一命に変えましても!

 炎のように赤い髪と、同じ色のマフラーを首にまいた軽装の剣士。


 その人物は優雅とは言えないが、元気あふれる活発な足取りで国王の前まで来ると、恭しく跪いてよく通る声を上げた。


「女神の勇者アリアン、大神殿より承った巨大黒狼の退治を終え、ただいま戻りました!」


「よく無事に戻りましたね」


 国王を差し置いて、ヒューブ司教は労いの言葉をかける。

 それに応えて良いのか戸惑いつつも、女神の勇者――アリアンは笑顔を見せ、背負っていた包みを下ろして開いて見せた。


 中から現れたのは、大人の上腕ほどもある長大な牙。

 これの持ち主であった黒狼が、どれほど巨大で凶暴だったのか、一目で分かる代物である。

 そして、たった一人で黒狼を倒したアリアンの実力を、何より示す証拠であった。


「おぉ、なんと見事な、流石はアリアン殿!」


「ありがとうございます」


 感嘆の声を上げる騎士長に、アリアンは照れ笑いを浮かべる。

 それを見たヒューブは、ほんの僅かに笑みを硬くしながら話題を変えた。


「さてアリアン、王国から離れていたとはいえ、噂は聞いていますね」


「ドーグ渓谷に現れたという、魔族の話でしょうか?」


「そうです、邪悪な魔族の軍勢がボア王国の民を虐殺し、この地を奪い取ろうと狙っているのです」


 最初に軍を率いて戦争を仕掛けたのも、続いて五人の勇者を仕向けたのもボア王国側であり、慎重論を唱えていた国王を押しのけ、強行したヒューブ本人なのだが、それをわざわざ口にはしない。


「魔族がそんな酷い事を……」


 事実を知らぬアリアンは、ヒューブの言葉を真に受けて、暗い顔で俯くのであった。


「そう、女神様の教え通り、魔族は卑しく野蛮で汚らわしく、滅ぼすべき存在だったのです」


「…………」


「この魔族を滅ぼすため、ルザール達五人が討伐に向かいましたが、敵の主である魔王に恐れをなし、国を捨てて逃亡してしまいました」


「えっ、ルザールさん達がっ!?」


「残念ながら事実です」


 破門の件もやはり口にせず、ヒューブはあくまで優しい声で命じる。


「アリアン、この国を救えるのは貴方しか居ないのです。魔王を倒してくれますね?」


「…………」


 アリアンは複雑な表情で暫し俯いていたが、直ぐに顔を上げてトルトス四世を見詰めた。

 例え女神に選ばれた勇者であろうと、いくら司教の方が立場が強くても、このボア王国を治め導く役割を背負った者は彼なのだから。


 その優しく気高い瞳に、トルトス四世は引け目を抱きながらも、命じる以外の道はなかった。


「勇者アリアンよ、ドーグ渓谷に現れし魔族討伐の任を与える」


「はい、一命に変えましても!」


 黒犬退治の任務を終え、帰還したばかりの疲れも見せず、アリアンは輝く笑顔で国王の命令を拝領した。

 そして立ち上がり一礼すると、早速とばかりに謁見の間を退出していく。

 細いその背中を見送り、ヒューブはまた穏やかに笑った。


「これで、邪悪な魔族は滅ぼされたも同然、ボア王国の平和は女神様のご加護によって守られたのです」


 そして、強大な魔王を倒したアリアンの功績は、見出した自分の功績でもあり、大司教への昇進は間違いない――とは流石に言わなかったが。


 司教の内心を察したトルトス四世は、気取られぬよう溜息を吐きながら、消えた細い背中を追う。


(アリアンか……腹黒司教が見出したとは思ぬ、無邪気で善良な子供ではないか)


 それに危険な魔王との戦いを押し付ける自分や周りに、改めて嫌気がさす。

 ひょっとして、万に一つでも、あの勇者ならば魔王を倒せるかもしれない。

 そんな微かな期待があるからこそ、余計始末に負えない。


「あんな、うら若き少女だというのに……」


 肩口で揃えた赤毛をなびかせ、小さな胸を張って歩く、ボア王国最強の魔力を持った剣士。

 それが愛らしい乙女だという事実が、国王の胸をより痛めるのであった。

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