2.うみよこのカフェ

 七月二十五日。夏休み初日くらい遅くまで深夜番組を見て、お昼過ぎに目を覚ましたいのだが、自称魔女との契約を交わした僕は、そうもいかない。

 午前十時を少し過ぎたころ、快晴の空とどこまでも続く澄んだ海を右手に、ある場所へと向かっていた。

 その場所は、<うみよこのカフェ>――決して、店の特徴を曖昧に表現したものではない。これが、正規の店名だ。

 その名の通り、防波堤を右手に、曲がることがない一本道を歩いていると、ぽつんと小さな小屋が見えてくる。白の木材を基調に、いかにもなフォントで<うみよこのカフェ>。

 ここが、自称魔女<上崎>に指定された場所だ。

 僕は、流れる汗を手で拭い、店の扉に手をかける。

 扉が開かれると、外とは違う人工的な冷気が僕を歓迎し、店内はやはり、外の自由を象徴したような空間とは違う、個性にあふれた空間が待っていた。

 それに続いて柔らかい女性の声が聞こえてくる。

「いらっしゃいませ。 あら、ソウくん」

「おはようございます。 準備中でしたか?」

「今、終わったところよ。 どうぞ」

 この店の店長<ユリさん>の歓迎を受けて、僕は、カウンター席に腰かける。

 上崎も来るということもあるから、四人掛けのテーブル席に座っても良かったのだが、今日は、やめておこう。

 それから、ユリさんにとても個人的な用事がある。カウンター席ならば、仕事をしながら話を聞いてもらえるだろう。

「夏休みなのに、朝から早いわね」

 長くて滑らかな黒髪を一つにまとめたユリさんからメニュー票とコップに注がれた水を渡される。

「本当は、眠っていたいんですけど待ち合わせがありまして」

 僕は、特製ジンジャエール(甘口)を注文して、ユリさんへと視線を送る。

「ソウくんが待ち合わせということは……学くんね」

「正解です」

 ユリさんは整った顔立ちをクスリと歪め、その美しさに拍手をするよう氷がカランと音を立てる。僕は、そんなユリさんの雰囲気を見ながら、美人な人だなと感心する。

 内陸とは隔絶されているという表現がぴったりと感じるほど海しかないこの街のカフェは、地元の人しか訪れない場所だ。

 もちろん、僕と上崎も学校帰りによく立ち寄る常連だ。

 いつだか、ユリさんとこんな話をしたことがある。

 こんな小さな街でカフェをやるより、内陸の大きな街でやったほうがいいんじゃないですか、というものだ。

 このカフェは、手作りの物が多く、僕が注文したジンジャエールも、ユリさんお手製ブレンド。初めて飲んだ時は、一種の魔法にかかったように魅了されたのを今でも覚えている。

 きっと、内陸でカフェを経営したなら、雑誌に取り上げられて、地方からも女子高生が訪れる人気スポットになるはずだ。

 だが、ユリさんは、さっきみたいにクスリと微笑み、こう答えた。

「私は、この街が好きなの。 めばぐるしく変化する日常なんかよりも、海の気分屋な表情を眺めながらお客さんとお喋りしたいの」

 その時は、真っ暗な夜で、とても星が綺麗だった。ユリさんは、窓を開けて外を見ながら「それに」と続けた。

「それに、この場所じゃないと、うみよこのカフェなんて名前つけられないでしょ?」

 ユリさんは不思議な人だ。まるで、過去を持っていないように思える。自由にいろいろな場所を巡っていた猫が、ぱっと魔法で人間になり、気ままな人生を歩んでいるようなそんな感じだ。


「はい、ジンジャエール。 あと、学くんは遅れるだろうから、これでも食べて、気ままに待ちましょ」

 差し出されたのは、ジンジャエールとバニラアイスの上にはちみつが掛ったものだ。ユリさんは「新メニューにしようと思って。 常連さんの感想を聞かせて」と言う。

 アイスを口の中に運ぶと、また、ユリさんの魔法に掛かってしまった。バニラアイス濃厚な甘さに、さっぱりとした口触りのはちみつが絶妙にマッチして、汗ばんでいた体に染み込んでいく。

 もしかして、ユリさんが魔女……まさかね。

僕ののんきな思考は、勢いよく開け放たれた扉によって綺麗に区切られた。

「わりぃ! 遅れた!」

 ちょうど、アイスを食べ終えた頃、海と青空にぴったりな笑顔を浮かべて上崎が登場する。

「大丈夫、気にしてないよ」

 上崎のマイペーズな性格は、人間関係に亀裂を生じさせる時がある。でも、僕は、嫌いではない。むしろ、上崎のマイペースは好きな部類に入る。これといった理由は、無いのだが、親友だから、という理由で片づけておこう。

 僕は、いつも通り微笑みで返す。

「学くんもジンジャエール?」

「はい! 俺は、辛口でお願いします」

「はい。 かしこまりました」

 ユリさんが、上崎のジンジャエールを作っている間、昨日見た<魔女と未完成タイムマシーン>の都市伝説について話を振り返る。

 今日、ここに集まったのは、この都市伝説についてユリさんに聞いてみるというのが目的だ。僕たちよりも長くこの街に住んでいるユリさんなら、この都市伝説を知っているかもしれない。

「はい、ジンジャエールの辛口とはちみつバニラアイス。 これは、サービス」

「マジすか! ありがとうございます!」

 上崎は、大口でアイスを頬張り、頭を押さえながら「うまいっす!」と答える。

 さぁ、話を戻そう。

「ユリさん、一つ聞きたいことあるんですけどいいですか?」

 ユリさんは「何かしら?」と声だけを僕たちに向けて、視線は、手元の皿に向けられている。僕も、真っ向から真剣な話をするつもりはなかった。だから、ジンジャエールのストローに口を付けて、上崎の至福の表情を観察しながら問う。

「<魔女と未完成タイムマシーン>って都市伝説聞いたことありますか?」

「あら、とても懐かしいお話ね」

「知ってるんですか?」

 意外な返答に、上崎に向けていた視線をユリさんへと方向転換する。ユリさんも作業を中断して、視線を僕へと向けていた。

「何年前になるのかしら。 多分、ソウくんたちが小学生くらいの時に、この街に流れていた噂よ」

 僕たちが、小学生の時……あの都市伝説ブログに書かれていた情報と時系列は同じだ。

「そんな噂聞いたことないな」

 ほとんど、独り言のように言い、過去の記憶を掘り返してみる。だが、この噂についての記憶は、断片すら見つからなかった。

「どうして、そんな懐かしいお話を持ち出したのかしら?」

 ユリさんは、興味ありげにカウンターで頬杖を付く。

「俺たち、今年の夏休みは、この噂について調べ上げるんすよ!」

「二人で?」

「はい!」

 高校二年生にもなって、無垢な心情で「俺たちは、昔の噂について追ってます」だなんて……上崎のメンタルの構造は理解しがたい。でも、僕も羞恥心を感じてなんかいない。

 好奇心、探求心、似たような言葉を探して、当てはめてみても違う気がする。僕の胸にあるこの感情は、全くの的外れな場所にあるのだ。

「ふーん……その噂を追いかけるメンバーに一人加わるのは駄目かしら?」

 僕と上崎の口から疑問符が漏れた。

 ユリさんは、間の抜けた僕たちの表情を見てか、口元に手を置いて笑う。

「大人だって影すらない漠然とした何かを無垢な気持ちで追いかけたくなるものなの」

 やっぱり、ユリさんは、不思議な人だ。このお店が本当は、狐に魅せられているまやかしだとしても、急にユリさんがこの街から消え、その代わりに黒猫をよく見かけるようになったとしても、「あぁ、やっぱりか」と思うだけで驚かない。

「だけど、私は、お店があるから……調査がソウくんと学くんで、場所と食料、そらから情報の提供くらいならできるわ」

 あんぐりと開けていた口の両サイドが分かりやすく上がる。

「やった! ユリさんがいれば百人力だぞ!」

「そうだね、僕たちじゃ限界があるだろうから」

「あれ、ソウタも意外と乗り気?」

「乗り気というより、気になるじゃん。 僕たちが知っていてもおかしくない噂を知らないだなんて」

「さすが、俺の友達だぜ!」

 上崎は、僕の頭をぐりぐりと撫でまわし、そのまま、カウンターへ身を乗り出し、噂についての考察をユリさんへと披露している。

 僕は、乱れた髪を手で直しながら、目に見えない距離を空け、上崎を見た。

 ――僕らが知っているはずの噂を知らないから調べる。

 口にしたことは、全て嘘だ。

 この噂――<魔女と未完成タイムマシーン>の噂について上崎に聞いた時から調べるつもりでいた。所詮は、根拠のない物であるのはわかっている。

 だけど、僕が、夏の日の夕暮れを好きになるためには、この方法しかない。これは、僕の個人的な理由だ。だから、上崎を根深い部分にまでは巻き込むつもりはない。

 この噂が本当ならば、結末は、自分一人で見つけ出す。上崎ならば、笑って許してくれるだろう。

 だから、今だけは、僕に嘘をつかせてくれ。

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