女神の勇者を倒すゲスな方法 「おお勇者よ! 死なないとは鬱陶しい」
ファミ通文庫
第一章 不毛な闘争
どうして、俺なんかを召喚したんだ?
気がつくと見知らぬ場所に居た。
そんな異常事態であっても、
十七歳、高校二年生、部活は無所属、理系の成績は良いが文系はイマイチ。
そんな、平凡の範囲に十分収まる彼だが、子供の頃から何事にも動じない度胸だけは、人並み外れていたからだ。
なにせ小学校四年生の時、車と接触事故を起こして吹き飛び、周りの通行人が悲鳴を上げるなか、折れた左腕を気にした様子もなく、冷静に右手で携帯電話を操作し、警察と救急車を呼んだという、とんでもない逸話の持ち主である。
「頭のネジが二、三本外れてんだろ」
と、彼の父親が呆れたのも無理はない。
なんにせよ、電車に乗っていた自分が、巨大な魔法陣の描かれた石造りの大広間という、いかにもファンタジックな場所にテレポート(としか思えない)しても、
(まさか、漫画みたく異世界にでも召喚されたのか?)
などと、非現実的な現象をあっさりと受け入れていた。
だが、そんな冷静で度胸のある真一が、今は表情を凍り付かせ、滝のごとき冷や汗をかいていた。
「……っ!」
ガタガタと勝手に震えだす全身を必死に押さえ、瞬きも忘れて前方を見詰める。
そこにそびえ立つのは、見た事もない巨人。
身長は目測で三メートル以上、真一の約二倍はある。
手足は大木よりも太く、胸や腹はまるで戦車装甲のごとき筋肉で覆われていた。
鎧など不要とばかりに、腰巻とマントしか身に着けていないその姿は、古代ギリシアのスパルタ兵を彷彿とさせる、荒々しい純粋な暴力の権化。
横綱と対峙した幼稚園児、またはヒグマに襲われる小学生ほどの体格差。
それだけでも竦み上がるには十分であったが、さらに巨人の肌は深い青色で、頭の横からは一対の巨大な角が生えており、明らかに人間とは違う化け物だったのだ。
誰がどう見ても、真一に勝ち目はない。
もっとも、彼が体の芯から恐怖を感じていた原因は、そんな目に見える分かりやすいモノではなかった。
「ふむ……」
巨人が彼を見て、何かを吟味するように頷く。
それだけで、周囲の空気が震え、荒波のごとく真一の体を打った。
おそらく、魔法や気功といった、超常の力によるものだろう。
目の前の巨人は、たんなる怪力の持ち主ではない。
呼吸をするだけで周囲を圧倒する、膨大なエネルギーの塊、人の形をした核以上の破壊兵器。
(駄目だこれ、死んだわ)
喧嘩なんてろくにした事がない真一でさえ、一瞬でそう悟る他にないほど、どうしようもない力の差がそこにはあった。
戦うなど論外、逃げようと背を向けた瞬間に塵一つ残らず消される。
だから、真一は己の死という重大事を、溜息一つで受け入れるしかなかった。
(はぁ~、享年十七歳、悪くはない人生だったけど、欲を言えば童貞を捨てたかったな)
みっともなく命乞いをする事も、恐怖のあまり発狂する事もない。
ただ震えるのを止め、黙って見詰め返してくる真一を、巨人はどう思ったのだろうか。
ゆっくりと彼に歩み寄ってくると、巨木のごとき両腕を振り上げ――地震が起きるほどの強烈な土下座をした。
「後生だ、我を助けてくれっ!」
「……はい?」
「頼む! 望む物は何でも与えてやる。だから其方の知恵で、彼奴らを何とかしてくれ!」
「えっ、えっ?」
「あの鬱陶しい人間共ときたら、我が娘の優しさにつけ込み、何度も何度もぉぉぉ―――っ!」
「ちょっと、落ち着いてくれ!」
巨人が上げた怒りの咆哮は、台風のごとき強風となって吹き荒れ、真一は吹き飛ばされないよう必死で床にしがみつく。
「いっそ皆殺しにしてやろうかと何度思った事か! いや今からでも遅くは――」
「パパ、落ち着いて下さいです」
真一の握力が限界に達しようとしたその時、鈴を転がすような愛らしい声が、巨人の背後から響いてくる。
その瞬間、風はピタリと嘘のように止み、怒りに歪んでいた巨人の顔が、零れるような笑みに変わった。
「おぉ、リノよ。今日もお前の姿は青太陽のごとく輝いているのう!」
巨人の背後に立っていたのは、豪華なドレスを身にまとった十歳くらいの少女。
真っ黒で艶のある長い髪、反対に真っ白い肌、大きな紅玉のごとき瞳。
全てが美しく整っていて、ロリコン趣味のない真一ですら、思わず見惚れてしまうほどの美幼女であった。
「パパ、今はそんな事をしてる場合じゃないですよ」
抱きついて頬擦りしてくる巨人(父親らしいが全く似ていない)を、幼女は迷惑そうに押し返す。
「そんな……パパの事が嫌いになったのかいっ!?」
と、巨人はショックを受けていたが、娘は気にした様子もなく、真一の前まで歩いてきて、ドレスの裾を掴んで優雅にお辞儀をした。
「初めまして、お兄さん。私はリノラデル・クローロ・ペトラーラー、リノとお呼び下さいです」
「これはご丁寧にどうも。俺は外山真一、外山が苗字で、真一の方が名前な」
「シンイチさん……変わった響きです、本当に異世界の人なんですね」
丁寧な挨拶に釣られて名乗り返すと、幼女――リノはそう言って柔らかく微笑んだ。
その笑顔にまた見惚れそうになってしまったが、後ろで父親が凄まじい殺意を放っていたので、真一は努めて顔を引き締めた。
「ところで、異世界って言ったけど、やっぱりここは地球じゃないのかい?」
「はい、『チキュウ』がどこかは存じませんが、ここは『オーブム』と呼ばれている世界です」
「そこに、魔法か何か不思議な力で、俺が召喚されたって事であってる?」
「はいそうです、お兄さんのお力を貸して頂きたくて、パパが呼んだんですよ」
真一の問いに頷いて肯定を示し、リノは背後の父親を振り返る。
「ほら、パパもご挨拶しないと失礼ですよ」
「……おのれ、父親たる我を蔑ろにし、娘と親しげに話しおって、消し炭にしてくれようか」
「パパッ! ご挨拶もできないような人、リノは嫌いですよ!」
「よく来たな、異界の知恵者よ。我こそが偉大なる蒼き魔王・ルダバイト・クローロ・セーマである!」
キリッ、という擬音が聞こえそうなくらい、巨人こと魔王は威厳に溢れた名乗りを上げる。
だが、幼い娘に嫌われたくなくて、という事実が露呈している今、何をやっても無駄であった。
「……どーも、魔王様、外山真一です」
少し前まで抱いていた死の恐怖とは、別の意味で衝撃を受け、真一はぎこちない返事をするのが精一杯だった。
深々と頭を下げるその姿を見て、魔王は満足そうに頷く。
「ほお、なかなか礼儀正しい小僧ではないか。それに理解も早い。汚物を垂れ流すだけだった、前の虫けらとは違うようだな」
「前の?」
思わず問い返した真一に、リノが苦い顔をしながら答える。
「はい、実は異世界の人を呼ぶのは、これで二度目なんです。最初の人は、その、お兄さんほど落ち着きのある方ではなくて……」
「我を見た途端、小便と涙を垂れ流して、訳の分からぬ叫びを上げながら、勝手に苦しみもがいて死におったわ」
おそらく、恐怖による心臓麻痺であろう。
魔王の発する圧力は、物理的に心臓を止めかねないレベルなので、仕方のない話ではある。
「その人の――いや、何でもない」
遺体をどうしたのか聞こうとして、真一は慌てて口を噤む。
もったいないので美味しく頂きました、なんて答えはできれば聞きたくない。
そんな彼の考えを顔色から読んだのか、リノが慌てて弁明する。
「お兄さん、誤解しないで欲しいのですけど、最初の人は――」
「失礼致します、魔王様、リノ様」
言い終わる前に、大広間の扉が音を立てて開き、一人のメイドが現れた。
褐色の肌に銀色の髪、耳は長く伸びており、いわゆるダークエルフらしき美少女である。
「……セレスターか、何用だ?」
そう促しながらも、魔王は用件を察したのだろう。
酷く不機嫌な顔をする主に、メイドは萎縮する事もなく静かに告げた。
「はい、彼奴らがまた現れました」
「やはりか、あの蛆虫共めぇぇぇ―――っ!」
耳をつんざく怒声と共に、その感情が焼けるような熱風となって吹き荒れる。
「もう我慢ならん! 知恵者を呼び出したのが無駄になるが、この手で皆殺しに――」
「パパ、落ち着いて下さいです、酷い事はダメですよ!」
激昂した父親を諫めるため、リノは太すぎて両手の回らない父の足に抱き付く。
すると、魔王はまたも殺気を瞬時に消し、愛しい娘の頭を撫で回した。
「そうであったな、リノが本当に優しい子に育って、パパは魔界一の果報者だぞ」
「はい、リノも優しいパパの娘に生まれて幸せです」
「はははっ、そんなに褒められちゃうと、パパってば張りきって、赤太陽だってふっとばしちゃうぞ!」
「…………」
はしゃぐバカ親の姿に、真一は呆れて声も出ないが、メイドの方は慣れた様子で声をかけた。
「魔王様、ご歓談に水を差すようで誠に心苦しいのですが、今は南の耕地へとお急ぎ下さいませ」
「むっ、そうであったな。あの蛆虫共に、親子の団欒を邪魔したつけを払わせてくれよう」
そう言うと、魔王は巨大な掌を真一の肩に置いた。
「丁度良いからついてまいれ、其方を呼び出した原因を見せてくれよう」
「えっ? それってどういう――」
言い終わるよりも早く、妙な浮遊感が真一を包む。
そして、まばたきほどの一瞬で、目の前の光景が石造りの広間から、山に挟まれた荒野へと変貌していた。
「テレポートか、凄いな……」
異世界転移を経験しておいて今更な話だが、いかにも魔法といった超常現象を体験して、思わず感動してしまう。
だが、その余韻に浸る暇はなかった。
「燃え尽きなさい、『
遠くから女性の叫び声が聞こえたかと思うと、続けて凄まじい爆音が鳴り響く。
「なっ……!」
赤い閃光と共に、肉の焦げる吐き気をもよおす臭いが、熱い風に乗って漂ってくる。
真一は嫌な予感を抱きながらも、反射的にそちらを見てしまった。
「あれは、ミノタウロス?」
彼らから百mほど離れた所に立っていた、牛頭人体の化け物。
先程の爆発を受けたのであろう。その全身は真っ赤に焼けただれ、白い煙を立てながら崩れ落ちる。
「ま、まだ、戦えるモー……っ!」
生きているのが不思議なほどの重傷を負いながらも、牛頭の怪物はなおも立ち上がろうとする。
だがその首に、無情にも刃が振り下ろされた。
「まったく、しつこい奴だ」
そう毒づきながら剣の血を払ったのは、全身鎧に身を包んだ騎士らしき人間の男。
彼の背後には、斧を構えた男戦士、弓を構えた男レンジャー、メイスを構えた神官らしき女と、捻じれた杖を持った女魔法使いの姿があった。
「あれは……」
「我が臣民に仇をなす害虫どもだ」
魔王はそう憎々しげに呟くと、一瞬で真一の隣から消え、騎士達の目の前に現れた。
「性懲りもなく現れおったな蛆虫が、覚悟はできておるのだろうな」
「……っ、行くぞみんな!」
魔王の放つ禍々しい殺気に、騎士は一瞬怯んだものの、すぐに気合を入れ直し、五人で一斉に襲い掛かった。
「風斬剣、いやーっ!」
「爆砕斧っ!」
「三連射だっ!」
「女神様、悪に正義の鉄槌を、『
「燃え尽きなさい、『
高速の斬撃が、重い打撃が、三本連続の矢が、不可視の衝撃が、火炎の球が、魔王の体に叩き込まれる。
「やったか!」
全員の最強技をまともに食らって、立っていられるはずがないと、騎士は会心の笑みを浮かべる。
しかし、離れた所から見守っていた、真一には分かっていた。
そんなフラグ台詞を吐かずとも、あの魔王にはこの程度の攻撃、蚊に刺されたほども効きはしないのだと。
「やはり、この程度か」
爆炎が晴れ、無傷で現れた魔王の顔には、怒りを通り越した蔑みが浮かんでいた。
「あえて受けてやったというのに……疾く失せよ、不快だ」
そう吐き捨て、魔王は空中に伸ばした右手を、リンゴでも潰すように握りしめる。
瞬間、レンジャーの全身が捻じれて弾け飛んだ。
「うげっ……!」
血肉と脳味噌の汚い花火を見せられ、真一は顔をしかめる。
だが、騎士達の方は仲間の死にも全く動揺しなかった。
「攻め続けろ、魔法を使わせるな!」
「おうっ!」
戦士がその巨体を震わせ、魔王に斧の一撃を見舞う。
しかし、元から強靭な筋肉の塊である体躯を、膨大な魔力によってさらに強化している魔王からしてみれば、赤子のビンタにも劣る攻撃であった。
「痒くもない」
斧の一撃を胸筋だけで跳ね返すと、組んだ両手を戦士の頭に振り下ろす。
その速度とパワーは凄まじく、二メートルはあった戦士の巨体が、板のごとく圧縮されてしまった。
「ははっ、カートゥーンかよ……」
あまりにも過剰な暴力は、恐怖を越えて笑いしか引き起こさない。
顔を引きつらせる真一を余所に、騎士達はまだ逃げようとせず、魔王に挑みかかっていく。
「怯むな、かかれ!」
「はい、『
「『
「……蛆虫め」
馬鹿の一つ覚えと、懲りずに放たれる攻撃を、魔王は避けもせず受け止めながら、
右手を大きく振りかぶった。
そして、この戦いにおいて初めて、魔法の呪文を唱える。
「地の底を照らす炎を以って、塵と化せ、『
赤よりも熱く、白よりも鮮烈な、青い煉獄の炎が地上に出現した。
それは目も眩む閃光と化し、周囲の一切合切を焼き尽くしていく。
「ちょっと、死ぬって!」
離れていても届く、皮膚が焼けるほどの熱風に、真一はまたも死を覚悟する。
だが、その身が焼かれる寸前、彼の眼前に現れた光の壁が熱風を遮った。
「バリア……?」
「どんくさい方ですね」
驚き固まる真一の横に、気がつけば先程の褐色銀髪メイドが立っていた。
「えーと、セレスターさんだったか?」
「セレスで結構です、シンイチ様」
「そうか、助けてくれてありがとう、セレスさん」
真一は素直に礼を告げ、友好の握手を交わそうと手を差し出す。
しかし、セレスはその手を不審げに睨む。
「何ですか? 私の尻を撫でまわして、その感触で愚息を慰めるおつもりですか、イヤらしい」
「その発想の方がイヤらしいわ!」
思わずツッコミながらも、真一は理解する。
(握手の文化がないのか? まぁ、異世界だし、しかも人間じゃないしな)
改めて、ここが自分の居た世界とは違う事を実感しながら、真一は手を引っ込める。
そうしていると、戦闘とも呼べない蹂躙を終えた魔王が、少しだけ清々した顔でこちらに戻ってきた。
「セレスター、後始末は任せたぞ。我は城に戻る」
「畏まりました、魔王様」
セレスは深く一礼すると、超高熱のあまりガラス化した大地を迂回し、荒野の奥へと向かう。
改めてよく見てみれば、周囲にはあの牛頭以外にも、騎士達に殺されたと思しき、怪物の死体が何体も転がっていた。
「これが戦いか……」
殺し、殺される。
そこには正義も道徳もなく、ただ強者だけが生き残る、弱肉強食の掟が存在していた。
突然、異世界に召喚された事による混乱と、あまりにも常識を越えた魔王の力に、まるで現実感が湧かないせいか、恐怖や嫌悪は湧いてこない。
ただ、見も知らぬ五名の人間が死んだ。
それだけが、疑いようもない現実だった。
しかし、沈痛な面持ちの真一を見て、魔王はつまらなそうに鼻を鳴らす。
「ふんっ、こんなお遊戯を戦いと呼んでは、蒼き魔王の名が泣くわ」
「あれがお遊び扱いって……」
この魔王が本気を出したなら、地が割れ天が裂ける、まさに終末のごとき地獄絵図と化すのであろう。
だからこそ、改めて疑問が浮かぶ。
「どうして、俺なんかを召喚したんだ?」
これほど強大な力を持った魔王が、貧弱な高校生にすぎない自分を呼び出し、土下座までして頼み込む理由が分からない。
そう疑問と不安を浮かべる真一に、魔王はそっけなく手を振った。
「今日はもう疲れた、明日話す」
戦闘能力と反比例して、責任感はないらしい。
「うわっ、魔王様のくせにいい加減な……」
「うるさい! 今日は娘と一緒にお風呂に入って、寝る前に本を読んであげる日なのだっ!」
「それ犯罪じゃね!? リノちゃんもいい歳(?)なんだから、子離れしろよ」
「黙れ黙れっ! リノは『パパとけっこんちゅる~』と言っていたからいいのだ!」
「それ何年前の話だよっ!?」
あまりのバカ親っぷりに、真一は敬語も忘れて無礼なツッコミを連呼する。
魔王はそれに言い返せなかったのか、黙って彼の肩を掴むと、瞬間移動の魔法を発動させた。
血に濡れた荒野から、石造りの城へと移る刹那の間、真一はふと違和感を覚える。
(あれ? 男二人の遺体がない?)
最初に殺されたレンジャーと戦士、その死体も荒野から消えていたのだ。
青い炎に巻き込まれて焼かれたのか? ――と、真一はその疑問を深く考えず、すぐに忘れてしまった。
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