第8話・ひろがる世界

 天気のいい日には、みんなでごぼさん(寺院)の前庭で遊ぶ。そこは近所の子供たちにとって、ホームグラウンドのような場所なのだ。大きな本堂を見上げるアプローチに、石畳敷きの大きな空間がひろがり、その周囲にはいろんな障害物が配されている。灯籠、藤棚、鐘楼の石垣、お釈迦様を乗せた白馬を祀ったお堂、桑の巨木、石碑・・・ここは、かくれんぼやカンケリのときの隠れ場所に事欠かない、魅力的な遊技場だ。

 本堂の建物は、1メートルばかりの幅の石造りのお掘(水路かな?)に囲まれていて、そこを飛び越えるのが、仲間内でのイニシエーションとされている。スネほどの深さしかないこのお堀が、子供にとっては結構な難関で、こちらサイドは地面の高さなのだが、向こう岸は建物の土台のせいで、胸ほどの高さになっている。つまり、飛んだところに、段違いとなった壁が反り立っているわけだ。なので、飛部と同時に向こう岸の高い地面に手をついて、間髪入れずによじ登らなければならない。まだ小さなよしたか少年は、年上の悪ガキたちのマネをして、この浅い堀をひょいと越えたいのだが、向こう側の障壁が怖くて、どうしてもできないでいる。手と足を伸ばせば届くほどの距離なのに、いざ、となると、どうしてもひざがすくんでしまうのだ。決意を固める前に、からだが石のように固まって動かない。同い年たちはこの難関を次々とクリアし、悪ガキ団の仲間入りをしていく。一度やり方を覚えた彼らは、何度でもやすやすとお堀を飛び越え、からだを引き上げて、あの新しい世界へと滑り込んでいく。なのによしたか少年は、笑われても、からかわれても、ののしられても、どうしてもそれができない。何日も何日も躊躇しつづけ、チャレンジさえできないままに、ついに暮れきった夕闇に立ちつくす。みじめな気分だ。

 ある日、唐突にそれが起こった。いつものようにお堀を前に行きつ戻りつしているとき、後ろから背中を、どんっ、と突かれたのだ。うわ~・・・と落ちた溝は、わずか30センチほどの深さだ。水に至っては、チョロチョロと流れてはいるが、つま先を濡らす程度のものだ。石組みの平らな底を流れるのはきれいな水で、泥に汚れるということもない。そんなのはわかっていたことだが、少年は改めて気づいのだ。

(そうか、落ちても大丈夫だ!)

 あまりに遅いひらめきだったが、彼はついに、本気でチャレンジしてみようという気になった。

 手の平をぎゅっと握りしめ、口を一文字に食いしばる。利き足を引いて、よーいドン、のポーズ。胸はドキドキだ。身を沈める。反動をつけ、えいっ、と地面を蹴る。ジャンプ。宙にひらめく小さなからだ。次の瞬間、彼は向こう岸の石組みにひざを打ちつけている。

「ぐあっ・・・」

 泣きそうになるのをがまんする。両手で障壁にしがみつく。前足を寄せてよじ登る。後ろ足を引き上げる。彼は成したのだ。仲間たちから歓声が上がる。早生まれの小さな少年は、こうして無事に悪ガキ団に迎え入れられた。

 見上げれば、そこは本堂への上り階段の脇、渡り廊下の軒下だ。床の梁を支える太い柱が並び、それを貫いて、横板の木組みが走っている。外観は見慣れた本堂だが、そのふところにもぐり込んだわけだ。その奥には、彼にとってはじめて見る、劇的な世界がひろがっている。厄介な扉をクリアして、ダンジョンに潜入だ。かくれんぼで身を隠すエリアがだんぜんひろがった。少年はそのとき、世界はそうしてひろげていくものなのだと知った。

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