まだ左足で踏まれてないのに……
「ただいまぁ」
「あら、早かったわねー」
「うーん」
学校も終わり家路に着くや否や、リビングで洗濯物を畳む母親を適当にあしらうと、真っ先に二階にある自室へと向かいノーパソを起動させる。執筆もそうだが昼休みズッキーニさんから頼まれた新人賞に落ちた駄作をサイトに上げる為だ。PCが立ち上がる間、ふと今日昼休みの出来事を思い返していた。突然現れて突然去って行った嵐の様な後輩の女の子。あんなに女の子と話したことなんて妹以外無い。というか男でも無いくらいだと言うのに。
「結局あの子何しにきたんだ?」
そんな事を考えながらぼーっとしているといつの間にかPCは起動されていた。
「……まぁいいか、どうせもう会う事は無いだろうし」
楽観的な思考で自分を納得させると、俺は慣れた手つきでWEB小説サイトに落ちたてほやほやな駄作を上げる。
「くっくっくっ。今回はどんな罵詈雑言が寄せられるのか楽しみだ、グフフ、グフフフフフフ」
「……えっ。きもっ、なに一人で笑ってるわけ? まじできもっ」
一人で妄想に耽っていると唐突に背後から唯の悪口を言われた。
「え、うわっ! おまっ! 人の部屋に入る前はノックしろよ! ビビるだろうが! てかお前帰ってたのか⁉」
椅子から転げ落ちてドアの方に視線を向けると制服姿の妹が蔑むような目で俺の事を見詰めていた。妹に今の気持ち悪い笑いを聞かれていたのかと考えると羞恥心で死にたくなる。
「……その慌てようから見て…………あにぃそーゆーのは暗くなってからやりなよ……」
「誰もAVなんか見てないよ? ちょっと麗ちゃん待って! 何故にドアをそっと閉じるの? 待ってそのまま出て行こうとしないで⁉」
妹の凄まじい勘違いに俺は速攻で否定する。
「……そのすぐに口からAVという単語が出てくる辺り。……やっぱりあにぃ……」
「そんな事してねぇって言ってんだろ? というかそのゴキブリを見るような目は止めろよ! そしてドアをそっと閉じようとするな!」
「………………………………………………ほんとは?」
「見てねーって言ってんだろ? そしてその間の長さは何なの? 時差なの? この距離で時差が発生しちゃってるの⁉」
物分りの悪すぎる妹に俺はノーパソを突き出して事実無根を訴える。
「ほら、そんな卑猥なものは移ってないだろうが」
「……確かに画面上はそうみたいだけど」
麗はわけの分からない事を口にする。
「何だよその意味深な言い方は」
「履歴見れば一発ってこと」
麗の奴俺よりも作家に向いてるんじゃないだろうか。想像力が逞し過ぎて怖いんだけど。というかこいつ俺がAV見てたって決めつけてるよな、何なのこの子? 疑う事を止めない妹に流石に苛々が溜まる。
「だから見てねーっつてんだろうが! そういう類のやつはスマホでしか見ねーんだよ俺は! って、あ」
「……」
つい口を滑らしてしまった。
「麗、違う! 今のは違うんだ!」
「大丈夫だよあにぃ、あたし何も聞いてないから。ほんと何も聞いてないから。うん、ほんと……じゃあ、あたし部屋に戻るね……」
「お、おい麗ちょっ!」
目線を一切俺と向ける事なく麗は何故か優しい声音でそれだけ言うとドアをそっと閉めた。その後、ドタバタと走る音が聞こえたかと思うと、バタンと激しくドアを閉める音が聞こえ、ガチャリと鍵を閉める音も聞こえた。
「…………ちょっと待て……麗ぁぁああ。今、お前鍵閉めただろーーーーーーーー」
自室のドアを勢いよく開けると向かいのドアの前まで行きドアを連打する。
やばいこのままではお兄ちゃんのメンツが丸潰れである。えっ、お兄ちゃんのメンツとかまだあったの?
「おい、麗違うからな! AVってのはAV機器の事だからな! 俺はスマホでAV機器を見るのが溜まらなく好きなんだよ! だから勘違いするなよ麗! 俺はスマホでそんな卑猥なものは見たりしないからな!」
「……」
そんな俺の必死な弁明も麗には聞こえていないのか開かずの間からはうんともすんとも聞こえてこない。
ふっ、そうか。そう来たか……。お前がその気ならこちらもやり方を変えるだけだ。覚悟しろよ麗!
「あれあれ~。もしかして麗ちゃんってばぁ、AVをもしかしてアダルトビデオと勘違いしてたのが恥ずかしくて出てこれないのかな~?」
「……」
「え~何それうける~! でもでもっ大丈夫っ! お兄ちゃんは全然そんな事気にしてないからぁ! 誰にだって間違いはあるもんね、うんうん! 元はと言えば俺がAV機器の事をAVって略しちゃったのが悪いんだよなー、いやはや、めんごめんご~! ほんと日本語って難しいよね――」
――ガチャ
俺が言葉を言いきる前にカギを開ける音が聞こえ、ドアの取っ手が下を向く。ドアが徐々に開き俺の立つ廊下の床が部屋の明かりによって照らされ、段々とその面は大きくなる。
それを見て麗も俺がスマホでAVではなくAV機器を見ているとやっと勘違いしてくれたかと安堵したのもつかの間。
「……AV……AVってって……さっきからうっさいんじゃこのAV大好き野郎がーー」
「ブホッーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
えっ、と思った時には時既に遅く、頭にドカーンといういう衝撃が走りそのまま床に倒れ込んでしまう。何事かとドアの方を見ると何か四角い物体を肩に担いだ麗がゴミを見るような目で俺の事を見下していた。
「えっと……麗ちゃん。その肩に担いでいらっしゃるものは一体何なのかな?」
「ん、見れば分かるでしょ。枕だし」
え、嘘でしょ。枕ってこんなにも格好良かったっけ? 枕がモンハンのハンマーくらい格好良く見えるんですけど? ランポスさんってハンターに出会った時こういう気持ちだったのね。もう、これからランポスの気持ち考えたらモンハンできねーよ! ごめんね、ランポス……。今までほんとにごめんね!
「ふっ、殺すなら殺せ。俺はこれまで幾度となく数多のランポスを殺してきた……。今、ここでお前に殺られても俺は何も文句は言えなねーさ……」
「はぁ? なにわけの分からない事言ってんのあにぃ。枕じゃ人は殺せないから……って何よその目は!」
呆れ顔で見ていたのがばれていたらしい。
「麗はノリが悪いなぁ。そこは『……いい勝負だったぜ』と言って手を差出し、敵同士だった二人に友情という名の絆が芽生える場面だろうがっ⁉」
「…………いきなり何? キモイんだけど。てか何であたしがあにぃの超意味不明なノリに付き合ってあげなきゃいけないわけ? えっ?」
俺の腹部を片足で踏んづけながら低い声音で語り掛けてくる麗は眉間に皺を寄せ凄い形相だった。これが俗に言うお仕置きプレイというやつなのだろうか? スラリと伸びた細くて長い脚。踝まで覆う黒のソックスが麗の白い素肌をより際立たせる。
更に、この角度からショーパンの端から見えそうで見えない股関節。シチュエーションは完璧なのに悲しいかな、妹からの踏みつけなのでいじめとしか思えない。年上がこれをやるといじめなのに年下がこれをしてもお兄ちゃん(お姉ちゃん)何だから我慢しなさいで終わるのはおかしいと思うのですがどうなんでしょうか? あれかな? 親は俺達の事を武士として育てたいのかな?
「いや、ラノベ作家志望の兄を持ってしまった妹ならそれくらいしてもらわないと困るね! 物書きというのは何処からインスピレーションを受けるかわかんないだから!」
「理由になってないんだ・け・ど!」
眉間に皺を寄せたまま麗は俺の腹部の上に乗せた足をぐりぐりと動かしてくる。
「痛たたたたたたぁぁぁぁああああ! き、極端な事を言うなら今俺は麗から右足で踏まれているが左足で踏まれたときは今とはまた違う思考が浮かんでくるかもしれないと言う事だっ!」
「……つまり何?」
「つまり麗! 次はその左足で俺の事を踏め! その細くて白くて綺麗な足で俺の腹を踏んでグリグリと踏みにじってくれ!」
「……………………はぁ⁉」
予想だにしていなかった言葉を聞いた所為か麗は壁に背中を預けるまで後退し、死んだ曾祖母の霊を見てしまったかの目付きで俺の事を見詰めてきた。え、何? 俺っていつ死んじゃってたの? 否、そんな事はどうでもいい。それよりも今重要なことはほんとに右足と左足との違いだけで何か感ずるものは違うのかどうかという事だ。
別に俺にマゾっ気があるとかいうそういう事では決してない。断じとして家族目から見てもちょっと可愛い妹からお仕置きをして欲しいとかいう事では無い! 全国のお兄ちゃん達に今ここで誓ってもいいくらいに俺は大真面目だ。大真面目に純粋無垢に妹から踏まれようとしている。
「おい麗。お前さっきまでお前俺の事ノリノリで踏んずけてたのに何で急に後退ってんの?」
「そんなのあにぃが急にキモい事言ってくるからじゃん!」
「いや全然キモくないから。これはあれだから、ラノベ書く為に必要な事だから。俺は嫌々なんだから。てか麗、お前いつも俺の許可なしに俺の事サンドバッグにしてんじゃねーかよ! 今日は俺が珍しく許可してやってんだぞ? こんなこと今後一生無いんだぞ? 悪い事は言わねぇ、今のうちに踏んどけって」
「……………………まぁそうかもだけどさ。でも、なんかこういうのは違うというか、調子狂うというか……」
床に仰向けになって踏めと催促しているのに何を躊躇っているのか麗は一向に行動を起こそうとしない。いつの間に麗ちゃんは焦らしプレイなんて覚えたのだろうか。
もうお兄ちゃん我慢できない! 早く踏んで! このまま一思いに踏みつけて!
「……」
そんな事を思いながら大人しく待ってはみるものの一向に麗は踏んでくれそうにない。
致し方ない。もう我慢の限界だ。
「……えっ」
俺は立ち上がり壁に背中を預ける麗の前に立つと麗の顔の横にそっと手を置いた。
「な、なにしてんのあにぃ」
急に俺が目の前に来た事に困惑しているのか麗はたじろいでいた。
「麗お前さぁ……」
「う、うん……」
伏し目がちに応える麗は暑いのか火照って見えた。
「今から俺に壁ドン、顎クイ、スクールラブの三連コンボされるのと俺を踏みつけるのどっちがいい?」
「はぁ⁉ な、何言ってるの⁉」
「何って、俺、なんか変なこと言ったか?」
「ひゃぁっ!」
耳元で呼気をする様に言葉を発すると麗は俺が今までに聞いたことのない甲高い声を発した。え、何、この子こんな声出せたの? 嘘、ちょっと可愛い。
「へ、変なことしか言ってないし! てか、麗、既に壁ドンされてるんだけど⁉ ていうか、早く離れてよ!」
耳元で言葉を囁かれたのがそんなにも嫌だったのか麗は俺を遠ざけようと躍起になって何度も俺の顎に掌底を入れてくる。
「う、麗やめろって! もげる、首がげちゃうから!」
「うるさい! あにぃがさっさと離れないからでしょ! だから首がもげても文句言わないでよね!」
「わ、分かった! 分かったから離れるから!」
これ以上は脊髄が悲鳴を上げそうなので俺は仕方なく麗から離れた。
「はっ、はっ、はっ。わ、分かればいいのよ、分かれば」
そう言う麗は何故か息が荒い。
「どうした麗。何でお前息が荒いの?」
「う、うるさい! 何だっていいでしょ! それよりキモイからもう話し掛けないで!」
俺に罵詈雑言を浴びせるだけ浴びせた麗は逃げる様に自室に籠ってしまった。廊下には先程の喧噪が嘘の様にひっそりと静まり返っていた。
「まだ左足で踏まれてないのに……」
その日の夜、俺は左足からの踏みつけられ具合が気になって全く寝付けなかった。
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