神殺拳はお持ちですか?

逃ゲ水

第一章 英雄、荒野に立つ

英雄爆誕

 何もない真っ暗な空間。光も音も匂いも温度も肌に触れるものもない。いや、そもそも感じる肌すらないのではないか。そう思うと、目も耳も鼻もないような気がしてきた。

 死んだのだろうか。当然の流れとして俺はそう考えたが、しかし俺には記憶がなかった。つまりこの状態が何なのか、俺には何の手がかりもなかった。

 でも死という概念があるなら俺はやっぱり生きていたんじゃないのか? とするならやっぱりここは死後の世界? このまま真っ暗闇の中にただ浮かび続けるだけ? このまま永遠に!?

 と、思考がぐんぐん悪い方向へ巡り始めた瞬間、静寂を打ち破る音が聞こえた。


「よう、とっとと起きてくれ。こっちも暇じゃねーんだ」

 聞こえたのは、しゃがれていながら若さを感じさせる奇妙な声。

「おめーだよおめー。もう意識はあるんだろ? そんぐらい分かんだぜこっちは」

 その声は誰かに語りかけているようだった。

「誰か、じゃねーんだよ! おめーだっつってんだろ!? とっとと起きろこのボケナスビ!!」


「え、俺?」

 思わずそう口に出した途端、俺は五感全てのインプットが急にオフからオンに切り替わったのを感じた。風に吹かれてざわめく草木、カビ臭く湿った空気、背面に触れている冷たく硬い石の感触。

 そして目の前には――

「ようやっとお目覚めか。英雄さんよ」

 なんかでかい目玉みたいなものが浮かんでいた。


 石造りの建物の中、自ら発光する灰色の巨大眼球と俺は向き合っていた。その眼球は口もないのに俺に語りかける。

「あー、めんどくせーからさくさく説明させてもらうぜ。今この世界はやべーことになってる。それを何とかするために俺様がおめーを召喚した。ついでに力もやるからテキトーに暴れてこい。以上だ」

 ……いや、さくさくすぎてわかんねえよ。

「どーせ今わかんねーとか思っただろ? だが俺様もわかんねーことをいちいち説明してやる時間がねーし、それよりもっと大事なことがある」

 そう言って、灰色目玉は半眼になってねめつけるように俺を見ながら、周囲をくるくると回り始めた。どうやら、まぶたのようなものがあの目玉には付いているらしい。

「あー、どれどれ。んー、やたらと凝集してんな。…………っと、これはおもしれーのを引いたかもな。クヒヒッ」

 不気味な笑い声を漏らして、眼球は旋回を止めた。

「あのー、今のは一体……」

 流石に意味がわからないので尋ねてみた。だが答えは返ってこない。

「ちょっと両手を出してみな」

「え? こうですか……」

 すると、眼球はにやりと笑った。

「よし、特別だ! おめーにはちょっと力の使い方ってもんを教えてやるぜ! あと名前も付けてやる! おめーは『カジナ』だ!!」


 ◆


「――じゃあそのまま左足を前に出せ。胸は張ったままだぜ。んで右手を握って肩まで上げて。あん、拳の握り方? んなもん知らん適当にやれ。そんで、右足で地面を押して、腰・胴・肩の順に回して、最後にそのままの勢いで右手がずばーんと飛び出す。分かったな?」

 言われた通りに体を動かし、軽く拳を突き出す。その動きは俺の知識で言うといわゆるパンチだった。ボクシングなんかで言うと右ストレート。まあ多少というか、かなり大振りなモーションではあるが。

「……それで、力の使い方ってのは」

 と俺が聞くのも無理はないだろう。たかだか妙なパンチの打ち方一つで『やべーことになってる世界を何とかする』ことができるとは思えない。これは体馴らしみたいなもので、慣れてきたところで何かとんでもパワーを授かるのだろうと思ったからだ。

 しかし、

「いーから全力でぶっ放してみろ」

 目玉はそう言って譲らない。そう言われてしまえば俺も従う以外にないので、言われた通りに動くのだが。


 拳を握り、肩の高さで構える。左足を出して半身になる。後ろ側になった右足をぐんっと踏ん張り、腰・胴体・肩を滑らかに連動させて、最後に拳――


 ズバン、と空気が震えた。


「よーしよーし、上出来だ。第一段階はクリアだな!」

 そう楽しげに灰色目玉はしゃがれ声で騒ぐ。だが、俺はそんな声がほとんど聞こえていなかった。

 いや、だって。これはやばい。この感触はとんでもない気がしてならない。俺の本能がそう騒ぎ立てる。

「んじゃ早速――」

「ちょっと、試し打ちしたいんだけど!」

 言ってしまってから、俺は目玉の言葉を遮ったことに気付いた。

 さっきまでの衝動も忘れて、こんなしょうもないことで怒らせるのは嫌だなぁと俺が後悔し始めたところで、宙に浮かぶ巨大な灰色目玉はそっけなく答えた。

「試し打ちなんざしてる暇はねーよ。どうやらお出ましのようだ」

「え、何が――」

 と言いかけた瞬間、地響きが轟いた。

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