手合わせ

 互いの距離はおよそ三歩。

 構えを右前の半身に変えたノエは、その半分以上を一度の踏み込みで詰めてくる。

 そして、まず動いたのは左手――ボーラの三つのおもりを握っていた手が、まるで叩き落とすかのような動きでおもりを繰り出した。

 放たれた三つのおもりは右手を支点に、アッパーカットのように俺の顎を砕かんと下から迫ってくる。


 コンパクトな動作に、不意を突く軌道。戦闘の知識や経験はろくにない俺だが、このノエの初撃は結構洗練された攻撃のように感じられた。

 とはいえ、俺にとってはさほど脅威ではない。

 俺は三つのおもりの軌道上に右腕を置いた。

 直後、ガガガッと続けざまに石製のおもりが鈍い音を立てるが、それだけだ。傷どころか痛みすらない。

 あの大地の神が投げつけてきた岩塊ですら、俺の右腕自体には傷一つ負わせられなかったのだ。当然、岩塊の百分の一程度の石など通用するはずがない。

 そして俺は、今がチャンスとノエの体に手を伸ばし、地面を蹴る。

 タックルしに来た俺を迎撃するはずのボーラはというと、腕に攻撃をはじかれたせいで元来た軌道をなぞるように戻っていた。

 ヌンチャクや鎖鎌のような紐状の武器は、その形状ゆえに攻撃に遠心力を乗せやすかったり、盾や武器によるガードをくぐり抜けることができたり、あるいは相手に巻き付いて動きを封じ込めることに役立ったりするなどの様々なメリットが存在する。しかし、そうしたメリットと引き換えに、いくつかのデメリットもまた存在する。

 その一つが、これ。命中時の跳ね返りによるコントロールのしづらさと、それによる長い攻撃間隔だ。つまり、一度弾いてしまえば追撃までに要する時間は他の武器よりも長くなってしまう。

 だから俺は、これでほぼ決着が着いたと思った。

 そうして俺はノエに掴みかかろうとした……のだが、そのノエとの距離がなぜか縮まらない。

「いやー、ここまであっさり防がれてしまうとは、さすがですね! でも、足の速さなら負けませんよ!」

 そう爽やかに言いながら、ノエは全速力で進む俺とほぼ変わらない速度で後ろ向きに飛び退っていく。

 組みついて押し倒してしまえば何とでもなる。確かに俺はそう思っていたし、多分それは間違っていないのだろう。

 だが現実は――

「くそっ……速すぎる!」

 相手の体に触れることすら叶わない。

 たかだか1メートルの距離が縮まらない。どころか、その距離は少しずつ開いていく気さえした。


 俺が仕掛けたタックルに対してノエが即座に後退、そうして生まれた距離の縮まらない一種の膠着状態は、実際にはほんの数秒の出来事だった。

 だが、ノエにはそれだけで十分だった。

 スッとノエの右手が引かれる。その手から垂れ下がるボーラは、もはや弾かれたことによる制御不能の段階をとうに過ぎていた。

 しまったと俺が思った一瞬で、ノエの右手は素早く小さな弧を描く。その動きに遅れて追随するように、ボーラの石製のおもりは風を切りながら襲い来る。方向は俺から見て左側。

 右腕でのガードは間に合うかどうかが怪しい。だからやむなく急制動をかけた。

 片足を前に突き出し、なんとか足裏に地面を捉えて無理矢理に速度を殺す。そのかいあってか、ブンッ、と二つのおもりは鼻先すれすれを横切った。……二つ?

 確かおもりは三つあったはずと見直すと、三つ目のおもりだけは短い半径で円を描いていた。つまり、握り方を変えて少しリーチを伸ばしたというわけか。

 二度目の攻撃を躱されたノエは、こちらに背を向ける格好で振り回したボーラの軌道をコントロールしているようだった。

 今ここで改めてタックルを仕掛けるべきかと思いかけて、しかし俺は思いとどまる。

 先ほどノエが見せた通り、ボーラは握る位置次第である程度攻撃のリーチを変えられる。それは何も攻撃動作に入る前だけの話じゃない。

 例えば。ヨーヨーのパフォーマンスよろしく振り回すボーラの紐の途中をもう片方の手で引っ掛けてやれば、ボーラのおもりは加速しながらより短い半径で回りだすことになる。それは俺との距離を見てからでも可能だ。

 つまり、近ければ両手を使って軌道を変えて迎撃し、遠ければそのまま振り回す。ちょうどノエの背中が覆い隠していて見えないが、可能性としては十分にあり得る話だ。

 そして、長さが途中で変わるとなれば、右腕でガードしても回り込んで他の部位に命中する可能性だってある。その威力がどれほどのものかは分からないが、遠心力の乗った石の一撃だ。痛いじゃ済まないかもしれない。

 そこまで考えて、俺は全力のバックステップを選択した。

 物理的にあり得る最長のリーチは、ボーラのおもりのうちの一つを握って振り回した場合だ。つまり、大体1メートル。それにノエの腕の長さを加味し、さらにそこへ余裕を持たせて2メートル。瞬時の判断で取った間合いとしてはよくやった方だろう。

 ノエが体ごと振り返る。いっぱいに伸ばされた腕の先のボーラは……さっきと同じ握り、おもりではなく一本の紐の中心辺りを握ったままだった。

 読みが外れたか。

 俺は空振りするであろうボーラの軌道を予測しながら、右手を前に構えつつ膝をためる。

 ボーラが正面を通り過ぎるくらいのタイミングで飛び出せば、あるいは手が届くかもしれない。

 そうして前のめりになっていた俺に向かって、ボーラは投げられた。


 大きく広げたノエの手から、ボーラが投げ放たれる。

 戦闘経験がほとんどないとは言え、俺だって当てるつもりの攻撃が外れそうだったら武器を投げてでも当てに行くという行動は予測できる。

 だから、そんな可能性にも対処するために右手を前に構えていた。

 その右腕を胸の前で構えて、俺は飛んでくるボーラを受けようとした。

 ……だが、あくまで俺が予測していたのはだ。

 ノエの手を離れたボーラは、まるでバネでも仕込まれていたかのようにピンと伸び、一本の棒のように展開した。

 俺の腕に命中したのは、想定よりもはるかに軽い衝撃――ボーラのおもりとおもりを繋ぐ紐の部分だった。

 瞬間、ノエの目が光ったような気がした。

「命中、捕縛!」

 ノエがそう二言叫ぶと同時に、俺の腕を軸にボーラが巻き付き始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る