陽光の刃

 ズドムと、重い衝撃が鳴り響く。俺の右拳が魔狼の脇腹に直撃した音だ。

 拳が命中した点を中心に、見えない球体に押し潰されるように黒曜石の刃が割れ砕け、陥没。

 しかも俺の一撃の威力はそれだけでは収まりきらずに、魔狼の巨大な体躯そのものを突き飛ばしていく。

 手ごたえは十分に思えた、のだが。


「ちぃ、引き戻すぞい!」

 急に切迫したラウレンスの声が聞こえてきた。その言葉通り俺の体は風の力で押し戻されていく。

 一体何が、と周囲を見回したところで気付いた。

 俺が飛び込んだのは巨大な魔狼の側面、胴体のど真ん中だ。そこに俺が一撃を叩き込んだことで、魔狼の体は大きく横に反ることとなる。

 そうなると、ごく自然に、頭と尻尾がこちらに向かってくる。加えて、魔狼の巨体を揺るがすほどの一撃を食らわせた奴が無視されるはずがない。

 恐竜のように巨大な牙が並んだ顎と、無数の黒曜の剣が生え並ぶ尾。どちらの攻撃を食らっても俺は無事ではいられない。しかも、両方の攻撃がちょうど俺の退路を潰すように繰り出されている。

 離脱はおそらく不可能だ。一か八か、攻撃を拳で迎え撃つしかない。

 そう思って体をよじり後方を向き直った俺の視界に、キラリと何かが光った。


「させません!」

 凛と響き渡るイェーナの声。

 同時に、三つの煌めきが立て続けに宵闇を飛翔した。

 瞬間、魔狼の巨体がわずかながら怯む気配があった。狙ったのは口か目か、どちらにせよ、針穴を射抜けるイェーナにとっては十分大きな的だろう。

 さらに続けて槍や石、光線みたいなものまでが放たれ、矢の後を追うように魔狼の頭部へと命中していく。

 と、今度は真下からトビアスの声が届いた。

「上を向いてろよー、カジナ殿」

 そう声を掛けると、何やらガギャンと硬質な音が下から聞こえてきた。続けて、今度は大声を張り上げる。

「ジジイ、隠して上だ!」

 直後、トンと軽く背中を押された感覚。おそらくトビアスなのだが、一体何を……?

 と思っていると、蹴り飛ばされるような衝撃が――というかこれ絶対蹴り飛ばされた。

「ごはっ!?」

 肺から空気全てを叩き出されるほどの衝撃。だが痛みはそれほど感じない。

 代わりに、ドンッと体が押し上げられた感覚がある。

 そこでようやく、俺はトビアスの狙いを悟った。つまり俺を直線で引き戻すのではなく、斜め上空に山なりの軌道で引き戻せば、追撃を躱せるというわけだ。

 そしてその意図はラウレンスにもしっかり伝わったらしく、真下から吹き上げる風がしっかりと俺の体を捉え、押し流していく。

 しかも今度はそれだけではない。何やら黒い霧のようなものが俺の周囲を取り囲み、ただでさえ暗かったのがより一層暗くなり、まともに視界が通らなくなっていく。

 そういえばラウレンスは光や音も多少操れるというようなことを言っていたなと俺が思い出していると――

 ガチィン、と鋭い音がすぐそばで鳴った。

 同時に憤怒をありありと伝えてくる巨獣の唸り声。

 どうやら魔狼の顎は俺を見つけられずに空を噛んだようだった。


 風の力で宙を舞うこと数秒。

 俺は無事に空堀の上、壁の残骸があったところまで戻ってきた。いや、戻してもらえたというべきか。だって俺自身は何もしていないのだから。

 そして黒い霧のようなものが消えると、隣に立っていたラウレンスが眉を八の字に下げて申し訳なさそうな顔をしていた。危険な目に遭わせたことへの罪悪感だろうか。

「いやぁ、すまんかった」

「いえ、助かりました」

 跳ぶと言ったのは俺なのだし、そこから助けてももらったのだ。俺は素直にお礼を言った。

 そして、改めて正面に向き直る。

 そこには唸り声を撒き散らしながら辺り構わず噛み付いている半狂乱の魔狼の姿があった。

「それで、どうしましょう、これ……」

 どう、と言っても迂闊に近づける状況でもないし、俺には打つ手はなさそうに思えるが。

「まあ、怒りが収まるまで静観するしかないかのぉ」

 フードの上から白髪の頭を掻きつつ、ラウレンスは答えた。

 まあそうなるよな、と釣られて頭を掻いていると、不意に後方から威圧的な声が聞こえてきた。

「一体これは何事だ」

 それはついさっき聞いたばかりの声。

 振り返ると、身の丈ほどの光放つ大剣を携えた砦の長がいた。


「はい、巨大な魔狼の変種一匹を現在迎撃しているところです」

 近くにいた者がそう答える。

 それを聞くや、大剣の光に照らされた砦の長の口から長い犬歯が覗いた。遠くて細かな表情までは読み取れないが、その顔は何故か笑っているようにも見えた。

「魔狼ごときで手こずるか……。よい、全員下がれ!」

 砦全体に響き渡るような号令。すると、蜘蛛の子を散らすように砦の長エドムントの前から人がいなくなる。

 それをぼーっと眺めていると、背中をドンと押す者があった。ラウレンスだ。

「え? あの、戦わなくていいんです?」

「こんなとこおったら巻き込まれるわい。さあ逃げた逃げた」

「は、はぁ」

 とりあえずラウレンスに促されるまま、俺もエドムントの前から脇の方へと足早に移動する。

 そして俺たちが脇に寄って遮る者がいなくなったところで、エドムントは担ぐように大剣を構え、数歩前に出た。

「我が砦に楯突く愚かな獣よ。これより貴様に制裁を下そう。――この光は太陽の輝き、全てより高く君臨し、地上の全てをく、砂漠の主たる焦熱の炎天の力なり。この剣は鍛冶の業、燃え盛る火焔により命を宿し、金床と鎚により姿を得た、岩より硬く牙より鋭い刃なり」

 太陽と剣を称える文言を唱えながら、大剣をさらに高く掲げ、エドムントは力を溜めるようにそれをゆっくりと振りかぶる。

 同時に、大剣の放つオレンジの光がだんだんと強くなっていく。その輝きの強さに応じて、寒気にも似た神の気配もまた、濃くはっきりとしたものになる。

 魔狼もその気配を感じ取ったのか、あるいは強まる光に気を取られたのか、狂ったように宙を噛むのを止めて、崩れた壁の隙間から大剣の主を睨みつける。

 牙を剥き低く唸るその姿は、隙さえあれば即座に相手を噛み殺すという意志の表れに見えた。

 だが、魔狼はまだ動けない。

「――我が祖神そしんは焦熱の炎天『アムダ・フィロロ』。砂漠の主にして太陽の化身なり。その光は木を灼き、草を灼き、大地を灼いて、東の地に砂漠をもたらした。

 ――今ここに、神の御業を再現す」

 瞬間、大剣から放たれるオレンジ色の光が一層強まる。中心にあるはずの大剣はもはや見えず、まるで太陽が剣の形になって握られているかのような錯覚すら覚える。

「ヴァオオオオオオ!!」

 吠える魔狼。

 人一人を容易く飲み込むほどの顎が開かれ、漆黒の牙が光源を噛み砕かんと迫った。

 そして、エドムントは剣を振り下ろした。


 見えたのは、眩く光る大剣が辿った軌跡だけだった。

 一息で振り下ろされた大剣は黒曜の牙に命中し、あっけなく切断。そのままの勢いで剣先は地面まで斬りつけ――

 瞬間、視界全てがオレンジ色の輝きで塗りつぶされた。

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