躍り出る! 悪いな、母さん。あんたとはここでお別れだっ!

 そんな野望を抱え、俺は椅子を引いて立ち上がりそのままドアへと向かう。


「あにぃ?」


「えっ、こいつ何してんの? 死ぬ気?」と言わんばかりに麗が半目で俺の事を見詰めてきたので俺はすかさず、フッっと鼻息であしらってやった。そんな目付きでお兄ちゃんを見れるのも今日、いや、今、この時を持って最後だ妹よ。存分にお兄ちゃんを半目で眺めてるがいいさガハハ。


「ちょっと、待ちなさい恭介! どこいくの? まだ全然ご飯残ってるじゃない。ちゃんと食べてから学校行きなさい」

「そーだよあにぃ、ちゃんと食べなよー」


 チッ、麗の奴。さっき自分が怒られた当てつけに母さん側にまわりやがって。まぁ、いい。所詮相手が一人であろうが二人であろうが俺の勝利に変わりない。魔法の呪文「うるせーBBAぁぁぁぁぁぁぁぁ」で俺の完璧勝利だっ! あんたに恨みはないが済まないな母さん。我が野望の為に死んでくれ!


「別に朝飯くらい残してもいいだろ。てか一々――」

「恭介食べるわよ・ねっ」

「……いや、だから食べね――」

「食べるわよ・ね」

「食べ――」

「食べなさい」

「うるせ――」

「食べなさい」

「……………………」

「食べなさい」

「…………………………ふぁい」

「うん、よろしい! ならさっさと席について食べないとね。学校遅刻しちゃうわよ」


 目の前が真っ暗になった。恭介は残した朝ごはんを食べるべく元居た場所に返るのであった。


 ゲームオーバー。


「ぷっ、ププププププ」


 席に着いた俺の向かいでは麗が声を我慢できずに身体を震わせていた。くそっ、自分も十分ビビってたくせにこの野郎め。

 そんな麗の態度にムカついたので威嚇代わりに俺は死んだ目付きで麗を睨みつける。


「ちょっ、あにぃその目止めてくれない。ご飯が不味くなるんだけど」

「ならこっちを見なきゃいいだろ。俺は今、とってもご飯がおいしいのだが」


 主にそのあからさまに嫌そうなその顔の御陰でな、グヘヘ。お兄ちゃん最低。


「ふっ、あにぃ。またあたしから弁慶の泣き所殺しを受けたいみたいね」

「ふっ麗。俺に同じことが二度通じると思うなよ。今度は一発も当たることなく俺の完全勝利してやるさ」

「ふっ、さっき百発百中で食らってた奴が何言ってんだか。後で謝っても許してやらないんだから!」

「謝罪はお前の口から死ぬほど吐かせてやるさ、このゲームの後でなっ!」

「カチーン。あにぃ今のうちに救急車呼んでおいた方がいいかもよっ!」

「「ふっ」」


 ゲームは始まった。

 静寂と同時に駆け引きが始まる。俺はご飯に箸をつけ、麗は味噌汁を啜る。俺は麗の少しの所作も見逃がさないよう、箸を口に運びながらも集中する。俺からも麗からも今腰かけている位置からではテーブルの位置など到底見えない。条件は同じだ。


 ――ゴクリ。


 いつ麗から攻撃が始まってもおかしくない状況。汗が全身から滲み出てくるのがわかる。なのに何故だろう。こんなにも気持ちが高ぶっているのは。

 ニヤッ。

 そんな中、麗の口が弧を描く。勝利を確信した笑み。しかし、その笑みは次第に卑屈なものへと変わっていく。


「ふっ、言っただろう麗。二度目は通じないと」

「くっ、やるじゃんあにぃ。まさか足の裏であたしの『脛殺し《シン・キラー》』を受け止めるとはね……。でもまぐれってのに二度目はないんだから!」

「ふっ。ならばまぐれではない事を貴様に教えてやろうではないか!」


 彼の有名なグラードンVSカイオーガを彷彿とさせる衝突が行われようという最中――


「二人とも何をしてるのかなぁ。母さんご飯食べろってしか言ってないわよね?」

「い、いや母さん違うんだ、これは麗が悪くて――」

「ちょっ! あたしの所為にしないでよ! あにぃが悪いんじゃん!」

「はぁ? 何言ってんの? お前だろ?」

「なに言ってんの、あにぃの所為じゃん!」

「「はぁ?」」


 一触即発のピリついた空気。

 誰もがこの戦いを止められないとマグマ団・アクア団でさえ諦めかけたその刹那――


「いいから、二人とも食べなさい」

「「……」」


 おかしい、全身に悪寒が走った。

「いや母さんこれは何と言うかただの戯れで……」

「そうそう! ただ遊んでただけだってお母さん!」

「いいから食べなさい」

「「……」」

「食べなさい」

「「ふぁい」」


 グラードンもカイオーガも関係ない。うちには天空の支配者レックウザがいた。

 それから俺と麗は一言も会話することなく只管に朝食を口へ運ぶのであった。

 そう、家族ヒエラルキーの頂に立つのは誰でもない、母さんなのであった。



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