ここで帰るなんて、面白くない
魔王は強い、間違いなくこの世界で最強の存在だろう。
だが、不老不死でも、絶対無敵の存在でもない。
傷をつけられる者がいて、それがさらに腕を磨き、同等の仲間を集めれば、十分に倒しえるのだ。
自分を殺しうる存在を、このまま放置していても良いのか?
普通の人間ならば、どのような手段を使ってでも、排除するなり対策を考えるだろう。
しかし、ここは真一の『普通』が通用しない異世界で、相手は魔族の王なのである。
「我が負けるか……想像もつかぬが、その時は仕方あるまい。強者が勝って全てを得 て、弱者は負けて全てを失う。それがこの世の掟である」
言い切る魔王の顔には、恐怖の色など欠片もない。
むしろ、己と対等に戦える者の登場を、待ちわびる喜びに満ちていた。
「なるほど、流石は魔王様だ」
ここまで潔いと、真一も感心するしかない。
(ゲームで勇者を放置していた魔王達も、同じような気持ちだったのかもな)
弱者の真一には分らない感情だが、それを貶したり批判したりする気にはなれなかった。
周りを見回してみるが、メイドのセレスはもちろん、
唯一、リノだけが顔を曇らせていたが、不安や不満を口にする事はない。
だから、誰も真一を縛りはしない。
モヤモヤと胸を締め付けるのは、自分の思いだけである。
(このまま俺が帰ったら、魔王達はどうなる?)
強くなった勇者達の手によって敗北し、皆殺しに遭うのだろうか。
それとも、上手く撃退し続けるのか、諦めて魔界に帰るのか、または真一とは別の人間を召喚して策を練るのか。
幾つもの可能性が有り、必ずしも破滅が訪れるとは限らない。
また、真一が残ったところで、勇者達を撃退できるという保障もない。
自分の命を最優先するならば、平和で安全な日本に戻る、これが一番に決まっていた。
(だが、ここで帰ったとして、俺は笑っていられるか?)
魔王が、リノが、セレスが、その他の魔族達が、顔を合わせ言葉を交わした者達が、殺されるかもしれないと知りながら、一人だけ安全な地に戻って、何食わぬ顔で幸せに過ごせるのだろうか?
(それは嫌だな)
脳裏に一瞬、懐かしい少女の笑顔を思い浮かべながら、真一はゆっくりと頭を振った。
彼は博愛精神なんて欠片もない、利己的な人間である。
地球に居た頃だって、世界の反対側で幼い子供が餓死していたり、武器を持たされて戦場に駆り出されたりしていても、平気でご飯を食べ、ゲームで遊び、温かい布団で寝る事になんの罪悪感も抱かない、そんな『普通』の人間であった。
だからこそ、知り合いが死ぬのを見逃したら気分が悪いという、実に自分勝手な理由でならいくらでも動けた。それに何よりも――
(ここで帰るなんて、面白くない)
ニヤリ、と真一の口が大きく弧を描く。
魔法の存在する異世界に、魔王の参謀として召喚される。
普通だったら絶対に体験できない、貴重で愉快な幸運を手放すなど、有り得ない選択だった。
命の危険がある、家族が心配する、二度と帰れないかもしれない。
そんな『常識』的な考えに縛られるような人間ならば、真一はそもそもこの異世界に呼ばれてはいない。
「魔王様、五人の勇者を撃退した報酬を頂いてもよろしいでしょうか?」
「むっ、そうだな、娘以外なら何でもくれてやるぞ」
急に恭しい言葉遣いで頼み込んできた真一に、魔王は訝しみながらも応じる。
それを受け、少年は再び笑顔の描かれた仮面を身に着けた。
「では、私に新たな勇者を退治せよと、そうご命じ下さいませ」
「シンイチ、其方……」
「お兄さんっ!?」
魔王が、リノが、驚きの声を上げ、仮面を着けた真一を見詰めた。
「よろしいのですか?」
確認するセレスの顔は、普段と変わらぬ無表情でありながら、どこか心配するように陰って見えた。
これ以上、自分達に関われば、貧弱な人間にすぎない真一は、蘇生すら不可能な消滅を迎える可能性とてあるのだから。
「お家に帰って、妹のミルクでも飲んでいた方がよろしいのでは?」
「妙にエロい改変はやめろ! あと俺は一人っ子だ!」
毒舌メイドらしい、分かり難いが優しい気遣いに、真一は律儀にツッコミつつ苦笑して言い返す。
「セレスさんやリノちゃんのような、可愛い女の子の危機を放って帰ったら、明日のご飯が不味くなるからな」
「お兄さん……」
褒められた照れくささと、心配して貰えた嬉しさに、リノは赤くなって涙ぐむ。
そして、セレスも無表情な口の端を、ほんの少しだけ上げて微笑した。
「つまり、リノ様のミルクを飲みたいのですね?」
「何でだよっ!」
「ふえっ!? リノはオッパイ出ないですよ!」
「シンイチ、ちょっとそちらで話そうではないか」
真に受けて真っ赤になるリノと、一瞬で殺気を放ち始めた魔王を見て、真一は慌てて本題に戻す。
「とにかくだ! ……魔王様、この仮面参謀スマイルに、勇者の討伐をお任せ下さいませ。魔王様とリノ様を悩ませる全てを、尽く打ち払ってみせましょう」
改めてキザな演技で宣言する彼に、魔王も真面目な顔に戻ってその覚悟を汲み取った。
「よかろう、蒼き魔王ルダバイト・クローロ・セーマの名において命じる。新たな勇者を、我ら魔族に歯向かう愚か者を、其方の英知で見事に倒してみせよ!」
「はっ!」
「そして、我が愛しの娘・リノに美味しいご飯を捧げるのだっ!」
「最後まで格好つけろよっ!」
どこまでも親バカな魔王に、思わず裏拳でツッコミを入れる。
当然、ダメージを受けたのは真一の手の甲だけであった。
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