第73話・酒の飲み方

 その夜。金沢市街をかすめるように流れる犀川のほとりの、ナントカ会館。ここのとある一室で、彫刻科新入生たちの阿鼻叫喚が渦巻いている。高校時代には経験したことのない、すさまじい酒盛りが行われているのだ。「新入生歓迎」のコンパとは、名ばかりだ。とっとと新入りたちをツブして、気の知れた仲間内で盛り上がろうと考えているとしか思えない、先輩たちの横暴ぶりだ。

 ハコは、安居酒屋ではない。冠婚葬祭に使用されるようなそこそこの格式を誇る、パーティ用のホールだ。教授陣をはじめとする先生方も、特別あつらえのコーナーに列席している。これは、フォーマルな場らしい。そのふわふわカーペットの床に、新入生たちは死屍累々と身を横たえている。自らのゲッちゃん(嘔吐された吐瀉物のことをこう呼ぶ)の海の中で討ち死にしている者もいる。わんわんと号泣している男子もいる。笑いが止まらなくなっている女子もいる。全員が酔っ払いだ。真っ赤になって大いびきをかいている者もいれば、まっ青になってぴくりともうごめかない者もいる。まさに地獄絵図と言っていい。それを横目に、先輩たちはステージ上で、裸になり、歌い、踊り、芸を披露し、そして例の「イッキ飲み」というやつをやらかしている。高校時代とは次元の違った飲み方を見せつけられ、愕然とさせられる。オレもまだまだ甘い、もっともっと酒に強くならねば・・・と、ぐでぐでに緩んだ気を引き締める。が、そのまま意識が遠のいていく・・・

 翌朝。天井がぐるぐると回る渦の底で目を覚ました。ゆがんで見えているが、どうやら自分の部屋のようだ。どうやって帰ってきたのか、思い出せない。頭の芯がズキズキと痛む。胃液を吐ききって、体内のエネルギーは空っぽだ。酔いはまだ腰からひざにたっぷりと残っており、歩いてみると、まっすぐに進めない。そんなからだで、それでも授業にだけは出なければ、と学校に向かう。

 ようやくたどり着いた彫刻科棟の1年坊部屋のドアを開けると、室内に日本酒の芳香が充満していた。むんっ、と濃密なエーテルが脳内に殺到し、めくらむ。その場の空気をかいでいるだけで、酸っぱいものが込み上げてくる。ふと気づくと、前夜に封を切られた巨大な樽酒が、部屋のまん中に、でん、と置かれているのだった。「残りを飲んでいいよ」という、心優しき上級生たちからの思いやりだ。それとも、「もっと強くなれ!」という無言の圧力なのだろうか?洗礼は終わったわけではなかったのか?

 そこへ、上級生の中でも最も猛者と思われる面々が入ってきた。

「お、まだこんなに残っとるやないか」

 先輩たちは、樽から柄杓で酒をすくい、升(ます)に注いでいる。昨夜のつづきで、飲め、とその升を差し出されるのかと思いきや・・・

「入学おめでとう。かんぱ~い」

 自分たちでがぶがぶと飲み干しているではないか。

「ああ、うめえ。おまえらに飲ますには、もったいない酒や」

 そう言いつつ、彼らは朝っぱらから日本酒をかっ食らうのだった。これはすごい。一刻もはやく、自分もこのレベルに到達せねばならない。

 その後も、先輩たちは代わるがわるに現れ、樽酒を飲んでは、ひと言ふた言、訓示のようなものをたれ、帰っていく。男の先輩はもとより、女の先輩も、部屋にきては酒を飲んでいく。次第に、これは先輩たちなりのコミュニケーション方法なのだ、と理解した。こうして上と下との顔を、自然な形で(?)つないでいくわけだ。古都の名にふさわしい、わびさびの利いた麗しい文化ではないか。そして、この大学は、この科は、豪気でバンカラなよろしき文化を持っているではないか。やるぜ、金沢。オレも一杯だけそいつを口に含み、込み上げる吐き気をこらえつつ、飲み下す。

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