第74話・新歓ソフトボール大会

「午後に、新歓ソフトボール大会をやるから、準備しとけ」

 先輩が1年坊部屋にやってきて、一方的に勧告していった。新歓コンパの酔いもさめきらない、数日後のことだ。

「全員参加な。胃薬を飲んでから、グラウンドに集合」

 なんだ、胃薬って?ソフトボールと関係あるのか?と、いぶかしみながら、午前中の授業を恐々と過ごす。

 昼飯をすませ、言われた集合時間だ。みんなでぞろぞろとグラウンドに出た。グラウンドは、エントランスホールのすぐ裏手にひろがっている。要するにこの大学は、ひどく建物が薄っぺらなのだ。その代わりと言ってはなんだが、グラウンドは広大にひらけている。東側を古びた校舎に、北側を医療短大の清潔な壁に、そして南と西側を竹の生い茂る崖に囲まれている。整備は行き届いていない。運動場というよりは、むしろ空き地と呼んだほうがしっくりとくる。一見して、スパイクに荒らされた草っぱらなのだ。その最奥部、北西のすみに、野球用のバックネットとピッチャーマウンドがある。ふと、三塁側ベンチを見ると、すでに上級生の面々と、ビール、日本酒などの多彩な酒類が並んでいる。バーベキューのような雰囲気だが、肉はなさそうだ。

「これより、彫刻科恒例の新入生歓迎ソフトボール大会をはじめる。ルールは簡単だ。新入生は、順番にバッターボックスに立ち、自己紹介をする。守ってくれてる先輩たちの耳に届くように、大きな声でな」

 自己紹介が終わると、打席で、日本酒でも焼酎でもなんでもいいが、とりあえず三杯の酒を飲み干すのだという。

「一塁打なら、一塁ベース上で酒が一杯飲めるんだ。二塁打なら二塁で二杯、三塁打なら三杯飲ませてもらえるぞ。がんばってな」

 アウトなら、戻ったベンチで先輩たちが歓待してくれて、酒も飲み放題だという。なんとありがたいルールではないか。とにかく、なんやかんやと理由をつけては酒を飲もう、というのが、この科の文化らしい。そして先輩たちは、新入生たちをはやくその水に慣れさせようと骨折ってくれているわけだ。迷惑・・・いや、感謝の念を禁じ得ない。と同時に、はやくもベンチでどんちゃん騒ぎをしている先輩たちの姿を見ていると、やはりこのひとたち、自分たちが飲みたいだけなのでは?との疑惑を否定しきれない。

「岐阜県の加納高校からきました、すぎやまよしたかですっ。よろしくおねがいしますっ!」

 コップ酒を三杯あおると、すでに頭がくらくらしはじめる。三つに揺れて見えるボールを思いきり打ち返し、一塁ベースに走る。が、ふらふらの足が蛇行する。一塁ベース上では、美しい幻想界に住む女の先輩が、クラブママよろしく、一升瓶を片手に待ってくれている。現実と夢の見分けがつかない。次の瞬間には、大きな青空が視界いっぱいにひろがって、ぐるぐると渦を巻きはじめる。

 かくて、二回表も半ばには、グラウンド上のあちこちで車座ができ、ゲッちゃんの海に沈む新入生を尻目に盛り上がる先輩たちの姿があるのだった。ところが行き届いたもので、ベンチ横には、ツブれた新入生を寝かすブルーシートのブースが設けられ、毛布や救護班が用意されている。さらに、瀕死になった重篤者を各アパートに送り届ける搬送班も、あらかじめ車で待機している。こうして脈々と、文化は伝えられているらしい。一年坊は、ツブされてツブされて、酒に強くなり、少しずつ彫刻科に受け入れられていく。これは、先輩たちの意地悪でも、厳しさでもない。きちんと、正当に、仲間としての心優しさなのだ。

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