神の礫・上

 ズゥゥゥゥンと、地震のような猛烈な地響きを巻き起こして、巨人は倒れた。

 長さ20メートルにも達する巨大な右脚は付け根からごっそりなくなり、胴体にも大きな亀裂が何本も走っている。

 巨人内部にいるという神憑き本体がどれほどのダメージを受けたかは定かではないが、残った手足がピクリとも動かないところを見ると無傷というわけではなさそうだ。

 ……戦う以外に選択肢はなかった。俺はそう自分に言い聞かせる。

 相手は俺を確実に殺す気で、俺はそれに抵抗した。そうして戦いになれば、どちらかが退かない限りは片方あるいは両方が傷を負う。当たり前のことだ。

 

「カジナ様ぁー!」

 遠くから俺を呼ぶ声がした。振り返ってみると、後方にいたイェーナが風のような速さで走ってきていた。

「ふぅ……」

 息を一つ吐いて、俺は意識を切り替える。

 まだ警戒は必要だろうけど、一旦は戦いが終わったと考えていいはずだ。

 だから俺は手を振ってイェーナの声に応えながら、チラリと足元に目をやった。ついさっきまで気付いていなかったが、いつの間にか俺は3メートルくらいある台の上に乗せられていたようだった。

 3メートル。イェーナの前だしかっこつけて颯爽と飛び降りてみたいが、気安く飛んでいい高さじゃない。何せ俺の体は右腕以外は普通の人間、普通に足首をくじいたり、最悪骨折したりしそうだ。

 というわけで俺は台のへりに手を掛けて、慎重に、しかしビビってると思われない程度の早さで体を台の外へ下ろす。当然足は着かない。

「お待ちくださいカジナ様、私も手を貸しますのでっ」

「い、いや大丈夫、これくらい自分で降りれますって」

 言いながら急いで手を離す。イェーナと合法的に接触できる機会だったかもしれないが、体を支えてもらうのはなんか違うと思う。逆ならまだしも。

 そして俺は膝を使って衝撃をいくらか和らげながら、両足で地面に着地した。


 瞬間、地面が蠢いた。

「――ス」

 ほぼ同時に声が聞こえた、気がした。

 だが、それが何と言ったのか。どこから聞こえたのか。誰の声だったのか。知ることはできなかった。何故なら――

「なっ、地面が! きゃあっ」

「うわっ、なに、まだ――」

 大地が海のように波立ち、うねりだす。その表面は日光で煌めく雪原がごとく、一面が白い光を放っていた。

 うねり逆巻く大地は見た目こそ荒れた海面そのものだが、触れれば硬く、体が沈み込んでいくこともない。

 しかし、だからこそ、その上に人間が立っていられるはずがない。

 転覆した船のごとく倒れ込んだ俺たちを乗せたまま、一切の抵抗を許さない力強さで地表面は一方向へと押し寄せていく。

 そして地面が元の静けさを取り戻した時、俺はイェーナやトビアスたちと共に、突如として現れた小高い丘の上にいた。

 元の灰色に戻った荒野の中、俺たちの乗せられた丘は倒れたままの巨人から100メートル程離れた場所にあった。

 その巨人の胸からは、今まさに一つの人影が起き上がろうとしていた。



 ボロ切れを纏った体。枯れ枝のように細い手足。長さのひどく不揃いな髪。

 カカシと言われた方がまだ説得力のある、あまりにみすぼらしい姿。

 俺のいた世界とこの世界の常識が違うことを差し引いたとしても、あれは普通の子供の姿ではないはずだ。

 というか、あれはもはや――

「……ふん、カジン・ケラトスの神憑きよ」

 その小さな人影の方から地鳴りのような声――大地の神ゴトス・ユエの声が響いた。

「忌々しいがその力、我が同志を一時なれど凌駕したことを認めよう。だがこの戦い、初めから勝負などではない。どうあれ貴様らには一人残らず死んでもらう」

 大地の神は今一度皆殺しを宣言する。

 それに対してどう応じるべきかと考えていた俺のすぐ脇を、風を裂く音と共に矢が貫いた。

「すみませんカジナ様。目隠しとして利用した無礼をお許しください」

 遅れて謝罪をしたのはイェーナだった。

 俺が何かを思うよりも早く矢は100メートルの距離を瞬く間に飛び、ボロ切れのど真ん中へと吸い込まれるように突き立った。

 そしてドシュッという軽く乾いた音を立てて、矢は貫通した。

 胸に開いた風穴からは、一滴の血も溢れてはこない。


 棒のように細い人影が、ピクリと体を震わせる。少女――否、少女だったものがその身に宿っている神と何かしらの意思疎通をしているようだった。

 そして数秒の後、その細い両腕がゆっくりと横へ掲げられていく。

 暑さなど感じていないはずなのに、俺の手のひらには汗がにじんでいた。

 今この瞬間に感じるプレッシャーは、巨大な岩塊が動き出した時のものとは比べ物にならない。というより、プレッシャーの種類がそもそも違う。

 巨大な物体が動き襲いかかってくるような見える恐怖ではない。

 見えもしなければ聞こえもしない、ただそこにあることだけは確実な神というものが放つ存在感、俺が今まで――おそらく元の世界にいた頃から感じたことのない異質な存在感が、今、少女の屍を器としてこの次元に現出していた。

 許されるならば今すぐ地面にひれ伏したい。嵐の夜に家の隅にうずくまりたくなるように、燃え上がる火の手から走り去りたくなるように、それは自然な欲求だった。

 その欲求が最大限に高まり視線が地面に落ちかけた瞬間。が響いた。

「……同志よ、今こそ使命を果たそうぞ。完全に一体となった我々の手で、復讐を果たそうぞ。汝を殺し、辱めた人間どもと、その人間に与する愚かな神々を――コロス」

 瞬間、地面に倒れていた巨人の残骸が重さがなくなったかのようにふわりと浮き上がった。それは数メートルの岩塊にばらけながら、しかし巨人の形は保ったままで起き上がる。

 そして地面から上半身を生やした巨人の胸部へと、少女の体は吸い上げられていく。

 それが最後の準備だったようで、胸の中心にたどり着くなり、少女の肉体に宿った大地の神は声を上げた。

「潰れよ」

 声を合図に、巨人を構成する岩塊の一つが俺たち目掛けて放たれた。


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