本当に女の子なんだな……

 中には古いがよく磨かれた丸テーブルが四つ並び、正面のカウンターでは厳つい中年の店主が、芋のような野菜を刻んでいた。


「いらっしゃい、カウンターに座ってくれ」


 まだ開店したばかりなのか、店内に他の客は居ない。

 真一は言われた通りカウンター席に座り、金の粒を三つほど置きながら注文する。


「この店で一番高くて美味い料理を二人前で」


「馬鹿野郎、うちの料理はみんな美味いんだよ」


 生意気な注文の仕方に、店主はそう言い返しながらも笑い、金の粒を全て掴む。


「王国銀貨を持ってねえなんて、どこの田舎から来たんだ?」


「南のセンベエ村だよ」


「ふーん、初めて聞く名前だな」


 店主は適当に相槌を打ちながら、売り上げ金の入った箱の中から、薄い銀貨を二十枚ほど出して真一の前に置いた。


「つりだ、金の両替なら道を城の方に進んだ先にある、秤が描かれた看板の店に行きな」


「なるほど、ありがとう」


 真一は素直に礼を告げ、銀貨を袋にしまう。

 この換金が適切な額なのかは分らないが、少なくとも全額だまし取るような悪人ではないし、両替商を紹介してくれる程度には親切な人物らしい。


「オヤジさん、最近なんか面白い話あった?」


「ねえな、ドーグ渓谷に伝説の魔族が現れ、しかも大負けしちまったんだ。どこもかしこも辛気臭え話ばかりさ」


 店主はそう言いつつ、小麦色の飲み物が注がれた木のコップを、真一とセレスの前に置いた。


(エールか? 生水だと寄生虫とかの危険が有るから、昔のヨーロッパでは酒の方が安全だったとか聞いたな)


 今更ながら、魔王城で飲んだ水は大丈夫だったのかと、少し不安に思いつつ、真一は地球の法律は忘れてエールを飲む。


 それを見て、セレスもコップに口をつけたが、初めて味わうその感触に、目を見開いて口元を手で押さえていた。


(やっぱり、魔界は酒も不味いんだろうな)


 そんな事を思いつつ、チビチビと飲んでみた人界のエールも、大して美味しい物ではなかった。


 子供の頃、親戚の叔父さんに面白半分で飲まされた時くらいしか、酒を飲んだ経験

がなかった真一なので、確かな事は言えないが、日本のビールを水で二倍に薄めたら、こんな味になるという感じであった。


(材料が悪いのか製法が悪いのか、この様子だと料理も……)


「ほれ、スープは今温めてるから、先にこいつを食ってな」

 ドンっと目の前に置かれた皿には、ハムの薄切りと黒いパンが乗せられていた。


「ありがとう」


 店主に礼を言いつつも、真一は期待値を下げながら、ハムとパンを手掴みで口に運んだ。


(ハムの方はちょっと塩が効きすぎだが悪くないな。しかしパンの方は……固くて酸っぱい)


 日本で普通に売っている小麦粉のパンではなく、ドイツ等で食べられているライ麦パンに味は近い。

 ただ、使っている麦の品質が、二十一世紀の物より遥かに劣っており、嫌なエグミがある。


(品種改良って偉大だよな)


 そんな事を思いつつ横を見てみれば、セレスが先程よりもさらに大きく目を見開いていた。

 もちろん、彼女が感じた驚きは、真一の感じたそれとは真逆のものである。


「美味しい……」


 鉄面皮が崩れ、普段は絶対に見せない微笑を浮かべている。

 その可愛らしさに見惚れそうになりつつ、真一はハムの残った自分の皿を、彼女の前に差し出した。


「よかったら食べてくれ、俺にはちょっと味が濃かったから」


「シンイチ様……媚薬を盛って落とそうとして無駄ですよ」


「盛ってねえよ! 持ってもいねえよ!」


 どれだけ人をエロ野郎扱いしたいのか、いわれなき罪を着せつつも、セレスは真一のよこしたハムを遠慮なく食べるのであった。


 その後に出てきた、ジャガイモ(によく似た野菜)のスープを飲み干し、一息ついてから真一は本題を切り出した。


「ところでオヤジさん、さっき言ってた魔族を倒すために、女神の勇者様が来ているって聞いたんだけど?」


「勇者様? おぉ、アリアンの嬢ちゃんの事か、確かにうちの店に泊まってるぜ」


「……へえ、本当だったんだ」


 宿屋になっているらしい二階を指さされ、真一は喉元まで出かかった驚愕を何とか飲み込んだ。


(この街に居るのか、って聞いただけなんだが、まさかこの店に居たとは……)


 たんなる偶然なのだが、何かの罠かと裏を疑ってしまうのは、真一に後ろ暗い所があるからであろう。


「そのアリアンって勇者様は、そんなに強いのかい?」


「おう、この目で見たわけじゃないが、まるで化け物みたいな強さらしいぜ。なにせ、この国には別の勇者様達が居たんだが、その全員といっぺんに試合をして、一人で倒しちまったって話だ」


「へー、そいつは凄い」


 あの魔王に傷を負わせたのだから、傷一つ付けられなかった騎士達五人より強いのは当然であろう。

 そう思いつつ、真一は自然に話を切り出した。


「女神の勇者様か……そんなに凄いなら、俺にもなれるかな?」


「…………」


 無言のまま、セレスの視線が僅かに尖る。

 魔族を裏切り人間側に寝返るつもりですか――と危惧したのだろうが、真一にそんな気は微塵もない。


 そんな二人の張りつめた空気を吹き飛ばすように、店主は大声で笑った。


「馬鹿言うな、お前みたいな小僧がなれるなら、俺だって勇者様になってるっての!」


「あはは、そりゃそうだ」


「このボア王国には五万も人が居るってのに、女神様に選ばれた勇者は六人……いや七人しか居ないって話だ。それだけの剣技や魔法をお前は使えるのか?」


「無理だね、こりゃあ諦めるしかないか」


 店主に合わせて爽やかな笑顔を浮かべつつ、真一は心の中で邪悪に笑う。


(七人か、騎士達五人を抜かせば、アリアンって勇者とあと一人で打ち止めか)


 それに女神の勇者というモノが、生まれ持った血統ではなく、強く優れた者から選ばれるらしい事も分った。

 あと確認しておくべき事はただ一つ。


「でもさ、女神の勇者様になれたら、死体が残らないような死に方をしても、蘇られるんだろう?」


 これは推測というよりも願望。人間が全員、無からの蘇生が可能であったら、魔族側に勝利の目は無くなる。

 内心、緊張して答えを待つ真一に、店主は苦笑しながらも頷いた。


「そりゃあ、どんな死に方をしても蘇られるってのは魅力的だが、俺達庶民がそんな酷い死に方をする事が、どれだけあるって話だろ」


「確かに、蘇生魔法が効かないほど死体の損傷が酷いのなんて……火事で丸焦げとかか?」


「あとは猟師が大蛇に丸のみにされて、骨まで消化されたりとかだな」


「うえ~、それは生き返ってもトラウマものだな」


「だいたい、神殿に払う寄付が足りねえって、蘇生魔法を受けられねえ貧乏人だっているんだぜ? 何があっても蘇りたいなんざ、贅沢すぎる願いなんだよ」


「なるほどなー」


 真一は感心して頷きつつ、心の中でガッツポーズを決める。


(よし! 普通の蘇生条件は魔族と同じだな。やはり女神の勇者だけが特別か)


 どのような理由があるのかは知らないが、女神様とやらは選ばれた者しか救わない、ケチな存在らしい。

 お陰で、警戒すべき相手は勇者だけで済む。


「ちなみに、金もなしに神殿に行ったら『背教者め、出て行け!』って追い返されるのかい?」


「……お前の村の神官様は、そんな酷い奴だったのか」


「い、いや、違うよ? 都会は怖い所だし、神官もケチだったりするのかなーと」


 興味本位で聞いてみたら、本気で憐れまれてしまい、真一は慌てて弁解した。


「うちの神官様達はそこまでケチじゃねえよ、寄付金の支払いくらい待ってくれるしな。ただ、借金には変わりねえし、いつまでも未払いだと外聞も悪いしな、もう働けねえ老人なんかだと、どうしてもな……」


「それは仕方ないよな」


 言葉を濁した店主に向かって、真一も複雑な表情で頷いた。


(死者の蘇生が可能だと、それはそれで問題が出るのか)


 浮気がバレてつい妻を殺してしまった夫とか、蘇生後にどんな目に遭うのか想像するだけでも恐ろしい。


 怪我も魔法で治る世界だし、その辺りの法律や人口問題がどうなっているのか、詳しく調べてみたい気はするが、流石にそんな時間はない。


「ありがとうオヤジさん、また食いに来るよ」


 良い話が聞けたと、心からの礼を告げて、真一は席を立った。

 セレスも後に続き、二人が出口の扉に手をかけたその時、酒場の二階から元気な声が響いてきた。


「オジさん、おはようございます!」


「おう、おはよう嬢ちゃん。今日は珍しく起きるのが遅かったな」


「はい、昨日は遅くまで訓練をしていたので、寝坊しちゃいました!」


 階段を軽快に降りてきて、カウンター席に座る赤髪の少女。

 正義の証とばかりに着けた、髪と同じ色のマフラーも似合っている。


 とにかく元気で、真っ直ぐで、どこかのゲスとは正反対の光の道を行く人間。

 それが女神の勇者にして、最強の魔王を傷つけた唯一の存在。


「本当に女の子なんだな……」


 一瞬だったが、その容姿を垣間見た真一は、魔王から話を聞いていたとはいえ、驚きを隠せなかった。


「女性である事がそんなに不思議ですか?」


「いや、そっちは特に不思議でもない」


 魔法なんてものが有るため、男女に力の差がないという事は、セレスを見ていれば嫌でも分る。

 だから、心に引っかかったのは、もっと単純で下世話な点だった。


「可愛い顔をしてたな、と思ってさ」


「それを涙と白い液体でグチャグチャにするのが楽しいと? 本当に変態ゲス野郎ですね」


「何か? 俺はそんなに性犯罪者顔をしているのか?」


 どうしてこのポンコツメイドは、直ぐにピンク色の思考回路で人を貶めようとする

のか。


 そちらの方が、勇者が無限に蘇生してくる仕組みよりも謎だと、真一は思うのであった。

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