勝者の資格

 視界全体を覆い尽くす、白く尾を引く巨岩の数々。

 まるで絶望が姿を得て現れたかのような、どうしようもなく破滅的な終焉の光景。

 だというのに、聞こえてきた声はあっけらかんとしていた。


「やれやれ、今回ばかりはかなり骨が折れそうな相手だぜ」

 双剣を腰に下げた青年は飄々とした口ぶりでうそぶいた。

「冗談じゃなく何本も折れるじゃろうなぁ。少なくともお前さんは」

 ローブを纏った老人は軽い口調で冗談めかして言った。

 そして二人は気負う様子も怯えた様子もなく、俺の前に歩み出た。

「さて、狙いはどれだよジイさん」

「そうじゃなぁ、やたらと突出しとる先頭のやつが丁度いいじゃろう」

 二人が眺めるその先には、今まさに俺たちを叩き潰そうと降り注いでいる巨岩の群れ。その中でも他より速いのか真っ先にここに着弾するだろう一つの岩塊に二人の視線は注がれていた。

 つまり、あれを止めようと言うのだ。

 巨人にまるで歯が立たなかった二人が。俺より非力で、なおかつ全身の傷が塞がりきってもいない二人が。

「待ってください! そんなの無駄です! まだ動けるんなら逃げるべきですって!」

 思わず叫んでいた。

 どう見たって勝算などない。あの岩塊一つだって人間には手に負えない代物なのだから。そんな無意味な特攻をするくらいなら、今からでも逃げ出した方がまだ有意義だろう。

 だというのに、振り返ったトビアスは爽やかな笑顔で俺に言った。

「いいんだ。カジナ殿が助けてくれなけりゃとっくに死んでた命だからな。無理だろうが無駄だろうが、あんたのために使い切るのが筋ってもんだろう」

 さらに付け加えるように、ラウレンスも茶目っ気のある笑顔で振り向いて言った。

「というか、ここでカジナ殿を見捨てるなんぞしたら、先に逝ったサイラスにぶちのめされるわい」

「ああ、そりゃ間違いない。あいつ、そういうのに関しては誰よりも厳しかったしな」

 向かい合ってひとしきり笑うと、二人は今度こそ迫り来る岩塊に向き直った。

 ジャリンと二本の刃が引き抜かれ、それを合図にしたかのように二人は各々の神に向けて短い祈りを捧げた。

 俺には分からなかった。

 彼らはどうして逃げないのか。どうして笑っていられるのか。

 どうしてまだ立ち向かえるのか。

 仮に一つの岩塊が止められたとして、結局その後に続く何十もの岩塊に潰されるというのに。そんなほんのわずかな時間を稼いだところでできることなんて何もないのに。

 それなのにどうして諦めないのか。


 トビアスは両手の双剣を体の前で交差させた。

「頼むぜ!」

「任せい!」

 打てば響くような掛け声を交わし、二人分の視線が眼前に迫った一個の岩塊に注がれる。

 瞬間、思わず地面に手を着くほどの猛烈な風の奔流が吹き荒れた。風はラウレンスの体を起点に、前方斜め上に向かって吹き抜けていく。

 その風を背に受けて、トビアスは一目散に駆けていく。その様は一個の弾丸のようで、状況を忘れて見惚れそうになるほどに洗練された連携だった。

 だが、その風には血の匂いが混じっていた。

 全神経を注ぎ込んで風を制御するラウレンスも、全力で大地を蹴って進むトビアスも、その服には新たな血が滲み始めていた。塞がりかけていた傷が、自らを省みない酷使によって再び開いたのだ。

 それでも、風は勢いを落とすことはない。大地を蹴る脚が緩むことはない。

 そして、双剣を交差させて構えたトビアスは一切減速することなく、吹き続ける暴風と共に、3メートルを超える岩塊へと飛び込んだ。



 それは無謀に過ぎる突撃だった。

 神憑きの俺でさえ気が緩めば押し切られてしまうほどの、圧倒的な攻撃。

 それを、二人掛かりとはいえ神憑きに遠く及ばない人間が、相性の悪い双剣使いと風使いが、しかも満身創痍な肉体で。

 打ち返せるはずなどなかったのだ。

 結果として、最高速度のまま飛び込んだトビアスは額から血を流しながら真後ろに弾き飛ばされ、ほぼ同時に荒れ狂っていた風の奔流もぴたりと吹き止んだ。

 そして、二人が死力を尽くして挑んだ岩塊は、失速し、軌道を変えて落下した。

 それは俺の目の前、5メートル先。


 



「――っ!!」

 鳥肌が立った。体が震えた。胸が熱くなった。

 わけもなく叫び出したくなるほどの勇姿。圧倒的な神の一撃から、たった一度ながら俺たちを守り切った、それはまさに偉業。

「な、んで……」

 ああ、全く何故だろう。何故彼らは命を省みず立ち向かえたのか。

 思えば、最初の時だってそうだった。彼らは恐怖など無いかのように、自らの何倍もある岩石の巨人に立ち向かっていた。怖くないわけがないのに。

 俺と彼らと、一体何が違うのか。


 ――経験、信念、決意、絆、想い。


 ああ、そうだ。そうだろう。俺には背負うべき歴史も、支えてくれる過去も無い――否、無かった。

 でも今この瞬間、俺の胸には燃えるような熱さが宿っていた。


 胸の熱さは、たちまち全身に波及していく。熱さが、冷え切っていた全身をもう一度目覚めさせる。恐れは氷解し、力が身体の隅々にまで満ちていく。

 俺はまだ立ち上がれる。

 そうだとも、あんなものを見せつけられて座っていられるほど、俺はおとなしい人間じゃない。

 前方には視界全てを埋め尽くすような何十もの岩塊が、先よりも一層迫力を増して迫っていた。

 それでも、もはや絶望を感じることはない。

 今は過去となり、過去は人格を構成していく。強大な相手にも屈することなく立ち向かった二人の勇士の姿は、今この瞬間、俺の魂の一部となった。

 だからこそ、俺は立ち上がれる。


 大地を踏みしめて、俺は立ち上がった。脚は鋼のように強靭で、大樹のように頑丈に俺を支えていた。今だけはもう倒れる気がしない。


 状況は何も変わってなどいない。

 超質量の砲弾の斉射はあとわずかの後に着弾し、地形をも変えるほどの破壊力で俺たちを跡形もなく粉砕するだろう。

 だが、今一度立ち上がった俺に、応えるものはあった。

 俺の神だ。

「ハッ、ようやっと立ちやがったなこの野郎! ならばよし、おめーには勝利を手にする資格がある! つーわけで、その一撃に名をくれてやろう。一式解放――『ヴィクトリー・ストライク』だ!」

 ああ、相変わらずこのひとは説明が足りない。

 だが、俺には何をすべきかがはっきりと分かった。


 喚きたてるしゃがれ声に背を押され、俺は目の前、地面の上に鎮座する3メートル超の岩塊の前に駆け寄った。

 これこそは俺の仲間が死闘の末に勝ち取った勝利の証。

 そして俺は拳を固く握り込む。

 左足を踏み込み、胸を張り、右拳を肩の高さに構え、左手を正面――打ち込むべき場所へと差し向ける。

 右足で地面を突き飛ばし、腰・胴・肩の順に連動して回転、最大限振りかぶった右拳に全身全霊を乗せ、咆哮と共に全力の一撃を打ち込んだ。


「征け――『ヴィクトリー・ストライク』ッ!!」


 拳が岩塊の表面に触れた瞬間、俺の右腕を中心に灰色の輝きが展開した。それはこれまで相手が使ってきた白い光とほぼ同じもの。

 その灰色の輝きは一瞬、俺の腕の周りでオーラのように纏わりついていたかと思うと、瞬間、轟音と閃光を炸裂させた。


 解き放たれた力は拳を起点に放出、その先の岩塊に余すところなく伝わり、砲身から射出される砲丸のごとく岩塊を打ち放った。

 そして岩塊は灰色の尾を引きながら一直線に宙を翔け、後続の岩塊群を蹴散らし、巨人の胸板をぶち抜き――そのまま空の果てに消えた。

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