第2話
「ふぁ…」
情けない音を出しながら欠伸をする。スマホのアラームは6:00丁度に設定してあるけれど、時刻はもう8:30をさしていた。仕事のある日はきちんとアラームで目が覚めるというのに、休みだと分かればアラームがそれを察して鳴らないのか、もしくは都合良く体が目を覚まさないのか。ベッドに体を預けながらもう一度欠伸をすると、だんだん思考がさえてくる。と、同時に、昨日の、彼女の声を思い出す。
電話越しにきっと涙をこらえていた彼女の声。言い出しにくそうに別れを言って、そうしてまた鼻をすすって、唾を飲み込む音まで聞こえた。まだ家には、当たり前だけれど、彼女のおいていった色々なものが残っている。洗面台の鏡の前には、仲良くお揃いの歯ブラシとコップがあるし、台所の食器棚には、彼女がマイ箸を買ったんだと笑いながら言って、置いて帰った綺麗なお箸がある。起き上がると、きっと色々なものが目について思い出すから、出来ればベッドから出たくなかった。寝室だけは、僕が人の物を置くのを嫌がるからと、彼女のものは何も置いていない。こういうときに、人の匂いや気配がするとよく眠れない僕の無駄な繊細さが役に立つ。
彼女が別れを考えた理由は、あまり詳しくわからない。別れたいといった彼女に、僕はどうして、と聞かなかった。別れる、なんていう一方的な言い方だったら腹が立ったし、別れよう、なんていう能動的な言い方だったらきっと僕は彼女を嫌いになっていた。だけど、彼女は一言、別れたいと僕に頼んできた。その言葉のどこかに、僕らがいつもお互いに感じていた相手への感謝だったりそういったものが含まれているように感じた。
だから僕は、何も言わなかった。分かった、と返事して彼女の言葉をまった。風呂上がりで、髪も乾かしていなかった僕の頬を、冷たい水がつたった。それでも嫌な気はしなかった。彼女が次にいう言葉が、謝罪でもなく文句でもないということだけは確信していた。そうして、僕の予想通り彼女の口をついた五文字で、ああ、僕は良い人と付き合っていたんだな、と妙に誇らしく思って、つらくなった。
そういえばよく、「いい女になってふった男を見返してやる。」なんていう言葉を聞くけれど、あれは本当にいい考えだと思う。別れるときは、相手を否定せずに、むしろ失ったことを後悔させてやるくらいの方がダメージが大きいのだと思う。身を持って体験したのだからそれだけは確かだ。彼女が僕と別れる理由について言った言葉は、ほんの一言だった。
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