第三章 真打は遅れてやってくる

邪悪な魔族の討伐は、真の勇者が叶えてくれますよ

 ボア王国の中心に建つ王城、その上層にある謁見の間で、この国の王・トルトス四世は、驚愕のあまり王座から立ち上っていた。


「勇者達が居なくなったとは、誠なのかっ!?」


「はっ、ルザール以下五名の勇者達は、ボア王国を去ってしまいました」


 報告に来た騎士長も、未だ信じられぬと深い困惑を浮かべている。


「魔王討伐の任が自分達には重すぎたと告げ、それぞれバラバラに我が国から去って行ったのです」


「馬鹿な、ルザールは貴族の嫡男であろう? それが地位も捨てて出奔したというのか!?」


「はい、何でも『地位や名誉よりも大切な者を見付けた』と」


「そんな馬鹿な……」


 トルトス四世は失意のあまり、倒れるように座り込む。


「勇者が五人も、一斉に去るなんて……」


 女神の加護を受けた不死身の勇者、それは魔物や魔族だけでなく、人間の敵――即ち周辺諸国からも自国を守る重要な戦力であった。


 勇者になれるのは、元より才能に秀でた者達ばかり。


 魔法という巨大な力が存在し、個が集団を上回るこの世界において、まさに一騎当千の活躍をして、一人で国の運命を左右する強者である。

 それを五人も失ったのだ、国王でなくとも血の気が失せる大損害であった。


「どうしても引き留められなかったのか? いや、今からでも遅くはない、どんな手を使っても良いから呼び戻せないのか?」


 魔王討伐に失敗した事は責めぬし、無理難題を申しつけた詫びに謝礼金も出そう。

 何なら、騎士ルザールがずっと切望していた、伯爵位を授けてもいい。

 そう必死に提案する国王に、騎士長は沈痛な面持ちで首を横に振った。


「おそらく無理でしょう。私も考え直すよう引き留めましたが、彼らの意思は硬く……」


 騎士にとって一番大切な家を捨てて逃げる。

 それほど重い決断なのだ、どんな餌をチラつかせても今更撤回するはずがない。


「何より、彼らは魔王を恐れておりました。『奴は邪神よりも邪悪な存在だ、敵にしてはいけなかったのだ』と……」


 正確には、魔王の参謀であるゲスの方を恐れていたのだが、騎士長はそれを知らない。


「不死身の勇者が全てを捨てて逃げるほど、あの魔王が恐ろしいというのかっ!?」


「それは陛下もよくご存じかと」


「むぅ……」


 騎士長のもっともな指摘に、トルトス四世は唸って黙り込む。

 出撃した六千の兵を、たった一人で半壊させた魔族の王。


 その強大すぎる力は、軍の最後尾で指揮を取っていた騎士長も国王も、嫌というほど見せられていた。


「確かに、あれは魔王と呼ぶに相応しい、恐怖の権化であった……」


 豚頭オーク小鬼ゴブリンという、伝承通りの醜く邪悪そうな魔族達を蹴散らし、意気揚々と進むボア王国軍の前に現れた一体の青き巨人。

 それが手を掲げ、何やら呪文を唱えたと思った瞬間、雨のごとき光の矢が降り注いだ。


 三千本の矢は宙を自在に駆け、驚く兵士達の心臓三千個を貫いた。


 あまりにも一瞬であっけない、絶対的な死と敗北。


「いったい、どれほどの力を有しているのか……」


 一瞬で殺された三千名の兵士が、全て『蘇生可能な遺体』であった事が、生き残った者達により深い恐怖を刻み込んだ。


 通常、原型が無くなるほど死体を破壊されれば、蘇生魔法が効かなくなる。


 完全消滅ロストから蘇られるのは、あくまで勇者の称号を得た特別な者達だけなのだ。


 魔王はそれを知っていたのだろう、光の雨は三千の心臓を貫いたが、それ以外は掠り傷一つ負わせなかった。


 殺すよりも生かしたまま捕らえる方が難しいように、蘇生できる綺麗な遺体として殺すのも難しい。


 なのに、魔王はそれをいとも容易く行ったのだ。

 逆に言えば、遺体すら残さず殺すつもりであれば、半数どころか全軍、トルトス四世を含む全ての者達を消滅させられたのだろう。


「やはり、魔族に手を出すべきではなかったのか……」


 伝承通り、いやそれ以上の強さを持っていた魔族に、人間が抵抗するなど不可能、

速やかに降伏するべきだったのか。


 つい漏れてしまった国王の弱音。

 それを聞き逃さず、咎める者が一人いた。


「陛下、何を仰っているのです」


 急に口を挟んだのは、騎士長が報告している間、ずっとトルトス四世の横で柔和な笑みを浮かべていた、三十代ほどのまだ若い男。


 太陽を思わせる黄金のシンボルが刻まれた、真っ白なローブをまとっているだけで、剣も鎧も身に着けてはいない。


 だが、彼こそがこの場で一番の強者なのであった。

 魔力だけでなく、権威という力でも。


「邪悪な魔族を見逃すなど、女神様がお許しになりませんよ?」


「も、もちろんだともヒューブ司教!」


 にこやかな、だが反論を許さぬ圧力のこもった笑みを向けられ、トルトス四世は慌てて言い訳する。


「我ら女神の信徒が、邪悪な魔族に屈する事などありえんよ!」


「そうですか、ならば結構です」


 白衣の男――ヒューブ司教の許しを得て、ほっと胸を撫で下ろすトルトス四世。

 国王のそんな情けない姿を、騎士長や周囲の大臣達は口惜しく思いながらも、文句を言う事はできなかった。

 この国、いやこの世界において、女神の司教に反論できる者など、その上に立つ枢機卿や教皇だけなのだから。


「しかし、女神様の使徒たる勇者が、邪悪な魔族を前に逃亡するなど、これは許されぬ行為ですね」


 あくまで穏やかな口調で、ヒューブは判決を下す。


「ルザール達は『破門』するよう、大神殿に打診いたしましょう」


「なっ……!?」


 あまりにも残酷な仕打ちに、トルトス四世はおろか、謁見の間にいた全ての者達が凍り付いた。


 ボア王国のように大きな都市から、人口数百人の小さな町や村にも必ず一つはある女神の神殿。


 それは単に信仰の柱というだけでなく、病気や怪我の治療、そして死からの蘇生も可能とする、まさに命を握っている施設なのだ。


 女神教から破門されるという事は、今後何があろうと神殿に入れない、つまり死んでも蘇生を受けられないという事である。


 遺体さえ残っていれば生き返れる。何度でもやり直せる。


 その安心を奪われる破門が恐ろしいからこそ、国王さえも女神の司教には逆らえないのだから。


「しかし、ルザール達は勇者なのですよ? それを破門など……」


 女神に認められ不死身となった勇者。

 それを破門にしたところで、無意味ではないのか?

 戸惑うトルトス四世に、ヒューブはあくまで温和な笑みで告げる。


「勇者の扱いは、我ら女神の信徒が一番良く存じております」


 具体的な方法は何も言わない、余裕の笑みが逆に不気味であった。


「そ、それならばよいが……」


「はい、陛下は何もご心配なさらずに」


 同意するしかないトルトス四世から、ヒューブは視線を外し入口の方を見る。


「邪悪な魔族の討伐は、真の勇者が叶えてくれますよ」


 その言葉と同時に、謁見の間の大きな扉が開かれ、一人の人物が姿を現した。

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