俺、帰っていいのか?


                  ◇


「わははっ、よくやってくれたぞ我が参謀よ!」


 連日の襲撃を行っていた勇者達がついに来なくなり、平穏を取り戻した魔王城では、盛大に宴会が開かれていた。


「全てお兄さんのお陰です、本当にありがとうございました」


「心よりお礼を申し上げます」


 リノも満面の笑顔で礼を告げ、セレスも無表情ながら深く頭を下げる。


「いやー、おかげで本当に助かったモー」


「これでようやく、本格的な畑作りに励めるブー」


「ありがとな、兄ちゃん」


「ふふっ、お礼にイイことしてあげましょうか?」


 カルビとロースの牛豚コンビ以外にも、蛇女や悪魔っぽい羽と尻尾が生えた少女(?)など、人界に来たほとんどの魔族が宴会場に集まり、そろって勇者撃退の立役者を褒め称えた。


 その当人たる真一はというと、大量の人外に囲まれた事よりも、過剰な褒め言葉に

対して居心地悪そうに苦笑いしていた。


「称賛は嬉しいが、一時しのぎでしかないんだがな」


 あの騎士達五人は二度と魔王城へ近寄らないよう、セレスの手で『制約ギアス』の魔法をかけたうえで解放された。


 制約魔法はかける相手の同意が必要だが、その効果は絶大かつ切れる事がないので、騎士達が魔王を煩わせる事は二度とないだろう。


 勿論、制約を解除する魔法もあるそうだが、魔王に次ぐ実力者であるセレスの魔法を、簡単に解ける者などまず存在しないし、そこまでの手間をかけてまで、再び魔王に挑むメリットもあるまい。ただ――


「いいから飲め、今日は祝いの席ぞ!」


 細かい事は気にするなと、魔王は豪快に笑い飛ばし、真一の肩を叩いてくる。


「痛っ! しかし、飲むと言ってもな……」


 真一は自分の持つ、象牙っぽい杯の中身を改めて見た。

 そこに注がれているのは、今この魔王城にある最高の飲み物。

 即ち、人間界で採れた清涼水――ただの水であった。


「ぷはっ! やはり人界の水は最高であるな!」


「田舎の水道水が美味いと驚く都会人か」


 水まで不味いとは、魔界はどれだけグルメに厳しい世界なのか。

 怖い物見たさで一度行ってみたい気はしたが、その機会は残念ながら無い。


(この宴が終わったら、地球に帰るんだしな)


 無限蘇生してくる勇者を倒すために知恵を貸す。

 その目的を果たした以上、真一がこの異世界に留まる理由はない。


(余所者の俺が、この世界に深く関わるのも問題だろうしな。しかし――)


 平和な日本に帰れるというのに、真一の気持ちはイマイチ晴れない。

 それが何故か、自分でも良く分かっているからこそ、己の気持ちを異世界の水と一緒に飲み込もうとした。


 まさにその時、宴会場の扉が音を立てて開かれた。


「魔王様、一大事ですワン!」

「この展開は、まさか……」


 現れた犬頭コボルトの慌てた表情を見て、真一は嫌な予感を抱く。


「今まで見た事のない、けど凄く強そうな人間がこっちに向かって来てるんだワン!」


「やっぱりか」


 予想通りの報告に、真一は頭を抱えた。

 騎士達五人を撃退したからといって、それが最後の勇者という保障はどこにもなかったのだから、当然と言えば当然の話である。


「……蛆虫共め、どこまでも我をコケにしてくれるのう」


 浮かれていたところに水を差され、魔王は怒りのあまり杯を握り潰し、全身から暴風の如き殺気を放つ。


「良い度胸だ、そんなに死にたければ、望み通り皆殺しにしてくれようっ!」


「魔王様、頼むから勇者だけにして――」


 人類殲滅は勘弁してくれという懇願が、果たして耳に届いたのかどうか、魔王は話

の途中で瞬間移動して消えてしまう。


「お兄さん……」


「まったく、こっちの人間には困ったものだな」


 真一は苦笑し、不安そうに見上げてくるリノの頭を撫でる。

 そうして待つこと五分、魔王は瞬間移動で戻って来た。


 時間的に考えて、人類殲滅はなかったと、ほっと胸を撫で下ろす真一の横で、リノが小さな悲鳴を上げる。


「パパ、その腕っ!?」


「うん? おぉ、血が出ていたな」


 言われて気付いたと、魔王が上げた左腕には、一本の細い切り傷が刻まれ、青い血が微かに流れていた。


「なん、だと……!?」


 その信じられぬ光景に、真一も驚愕の声を漏らす。

 切り傷は怪我とも呼べぬ軽いもので、魔王が軽く腕を振っただけで跡形もなく消えた。


 しかし、あの魔王が、五人の勇者が総攻撃を加えても、全くの無傷であった最強の

存在が傷を負った、負わせる存在が現れた。

 それは、一同を震撼させるに十分な出来事であった。


「今日現れた人間は、そこそこ骨のある奴でな、少し遊んでやっていたのだ。もっとも、直ぐに逃げられてしまったがな」


 出て行った時の不機嫌さは露と消え、新しい玩具を与えられた子供のように、魔王は機嫌よく笑った。


「いや、喜んでいる場合じゃないだろ!」


 敵に自分を傷つけられる者が現れたという、重大な事件を前に呑気すぎると、真一は危機感を覚えたが、魔族達の反応はまるで違った。


「おぉ、魔王様に傷をつけるとは、人間もなかなかやるモーっ!」


「そいつはどんな戦い方だったんだブー? 凄く気になるブーっ!」


「はっはっはっ、話してやるからそう慌てるでない」


 興味津々と詰め寄る魔族達に、魔王も嬉しそうに語り出す。


「いやいや、何でそんな反応なんだっ!?」


 信じられないとツッコム真一を、メイドはむしろ不思議そうに眺める。


「敵であろうと強者です、そして強い者は尊く正しい。何か間違っておりますか?」


「えぇ~っ!」


 まさかセレスまで、そんな脳筋の戦闘民族思考だったと知り、真一は目眩を覚える。

 最後の望みとリノの方を見ると、彼女は諦観にも似た複雑な表情を浮かべた。


「強いから何をしても正しいとか、リノは良くないと思うですけど……」


 それが魔族の常識であり、弱肉強食という生物の掟だとも分っているから、強くは言えないのだと口籠る。


(美味い物が食べたいとか、共通している所もあるけど、やっぱり種族も文化も違うんだな……)


 真一のいた地球だって、海を渡れば驚くほど文化が違うし、平和だ人権だと騒いだところで、強く勝った者が正義というのが事実だ。


 お綺麗な建前で本音を隠さない分、魔族の方が分りやすくて楽かもしれない。


 そんな事を考えている内に、戦いの話を語り終えた魔王が、真一の元へ戻ってくる。


「さて、予定外の事もあったが、宴を続けようぞ。其方には世話になったからな、帰る前にしっかりと礼をせねば、蒼き魔王の沽券にかかわる」


「……えっ?」


 予想とは違う感謝の言葉に、真一は一瞬言葉を失う。


「俺、帰っていいのか?」


「うむ、元よりあの鬱陶しい奴らを退治するために呼んだのだからな」


「だが、また新しい勇者が出たんだろ?」


「そうだが、彼我の力量差を見抜いたら、即座に退いた賢い者だ。前の奴らのように、毎日襲ってくるなんて馬鹿な真似はしないであろう」


 実際に戦った者だからこそ、感じる何かがあったのだろう。

 無限蘇生を利用した特攻戦術は仕掛けてこないと、魔王は確信しているようだった。


「しかし……」


 これを言ってよいのか、一瞬迷いながらも、真一は結局それを言葉にした。


「そいつが強くなって再び現れて、負けたら――死んだらどうするんだ?」

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