4.八月

 時が流れるのはあっという間だった。<魔女と未完成タイムマシーン>の噂を追うと決意してから進展のないまま八月一日の夜を迎えている。

 進展はなかったのだが、とても奇妙なことを一つ見つけることが出来た。

 まず、ユリさんに協力してもらって、カフェに訪れるお客さんにこの噂について聞いてもらうことにした。すると、ユリさんを含め、この街に住む大半の人が噂について認識をしていた。

 しかも、僕たちと同い年の子たちも同様――つまり、八年前に小学生の間で流行っていた噂の一種だと言う。

 上崎が噂を知らないというのは、彼が、中学生からこの街に転校してきたという理由で片が付く。小学生の時に流行っていた噂を真に受けている中学生は、そうそういない。

 じゃ、僕が、ただ忘れているだけ? あり得ない。僕の記憶の中には、噂についての断片的な情報すらないのだ。

 全く、記憶にないのだ。

「なんなんだろ、この噂……」

 僕は、開けている窓から入ってくるさざ波の音を耳にしながら、全く進まない課題を見つめていた。

 <魔女と未完成タイムマシーン>――なんとなく、胸の中で呟いてみるが、やっぱり輪郭すら見つけることが出来ない。

 海沿いの街に住んでいる人の大半が認識している噂を僕だけが知らないなんてことは絶対にありえないのだ。それは、この噂が、僕のためにあるようなものだから。

 僕は、夏の夕暮れが大嫌いだ。もっと言えば、八年前の八月四日の朝顔が儚げに枯れ、蝉時雨が小さく消えていくあの夕暮れが大嫌いなのだ。

 その理由には、ある一人の少女が関係していて、僕が、この噂を追う理由にも直結している。

 あの日、その少女に一方的な別れを告げられた。過去の僕に、少女のことが好きだったのかと聞かれたら「わからない」と答える。今もそうだ。

 少女に対する心は、別れを告げられた瞬間から、そのまま成長することなく停滞していて「わからない」のだ。

 でも、別れに対して首を横に振って、嫌だ、と答えたいのは過去も今も変わらない。

 じゃ、首を振って否定すればよかったじゃないか。

 別れるなんて嫌だ、と大声で叫べばよかったじゃないか。

 無理だったのだ。

 僕が、少女に「嫌だ」と告げたときには、彼女は、ずっと遠い場所へと消えてしまっていて、ただただ、涙を流して抗うしかなかったのだ。そして、抗うことすらも、いつしか罪に変わっていた。

 だから、僕は、この噂の未完成タイムマシーンを使って八年前の八月四日に行かなくてはいかない。そして、少女を抱き寄せて「いかないで」と伝えなきゃいけない。

 これは、僕の個人的な理由だ。

 だから、上崎には言わない。

 もう、僕の自分勝手な理由で、大切な人を失いたくはないんだ。

 少し、過去を思い出しすぎてしまったようだ。微かに目元から熱い何かが込み上げてくる感覚が襲い、強引に目元を拭う。

 それでも、やっぱり課題をする気にはなれなくて、広げていた課題を雑に閉じ、窓際に寄りかかり黒の中で微かに届く波の音を聞きながら、頭をリセットする。

 そして、白紙になった頭に新しく鉛筆を走らせた。


 僕だけが知らない<魔女と未完成タイムマシーン>の噂――まず、直面した問題は「なぜ、この街で流れていた噂を僕だけが知らないのか」ここから、紐解いていくしかない。

 だが、八年も前の過去を今振り返るとなると現状からしても厳しいものがある。

 この問題の根本的な部分を知りたいのに、その当時の大切な部分が失われているのだ。ということになると、その当時を知ることが出来る<何か>が必要なのだ――とりあえず、僕が、ただ忘れているだけという仮説を具体的な証拠を元に否定したい。

 つまり<当時の僕が、噂について認識していた>という手がかりが必要だ。

 過去を知るためにはどうすればいい。

 こんなおかしな噂を追っているんだ、言い方を変えよう。

 過去を閉じ込めて保存できるものはなんだ?――僕にしては、なかなかいい。

 顎に手を置いて、さざ波のある規則に乗っ取った音を聞きながら思考を巡らせた。だけども、その音もだんだんと小さくなり、周りの時間も遅くなっていくような感覚に襲われる。

 過去の一瞬を閉じ込めれればそれいい。

 つまり、<記録>だ。


「卒業アルバム」

 僕は、導き出した答えを無意識に呟いていた。

 卒業アルバム――しかも、小学校の卒業アルバムともなれば、あの噂の一つや二つ書かれているはずだ。

 これが、最後の希望だった。

 ブログに書かれていた噂が本当ならば、僕に残された時間は少ない。

 ――魔女の作る未完成タイムマシーンは、その日の過去か未来にしかいけない。

 残された時間は、あと三日。

 僕は、自室の本棚の本を床にぶちまけて、小学校の卒業アルバムを見つけ出す。

「あった」

 埃を被ったアルバムは、最後の希望だ。

 僕は、希望に縋りつくようにして、ページをめくった。

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