第13話・天才

 小学校は友だちもいっぱいでたのしい。よしたか少年は、勉強もそこそこでき、からだは相変わらず小さいが、着々と成長できている実感はある。万事、順調だ。が、ひとつだけ問題がある。担任の先生が最悪なのだ。3~4年時の担任の河合先生は、ヤクザの親分のような醜い中年男で、登校時間から放課後まで始終、生徒の姿さえ見ればところかまわずビンタを食らわせている。忘れ物をすればビンタ、問題が解けなければビンタ、ファールを犯せばビンタ、ミスでもビンタ、連帯責任だといってはビンタ・・・なにかとイチャモンをつけてはビンタだ。軍隊式の恐怖政治に、生徒たちは心底ビビらされている。とにかく、そのビンタには理由もクソもなく、先生の気分の発散のようなものなので、殴られる側はたまったものではない。

 この頃には、よしたか少年の自我は確立し、その行動原理もより主体的、意識的なものとなっている。自分のことを「オレ」と呼ぶようになり、美意識の萌芽によって、自尊心もヨチヨチとひとり歩きをはじめている。「オレ」は坊ちゃん刈りや半ズボンを嫌がるようになり、グローブを片手にウトウトしながら佐々木信也の「プロ野球ニュース」を観るようになり、ミニスカートの女子を横目で追うようになっている。どうやら「オレ」は、一人称を使うべき頃合いを迎えたようだ。

 異能の子供、というのが存在する。この頃のオレがそうだったのかもしれない。異能の頂点は「天才児」だが、オレはそれのプチだった。当時はその事実を自覚することはなかったが、後年になって振り返ってみれば、幼少期のオレには特異な資質が宿っていたとしか思えない。クラスでは将棋が流行っていたが、当時のオレには、他の誰よりも盤上の戦局が立体的に見えていたと思う。たいして本気でもないので最強というわけではないが、いつも信じられないようなウルトラCの一手を絞り出しては、段位が上の者を打ち負かしていた。特筆すべきは、「めくら打ち」というのが自然にできたことだ。目をつぶった状態で、「7六歩」だの「2七桂」だのと、声で駒を動かしていくのだ。代理人である友だちが、オレの発声に合わせて、横で盤上の駒を動かしてくれる。勝負相手は目を開け、通常どおりに差しながら、声で自分の駒の動きを伝えてくる。そんなやり方でも、頭の中の記憶だけを頼りに、最後まで差しきることができた。そして勝ってしまう。勝負の開始から最後まで、盤面の展開(駒の配置)を隅から隅まで完全に把握していなければできない芸当だ。

「おめー、ほんとは見えとるんやろー」

「アホか、見えとらへんわ」

「うそやろー?」

 他の誰にもマネはできない。が、オレは当然のように、そしてなんの訓練もなしに、いきなりそれができるのだった。

 ピアノの鍵盤で、複雑なコードを押さえることもできた。音楽的知識も素養もなく、練習もせず、そうした行為がなんとなくやってしまえる。音の連なりが脳の中で重層化・立体化して整頓され、ざっくりとした印象を論理へと置き換えることができるのだ。当時は、ひとの脳とはそういうものだろう、と無頓着だったが、それは異能の才と呼んで差し支えないものだったにちがいない。

 最も顕著にそれを示すのは、画の才能だ。オレは生まれたときから画がうまかった。描く対象を三次元解析のように立体的にとらえることができるので、いつでも周囲とはまったくケタ外れな質の画が描けた。空間認識能力と創造性のステージが、常人とはまったく違っているとしか言いようがない。いや・・・ちょっと調子に乗って、自分のことを褒め称えすぎているかもしれない。とは言え、この時点でオレの将来進むべき道が確定的だったのは、明らかな事実なのだ。

 一芸に秀でていると、人気者になれるのが子供社会だ。画が上手な子供は、不良っぽい連中にも好かれ、優等生からも感心され、女子にもモテる。しかしオレは、とてもシャイで、引っ込み思案だった。描き上げた作品は大っぴらに披露されることもなく、もっぱら画才は教科書の落書きとなって放出される。そのため、その才能を知る者も限定されていた。

 あまりにオレの教科書がびっしりと落書きに埋め尽くされているため、鬼軍曹・河合先生の憤激を買ったことがある。彼は「画の天才」を廊下に連れていき、ビンタを往復で食らわせた。その上、放課後に居残って教科書をきれいにせよ、と命じた。オレは両ほっぺをまっ赤に腫れ上がらせたまま、教室が暗くなるまで、傑作、快作、超大作の上に消しゴムをコシコシとかけつづけた。時代はまだ、オレに追いついてはいなかった。

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