10.不思議な日常
ユリさんの「ありがとうございました」という声を背中で受け止め、カフェの扉を開く。 扉から見える遠くの景色が、陽炎で歪んでいた。なんだか少しだけ、不思議な日常だ。
海沿いの街からは、人が消えてしまったように感じる。それに、店先で待っていてと
約束したはずの上崎も見当たらない。
後ろを振り返れば、カフェの中にいるユリさんの気配は感じる。だけど、意識を少しだけ遠くに向けると、誰もいないように感じる。
変な感覚だ――
すると、炭酸のプルタブを開ける爽快な音が、どこからか聞こえてきた。その音が僕を呼んでいるような気がして辿っていくとカフェのすぐ横にある、陸から砂浜に続く、階段に辿り着いた。
そこには、さっき、店内で見た群青色のワンピースの少女が、階段の中段辺りに腰かけている。
僕は、彼女より二段上に腰かけ、声をかけた。
「こんにちは。 ここは、暑いですよ。 お店の中に入ってはどうですか?」
「お気遣いありがとうございます。 でも、私は、ここがいいです。 それから、私は、あなたを待っていました」
汗ばんだワンピースの背中に送っていた視線を一度だけ海に向ける。
「あなたが、魔女ですね」
「はい、私が魔女です」
やっと出会えた魔女は、とても落ち着いていて、僕の想像とは違っていた。過去の僕の手紙を読む限りだと、無知な小学生をからかっているように感じていた。
僕の中の魔女の印象は、ユリさんがとても似合っている。
「あなたのことは、なんと呼べばいいですか?」
「あなたの好きなように呼んでください」
「では、魔女さん。 僕は、八年前に交わした、あなたとの約束を果たしに来ました」
魔女は、何も言わずに、一口、缶ジュースを飲む動作をする。
「でも、少しだけ、お話に付き合ってくれませんか? もし、魔女さんが嫌なら、約束だけを果たします」
魔女は、少しだけ間を空け答える。
「大丈夫です。 少しだけなら」
「ありがとうございます。 じゃ、あなたは、どうして、僕の記憶から<魔女と未完成タイムマシーン>を消したのですか?」
「どうして、と聞かれると何も答えることが出来ません。 なぜなら、私は、あなたの記憶を消したわけではないから」
僕は、「消したわけではない」と反復する。
「私が、消したのは、あなたと私が出会った事実です」
「でも、それでは、噂の記憶は消えないのでは?」
「……魔女は、魔法でなんでもできます」
「魔法は、随分と都合のいいものですね」
「魔法ですから。 ほかに何か?」
少女は、一度も振り返らない。それに、声色の変化も少なく、彼女の様子を予測することすらできない。
「はい、あと一つだけ。 あなたが言った、部品とはなんです?」
魔女は、缶ジュースを横に置く。どうやら、飲んでいた缶ジュースは<Dr Pepper >だったようだ。
「部品が分かったから、私に会いに来たのではないのですか?」
「生憎、僕は、記憶が消されていて、魔女さんに直接聞いて、正しいものを持ってきたほうが効率的かと」
魔女は、何も答えない。その時間が、とても長く感じた、さざ波に混ざる蝉時雨やウミネコの鳴き声が、とても大きく聞こえる。
本当に、不思議な日常だ。
「私からは、部品としか言えません。 部品の輪郭は、私にも分からないから。 あなたには、あなたの部品があるはずです」
「僕の部品……わかりません」
ほとんど独り言のように呟いた。
魔女は、何も答えずに立ち上がり、やけに良い姿勢で階段を上がる。
僕の横を通り過ぎる時、魔女の顔を見上げてみたが、逆光で何も見えなかった。
僕は、魔女が消えてしまうような気がして、思わず強い口調で呼び止める。
「魔女さん、約束は、どうなるんですか」
階段の一番上で、背中を向け立ち止まり答える。
「私は、言いました。 あなたが、部品を見つけたら、うみよこにいると」
そう告げると、魔女は、再び歩き出す。僕は、うみよこのカフェを曲がり、姿が見えなくなるまで、彼女を見送った。
魔女の姿が見えなくなると、変な脱力感が込み上げてきて、階段に腰を下ろす
<魔女と未完成タイムマシーン>――海沿いの街にある不思議な噂。だけど、僕が、知らなかった噂だ。
てっきり、魔女に記憶を消されたと思っていたが、魔女は、記憶ではなく事実を消した。
なんで、そんなことをする必要があった?
僕の疑問は、夏の声にかき消される。
「ソウタ、お前、大丈夫か!」
魔女が曲がった場所から、焦った表情を浮かべて現れたのは上崎だった。
「あれ、上崎、どこいってたの?」
「どこって、カフェの前にいただろ?」
あぁ、魔法は、やっぱり魔女にとって都合のいいように使われるんだな。
僕は、馬鹿らしくて鼻で笑う。
「そんなことより、大丈夫かよ! 男の子が倒れてるって言われたから急いで来てみたら」
僕は、わざと上崎の言葉を遮って言った。
「それ、群青色のワンピース着た女の子に言われたでしょ?」
上崎は、言いかけていた言葉を飲みこんで「なんでわかった?」と言う。
「魔女は、ユリさんじゃなくて、その子だったよ」
魔女との再開をしたその日の夕方、海を見下ろせる公園に一人で訪れた。
目的なんてない。ただ、初めて魔女と出会った時の感情を思い出せると思い、足を運んだ。でも、やっぱり、今の僕が、過去の僕を思い出すことなんてできない。
僕の視界で沈みゆく夕日をいつになったら愛せるのだろう。
***
僕は、その夜、魔女を見つけた高揚感からか、ベッドの中で静かに目を閉じていることができず、随分と遅い時間まで、窓の外を眺めていた。
夏の夜空には、星々に装飾された黒いキャンバスに月が描かれている、魔女にぴったりな幻想的なものだった。
もしも、魔女も同じ夜空を見上げているのなら、少しだけヒントを欲しい。
影も掴めない怪盗のような噂を掴み、魔女の正体を暴いて、あとは、過去の僕から受け継いだ約束を果たすだけだ。
でも、この物語をまとめるのには、あと一つだけ足りない――残されてのは、<部品>の謎だ。
初めから聞いていた噂通り、魔女の未完成タイムマシーンを使うには、この<部品>が絶対に必要だ。
僕は、必要としている魔女すら知らない部品について考えるのをやめた。
ポケットに入れていたスマホに目をやると、時間は、午前二時を過ぎた頃。
日付は、八月三日だ。
僕に残された時間は、残りわずか、そのわずかな時間の中で、最後まで抗わなくてはいけない。
<部品>――必要としている魔女本人ですらわからないそれを、僕は、見つけなくてはいけない。
与えられているヒントは「あなたの部品が、あるはずです」という魔女の言葉だけ。
僕は、まだ、寝付けないでいた。
***
枕元で軽快な着信音が鳴り響く。
昨日の夜、早くベッド入って眠らなかったせいで、着信音に苛立ちを感じながら目を覚ました。僕は、枕に顔をうずめたまま、手探りでスマホを探し出し画面を確認する。
電話の相手は、数字だけの羅列で名前の表示がなかった。
僕の苛立ちは、電話相手への警戒心へとシフトチェンジしていて、眠気もどこかへと消えている。僕は、恐る恐るスマホをタップして、耳元に当てた。
「もしもし」
「ソウくん、おはよう。 うみよこのカフェのユリです」
聞き覚えのある声に、ユリさんに聞こえないくらい小さなため息が出た。
見たことのない数字の羅列からの電話には、一つだけ、心当たりがある。彼女からの電話だとしたら、魔法と形容できるくらい、僕には不都合だ。
「おはようございます。 ユリさんが、電話なんてどうかしたんですか?」
「えぇ、人助けをしようと思ってね。 お昼ご飯御馳走するから、この後、カフェに来れる?」
「人助けですか。 なら、上崎も連れていきましょうか? 男手は、沢山いたほうがいいですよね?」
ユリさんが、電話越しにクスリと笑ったのがわかった。
「私が、ソウくんを助けるのよ。 だから、一人で来てくれる?」
僕もクスリと笑って答える。
「わかりました。 ユリさんの気まぐれに寄りかからせてもらいます」
「子供は、大人に寄りかかるものよ。 じゃ、待ってるから」
僕は、「一時間後に行きます」と伝えて、電話を切った。
電話を切った後の途切れ途切れに聞こえる音は、魔女の魔法の効果音のように思える。
「ユリさん、大人って魔女みたいですね」
僕は、切れた電話の向こうに、まだ、ユリさんがいる気がして、そう、呟いてみた。
八月三日の外は、久しぶりに訪れた曇り空のせいで、いつもよりは多少過ごしやすかった。だけど、太陽を好む夏の海は、曇り空にとても不機嫌だ。
一瞬、強い風が吹き、うみよこのカフェの窓を大きく叩く。
「ごめんなさいね。 急に、電話なんてかけて」
「いえ、僕も、家の中にいると落ち着かないので」
僕は、ユリさんが出してくれたランチプレートとジンジャエールを前に、小さく腹の音がなる。
「ユリさん、ありがとうございます」
「いいのよ。 学生の貴重な夏休みを奪ってしまうのは、悪いからね」
カウンターの向こうで、コーヒーを飲み、微笑むユリさんから、ランチプレートの視線に落とし、もう一度、腹の音が鳴る。
僕は、レンコンハンバーグを口に運ぶ。
「昨日は、魔女とどんなはなしをしたのかしら?」
口の中に広がる牛肉の甘みとレンコンの触感を堪能してから答える。
「魔女と未完成タイムマシーンの噂に関する記憶をなんで消したのか、という話と約束についてです」
「魔女は、どうして、記憶を消したの?」
「いえ、魔女は、記憶を消したのではなく、僕と魔女が過去に出会った事実を消したといっていました」
ユリさんは、コーヒーを一口飲み、魔女について考えているようだった。 そして、優しく言う。
「魔女は、とても、臆病なのね」
僕の口から疑問符が漏れ、口元まで運んでいたハンバーグを皿に戻す。
ユリさんは、どうして、魔女が、臆病だと感じたのだろう。
僕にとっての魔女は、沢山の人から恨まれるものだ。自分勝手な魔法を使い、嫌われる。
だけど、僕も、昨日会った魔女は嫌いじゃない。だからといって、肯定的な意見は持っていない。
やっぱり魔女は、嫌われてばかりで、好まれてはいない。とても悲しくて、孤独な存在だ。
「なんで、そう思うんですか?」
「彼女は、ソウくんの記憶を消したんじゃなくて、ソウくんと出会った事実……約束をした事実を消したんでしょ? それって、その約束が、魔女にとって、それともソウくんにとって、とても不都合な物だから、逃げたんじゃないかな」
魔女が、僕との約束から逃げる、心の中で呟いてみた。
駄目だ。何もわからない。
やっぱり、僕は、いつまで経っても、何歳になっても、八月四日の夕暮れが大嫌いなままで、小さな少女がいない現実から目を背け続けるんだ。
「わかりません。 魔女は、僕に無関心なように感じます」
「ううん、そんなことない。 魔女は、君にしか関心がないのよ」
僕は、ユリさんを見た。彼女は、腕を組み、食器棚に寄りかかりながら傍観者として見つめている。
「ユリさんは、魔女に何か言われたんですか?」
ユリさんの双眸は、澄んだ黒色で何も語っていない。だけど、表情を見ると何かを語っている。僕は、それが、読み解けない。
「魔女は、とても臆病な子なの、だから、人から拒まれることをとても嫌っている。 でもね、自分のせいで、他人が傷つくことはもっと嫌っているの。 魔女は、とても、臆病だから」
質問の答えにはなっていない。だけど、僕には、きちんとした答えに感じられた。
ユリさんは、全てを知っているんじゃなくて、全てを、自分の力で知ったのだ。
僕が、導き出す本当の答えもきっと、ユリさんは知っている。
「ユリさんは、僕を助けたいって電話で言いましたよね?」
「えぇ、ソウくんが望むなら」
僕は、ジンジャエールを一口飲んでから答える。
「きっと、ユリさんは、魔女の正体も、部品のことも、答えが出ているんですね。 僕が、尋ねれば、答えを教えてくれますか?」
ユリさんは、「もちろん」と答える。
「でも、それじゃ、駄目なんです。 魔女さんの言う通り、ユリさんは、大人の視点で、僕たちを見ていてください。 それで、どちらかが間違っているなら手を引いてください」
僕の願いはそれだけだ。
ユリさんは、「ソウくんが、望むなら」と言って微笑んだ。
今日は、八月三日――ゆきを救えることが出来るのは、あと一日しかない。でも、自然と焦りはなかった。僕が、楽観主義者という訳ではない。
とても遠回りをしてしまったが、答えは、すぐそこにある。答えに辿り着くまでの道も、僕には見えている。
魔女は、とても臆病だ。
それは、僕も同じ。だからこそ、今なら彼女のことも、部品のこともすべてがわかる。
僕は、ユリさんに「ご馳走様でした」と伝え、カフェを後にする。
そうして、カフェ横の昨日魔女と再開した階段へ向かった。
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