第5話・お茶とハンコとまんじゅうと

 横長の家屋に、壁を隔てて三世帯の家庭がおさまっている。そんな建築様式が、三軒長屋だ。つまり、ひとつながりの建物の中に、三軒分のスペースが並列に仕切られているのだ。三軒はそれぞれの玄関を持ち、住民はお互いに横の行き来はできず、独立して暮らしている。今で言うところの「テラスハウス」と考えていい。わが長屋の一軒分の内部構造は、二層(二階建て)の風呂なし5DKで、古いとは言え、六人家族が住まうには充分の広さがある。よしたか少年ちは、そんな三軒長屋の左端で、まん中にはお茶屋が、右端にはハンコ屋が入っている。

 右隣のお茶屋は、時代劇に出てくるような街道沿いの甘味処的なやつではなく、お茶っ葉を商う、シンプルな意味でのお茶屋だ。店先にはおばちゃんが座ってタバコを売るコクピットのようなブースがある上に、中をのぞき込むと、行李のような茶箱が天井まで積み上がっていて、よしたか少年は子供心に、かくれんぼの隠れ場所の宝庫だ、と感じている。ついにその機会は訪れなかったが。

 その店頭では、いつも茶葉が焙じられている。表にピンボールゲームに似た奇妙な機械があって、その中心部に付いた乾燥機のようなドラムが回転して、番茶の茶葉をゴンガラゴンガラと炒るのだ。ごぼぜこ通りは、そこから立ちのぼる芳しい匂いにいつも満たされている。よしたか少年はそのカラクリ細工が気に入っていて、いつもこの装置の前で立ち止まっては、ぼんやりとながめて過ごしている。芳香に官能がくすぐられ、万華鏡のようなドラムの回転に見入らされる。ぐるぐるサラサラと回っては落ちる茶葉が、催眠術のように心を奪う。匂いとともに不思議な世界へといざなわれ、少年はラリッたように目玉を回しつづける。

 そのまた隣のハンコ屋には、未亡人がひとりで住み、商いをしている。店内すぐのところに作業場があり、おばちゃんは万力に象牙片を据え付けては、多彩な刃物を使って名前を削り出していく。すごく上手だ。繊細で神経を使う仕事だが、子供が遊びにいくと、手を止めて相手をしてくれる。とても子供好きなひとで、よしたか少年はちょくちょくとひとりで遊びにいく。なにしろ、二階にまで上がらせてお菓子まで振舞ってくれる、優しいおばちゃんなのだ。今思えば、おばちゃんはさびしかったのかもしれない。さびしがり屋の少年と、求め合うものが噛み合っていたのだった。

 お茶屋と反対側の左隣は、和菓子屋だ。入り口のウインドウ越しに見える店内のショーケースには、桃色、藤色、若草色、菜の花色・・・とりどりのまんじゅうが並んでいる。それらは優雅に細工が施され、いつも腹をすかせた少年を知らず知らずに店内へと引き込む魔力を持っている。少年は敷居をまたぎ、禁断の地に足を踏み入れる。するとどうしたわけかその途端に、おかみが飛び出してくるのだ。

「はいはい、いらっしゃいませ~」

 そこではたと我に返り、あわてて逃げる。まんじゅうはながめていたいが、買うつもりはないのだ。出てきてもらっても困る。ところが、そんな出来事が毎日つづいている。不思議なことだ。

 軒先から店内をのぞき込む、足を踏み入れる、すると、おかみが飛び出してくる・・・愚かな少年は、いつもこのシーンの連鎖に疑問を感じている。あの鬼ババアはどうして自分の気配に気づくのだろう?と。店の敷居をまたぐとチャイムで客の来訪を知らせる仕掛けを、ノーテンキな頭はついに理解できないでいる。そのため少年は、同じ過ちを無限にくり返してしまう。彼は悪ガキではなく、ぼんやりとした子なのだった。

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