9.魔女の代理

 扉を開けると外の体に纏わりつくような空気とは違い、クーラーに気持ちよく整えられた空気が腕を引く。

「あら、ソウくん、いらっしゃい」

 滑らかな黒髪を一つにまとめたユリさんが、カウンターから声をかける。その表情は、微笑んでいて、僕の目的を知られているような気がした。

 僕は、いつも通りのカウンター席に腰を下ろし、ジンジャエール(甘口)を注文する。

「今日は、一人?」

 水を一口飲んでから、平然を装い答える。

「はい。 今日は、ユリさんに用事があってきました」

「わかったわ。 でも、今は、お客さんがいるからその後ね」

「分かりました」

 ユリさんの言う通り、店内の窓から海辺を眺めることが出来る四人掛けのテーブル席に群青色のワンピースを着た同い年くらいの少女がホットケーキを食べていた。大きめの麦わら帽子を被っているから顔を確認することは出来ない。

 どこにでもいる少女なのだが、なんだか夏には不似合いなような気がして、視線を外すことが出来なかった。

 露出している白い肌が、群青色のワンピースに映えていて、ホットケーキを口に運ぶ姿はとても優美で、僕に冬を連想させた。

 暗い空から、星々が落ちてくるみたいに音もなく降る雪のようだった。

「あら、ソウくんも一目ぼれしちゃう年頃かしら?」

 ジンジャエールを運んできたユリさんの声で我に返る。

 僕は、知らない女性に何をしているんだ。

「そんなんじゃありませんよ」

 ユリさんは、クスリと笑う。

 すると、僕たちの会話が終わるのを待っていたように、少女が席を立つ。

「店長さん、とても美味しかったです」

「嬉しいわ。 また、よろしくね」

 そんな、短い会話の後、少女は、扉を開けて、陽炎が揺れる外へと消えていった。

 これで、店内には、僕と魔女の二人きりだ。まだ、確定したことではない。でも、九割九分、僕の推測は当たりだと思っている。

 僕は、ジンジャエールを一口飲んで、炭酸の刺激をのどで感じてから口を開いた。

「ユリさん、魔女と未完成タイムマシーンについて、答えが出ました」

「あら、すごいじゃない。 どうだった、魔女には会えた?」

「はい。 魔女に会いました」

 答えを聞いて、ユリさんが頬杖をついて微笑む。

 僕は、話を促していると捉え続ける。

「僕は、魔女の噂を知らないと言いましたが、それは、違いました。 どうやら、僕の噂に関する記憶は、魔女に消されたようなんです」

「そう。 どうして、分かったの?」

「小学校のアルバムに、昔の……噂を知っているときの僕が書いた手紙が入っていました。 そこには、僕が、魔女とある約束をしたと書いてありました」

 ユリさんが、「約束?」と不思議そうに反復する。

「はい、でも、アルバムにあった手紙に書かれていたのは、そこまでです。 昔の僕は、二段階に分けて、魔女に関する記憶を手紙という形で残しました。 もう一つは、小学生の時に埋めたタイムカプセルです」

「そこにも、手紙が?」

「そうです。 もう一つの手紙には、約束に関する内容と魔女との会話の一部が書かれていました。 約束のほうに関しては、魔女との約束で秘密にしろと言われているのでいえません」

 僕は、嘘を付いた。魔女とは、約束を他言してはいけないと言われていない。

 これは、全てを見透かしている魔女に見せた多少の反抗心だ。

 意味のない抗いと知っていても、ゆきの名前を魔女に、再び聞かれたくなかった。

「じゃ、魔女との会話の一部を教えてくれる?」

「手紙に書かれていた会話の一部は、『もしも、君が、部品を思い出したら、私は、うみよこにいます』」

 全てを言い終えてから、ユリさんの顔を見た。ユリさんは、意味ありげに微笑んで、何も言わない。

 きっと、次に僕が言う言葉まで分かっているんだ。だが、言わなくてはいけない。

「ユリさん、あなたが魔女ですね?」

 時が止まったような感覚が、僕を襲う。だけど、ユリさんだけは、この空間で微笑んでいた。そして、ゆっくりと口を開く。

「過去のソウくんは、とても賢いのね。 でも、満点をあげることはできない。 三角減点かしらね」

 僕の口から思わず疑問符が漏れた。完璧な答えなはずだ。ほとんど、過去の自分の答案をカンニングしたようなものだ。

 驚き何も言えない僕に微笑みながら、ユリさんが言う。

「私は、魔女じゃない。 でも、今は、魔女でもある」

「どういうことですか?」

「魔女は、全部知っていた。 ソウくんが、今日、ここに来て、私が、魔女だということを言うことも、ジンジャエールの甘口を頼むことも。 前に言ったわよね? 大人も、たまには漠然とした何かを追いかけてみたくなるって」

 僕は、頷く。

「魔女から、ソウくんを大人の目で見極めてほしいって言われたの。 君が、魔女と交わした約束を守るのに相応しいのか。 最初は、ソウくんたちのイタズラだと思ったの、だから、魔女とある契約をした」

 契約とつぶやくように反復した。

「そう。 もしも、君が、言ったとおりにソウくんが現れたら、魔女の代理をしてあげるって……そうしたら、ソウくんは、現れた」

「それで、代理を?」

 ユリさんは、頷いた。

 魔女の代理を任された。つまり、この店に魔女が来たということだ。

 それから、大人の目で、約束を果たせるか見極めてほしいとはどういうことなんだ。

 魔女は、誰なんだ。

「魔女は、誰なんですか?」

 僕は、心で呟いた言葉を同時に声としてもつぶやいた。

「ソウくんは、責任感を感じているね。 八年前の事件のことで、だけど、それを魔女は嫌っているの。 でも、自分のせいで傷ついた女の子を助けるなんて、とても勇気がいること……魔女は、カフェの外で、待っているわ」

 僕は、海が見える窓の外を見る。

 海は、穏やかだ。この穏やかな海を魔女も見ているというのか。

「わかりました。 それじゃ、ジンジャエールのお金です。 今日も、美味しかったです」

 僕は、魔女と二人きりだと思い込んでいた緊張感から、解放されたからか、妙に落ち着いていた。

「お金は、いらないわ。 魔女から貰っているから」

 あぁ、そうか。

 本物の魔女は――

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