第28話・卒業

 背丈は多少伸びたが、周囲の同級生たちも、それ以上のスピードですくすくと育っている。オレが相対的なチビであることに変わりはない。成長が遅い原因はわかっている。食べ物の好き嫌いが著しいのだ。基本的に、肉が食べられない。鶏肉の皮はムニュムニュして気持ちが悪く、軟骨のゴリゴリ感には悪寒が走り、豚肉や牛肉もくみくみとしたアブラ身の食感が耐えられないのだ。そのせいかどうかはわからないが、すごく貧血質だ。集会で必ず倒れる子、というのがいるが、オレのことだ。立ったまま、校長の長話などを聞いていると、頭がクラクラしてきて耐えられず、パタリとくずおれてしまうのだ。始業式、終業式、全校集会のたびに、これを繰り返している。治したいが、どうにもならない。肉を食べれば、なんとかなるものなのだろうか?

 野菜も得意とは言えない。お菓子だけを食べていたい。カール、ベビースターラーメン、サッポロポテトバーベキュー味・・・それ以外に好きなものといえば、ざるそばくらいだろうか。嫌いなものを挙げればきりがない。臭いに弱い。シイタケは死体のような臭いがして吐きそうになり、大根は青臭みがたまらず、給食の牛乳はケダモノ臭くて飲み下すことができない。家の冷蔵庫に入っているパック牛乳なら平気だが、学校で出てくるビンの牛乳は最悪だ。あれほどまずい飲み物が他にあるだろうか?半日ほども野天にさらされる生ぬるさが、動物の毛皮を舐めるようなあの生臭さを際立たせる。柔道部のきよしくんは頼もしい。毎日毎日、オレの分を含めたクラスメイト数人分ほどもの牛乳を飲み干してくれるのだから。そのおかげか、きよしくんはものすごく大きく、骨太な感じだ。オレもあんなふうになりたいが、生ぬるい牛乳を飲むくらいなら、貧血質なチビでいる方がマシだ。

 少食でもある。炭水化物を、みんなのようにたくさんは食べられない。給食には食パンが二枚も三枚も出てくるが、あれを時間内に腹におさめることなど不可能だ。あんな味も素っ気もなく、パッサパサのものが、メニューのいちばん真ん中にでんと君臨している意味がわからない。たまにジャムやマーガリンが添えられるが、その少ない量を、どう三枚ものパンの面積に割り振るというのか?一枚の半分が精一杯ではないか。まったく謎のバランス感覚だ。食パンの最大の罪は「味の薄さ」だ。もっと深い味わいをくれ!あの無味な乾燥物の四角い面積の中で、最も味わいのある部位といえば、ギリギリ、耳だろうか。毎日、憂鬱な給食の時間になると、この食の細い児童は、ネズミのようにパンの耳をかじりはじめる。耳のうちでも、いちばんおいしい(まずくない)のは、四辺のうちの上部と言える部分だ。ここの皮だけ、なぜかツルツルに輝いているのだ。のちになって、パンを焼く際に上面に卵白が塗りたくられるから、と知るのだが、この照りの部分だけは唯一、そこそこおいしい、と思える。その一辺をかじり進み、あとは惰性で周囲を巡っていく。が、ついに四辺全部を踏破することはできない。かくてオレは、毎日パンを残さなければならない。残パンだ。そいつはいつも、わが細腕による強力無比な握力で「瞬時に」圧縮され、机の引き出しの奥にそそくさと秘匿される。しかしそんな隠し事にも、露見の危険が迫る。何日もたつと、カビ臭が立ち上りはじめるのだ。青カビの熟成は非常に緩慢だが、その臭いは、ある日突然に発生を開始するようだ。胞子でもはじけるのだろうか?引き出しの奥から漂う異臭をついに感知した日には、冷や汗が止まらない。授業中ときたら、なおさらだ。焦燥の脇汗臭も入り混じり、教室中に芳香と、怪訝な空気が立ち込めることになる。

 脇と言えば、女子の成長のスピードには目を見張るしかない。オレにとって憧れ女子であるはる子ちゃんが、ある日の休憩時間に、教室の入り口の鴨居にぶら下がっていた。暑い夏の日のことで、彼女はランニングシャツ(タンクトップ)を着ている。かわいい。しかしその開かれた脇の下に、はて、モジャモジャのものがくっついている。いっとき、きょとん、とした後、血の気が引く思いに襲われる。オレのはツルツルなのだ。なのに、彼女のはモウモウとしているのだ。ふさふさとしているのだ。実に衝撃的な事件ではないか。

 女子のマセっぷりにも、すげえ、の思いを禁じ得ない。背が高くてきれいで優等生の花村さんが、スミガマ先生のことを「けいべつするわ」と言っているのを聞いてしまったのだ。あの坊さん教師は、美しい女子をことあるごとに呼びつけ、かわいいかわいいと言っては、ベタベタと触ってくるらしい。男子の知らない場所におけるスミガマの振る舞いにも驚かされるが、花村さんの「けいべつするわ」のトーンには、性的な興奮を促されるほどの大人っぽさとかっこよさが匂い立ってきて、実にほれぼれとさせられる。オレの生涯の中でも、ひとつの分岐点と言っていいほどの事件だ。ついでに、同級生で陸上部のホンダさんは、砲丸投げの投擲の際に、アゴ(エラ?)の骨を砕いてしまったそうだ。彼女は女子なのに、校内でいちばんからだが大きいのだ。この事件の際にも、「女子ってすげえ・・・」の思いを深くしたものだ。

 さて、スミガマ先生は相変わらずのスタイルを貫いている。オレたち6年生にもいよいよ卒業が迫り、ガリ版刷りの卒業文集をつくるときのこと。担任の彼は、各自の文面の提出に極めて厳しい審査を設け、その難関をくぐれないものに対しては、事細かな添削を加えはじめたのだ。思い出の文集なのだから、好きなことを書かせればいいではないか。しかしこの欺瞞教師は、小学生の思い出にまで介入してくるのだ。これがまた、ちょっといじるどころのレベルではない。戻ってきた文面を読み返すと、それは干渉をはるかに超えた、劇的な創作物語となっている。いわば、ウソっぱちだ。この男、妄想系の病気なのかもしれない。クラス全員の文を捏造してくれるのだから、たいした熱心さとは言えようが。こうして、素晴らしき卒業文集は刷り上がった。卒業式の後にうやうやしくその文集は渡されたが、帰り道でとっととドブに捨てた。さよなら、小学校生活。

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