凄く、美味しかったです……
◇
「おはようございます、シンイチ様」
メイド服の褐色銀髪巨乳美女に起こされるという、男子ならば垂涎のシチュエーションを味わいながらも、真一の気分は憂鬱だった。
「まぁ、夢じゃないよな」
そう諦めながら、あてがわれた客間の豪華なベッドから下りる。
「朝食の用意ができております、こちらへ」
そう言って部屋を出るセレスに、真一も空きっ腹を抱えながらついて行く。
(そういや、もう丸一日近く食べてなかったな)
驚愕の連続で思った以上に疲れていたのか、昨日は魔王城の客間に通されると、すぐに眠ってしまったのだ。
お陰で、召喚された理由をまだ聞けていない。
「こちらです」
そう言って通された部屋は、『お城の食堂』という言葉から想像していた物よりかなり狭く、学校の教室一つ分くらいしかない。
とはいえ、三メートル超の魔王が出入りする関係上、天井はかなり高く作られている。
中央には高そうな大理石のテーブルが置かれ、奥の席には既に魔王とリノが座っていて、彼が来るのを待っていた。
「お兄さん、おはようございます」
「おはよう、リノちゃん」
「まずは飯を食うがよい、話はそれからだ」
セレスが椅子を引いてくれたので、真一はそこに座り、魔王の勧めに応じて朝食を取る事にする。
しかし、目の前に出された皿を見て、彼は頬を引きつらせ固まった。
「なに、これ?」
金の装飾が施された、如何にも高価な皿に載せられていたのは、あまりにも不釣り合いな紫色の物体。
「パルベグトの肉です」
「はい?」
「ですから、パルベグトの丸焼きです」
「…………」
セレスが丁寧に説明してくれたが、全く分からず真一は沈黙してしまう。
そもそも、彼は今まで魔王達と普通に会話をしていたが、別に日本語で喋っていたわけではない。
おそらく、召喚と同時に施されたのであろう、言語翻訳の魔法によって、真一は自然と異世界の言葉を使っていたのだ。
例えば、先ほどセレスが言った「丸焼き」という単語も、実際には「ビビナーナ」と発音していた。
それを魔法が「ビビナーナ」→「肉をそのまま焼いたもの」→「丸焼き」とグー○ル先生なみの翻訳で、真一に理解できるよう、脳内で書き換えてくれていたのだ。
しかしこの魔法、驚異的な翻訳能力だが、異世界語の知識が頭にインストールされるわけではないらしい。
日本語に訳しようのない単語は、そのまま聞こえてしまうのだ。
つまり、目の前の『パルベグト』とやらは、「ひょっとして○○?」と候補すら上がらない、地球に存在しない謎生物の肉という事であった。
「どうした、食わぬのか?」
引きつった顔で固まる真一を見て、魔王は怪訝そうにしながらも、紫色の肉を手掴みで持ち上げ豪快にかぶりつく。
どうやら毒はない――と思いたいが、人間は平気な玉ねぎも、犬が食べると中毒を起こすように、絶対に安全という保証はない。
とはいえ、出された食事に手を出さないのは失礼だし、なにより腹が減って仕方が
ない。
真一は覚悟を決め、パルベグトの肉を手で掴み、目を閉じながら齧った。
「……不味い」
十回ほど咀嚼してから呑み込み、口から出た感想はその一言に尽きた。
「いや、何だこれ、本当に不味いんだけどっ!?」
食事をご馳走された客人として、あまりにも失礼な態度だと分かっていても、どうしても止められないくらい、空腹という最高の調味料ですら誤魔化せないくらい、謎のパルベグト肉は不味かったのだ。
まるで粘土のようなグニュッとした食感、肉汁から零れ出る生臭い香り、そして脂の甘さも焦げの苦みすらない完全な無の味。
紙でも食べた方がマシな、存在を疑うレベルの不味さであり、吐き出さず呑み込んだ事をむしろ褒めて欲しいくらいであった。
「肉の丸焼きなんてシンプルな調理法で、ここまで不味くなるなんて、明らかに食材の問題だよな……それとも、俺の舌がおかしいのか?」
地球人の彼とは感覚が違い、異世界人にとっては美味なのかもしれない。
それなら悪い事をしたと、気まずそうに窺う真一に対して、魔王は苦い顔で首を横に振った。
「其方の舌は正しい。そして、これが其方を呼ぶ事になった切欠だ」
「えっ?」
「パルベグトに限らず魔界の食べ物って、リノ達にとっても、その……凄く美味しくないんです」
一瞬躊躇いながらも、そう言い切ったリノの顔は、普段の純真な笑顔からは程遠い、苦り切ったものだった。
「理由は聞くなよ、我だって知らん。ただ、魔界の食い物は全て不味いのだ」
「というか、魔界が何かって辺りから、ちゃんと説明してくれないか?」
魔王が居るくらいだから、魔の世界――魔界があっても不思議ではないのだが、何か誤解があってはいけない。
「では、私が説明致しましょう」
真一の求めに応じ、後ろに控えていたセレスが語り出す。
「我々のように、生まれた時から魔力を宿した知的生物を『魔族』と呼び、魔族の住む世界を『魔界』と呼んでいます」
「ふむふむ」
「赤太陽が昇り沈む『人界』とは違い、魔界では青太陽が常に輝き、夜というものがありません」
「青い太陽? ちょっと見てみたいな」
興味はそそられるが、行った瞬間に毒の瘴気で死ぬ、なんて危険性がありそうだった。
「とにかく、リノ様も仰られたように、魔界で採れる食料は往々にして不味いのです」
「ほとんどの人は気にせず、平気で食べているんですけど……」
そう告げるリノの顔には、味の大切さを言っても理解されなかった、悲しみが浮かんでいた。
「環境に適応して、魔族は味蕾が少なくなったとか、そういう事か?」
舌にある味を感じるための器官――味蕾は、動物によって数が違う。
毒草を避ける必要がある草食動物は多く、決まった獲物しか食べない肉食動物は少ない。
なかには蛇のように、味蕾がゼロという生物さえいる。
「食中毒を起こさない強靭な胃袋があれば、味覚なんて必要ないとか、そんな進化を遂げたとか」
「どうでしょう? 毒に耐性を持つ種族は、確かに味覚が鈍い気はいたしますが」
真一の推測を聞き、セレスは首を捻り考え込む。
ともあれ、魔族の大半は味を気にしないらしい。
魔王やリノ達とて、不味いとは感じていても、それが普通であったから今までは耐えられたのだ……とある切欠さえなければ。
「リノのママは旅行が大好きで、色々な所を旅しているんですけど、少し前に人界へ行って来たんです」
「『私より強い奴に会いに行く』と言ってな。残念ながら妻を満足させられるほどの猛者は、人間共の中には居なかったそうだ」
「どこの格闘家だよ」
実に似たもの夫婦であり、どうして魔王とその妻から、リノのような優しい善い子が生まれたのか、ますます謎であった。
「それで、ママが帰ってきた時に、『パン』っていう人界の食べ物をくれたんです」
現地で入手した携帯食が残っていたから、興味深そうに見ていた娘にプレゼントした、その程度で深い意味はなかったらしい。
母親の方は大勢の魔族と同じ味音痴であり、人界の食事にそこまでの価値を見出していなかったからだ。
しかし、パンを口にした娘の反応は劇的であった。
「凄く、美味しかったです……」
その時の味と感動を思い出し、リノはとろけるような笑みを浮かべた。
これは後になって分かった事だが、そのパンは保存性を高めるために、塩を多めに混ぜて乾燥させた乾パン的な代物で、二十一世紀の日本という美食大国に生まれた真一にしてみれば「食えるけど、しょっぱいし硬くて不味い」という、百点満点で五点くらいの代物であった。
だが、常にマイナス千点くらいな魔界の食材に、幼く敏感な舌を苦しめられてきたリノにしてみれば、天井の楽園を思わせる至福の美味であったのだ。
「あれ以来、魔界の料理を食べるのが凄く辛くて……」
「徐々に痩せていく娘の姿に耐えられなくてな、我は美味い食い物のある、ここ人界への進出を決意したのだっ!」
「子供の食育で侵略される人間世界って……」
魔王の子煩悩っぷりには呆れるが、リノの悲しそうな顔と、魔界料理の壊滅的な不味さを思えば、それも仕方ないかと真一は納得する。
仮にも魔王とその娘に出された物だから、パルベグトの肉はおそらく高級品なのだろう。
それでもあの不味さである。人界への侵略戦争を始めるには十分な理由であろう。
なにより、彼の生まれた地球でも、紅茶のせいで戦争が起きたりしていたので、魔族の事をとやかく言えない。
しかし、一人で納得する真一に、魔王は早合点するなと付け加える。
「勘違いするでないぞ、我は人界への進出を決め、実際ここに城を建てたが、人間共を虐殺して奪ったわけではない」
「えっ、そうなの?」
「はい、そんな酷い事をしちゃ嫌ですよって、リノがパパに頼んだんです」
驚く真一に、リノが笑顔で答える。
「蛆虫共など、滅ぼした方が楽であろうに……(ボソッ)」
父親の方は、不服そうに愚痴をこぼしていたが。
「パパっ!」
「ごほんっ……とにかくだ、優しいリノの慈悲により、我らは人間共が誰も住んでいない、この山岳地帯を選んで拠点としたのだ」
「なるほどな」
魔王の言葉を、真一はとりあえず信用する。
昨日、騎士達が攻めてきた時に見た外の風景は、左右を山に囲まれた狭い荒地であった。
畑作にも放牧にも向いていない痩せた土地で、交通の便も悪い。
開墾しても旨味はないと、放置されていても不思議ではなかった。
「なのにだ、人間共は何もしていない我らに、宣戦布告もなしに軍を差し向けてきたのだ!」
「いや、それは仕方ないんじゃ……」
魔王は心外だと激怒するが、真一には人間側の気持ちが良く分かった。
荒れて使っていなかった土地とはいえ、自国の近く、もしかすると領地と定めていた場所に、突如として異形の怪物達が現れたのだ。
このまま放置しておけば、国にまで攻め込まれる危険があると、先手を打って攻め込むのは、決して悪い判断ではない。
問題があるとすれば、現れたのが無敵の魔王で勝ち目がなく、人間に害意がない点も含めて、斥候を派遣して調べておくべきだった、という事だろうが。
「兵の数は六千ほどだったが、不意を突かれた事もあり、我に付き従い、美味を求めて集まった多くの民が殺されてしまった」
「…………」
「我は当然怒り、六千の半分を即座に殺し、人間共を追い払ったのだ」
「……まぁ、それも仕方ないか」
他者を殺したら、自分が殺されても文句は言えない。
それは、異世界であろうとも変わらぬ鉄則であった。
真一は沈痛な面持ちとなるが、それを見たリノが慌てて弁明する。
「悲しまないで下さい、お兄さん。誰も死んでいないんです」
「えっ? でも今、半分殺したって……」
明らかな矛盾に真一が困惑していると、食堂の扉が急に外側から開かれた。
「魔王様、大変だモーっ!」
「……えっ?」
大声を上げて現れたその姿に、真一は思わず見間違いかと目蓋を擦った。
レスラーのごとき屈強な体の上にあるのは、昨日切り落とされて地面に転がった牛の頭。
「カルビか、もう体は大丈夫のようだな」
「はい、セレスのおかげだモー」
気遣う魔王の言葉に、ぐっと力こぶで応じる様子から見て、他人の空似でもなかったようだ。
「おい、なんの冗談だよ……」
牛頭の名前がカルビという、悪意のある一致の事ではない。
首を切られ、確実に死んだはずの者がそこに居る、つまり――
「それよりも魔王様、またあいつらが現れたんだモーッ!」
「……であろうな」
予想通りの報告に、心底うんざりした顔をしながら、魔王は立ち上がる。
そしてまた、真一の肩を掴んだ。
「行くぞ」
「…………」
魔王の短い言葉に、真一は無言で応じる。
瞬間移動した先に待つ、悪夢のごとき光景を鮮明に予想しながら。
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