あれほどの事をしておいて、どの口が言うのですか、このゲスは
◇
「……っ、ここは?」
ゆっくりと目を覚ました騎士は、ぼんやりとしたまま辺りを見回す。
目に映るのは見知らぬ石の部屋、少なくともあの暗黒世界ではない。
それに安堵し、気が緩んだ瞬間を見計らったかのように、聞き覚えのない耳障りな声が響いてきた。
「ようやくお目覚めかな?」
「誰だっ!」
騎士は反射的に飛び退こうとしたが、手足を引っ張られてバランスを崩す。
身もだえるのに合わせて、ジャラジャラとやかましい音が手足の先から響いてくる。
そこでようやく、騎士は己の体が、壁に鎖で繋がれていた事に気付いた。
「くっ……!」
「状況は理解できたかね? 安心したまえ、君の仲間達は無事だ」
横を見れば、他の四人も壁に鎖で拘束されており、今の騒ぎで次々と目を覚ました。
「おい、何だこりゃ!?」
「私達、捕まってしまったのですか?」
「……むぅ」
レンジャー、女神官、戦士と、状況を理解して戸惑いの声を上げているが、全員無事である。
ただし、一人だけ無事とは言えない者がいた。
「出して……暗い、嫌よ、苦しい、怖い、出して、出して……」
周りの仲間にも気付かぬ様子で、虚ろな目をしてブツブツと呟き続けるのは女魔法使い。
彼女は石の中に閉じ込められた恐怖のあまり、正気を失っていたのだ。
「ミリーダッ!」
「彼女はミリーダと言うのか。閉所恐怖症だったのかな? 本当にすまない事をした、ここまで追い詰める気はなかったのだがね」
「白々しい、姿を現せ!」
自分達をこんな目に遭わせた、張本人と思しき謎の声に向かって、騎士は怒声を張り上げる。
その返事は、思わぬ方向から響いてきた。
「最初から隠れてなどいないさ、上だよ」
「なにっ!?」
見上げれば、そこには天井がなく、縁の部分に一人の人物が立っていた。
黒いマントで全身を隠し、歪な笑顔が描かれた白いお面だけが、闇にぽつんと浮かぶ恐ろしい怪人。
「私は蒼き魔王様の参謀、名前は――そう『スマイル』とでも呼んでもらおうか」
「スマイル、なんて不気味な響きだ……」
ゴクリと唾を呑み込む騎士を見下ろし、スマイルこと真一は仮面の奥で不敵に笑った。
(『
魔族のリノは変わった響きと言っていたが、人間の場合はどう聞こえるのか。
少し興味を惹かれたが、今は本来の目的に集中する。
「まずは、このように失礼な状態で話をする事を許して貰いたい。しかし、こうでもしなければ、君達は我々と会話をしてくれそうになかったのでね」
「会話だと?」
「そうだよ、我々の間には誤解があるようだからね」
邪悪な魔族と話す事などない、とでも言いたげに、きつく睨んでくる騎士に構わず、真一はスラスラと言葉を紡ぐ。
「君達人間は、我々魔族の事をどう思っているのかね?」
「どうって……稀に地の底から這い出てくる、危険で野蛮な怪物だろ!」
「数万年前に善神との争いに敗れ、悪竜と共に地下深くに封印された、おぞましい邪神の眷属なのでしょう」
レンジャーと神官の答えから、真一は新しい情報を得てほくそ笑む。
(魔族は地の底から来る……つまり、『魔界』は地底世界という事か。そして、稀にだが魔界から出てきた奴は他にもいたと)
そもそも、事の発端となったリノの母からして、人界に現れた魔族の一人であった。
強そうな奴を見つけては喧嘩をふっかけていたらしく、本人的には悪意のない腕試しだったとしても、襲われた方にとっては恐怖でしかなかっただろう。
他にも、似たような理由で暴れた魔族がいたのなら、人間が魔族を敵視するのも当然であった。
「なるほど、同胞がご迷惑をおかけしたようだ。しかし、我ら蒼き魔王様の眷属は、君達人間と事を荒立てるつもりはないのだ、それを分かって欲しい」
まずは謝罪し、和解の意志がある事を示す。
これを受け入れてくれれば、無益な争いが終わってくれるのだが、真一の予想通り、騎士達はそれを突っぱねた。
「ふざけるな! 私達にこのような真似をしておいて、今更何を!」
「それは、君達がいきなり襲いかかってきたからだよ」
「ボア王国の兵士を三千人も殺したのだ、襲われて当然ではないか!」
「おや、先に軍隊を差し向けて、我らの同胞を虐殺したのは君達の方だと思ったが?」
「くっ……そうしなければ、王国は貴様らに攻め滅ぼされていた。そもそも、我らの領土たるドーグ渓谷を、不当に占拠したのが悪いのではないか!」
「王国から丸二日はかかる遠方で、誰一人住んでおらず、道や看板すらない狭い山間の荒れ地を領土だと? 何か証拠は有るのかね」
「証拠も何も、あの山は初代トルトス一世様が手に入れた、ボア王国の領地だ!」
「ふむ……人界の国境がどう定められているのか、詳しく調べず城を建てた非は認めよう。だからこそ、このような場を設けたのだが、ここは平和的に金銭で剣を収めてはくれないかね?」
「この世界は全て女神様と我々人類の物だ、邪悪な魔族にくれてやる土地など欠片もない!」
真一がどれほど言葉を重ねようと、騎士はまるで聞く耳持たず拒絶するばかり。
(駄目だ、平行線だな)
そう諦めながらも、真一は収穫を得て満足していた。
騎士の言動から、魔王達の話が事実だったと――人間達が先に攻めてきたと確信できたからだ。
(魔族側に非がないとは言わないが、人間側の方が明らかに悪い。容赦の必要はないな)
異世界と言えども、同じ人間という同族意識。
日本という平和な法治国家で育まれた、常識や良識。
それらを捨てるのに十分な理由を手に入れ、魔王の参謀は仮面の下で笑みを深めた。
「残念だよ、互いに遺恨を捨てて、友好を築いていきたかったのだが……」
優しいリノのためにも、それがベストな結末だったが、騎士達自身が拒絶したのだから仕方ない。
「あくまで我々に攻撃を続けると言うのならば、君達を始末させてもらおう」
「へっ、やれるものならやってみろ!」
遺憾そうに告げる真一を、レンジャーは鼻で笑う。
何をやっても、自分達は殺せない――いや、殺しても蘇るのだ。
不死身、故に無敵。
絶対に負けないのだから、最強の魔王にさえいつかは勝てる。
そんな自信に満ち溢れた騎士達を見て、真一は忍び笑いを漏らした。
「くくくっ、勘違いして貰っては困るな。私は『君達を殺す』なんて一言も言っていないよ。何度も蘇るお邪魔虫を『始末する』と言っただけさ」
「…………」
その不気味な言い回しに、騎士も何かを感じ取ったのだろう。
無言で魔力を高め、ある魔法の準備を始めた。
しかし、彼の決意を固めた表情から、真一は何をする気か看破する。
「おっと、させないよ」
軽く手を上げて、ずっと無言で後ろに控えていたセレスにサインを送る。
それだけで、有能なメイドは全てを察し、一瞬で騎士の前に降り立つと、片手でその首を締め上げた。
「ぐあ……っ!」
「自決して、この場から逃げ出す気だったのだろう? やめておきたまえ、ここには特殊な結界が張ってある。死んだらそこまで、蘇る事など不可能だよ」
「なにっ!?」
「けっ、ハッタリだ!」
「そう思うなら、試してくれても構わんよ」
「……っ」
余裕に溢れた声で促され、威勢よく反論したレンジャーは黙り込む。
無論、結界うんぬんは嘘であり、騎士達がそれを見抜く事も想定済みだ。
しかし、「ひょっとして……」と僅かな疑惑が胸に湧けば、簡単には自決できなくなり、つけ入る時間は稼げる。
(さて、ここからだ)
不死身の怪物を倒す方法として、もっともポピュラーなのは『行動不能にして永遠に封じる』だろう。
全身を鉄の塊に埋めて、深海にでも沈めてしまえば、殺せずとも無害化は達せられる。
ただし、この方法はあくまで不死身への対策であり、死んでも蘇る勇者相手には使えない。
絶対に不可能ではないのだが、自害して逃げないよう、常に見張りをつける必要があるため、現実的な手段ではないのだ。
「やはり、二度と逆らえぬよう、心を折るしかないな」
「……っ!」
ボソッと呟かれた恐ろしい単語に、女神官が身を震わせる。
だが、彼女を励ますように、騎士がセレスの手を振りほどいて叫ぶ。
「拷問でもする気か? ふんっ、やりたければやるがいい!」
「ほう、強気だな」
「スマイル様」
騎士の前にいたセレスが、身軽に跳躍して真一の元に戻り、耳元で忠告する。
(拷問は無意味です。奴らは全員『
(なるほど、考えれば当然か)
心の片隅にあった疑問が解決し、真一はポンと手を打った。
いくら蘇生できるからと言っても、誰だって死ぬほどの怪我を負って、悶え苦しむのなど勘弁願いたい。
だから、魔王に何度も玉砕をかましていた騎士達は、魔法で痛覚を消していたのだ。
(HP1の瀕死状態でも平気で戦えたりするのは、そういった理由なんだろうな)
そんな事を思いつつ、真一は考えておいた別のプランに移る。
「拷問と一口に言っても、何も痛めつけるだけとは限らんのだがな」
そう言って、不気味な笑みの仮面を女神官の方に向けた。
「ひっ……!」
「うら若き乙女をグチョグチョのドロドロに凌辱するとは、最低最悪のゲスですね」
「誰もそんな事は言ってねえよ! いや、そういう方法もあると考え付いてはいたけど、実行するとは言ってねえ!」
女神官に悲鳴を上げられ、メイドに軽蔑の目で睨まれ、真一は思わず素に戻ってツッコンだ。
「ごほんっ……私が言っているのは、もっと恐ろしい拷問だ。例えば、君達の居る穴の中に、これを大量に放つとかな」
そう言って、マントの中から取り出したガラス瓶には、城の中で捕まえたあるモノが入っていた。
カサカサと耳障りな音を立てて動きまわる、黒くぬめぬめと光った――
「ぎゃあああぁぁぁ―――っ!」
突然、鼓膜を破るような野太い悲鳴が上がった。
何事かと驚いて見れば、今まで沈黙を貫いていた戦士が、屈強な体をガタガタと震わせている。
「た、頼む、それだけは……何でも、する……」
「じゃあ、もう二度と攻めてこないと――」
「約束する! だから、その黒い奴だけは……」
「えっ、マジで?」
目元に涙まで浮かべて、あっさりと要求を呑む姿に、真一はむしろ困惑してしまう。
「ただ入れるだけだぞ? 何も体中に切り傷をつけた後、そこに蜂蜜を塗りたくって、生きたまま傷口から食わせてあまつさえ卵――」
「やめてぇぇぇ―――っ!」
軽い口調で呟かれたおぞましい拷問に、戦士は少女のような甲高い悲鳴を上げ、恐怖のあまり失神してしまった。
「くそっ、ゴルデオをあの虫で脅迫するなんて卑劣なっ!」
「こんな所でお別れなのかよ……」
「仕方ありませんよ、あの虫を突き付けられては、私だって……」
「それでいいのかお前ら?」
戦士の離脱をあっさりと受け入れる騎士達にも、真一は呆れしか浮かばない。
「たかがゴキに怯えすぎだろ、なあ?」
「近づかないで下さい」
セレスに同意を求めるが、彼女も無表情のまま顔を青ざめさせ、一瞬で部屋の端まで離れてしまう。
(異世界ですらここまで嫌われるとは、不憫な生物だな……)
城の通路で発見した時は、地球と同じ生物が存在したのかと、むしろ懐かしさを感じたくらいなのだが。
もっとも、真一だって好きではないので、瓶に捕まえた衛生害虫は、後でしっかり処分するつもりである。
「まぁいい、これで二名は使い物にならなくなったわけだが、君らも観念して我々への敵対行為を止めないかね。でなければ、取り返しのつかない事になるぞ?」
「断る! 悪しき魔族を根絶やしにするのは、我ら『女神の勇者』に課せられた使命だ!」
「ほぉ、勇者ね……」
ゲームから取って便宜上使っていたその呼称が、実際に使われていた偶然に驚きつつも、真一は最後の決断を下した。
「では仕方がない。アレを使ってくれ」
「畏まりました、スマイル様」
命令を受けたセレスは一礼すると、再び騎士の前に降り立った。
そして、左手で彼の頬を掴み上げ、右手でポケットから小瓶を取り出すと、その中に入っていた液体を無理やり飲ませる。
「ん、ぐぅ……がはっ、げほっ……毒か、無駄な事を」
死ねばここから消えて蘇生するだけである、毒などむしろ助けにしかならない。
そう強気な騎士を、真一は心の底から愉快そうに眺める。
「確かにそれは毒とも言える。しかし、無駄かどうかはすぐに分かるよ、すぐにな」
「何を――ぐっ!」
真一の宣言通り、騎士の顔色が一瞬で真っ青に変わった。
「リーダー、どうしたんだ!?」
「癒しの魔法を――」
「させませんよ」
手出し無用と、セレスが女神官を止めている間にも、騎士は滝のような脂汗を流し、ブルブルと震え出す。
「あっ……がっ、ぬぐぅ……!」
「余裕のない騎士殿に代わって、私が説明して上げよう。彼に飲ませたのは『チェキンの実』を煎じた物だよ」
「チェキンの実?」
レンジャー達が知らないのも無理はない、人間の世界には存在しないのだから。
「魔界に生える植物の実だよ。非常に不味いのだがある効果があってね、特に女性達の間では重宝されているのだそうだ」
「女性……まさかっ!」
気付いた様子の女神官に、真一はニヤリと笑って告げる。
「そう、お通じを良くする薬――つまり下剤だ」
ぐぎゅるるるっ!
まるで正解だと答えるように、騎士の腹が破滅の異音を響かせた。
「た、頼む、鎖を外してくれ!」
「我々が差し出した手を払ったのは、君の方じゃないか。今更虫が良すぎるな」
「あっ、ぐぅ……だが、騎士として、女神の勇者として、邪悪な魔族に屈するなど……っ!」
「見事な覚悟だ。ならば汚物で汚れる程度、どうという事はないだろう?」
「だ……だが、しかしぃ……っ!」
歯を食いしばって耐えながら、騎士は女神官を見る。
この戦いが終わったら、一緒になろうと約束していた愛しい女性。
彼女は恐怖からか、顔面を蒼白にしながらも、目を逸らせず彼を見詰めていた。
だから、騎士は恋人の眼前で、ついに――。
「見るな、見ないで……あっ、あああぁぁぁ―――っ!」
◇
「ぐっ、うぅ……」
数分後、勇者達の捕らわれた穴には、異臭と共に男のすすり泣く声が響いていた。
「大人が人前でマジ泣きするとは、情けない」
「あれほどの事をしておいて、どの口が言うのですか、このゲスは」
呆れた声を漏らすと、セレスにまた罵られたが、真一は心外だと眉をひそめる。
「そうかな? 新兵が恐怖で漏らすなんてよくある話だし、一流の狙撃手は糞尿を垂れ流してでもピクリとも動かず、三日だろうと四日だろうと、目標が現れるのを待つって言うぞ。漏らす程度の汚れも覚悟せず、
異種族とはいえ言葉の通じる知的生物を平気で殺せる感覚の方が、真一には理解できない。
「さて、ここで良い物をお見せしよう」
そう言って真一が勇者達に突き付けたのは、制服のポケットに入れていたため、偶然こちらの世界に持ち込めた、魔法のような科学の結晶。
「これは『スマホ』と言う魔法の道具でね、目の前の映像や音を撮って、何度でも再生する事ができるのだよ」
「すまほ?」
不思議そうに見上げる女神官達の前で、真一は無情にも動画の再生ボタンを押した。
『見るな、見ないで……あっ、あああぁぁぁ―――っ!』
「や、やめろぉぉぉ―――っ!」
再び響き渡る破滅の音に、死人のようにうな垂れていた騎士が叫ぶが、ゲスな魔王の参謀は停止ボタンを押してやったりはしない。
「この映像を君達の住む国の上空に流したら、どうなるかな?」
「――っ!?」
「茶色の騎士、肥溜の勇者……そんなあだ名で、民衆は君を笑うのだろうな」
「ひっ!」
「仮に君が魔王様を倒し、世界を救った英雄になっても、何百年と名を伝えられる偉人となっても、人々はこの事を笑うのだ。実際、私の故郷を統一したある将軍など、たった一度の過ちを、死後四百年が経っても笑われているからな」
歴史に名を残すって怖いなと、仮面の奥でも笑いながら、真一はスマホを突き付ける。
「さて、君が二度と我々に――」
「逆らいません! 誓います、だからどうか……っ!」
言い終わる前に、騎士は血の涙を流すほど必死に、懇願の言葉を絞り出した。
「リーダー……」
そんな情けない姿に、レンジャーは失望の眼差しを受ける。
だが、残された女神官は、穢れた騎士に向かって、慈しみの眼差しを向けていた。
「ルザール、顔を上げて下さい。人は生まれ落ちた赤子の時と、死を迎える老境の時、誰でも排泄を人に見られ世話をされるのです。だから悔やむ事などありません」
「だが、よい大人がこんな……」
「自分のミスではなく、魔族の卑劣な策によるものではないですか、何を恥じる必要があるのです。貴方は人々のために戦った、立派な女神の勇者で……私の、愛する人なんですから」
「ミーニャ……」
聖母のごとく眩い笑みに、騎士は下半身の不快さも忘れ、愛する女と見詰め合う。
そんな感動の光景に、真一は深く頷き――
「やっぱり全世界に公開するわ」
「ええぇぇ――っ!?」
「ゲスですね」
リア充への妬みを隠そうともしない仮面参謀に、メイドは容赦なく罵声を浴びせるのだった。
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この続きは2017年1月13日(金)更新予定となります。お楽しみに!
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